スズメと鈴女と飛べない雀2
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「坂井が泣きを入れてくるとは珍しい」
電文を見るなり草加はそう呟いた。
トリトンから、定期通信に交じって坂井が私信として送って来たのは、大雑把に言うと特号装置が動かなくて困っている。という内容だった。
「そんなに簡単に物にできる、などと思っていた訳ではないが……」
これは予想外の展開である。
草加……というか、この時代の地球人のAIに対する意識と、ラーズのAIに対する意識の差、とでも言うべき物がそこにはあった。
「これは難題だ……」
何しろ海軍としては、相応のコストをかけて『烈風』を開発している手前、特号装置が動かないのは大変困る。
特号装置が無ければ、『烈風』は『疾風』より少し優れているだけの機体になってしまう。しかも、値段は比喩抜きて一桁違う。
だが、草加は海軍参謀本部付き。幸か不幸か相談する相手には事欠かない。
もっとも、その前に元ラーズ機に搭載されていたAIが、何処に行ったのかを調べる必要がある。
いろいろな人に相談した挙句に、対象の機械が破棄されてました。では笑えない。
草加は、デスクの受話器を取った。
参謀部に引かれている回線は全て防諜対応。微妙にデリケートな話をする場合でも安心だ。
「海軍参謀本部の草加と言います。神崎次官にお繋ぎ願いたい」
電話をかけた先は、内閣調査室である。
餅は餅屋に、情報は情報屋に、という事だ。
「神崎です」
意外にも、すぐに電話は神崎に繋がった。
こういう事は珍しい。今回も草加は五分は待たされる思っていた。
「参謀部の草加です。
実は神崎次官にお伺いしたいことがありまして……」
「丁度こちらも、草加閣下にお伝えしたい事があったところです……」
すぐに電話がつながったのは、こういう事かと草加は思った。
「所で伝えたい事とは?」
そんなことを言われれば気になるのが人間という物だ。
「さすがに電話では……いかがです? 今晩、赤坂の料亭でも?」
なるほど。向こうの話はそういう種類の話らしい。
草加の方の用事も、あまり大っぴらに聞いて回れるような種類の話ではないので、密会の場を提供してもらえるのはありがたい。
内調が用意する会談の場なら、防諜も問題ないだろう。
その日の夜、草加は指定された赤坂の料亭に赴いた。
白い詰襟に参謀帯、腰には軍刀という姿だ。
草加が入り口をくぐると、女将自らが離れへ案内してくれる。
離れの座敷で待っていたのは、なんと神崎一人だった。
「……お一人は不用心なのでは? 次官」
「そういう草加閣下も、お一人でいらっしゃる。
いや、草加閣下は剣の達人でしたな」
草加は腰から軍刀を外して、胡坐をかく。
「……さて、本題を聞きましょうか? まずは草加閣下からどうぞ」
「率直に聞きたいのだが、ラーズ君の『烈風』から取り外されたAI、どこにあるか神崎次官は知っておられるか?」
「確か、陸軍が盗もうとしたヤツですね……残念ながら、すぐには……
ウチのエージェントを使って調べさせましょう。そんなに時間はかからないと思います」
あっさりと神崎はそれを了承。
「ありがとうございます。次官。
……それで次官の方の用事とは?」
神崎は、革製の手提げかばんから、何枚かの紙を取り出し、テーブルの上に置く。
「……これは?」
草加は、その紙を手に取った。
それは写真だった。
これは……『インドミタブル』? こちらの巡洋艦は『ヨーク』?」
その紙は、写真だった。
何かの動画から切り出したらしい物だ。
「一目見ただけで、艦名まで分かるとはさすがです」
神崎は率直にほめているのだろうが、参謀である草加が外国の船舶に通じているのは当然である。
少し、草加は憮然とした。
「それは先日から外遊している、英国のイングリッド首相が伴っている艦隊の写真です」
「……外遊に……随伴!?」
憮然としたのもつかの間、次の神崎の言葉に全てがぶっ飛ぶ。
草加は慌てて、写真をもう一度見返す。
「この船が、外遊に同伴しているのですか?」
写真の『インドミタブル』に限らず、英国の空母の待機デッキは半解放式である。
つまり飛行甲板の下のフロアは横から中が見えるのだが、写真の『インドミタブル』は反対側が見えない。
これは、待機甲板までぎっしりと航空機が乗せられているという事を意味する。
草加の記憶では、『インドミタブル』の搭載は標準で一四〇機程。しかし、写真のような積み方をすれば二〇〇機は乗せられるはずだ。
実際、戦地に赴く空母はこういった積み方をする事があるのだが、この空母は外遊に付き合っているだけのはずである。
「……いや、まさか?」
「お気付きに?」
「……外遊に随伴しているように見せかけて、密かに艦隊を展開させている?」
「我々はそう分析しています」
草加は絶句した。
確かにこれは電話で話せるような内容ではない。
「……行先は……」
「無論、エッグです」
草加の記憶では、英国海軍はエッグ領内を通過する自国船舶の安全確保目的に、正規空母『アーガス』『イラストリアス』を基幹とする艦隊を展開しているはずである。
ここに『インドミタブル』と『フォーミダブル』が加われば、恐るべき空母打撃戦力になる。
これが対米戦略に基づいた、英国海軍の軍事行動であることは明らかである。
「……エッグに動きがある、と……」
この時期、エッグに動きがある。というのは、要するにクーデター計画が発動されるという事に他ならない。
「分析では、これら英艦隊はクーデター前後のエッグの治安維持の為の出撃である公算が高い、と出ています」
……これは良くない。
と草加は思った。
帝国の誇る最新鋭空母『翔鶴』『瑞鶴』が、『インドミタブル』や『フォーミダブル』に劣るとは決して思わないが、いかんせん搭載機の『烈風』が仕上がっていない。
連合艦隊参謀の目から見て、どうあがいても、二九九九年中は厳しそうであると言わざるを得ない。
そうなると、英国にエッグの利権を根こそぎ持って行かれる可能性がある。
いや、百歩譲って利権はあきらめるとしても、ラーズの手前指をくわえてみていると言う訳にも行かない。
大体、草加のプライドも帝国海軍のプライドもそれを許さないだろう。
正義はなされるべきなのだ。
だが、問題は英国の意図がよくわからない事である。
ありそうなのは、エッグのクーデターに合わせて米軍が動かないように牽制、といった辺りだろうが、果たしてそんな目的で本土艦隊の一部を分離するような真似をする物だろうか?
「次官。この艦隊の司令官の情報は?」
「確定情報ではありませんが、サー・トーマス・フィリップス司令官だと言う情報があります」
草加は下を向いて唸った。
トーマス・フィリップスといえば、英海軍本土艦隊の司令長官である。
それが直々に複数の正規空母を中核とする艦隊で出てきている。これは尋常ならざる事態だ。
「重ねて言いますが、これは確定情報ではない事をお忘れなく。
また、もしトーマス・フィリップスが居たとしても首相の外遊に付き合っているだけの可能性もあります。いや、こちらの方が可能性は高い」
「確かにそうですが……」
そう。慌ててはいけない。
この艦隊の移動は、本当にイングリッド首相の外遊に合わせた航海訓練かも知れない。
あるいは、大日本帝国が把握していない何らかの敵が存在し、それから首相を守るための戦力かも知れない。
しかし、草加としてはエッグの周辺がイヤに静かなのが、とにかく気になる。
いわゆる嵐の前の静けさ、という奴だ。
そこに来て。この英国の動きである。
……やはりエッグと英国の間で何らかのやり取りがあったのか?
草加は考える。
ここは、参謀部の権限で第一航空艦隊から第二航空戦隊だけでも出すべきではないのか?
第二航空戦隊は、『翔鶴』型の前級に当たる、正規空母『蒼龍』『黒竜』を基幹とする有力な空母打撃艦隊で、司令官は猛将と名高い山口少将である。この戦隊は現在練成中の第一航空戦隊と違って練度も高い。英国海軍の『インドミタブル』『フォーミダブル』と比べて見劣りはしない戦力だ。
とにかく、この件は速く上層部に上げないと後手に回る事になる。
「……やはり、こういう事は英国が一枚上手か……」
◇◆◇◆◇◆◇
二九九九年。夏の気配は日増しに増す六月末。
九重内閣がマスコミをつかって醸成した世論は、対米非難に傾いていた。
これは米国のエッグ侵攻の報復として、帝国はエッグから攻撃を受ける恐れがある。という情報が繰り返し報道されたためである。
米国政府がこの件に関する見解の発表を先延ばしにしている事と相まって、帝国国内では米国不信の空気が広がっている。
「九重総理、すげえな」
週刊誌のニュースを見ながらラーズは率直な感想を口にする。
マスコミを上手く使うと、こんなに簡単に敵国が作れるのか、と感心しているのである。
トリトン海軍基地のレクリエーション室。時刻は午前四時前。もちろんラーズ以外は誰も居ない。
ラーズがなぜこんな時間に起きているかと言うと、ある人物がトリトンに到着するのを待っているのである。
「……そろそろ、行くか……」
「小沢長官! 折り入ってお話が」
「ラーズ君か。どうした? こんな時間に?」
「長官が早朝に着かれるという話を聞いて待っておりました」
トリトン海軍基地の港湾部には、二隻の真新しい航空母艦が入港している。
その巨大な航空母艦が第一航空戦隊の空母である事は明らかである。そして、基地の入港した以上司令長官が、基地司令に会いに行くのは普通の事である。
その通り道で待っていれば、必然小沢に会えるという算段だ。
「そうか、歩きながら聞こう」
「ありがとうございます。長官。
それと、貝塚閣下。ご無沙汰しております」
ラーズはもう一人の知った顔に頭を下げた。
「覚えていてくれたとは、嬉しいな」
「『翔鶴』の艦長就任おめでとうございます」
「本当は軍令部から、内地勤務の話も来ていたんだがね。
小沢閣下が離してくれなくて、万年大佐だよ」
「嘘をつくな。『翔鶴』の艦長にしろ、とゴネたと聞いたぞ?」
「……小沢閣下にはかないませんな。はっはっは」
貝塚はそう言って笑った。
どうやら小沢の話の方が本当のようだ。
ラーズは貝塚大差の軍歴は知らないが、最新鋭空母の艦長を任されるような人物である。きっと有能なのだろう。
「……あの、閣下……」
「ああ。そうだ話があるんだったな。
なに、ここに居るのは『翔鶴』の参謀連中だけだ。気にせず話せ」
小沢は付き従う、数名の将兵に目をやって言った。




