魔法使いの本分3
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翌日、再び那由他は水風館を訪れた。
警備の兵士曰く、ラーズは二階の一室に大量の漫画本を持ち込んで籠っているらしい。
それを受けて、那由他がラーズの籠っている部屋を開ける。
なるほど、一階にいた兵士の言うように、ラーズは大量の漫画を持ち込んでいるようだ。
積み上げられた文庫本が摩天楼のようになっている部屋の奥の机で、ラーズが何やらノートにメモを書いているのが見えた。
「あのー」
と那由他が声をかけると、ラーズががばっと顔を上げた。
「おっ、なゆ太。
漫画を読むというアイデアは実にグッドだった」
つい十八時間ほど前とは、なにか話し方まで変わっているような気がするラーズが言った。
この段になって、ようやく那由他は気づいたが、ラーズの周りに数冊の漫画本が浮かんでいる。
「……文明汚染がっ!?」
文明汚染とは、本来交流のない異星文化に対して地球の文化を混入させてしまうことを言う。この場合、聖域の文化に日本の漫画文化が混ざった事になる。
……ああ。始末書だわ。
那由他は嘆いた。
そして、ラーズの手元にあるノートに目を落とす。
そこには『知らなかったのか? 大魔王からは逃げられない』と、書いてあった。
「知らなかったのか? 大魔王からは逃げられない」
その言葉をラーズが音読する。
「……んー。実に美しい日本語だ。毎日声に出して読みたいな」
「日本語をなんだと思ってるのよ!?」
と、一応言ってみるが、もちろんラーズは聞く耳を持たないらしい。
「しかし、素晴らしい文化だ。
悪魔に侵略されて流浪の旅を強いられた中で、このような素晴らしい文化に触れさせてくれた帝国には……言葉もない。
……圧倒的、感謝……っ!」
……ああ。この人もダメな人なんだ。人じゃないけど。
ラーズはイケメンというより、お姉さま方に受けそうな可愛らしい顔立ちをしている。那由他の第一印象もいい男だった。
だが、その実態は二次元寄りであり、那由他がそれを覚醒させてしまったという事だろう。
「……無念だわ……」
がっくりする那由他。それを完全に無視して、ラーズは言いたいことを言い続ける。
「……こんな素晴らしい芸術があるなら、もっと早く見せてくれればよかったのに。
そうそう、特にこの二〇世紀後半に開花した一大芸術文化。
研究者の間では、この時代を『ジャンプ黄金時代』と呼ぶらしいが……」
「呼ばないから! なんで西洋ルネサンスみたいに言ってるの!?
あと、研究者って誰よ!?」
「……じゃあ、オレ二〇世紀末の世俗風俗について記述された本の書き取りがあるから」
そういって、ラーズは机の方に向き直った。
「……なるほど一九〇〇年代に世界は核の炎に包まれたのか……」
……おかあさん。漫画を読むと頭が悪くなるというのは本当だったのですね。
那由他は思った。
神崎から渡されたレポートに依れば、ラーズの知力は非常に高いと書かれていた。
那由他は既に忘れ去っているが、ラーズはわずか一か月足らずで未知の文明の言葉をほぼ違和感なく話し、今想像を絶する速度で文字を覚えている。
数時間後、飲まず食わずで漫画のページをめくり、気になる単語があればノートに書きだす。というよくわからない作業にラーズは没頭している。
本当にこんなので日本語の読み書きができるようになるのだろうか? と那由他は考えていた。
もっとも、それを進めたのは那由他自身な訳だが。
と。
コンコン。とドアがノックされた。
当然ラーズは無視を決め込んでいるので、那由他は立ち上がって扉を開けた。
「はい?」
扉を開けると、そこには一人の老人が立っていた。
真っ白な頭髪と黒い燕尾服。歳は七〇歳を超えているはずだが、足腰はしっかりしている。
「……水野先生」
水野は東京帝大の教授であり、海軍工廠の顧問でもある。ちなみに博士号である。
「おや、柳葉君。
ついに内調をクビになったのかね?」
「なってません! 内調の仕事です」
「まあ君の事はどうでもいいんだ。ラーズさんに会おうと思ってね。
……無論、永井閣下の了承も取ってあるよ」
「すいませんが、上司に確認をさせていただきます」
さすがに、ここでホイホイ謁見を許すわけには行かない。
那由他は通信端末を取り出し、内調のデスクへ音声通信回線を開いた。
だが。
「ごきげんよう。ミスターラーズ。
わたしは、水野という者だが、少々話がしたいと思いましてね」
「かまいませんが、ミスタ水野」
「ほっほっほ。ミスターではなくドクターと呼んで欲しい」
「ドクター……博士でしたか」
「しかし、見事な日本語だね。
一か月でこんなに喋れるようになった訪問者は知らない」
「ちょっとぉ! わたしこ言葉聞いてた!? ねえ聞いてた!?
上司に確認するって言ったわよね!?」
那由他を完全に無視して会話を始めた二人に那由他が吠える。
「実は……VMEと言ったね? あの魔法の機械だが……今、東通工のスタッフが修理を試みているんだが、どうしても原理が不明なものがいくつかあってね。
やはり、持ち主に聞くしかない、という結論に至ったのじゃよ」
水野はそう言い、懐からホロデッキを取り出し、ラーズの座るデスクの上に置いた。
「使われている演算装置は原始的な……いや、失礼。初期のノイマン型コンピュータなのはわかっていて、推定三〇〇メガヘルツ程度のシリアル通信で周辺デバイスと通信している。メモリは六四ビットのパラレル接続」
ホロデッキに表示されたブロックダイヤグラムを指さしながら、水野が続ける。
那由他は完全に無視である。
「さすがは、技術大国。
起動しないデバイスを調べたでけでそこまで分かるとは……」
ラーズは驚嘆の声を上げた。
「……ちなみに、シリアルバスの転送速度は六六メガヘルツの五倍ですが、あのVMEはクロックアップして八三メガヘルツの四倍で動いています」
水野の言葉にラーズが答える。
那由他には会話の内容が分からなかった。魔法の言葉かもしれない。
「ほっほっほ。クロックアップとは懐かしい。
昨今のコンピュータは十分な処理能力を持つようになったせいか、そういった文化は失われて久しい。悲しい事じゃ。
それはそうと、我々が問題としているのは、コレ」
そういって、水野はホロデッキを操作する。
投影されたホロビジョンには、虹色に光るプレートのようなものが浮かび上がった。
「……キレイ」
と那由他は言ったが、無論誰も取り合わない。
「我々はこれを虹色回路と呼んでいるが……」
「ワークエリアブリッジですね。
しかし、虹色回路という呼び名も、詩的でいいと思います」
「この周辺部分にある回路が、シリアル通信デバイスだという事はわかっておるんじゃが……」
投影された虹色回路の隅の部分を指でなぞりながら、水野は続ける。
「肝心の虹色回路の部分が、どういう動きをするのかがわからん。
回路シミュレータもエラーを吐く有様じゃ」
「虹色回路部分は、魔法のアイテムだと思ってもらっていいです。
おそらく、この国にはない理論で動きます」
「なんと!? 魔法。魔法か?」
水野が驚いた声を上げた。
いや、歓喜の声かも知れない。と那由他は考えた。
「率直に教えてくれんか? 魔法の何をこの半導体はするんじゃ?」
「うーん……」
水野の問にラーズは一瞬唸る。
「……そうですね。
まず最初に……魔法と言うのは、何もない空間からエネルギーを取り出すテクノロジーの名称……と考えてください」
「システム名じゃな」
「はい。
この魔法の発動プロセス……すいません。専門用語が入ったりすると思います。
分からない言葉は都度聞いて頂ければ……
で、発動プロセスなんですが、大雑把に『詠唱』『増幅』『発動』の3段階があります。
昔はこれらを全部魔法使いが自力でやっていたんですが、これだと遅い上に不確実なのでこの内の『詠唱』と『増幅』プロセスをコンピュータにやらせようという事になりました」
「ほう」
水野が関心したように言う。
ラーズの語りは、まるで論文のように整然としてると那由他も思った。
……やっぱり賢いんだ。
と、内心思う。
「コンピュータにやらせるには、当然ながら呪文をデータとして取り出す必要があります。
これを担っているのがワークエリアブリッジです。
……ああ。言うまでもなく『増幅』プロセスでの書き戻しも行います」
「つまり、あのVMEという装置は、魔法の処理を助ける装置、という事じゃな?」
「そうです。
実際には、外部との通信をしていたり、データを収集していたりしますが、本質的には『魔法使いの杖』です」
『魔法使いの杖』とは言いえて妙な表現である。
絵的にはラーズより水野の方が、魔法の杖は似合いそうだと那由他は思った。
「具体的には、『詠唱』プロセスで五〇〇バイト程のデータをワークエリアブリッジから取り出して、これをシグネチャとして『詠唱』『増幅』プロセスをコンピュータで行った後、再びデータをワークエリアブリッジから魔法使いに書き戻します。
人力でやると、三〇秒以上かかる処理もコンピュータにやらせれば一秒未満で済みます。
無論、人力では不可能な繊細な制御を行うこともできます」
「……」
水野は黙った。
「わたしもその機械を使えば、魔法が使えるの?」
思わず那由他は聞いた。
無視されるかと那由他は思ったが、ラーズは左手を那由他の方に向けた。
「?」
その意味が分からず、那由他は首を傾げた。
「……見えないか。
じゃあ、無理。才能がない」
「ひっどい!
努力でなんとか……」
「ならない。
魔法を使えるようにできてない人間は、絶対に魔法を使えない。
いや、絶対は言いすぎだな。遺伝子操作と薬物で無理やり人造魔法使いを作ることはできるとされてるが、まあそんなのは考慮外だろう」
「……その赤い光が柳葉君には見えんのか?」
とこちらは水野。
「水野さんは見えるんですね。
なら魔法使いの資質があります。残念ながら、今から訓練しても魔法の発動ラインに届くことはないと思いますが……」
ラーズは水野の方に向きなおり、左てのひらを見せる。
「多分、赤くて丸いモヤみたいな物しか見えないと思うんですが、訓練すればこれが幾何学模様で構成された魔法陣……
……魔法陣というのは、『詠唱』プロセスのプラットフォーム的な物ですが……が見えるようになります」
「なるほど、つまりその魔法陣をデータ化するのが、虹色回路というわけじゃな」
「その通りです」
「しかし、困ったの。
これではデータ取りもできん……
いや、ラーズさん。VMEのほかの部分を修理できたら、魔法を使って見せてはくれんか?」
「水野博士! それは!」
さすがに、内調も軍令部も通さずにそんな事はさせられない。
那由他の首も吹っ飛ぶだろう。
「……確かになゆ太の言う通り。
永井閣下の許可を取ってもらえれば、いつでも協力しますよ」
この発言には那由他も安心した。
ラーズも、この提案をノータイムで受けるほど安易ではない。




