スズメと鈴女と飛べない雀5
「仁科研究所と連絡が取れません」
「……そうか、何か聞いて居ないか?」
「いえ、自分はなにも……」
そう言って、連絡員は困った顔をした。
神崎から連絡を受けて、草加は仁科研究所にアポイントを入れるように部下に指示を出したのだが、返事がないのである。
断られた、というのならまだわかるのだが、連絡がないのはおかしい。
「……そうか、すまんな。下がってくれ」
「はっ」
連絡員は一礼すると、草加の執務室を後にする。
草加は手元の情報端末を操作して、仁科研究所の警備は何処がやっているのかを調べる。
「……陸軍か……」
軍事技術の研究も行っている仁科研究所の警備を、陸軍が担っているのは別に驚くには値しない。
しかし、そこには『烈風』のAIが保管されているというし、そもそもAIが保管されるようになった原因は陸軍である。
これは疑わしいと言わざるを得ない。
既に不問になっているとはいえ、暗躍しているのはあの辻中佐である。まだ何か仕掛けてきても不思議ではないだろう。
ただ困ったのは、何が味方で何が敵なのか判断する材料が無い事である。
海軍は少なくとも全部味方と思っていいが、陸軍は分からない。仮に陸軍を全て敵であると仮定すると身動きが取れなくなる。
「……やはりこの件は永井総長に上げるしかないか……」
陸軍からの情報が不可欠となれば、永井総長から陸軍の松山参謀長に働きかけても貰うしかない。
草加が永井の部屋を訪ねると、既に先客が居た。
「入りなさい」
と永井が声を上げたので、草加は永井の執務室に足を踏み入れた。
本来、永井は一介の航空参謀に過ぎない草加が直接会えるような相手ではないのだが、ラーズの件以降はパイプが出来た格好だ。
そして、この件はラーズ絡みである。
「神崎次官」
先客は神崎次官だった。
タイミングを考えると、件のイギリス艦隊の話をしにきたのだろうか?
「草加参謀……どうやら、同じ要件できたようですな」
神崎はそういう。
同じ要件、という事は神崎も仁科研究所の話、という事になる。
「……永井総長?」
「実は、特号装置うんぬんの前に、草加君に知って置いてもらいたい情報がある」
「……情報……でありますか?」
「……一言で言うと、仁科研究所を乗っ取った連中が居る。
日本赤軍と名乗っている、との事だ」
いきなり話が飛躍した。
どうも仁科研究所と連絡が取れないのは、この日本赤軍を名乗る連中によるものらしい。
ただ、それなら話は早いとも言える。
「なら海軍の陸戦隊を出して撃破しましょう」
仁科研究所には、海軍から研究を依頼している物も相当数ある。
それを守るために武力を行使する事に問題はないはずだ。
「……そうもいかない……
陸さんのメンツもあるから、向こうで戦力をそろえて奪還作戦を行うと言う話だ」
永井は言う。
これは政治の話であると草加は理解した。
要するに、陸軍はメンツを守るために自軍で組織された奪還部隊を投入する必要があるのである。
そして、草加の頭にある予感がよぎる。
「陸軍側でそれを指揮しているのは?」
「……さすがに草加君は鋭いな」
永井は苦笑した。
「辻中佐だよ」
永井の言葉を継いで、神崎が言った。
◇◆◇◆◇◆◇
「しかし、諏訪とは参ったわ」
諏訪湖の湖畔に佇みながら那由他は呟いた。
辺りには誰もいない。
そもそも、本州の内陸部はポツポツと村落がある程度で、まとまった人など住んでいないのである。
東京から諏訪まで、国鉄を乗り継いで八時間強。
地球から月への連絡船が四時間を切った、などというニュースが流れてから結構な時間が経っている。
月まで往復八時間弱、諏訪まで片道八時間強。いろいろ狂っていると那由他は思った。
そして、その色々狂っている物の中でもトップクラスに狂っているのは、なにを隠そうこんな所に居る那由他自身だろう。
諏訪湖の周りは、諏訪大社とその近辺に人が暮らしているだけで、他は手付かずの野山である。
そんな野山の獣道をかき分けて進む事二時間、うっそうとした木々の向こうに突如として人工的な建造物が出現する。
仁科研究所だ。
問題は、特号装置の情報を部外者の那由他が得られるのか、という話であるが、これについてはある程度の勝算が那由他にはあった。
内調の身分証明書はある程度の神通力がある。
内調がどういう組織か知っている人間なら、捜査権などを考慮せずに色々喋ってくれる事が結構ある。
これは那由他の経験からも、内調で教えられた情報収集テクニックからも間違いない。
「あのー。すいませーん」
仁科研究所に続く道には、当然守衛所がある。
まずは、ここを突破しないと話にならない。
しかし、那由他が守衛所を覗き込むと、そこは無人だった。
「むー」
と那由他は唸って、守衛所の写真を撮った。
いざ何か言われたときに、守衛所が空だったことを担保するためである。
仕方なく、那由他は研究所へのアプローチを進む。
そこは既に研究所の敷地内のはずなのだが、人の気配はない。
……困ったモンだわ。
那由他のカンでは、これはややこしい事態に巻き込まれている。
一般人の場合、こういった場合は楽観的に捉えてしまいがちだが、那由他は違う。
なにしろラーズ絡みの案件である。碌でもない事になっていると考えるのが自然だ。
しかし、人の気配がなさすぎる。
那由他は、一番手前の施設に達したが、やはり誰もと出会わない。
さすがに研究棟らしいその施設の扉は開かなかった。
仕方なしに、建物の周囲を回ってみるが、当然ながらなにもない。
「……」
何もないのは仕方ないとして、那由他を不安にさせるのは、誰かに見られているような気がすること。
……魔法が使えたら。
そう思う。
ラーズの使う魔法のなんと便利そうな事か。
「困ったわね」
何が困ったのかというと、普通に考えてこれは異常事態であると判断できるので、内調に報告を上げるべきであることは明白だ。
しかし、仁科研究所に来ていること自体、現状で内調には報告していない。
ここで報告すれば、マイナス査定は避けられないだろう。何しろ那由他は既にラーズ担当から外されているのである。
「……と、なると、長野県警かしらね……」
それは妥当な考えに思えた。
一般的な常識として、不審な状況になれば警察に通報するのは普通の事だろう。
通報者が名前を名乗らなかったとしても、それほどの問題はあるまい。
那由他には、それはとてもいい考えに思えた。
だから、なんの躊躇もなく警察への回線を開いた。
そして、その回線は繋がらなかった。
「……まさか……
……最悪」
それは致命的な間違いだったのかも知れないと那由他は思った。もう手遅れだったが。
◇◆◇◆◇◆◇
「ラーズ。居るかー?」
ラーズが与えられた自分の部屋で、キーボードを叩いている時、外から声がかかった。
色々気の滅入る事は多いが、だからと言って日々の鍛錬は怠れない。
「隊長? いますよ」
声の主は坂井だ。
「お稲荷さん、開けてやって」
「おおう」
と返事が返ってきて、扉の開く音。
「おっ、お稲荷さんの出迎えとは、縁起がいいな」
パンパンと坂井が手を打ちわせている。
「たいちょ。今午前二時っすよ? 明石標準時ですけど」
宇宙にあっても、大日本帝国の時間の基準は明石標準時である。昼も夜もないトリトンにおいても、それは同じである。
「内地から緊急電だ」
「緊急電?」
緊急の連絡というのは、古今東西碌な話ではない。
「まず、内地への帰還命令が出てるぞ」
そういって坂井はタブレットをラーズに示す。
「帰還命令……
931空に、ですか? また朝鮮半島とか?」
「いや、帰還命令はお前だけだ」
……オレだけ?
という事は、内地で求められているのは931空の航空戦力ではなく、局地戦力としてのラーズという事になる。
海軍の保有戦力が使えず、ラーズの力に頼るというパターンで考えられるのは二つ。
一つは京都の件のような軍事力ではどうにもならないパターン。もう一つは、政治的な理由で軍を動かせない場合。
前者なら、スーパーバイザーとしてお稲荷さんも指名されると思われるし、実際に朝鮮半島の時は指名されたので今回は後者という事になる。
「のう。ラーズよ。わらわも内地に連れて行ってたもれ」
とは、ラーズの膝の上まで移動してきた、お稲荷さんの言葉だ。
「そりゃ、連れていくけど……」
そもそもこのお稲荷さんは、伏見稲荷の近所のローカルお稲荷さんである。
街の外どころか、太陽系の果てまで連れて来ていいものなのかどうかもわからない。
「たいちょ。次の定期便って明後日じゃなかったでしたっけ?
いや、『烈風』も持っていくなら航空機輸送艦がいるんじゃあ?」
「『烈風』は要らないそうだ。駆逐艦が迎えに来るから、それに乗れ、だそうだ」
「駆逐艦を?」
わざわざ駆逐艦を仕立てる、というのはそんなに自体が逼迫しているという事だろうか?
だとすると、相当厄介な事態が起こっているのではないだろうか?
少なくとも坂井の持ってきた命令に、事情が一切書かれていない程度には厄介なことになっているのは間違い無いだろう。
「……じゃあ、荷物をまとめます」




