スズメと鈴女と飛べない雀11
バチッ! という音をラーズは聞いた。
油断が無かったと言えばウソになる。しかし、自分の背後に敵が居ない事を確認する程度の事を怠るラーズは無い。
そして、悪い事にラーズの保護障壁は接触された状態での、電撃を防ぐことはできなかった。
……スタンガンとは……
いわゆるテイザーの類なら、ラーズの保護障壁を貫通する事はなかったのだろうが、残念ながら今回はスタンガンであった。
倒れながら、それでも視線を背後に向けたラーズが目にしたのは、スタンガンを持って佇む那由他の姿。
裏切ったのか、無理に従わされているのか、それとも洗脳の類なのか? それをラーズが考えるより先に、もう一度スタンガンを首筋に押し当てられラーズは昏倒した。
「おお。気づいたかね」
「?」
次に目覚めた時、ラーズは倉庫のような場所に居た。
……これは監禁されてるな……
おおよそ、そんな感想だけが頭をよぎった。
そして、ラーズは目の前に居る数人の白衣姿の男たちに注目する。
それはもう科学者。という風情である。
短絡的に考えて、仁科研究所の科学者という事になるだろう。
「……いてて……
まさか、あんなスタンダードな奇襲でやられるなんて……」
「あなたは?」
「あっ。海軍の者です」
灰色の髭を生やした初老の男に問われ、ラーズはそう返す。
「あなたは……?」
「当研究所の所長。仁科と申します」
……この感じ、どこかで……
そう思ったが、今一つ思い出せない。スタンガンの後遺症かも知れない。
「一体なにが?」
仁科博士は矢継ぎ早に聞く。
「……うーん。味方だと思ってたヤツが裏切った。
突然背後から、バチッっと」
ふと、思い出してラーズは左腕を見た。
マジックシンセサイザーはまだそこにあった。
これを取り上げられていないというのは、どういう事だろう? 単に那由他がマジックシンセサイザーがどういう物か理解していない可能性が高いが、何らかの別意図があるとも考えられる。
しかし、小狐丸は無い。
「裏切られた? ……いや、まさかアレを連中が使った?」
「アレ?」
思わずラーズが聞き返すと、仁科博士は姿勢を正した。
「試製洗脳音波発生器」
「はあ?」
「ふむ。理解できないのも無理はない。
仁科研究所の誇る先進の技術を持って作られた、画期的な装置であるからして……」
おおよそ、それが理解できる人間が居るとはラーズには思えなかったが、その装置は画期的らしい。
「そんなことが可能なので?」
聞き返さざるを得ない。
なにしろそんな物が実用化一歩手前なら、大変な事である。
「出来る訳なかろう。ネズミには聞いたがウサギには効かなかった。
まだまだ研究の最中だ」
冷めた口調で仁科博士は答えた。
「ですよね」
それはそうである。そうそう完全な洗脳が可能な訳がない。
しかし、その理屈だと那由他はウサギ以下という事になるが……
「あるとすれば、自分で洗脳された、という自己暗示にかかってしまうパターンくらいだろう。
そんなのが居るなら、ぜひデータを収集したいが」
「全部終わったら、存分にどうぞ。なんだったら、解剖して脳みそ取り出してもいいですよ。
代わりにウサギの脳みそ入れておけば、パワーアップにもなる」
しかし、迷惑な話もあったものである。
大体、まがいなりにも諜報機関に所属する人間が自己暗示で洗脳されるとは情ない。
あるいは、洗脳にカッコつけてラーズを攻撃したかったのか。
……!
ここでラーズにある思いつき。
「仁科博士。
実は、諏訪湖の上空で水上練習機が噴進弾で攻撃を受けたんですが、あれももしかして……?」
「それは、陸軍の依頼で研究中のSS装置によるものだな。
素晴らしい誘導性能だっただろう」
胸を逸らせて仁科博士は言う。
確かに素晴らしい性能だった。本物の弾頭が装備されていたら今頃は諏訪湖で魚のえさになっていただろう。
「……素晴らしい性能というか……そもそもSSとはなんなんですか?」
「SS……スピリット・シーカー。つまり霊魂追跡装置、とでも言えば良いか……」
ここに至って、ラーズは理解した。
……ああ。ここってそういう施設なんだ……
同時に仁科博士の第一印象の正体もわかった。これは水野博士と同種の人物、という事である。
つまりマッドサイエンティストだ。
「……霊魂……ですか……」
ラーズはひきつった。
何が酷いかと言うとこの霊魂追跡装置、ちゃんと機能してラーズを追いかけて来たのである。
これを酷いと言わずして、なにを酷いというのか。
実際には、虹色回路を使えば可能なのかも知れないが、それをいきなり霊魂とか言われると胡散臭い。大体、虹色回路は魔法用の電子回路であり霊魂などというオカルトとは違うのである。
「まさか他にも何かあったりしませんよね? その、変な発明品」
「変な発明品、とはまた妙な表現だ。
凡人が想像もできないような先進的な技術という意味では変な物はたくさんある」
うんうんと頷きながら、仁科博士は言った。
……ああ。こりゃダメだ。
ラーズはそう思って、以後仁科研究所の中は前人未到のダンジョンかなにかだと、決めつけてかかる事にした。
そうと決まれば、さっさと鈴女を見つけて撤収するのみである。
撤収したら、草加に頼んでここを爆撃してもらおう。とラーズは心に決めた。むしろ自分で爆撃しに来てもいい。
幸い、愛知の三菱重工まで行けば『烈風』の機体もあるだろう。
「全然話は変わりますが、仁科博士」
「なにかな?」
「……ここに『烈風』のAIモジュールが運び込まれて来たはずなんですが、どこにあるかご存知で?」
「『烈風』のAIと言うと、陸軍に壊されたというアレか……」
なにかを考えるようなポーズを取って、仁科博士は言う。
「堀田君。あれは何処にやったかね?」
堀田と呼ばれたのは、丸眼鏡の青年だ。仁科研究所に居る以上、この男も博士号なのだろうか? そうだとすれば優秀な人材なのだろう。
「自分の研究室にあります……連中が手を付けて居なければ、ですが……」
「だ、そうだ」
「堀田さんの研究室、とは?」
ラーズが聞くと、堀田も仁科博士と同じように胸を張った。
「一号棟のロボット工学研究室です」
「これは、ロボット工学だな」
ラーズは《ブリンク》の魔法で、監禁されていた倉庫を脱出すると一号棟へ向かった。既に夜は明けている。
幸い、日本赤軍のメンバーは相当数が撃破済みなので、遭遇する事は無かった。
問題があったとすると、ラーズと堀田氏の間で認識の相違があった事だろうか。
ロボット工学、と聞いてラーズは二足歩行ロボットのような物を漫然とイメージしていた。その派生技術で義手なんかを作ったりもするかも知れない。
だが、堀田の研究室に近づくとそのイメージが誤りであった事に気づく。
よくよく考えてみれば、仁科研究所にあって堀田だけがまともな研究をしている訳がないではないか。
「ちょっと古い雑誌とかで良く見るよな、こういう図面」
廊下に貼ってある図面……人型ロボットの透過構造図……を見ながら、ラーズは呟いた。
ちらりとラーズが外に目をやると、無人のプールが設置されているのが見えた。
……研究所……プール……まさかな……
帝国の良識を信じて、ラーズは考えるのを止めた。
そもそも、鈴女を回収すればミッション完了なのだ。深く考えても仕方ない。
「……問題は……」
ラーズは研究室を見回して、思わず呟いた。
広いのである。
そして、よくよく考えてみると、ラーズは鈴女のAIモジュールがどんなものか知らない。
この場合、かたっぱしから調べるしかないのだが、そんなことをしていればいくらなんでも日本赤軍に発見されるだろう。
「……いや、待てよ……」
一瞬、日本赤軍を火力で粉砕してゆっくり探す。という短絡的な考えがラーズの頭をよぎったが、かろうじてそれは押しとどめる。
政治的に色々問題があるのだ。
と、その時。
「あーっ! ラーズ!」
緊張感のない声が上がった。
ラーズは反射的に、その変の机に置いてあった陶器製のカップを掴んで投げつける。
ぼごっ! という思い打撃音を伴って、那由他はひっくり返った。
「裏切者め、一体どっから湧いた」
「ひっどい! 大体裏切り、ってなによ!?」
手鹿にあったクリスタルの灰皿を手に取った。
火曜サスペンス劇場などで良く凶器に使われる灰皿だ。
「裏切り、ってのは裏切りだろ。この共産主義者……ん?」
ここの至ってラーズはある事実に気づいた。
先ほど裏切った那由他とこの那由他の服が違うのだ。
しかし、だからと言って、こっちが本物で裏切ったのが偽物、などと短絡的に考える事はできない。
ラーズの経験から言えば両方偽物まである。
「共産主義者呼ばわりされる言われはないけど、ちょっと聞いてよ!」
「なんだよ。あつかましいヤツだな」
人を襲って置いて、何を言うのか。
「いいから聞きなさい!
テロリストのリーダー……確か、信重とかいう名前の女だけど、陸軍のとんでもない兵器を持ち出そうとしてるのよ!」
「知るか! 大体とんでもない兵器ってなんだ!?」
まあこの研究所の事であるからして、おおよそ碌な物ではない事は想像に難くない。
タチが悪いのは、それらの中にちゃんと機能するおもしろ兵器が存在する事である。
面白くはないが。
「てか、小狐丸もないのにどうしろってんだよ」
よくよく思い出してみれば、拳銃もない。
拳銃は最悪どうでもいいとして、小狐丸は良くない。伏見のお稲荷さんい祟られる。
「そうか! 小狐丸か」
状況からして、日本赤軍の残存兵力が小狐丸を持っている公算が高い。
アーティファクトである小狐丸は、ラーズの魔法探知の対象に十分になりうる。
つまり、小狐丸を追えば会敵出来るという事になる。
ひょっとすると、小狐丸を見つけて舞い上がった連中が、マジックシンセサイザーを見落とした可能性もありそうだ。
「ちょっと、一人で納得してないで、なに思いついたのか言いなさいよ」
「嫌」
一言で那由他をあしらってラーズは更に思考を続ける。
……よくよく考えてみれば、鈴女も探知できるんじゃね?
いままで、その着想自体が無かったので考えもしなかったが、なるほど虹色回路経由でラーズと接続したことのある鈴女もまた、アーティファクトと呼べる可能性がある。
もしアーティファクトとして探知できるのであれば、休眠状態……この場合は電源オフだが……でも探知対象にできそうだ。
ラーズは頭の中で、鈴女を探知するのに必要なパラメータを整理した。
次にマジックシンセサイザーのコンソールからホロキーボードを出して諸元を入力する。
「よし! 行けそうだ」
そう言ってラーズが振り返ったとき、そこに那由他の姿は無かった。




