スズメと鈴女と飛べない雀15
「そんなことより、あのロボを止めないと市街地に被害が出ます!」
何しろ、とっくに諏訪の市街地はあのビームの射程内である。
「実は、ここにニシナニウスの緊急停止スイッチがある」
「おおっ!」
仁科博士は懐から、なにかのスイッチの付いた箱を取り出した。
ラーズは歓声を上げる。
仁科研究所の人間にも、緊急停止スイッチを付ける程度の良心が残っていたのは評価するべきだろう。
「早速、停止させてください!」
「……うむ。実は既に試したが、止まらないのだ」
「緊急停止とは一体……」
なんとなく、そんなことなんだろうな。とは思っていたが、実際に言われると結構凹むものがある。
「どうやら日本赤軍の連中、ニシナニウスに何か手を入れたようだ」
手を入れた程度で無効化される緊急停止スイッチに、どれほどの意味があるのか、ラーズには理解できなかったがつまりそういう事なのだろう。
しかし、これはヒントでもある。
「連中が手を入れた、と言う事はあの中に日本赤軍の幹部が乗ってると?」
「もう、仁科研究所に奴らの仲間は残っていない。つまり、そういう事だろう」
と言う事は、日本赤軍は最初から巨大ロボ目当てで仁科研究所に来たことになる。
まさかあんなロボに乗ったまま、どこかに亡命と考えているのだろうか?
この大日本帝国という国の本土は、いかなる国とも陸上で国境を接触していない。
つまり、船なり飛行機なりを使わない限り外国には到達しないという事だ。
そして現実的な問題として、ニシナニウスを運搬できる船も飛行機もそうそうないだろう。
せいぜい海洋開発用の浮桟橋くらいか。
……そういや、こんな巨大ロボ実用化してどうやって前線に運ぶ気だったんだ?
ふと、そんな疑問が湧いたがラーズは考えない事にした。
だが、事態はラーズが想像を超えて進行する。
ラーズが……いや、おそらくその場にいる全員が、この一連の事件は日本赤軍によるテロであると考えていたし、それを否定する要素も無かった。
だから、ニシナニウスが諏訪湖のど真ん中で立ち止まった時、その意図は誰にも分らなかったのだ。
……これで、一旦市街地への被害は……いや、そんな事はないか……
乙種『烈風』が送ってくる上空からの情報を見て、ラーズは考えを改めた。
巨大ロボが湖の中を歩くと津波が起こるらしい。
実際に、諏訪湖の南岸に展開していた長野県警の道路封鎖チームが、津波で薙ぎ払われた。
海の無い長野県で、津波に会うなどと誰も予想していなかっただろう。
しかし、これでニシナニウスをおいそれと攻撃できなくなったのは事実だ。
もし、湖のど真ん中でニシナニウスの巨体が倒れでもしたら、津波で諏訪の市街地が壊滅する。
「……ん? 人?」
ラーズの位置からは見えないのだが、『烈風』からの視点ではどうやらニシナニウスの肩の辺りに人が居るようだ。
「……ちょっと待てよおぉぉぉっ!?
なんだコレ!?」
「信重房子だな。日本赤軍のリーダーだ」
ホロタブレットの映像を覗き込み、真顔で仁科博士が言う。
「日本赤軍、すげえな」
テロリストのリーダーと聞いて、ラーズは信重という女を紛争地帯帰りのマッチョだと考えていた。
だが、現実は違う。
ニシナニウスの肩の上に現れたのは、巫女装束を羽織り、枯れ枝のような腕を天に伸ばす老婆だった。
「ファンキーな組織だったんだな……いや、待てよ」
ラーズ自身、とても重要な事を忘れている事に、この地点で思い至る。
あまりにも非常識なので、思わずなかった事にしていたが、京都の一件の時のように『向こう側』があるパターンなのではないか?
京都の場合は伏見稲荷、諏訪は諏訪大社。どちらも日本屈指の霊場である。
日本赤軍は共産主義国への亡命などではなく、『向こう側』に抜ける気なのかも知れない。
『向こう側』の世界は厄介である。なにしろ、妖怪変化の類から伝説上のアーティファクトまでなんでもありだ。ラーズは京都の時に嫌と言う程味わっている。
「……ひょっとして、コレって相当マズイ状況なんじゃぁ?」
京都の時は、こちら側に大ムカデが出て来た。
今回、何が出てくるかなどわかった物ではない。
……どうする?
どうするもクソもない。日本赤軍の狼藉を邪魔するのである。
「それには……まずは、スペシャリストの意見が必要だ」
◇◆◇◆◇◆◇
ラーズの言うところのスペシャリスト、というのはもちろん諏訪の神様である。
「最近の人間は罰当たりの事をするのう」
諏訪湖の水面にそそり立つ巨大ロボを見上げながら、諏訪の神は言う。
結局の所、諏訪の神様と伏見稲荷のお稲荷さんは、諏訪大社の境内で雑談を続けていた。
「わらわの社の下に、電話線通すような連中じゃからのう」
「それは別に良いじゃろう。伏見稲荷の道祖」
道祖、というのは道祖神の事である。ちなみに、厳密には稲荷神社の類はどんなに小さくても道祖神ではないが。
「……しかし、アレはちと、良くないのう」
「そこら辺の話、詳しく!」
ドン! という破裂音を伴って、空から落ちて来たのは無論ラーズである。
「魔法で飛んできたのかえ? せめて鳥居をくぐらぬか? 罰当たりめ」
「……ここでまさかの和装ロリ麻呂眉キャラ……だと!?」
諏訪の神の圧倒的威光の前に、ラーズが思わずそう口にする。
「この国の神様は、幼女をベースに属性ガン積みスタイルが主流なのか……」
「この方が受けが良いからのう」
着物の裾で口元を隠しながら、諏訪の神はコロコロと上品に笑った。
「出雲とか伊勢の神様も凄いんだろうな……」
遠くの空を見上げてラーズは呟いた。
世界の深淵に振れた賢者のような表情だった。
「しかし、よく下社に居る事がわかったのう?」
諏訪大社には上社と下社がある。一応優劣は無い事になっているが、誰が聞いても上社の方が格上っぽく聞こえるだろう。
「まあ、やっぱり格下の神様と会うなら下社だろう、とか思ってな」
適当な推理をラーズは述べる。
「……いや、わらわがこっちに行くのを見ておったじゃろう」
お稲荷さんが言う。
「それもあるけどな」
「……それはそうと主様は、何用でここへ来なさった?」
「おっと、そうだった。神様のあまりのパンチ力に、本来の目的を忘れる所だったぜ」
ラーズは服の裾で口元を拭う。
「諏訪の神様……って、確かタケミナカタノカミ? だったと思うけど、あってる?」
「よく知っておるのう。その辺の観光客より聡明じゃて」
「まあ、それはいいとして……あの巨大ロボ。
あそこで何しているか、わかったら教えて欲しい」
そうラーズが問うと、諏訪の神は目を細めた。
「あれはおそらく、『穴』を穿つべく儀式を行っておるのじゃろう」
「穴? お稲荷さん、それって……?」
「京都の時のアレと同じじゃ」
お稲荷さんは答えた。
「あるいは、京都のアレを参考に諏訪に穴を開けようとしておるのかも知れぬ」
京都で実際に起こった事象である。他の場所で起こらないいわれはないだろう。
事実ここには諏訪の神が居て、伏見稲荷のお稲荷さんも居るのだ。
「そんな事って可能なのか? 可能なのと実現できるのは別次元だと思うけど……」
ラーズはやや困惑。
「……主様は、土偶という物を知っておるか?」
諏訪の神は唐突に、そんな質問を投げかける。
「こんなヤツ?」
「それはハニワじゃが、まあ大して違いは無かろう」
ラーズが空中に描いた輪郭を見て、諏訪の神が少し笑う。
「主様は、土偶が何のために作られた物か、ご存知か?」
「……えっ? アレってなんか古墳のにぎやかし的な物なんじゃあ?
年度末の予算消化的な」
微妙に風情の無い事を言うラーズ。
さすがのラーズと言えども、考古学については詳しくないらしい。
「にぎやかし、と言えば確かにそうよのう。
しかし、土偶とは人柱……もっと言えば生贄の代用品ぞ」
その言葉を聞いて、ラーズは一瞬考え込んだ。
「……げっ!? じゃあ、信重房子は巨大ロボをコストにして儀式魔法やる気なのか!?」
◇◆◇◆◇◆◇
那由他は、まどろみから急速に現実に引き戻されるのを感じた。
確か、仁科研究所で不意打ちされて妙な薬を打たれた事は思い出した。
その後の記憶は曖昧だ。ラーズが居たような気もするが、やはりそのあたりは曖昧だ。
「メタンフェタミンか何かかしら……大体ここは何処?」
薬を注射されたと思われる首筋を撫でながら、那由他は立ち上がった。
ふと、見れば那由他は一振りの刀を抱きかかえていた。
小狐丸だ。
これがここにあるという事は、やはりラーズは居たのだ。
しかし、やはり現状がどうなっているかはわからない。
那由他は周りを見回した。
ダークブルーの壁と、何かのパイプ類。暗い照明。部屋も狭い。
……何かの機械の中?
それが那由他の印象だった。
少なくとも牢獄などではない。
だが、問題はそこではない。
「……また特高に捕まっちゃう」
どっちみち、テロリストと再び関係してしまった以上、それは避けられまい。
「とにかく何とかしないと……」
幸い武器はある。小狐丸だ。
……これで壁とか斬れないかしら?
無論切れる訳がないし、小狐丸はそれ自体が国宝級の刀である。そんなことに使ったら罰が当たるのは必至だのだが。
「うっ、抜けない」
そう。それよりなにより那由他が力いっぱい引っ張っても、小狐丸は鞘から抜けなかった。
刀もオーナーを選ぶのである。
しかし、それでも鈍器くらいにはなると那由他は考えた。
問題は目の前の扉である。
扉の脇で点灯しているランプは赤。どう考えても扉は閉まっている。
一応、那由他は扉を押したり引いたりしてみるが、当然開かない。
……こまったわ。
ここがどこなのかはわからないが、空爆などされてはたまらない。
那由他が視線を巡らせた先、天井の辺りにメンテナンス用と思われるハッチがあった。
幸か不幸か、部屋は狭いしパイプなど手掛かり足掛かりには困らない。
「……行くしかなさそうね」
那由他は腕まくりをして、手近なパイプに手をかけた。




