魔法使いの本分1
魔法使いの本分
大航海とはかくも退屈なものか。とラーズは考えていた。
聖域から、ソル恒星系までは一七〇〇光年あるという。
それはそれは途轍もない距離である。
超光速で航行する事が可能な船舶にとっても、それは同じである。
つまり、艦隊は延々と超光速飛行を行っているという事になる。
超光速飛行中の艦船は全く揺れないし、窓の外には何も見えない。
これは、船が独立した空間の泡の中に居る為であると、ラーズは説明を受けた。
従って、ラーズのやることは必然的にトレーニングルームでのリハビリか、日本語の勉強の二択になってしまう。
実質的な駆逐艦母艦である『漣』は、駆逐艦や海防艦の乗組員のリフレッシュ目的でトレーニング施設なども充実している。
当然その施設は『漣』の乗組員も利用するので、最初ラーズは利用を断られるかと思っていたが、草加の一声でOKが下りた。
どうも草加も、相当な発言力があるらしい。
ともあれラーズは、積極的に他の乗組員に話しかけない事。というアバウトな制約な元、『漣』のトレーニングルームにてリハビリ中である。
無重力空間で筋力が落ちるのは一瞬であるが、それを取り戻すのは大変なのだ。
それも含めて、魔法使いのフィジカルトレーニングは大変である。
魔法使いは、筋肉を無駄につけるべきではないと、センチュリアでは考えられている。
筋肉というのは非常に燃費の悪い組織なので、筋肉による運動は最低限に止め、運動能力は魔法で強化するという考え方である。
もっとも、こうした魔法使いのトレーニングは専門のトレーナの指示の下で行われるので、どのみち現状では実施不可能だ。
ラーズもそれはわかっているので、主にランニングと体幹トレーニングで体力の回復を行っている。
地球圏までは、約三週間の航海だと言う。
足の速い『漣』や『雷』だけなら、もっと早く着くらしいが、艦隊速度は一番足の遅い船に合わせざるを得ないため、致し方ない。
トレーニングルームの外周路を一〇〇〇メートル程走って、ラーズは一息付いていた。
Tシャツ、短パン姿でベンチに座ってスポーツドリンクをあおっていると、ラーズの後ろから声がかかった。
「やあ、精が出るねラーズ君」
「草加閣下」
「どうだね? 調子の方は?」
「本調子にはまだ……」
草加の問にラーズは答える。
草加もまた、トレーニングウェア姿だ。
数人の乗組員が、草加に敬礼をして通り過ぎていく。
ラーズはあまり気にならないようだ。
色の白いエレーナあたりと違い、ラーズの肌は比較的黄色に近く、亜麻色の髪も日本人のそれに近い。結果的に身体的特徴の差が、耳がとがっているか否か、くらいしかないのである。
その耳とて、バンダナでもしてしまえばわからない。ましてやトレーニングルームでバンダナをしているくらい、誰も気にしない。
「なら、丁度いいハンデになりそうだ。
一本付き合ってくれないか?」
トレーニングルームの一角に畳敷きのスペースかある。
「なに、緊張することはない。ただのチャンバラだよ」
そう言って、草加は木刀を一本ラーズの方に寄越す。
「はあ」
と答え、ラーズはその木刀を受け取った。
チャンバラという事は、剣術の試合をしたい。という事だろう。とラーズは考えたし、実際その通りだったのだが。
しかし、問題がある。
魔法使いであり、剣士であるラーズは剣術のトレーニングも十分に積んでいる。センチュリアに置いて魔法使い同士の戦いでは、ほとんど意味がないと言われる剣術ではあるが、それでも剣による接近戦も人気のある見世物である。
草加の物言いから自信があるのは判るが、果たして自分が全力でやっていいものだろうか? とラーズは思った。
ラーズがそんな事を考えている間にも、草加が畳の間の真ん中に移動する。
「……では、準備はいいかね?」
「えっと……全力でやっていいんですか?」
「本調子ではない、言ったのは君だろう。
それをハンデだと思ってくれたまえ」
……むう。
ラーズは、唸った。
何手か打ち合った後に、一発攻撃当てた後、適当に負けるような流れで……
行くか。
「行くぞ!」
ラーズの思考がまとまる直前。草加動いた。
ドン! という破裂音は、草加が畳を蹴った音だ。
「いぃ!?」
そのあまりの速さにラーズが思わず声を上げた。
五メートル弱あった間合いが瞬時に消滅する。
カッ! という固い音は、ラーズが上げた木刀の根元付近に、草加の一閃が命中した音である。
……重っ!? 速っ!?
今の一撃にしても、たまたま上げた木刀が草加の一閃の軌道上に入った為、結果的に防げただけである。
ラーズは下がりながら、二手三手と草加の攻撃を裁く。
さすがに初手に比べれば、心の準備ができているだけマシなのだが、それでも防戦一方にならざるを得ない。
……間合いを取らせてくれないっ!
できれば仕切り治したいラーズだが、後ろに下がるラーズを草加は執拗に追ってくる。
いつもなら既に、《ファイアウォール》辺りの魔法をねじ込んで、間合いを無理やり開けているところだ。
さらに二手打ち合った所で、ラーズが受け流すのを止めた為……やめたというよりは処理できなくなった、が正しいが……鍔迫り合いの状態になり両者の動きが止まる。
「……なかなか」
と草加が感嘆の声を上げ、木刀を押してくる。
これまた結構な力だ。
ラーズが本調子だったとしても、力負けしそうな腕力だった。
それでも、上手く草加の力を流す事が出来ず、ラーズは力を込めて草加を押し返す。
が。
あっさりと草加は、木刀を引いた。
勢い余ってラーズの体が流れる。
一方の草加はそのまま左足を軸に半回転。
ちょうど、流れたラーズの背中側を捕らえる位置だ。
迎撃しようにも、木刀は体の反対側。
「-っ!」
ラーズは、ほとんど声にならない声を発した。
直後にバシィっという、派手な打撃音。
だが、吹っ飛んだのは草加の方。
「……興味深い。今のが魔法の力か……」
信じられん。と言った顔で草加は言った。
「すいません。びっくりして保護障壁アクティブにしちゃいました」
「ははは。なら多少は本気にさせたという事か。
いやはや、満足満足」
そう言って、草加は木刀を腰の左側に持っていき一礼した。
「……草加閣下もとても強いです。
リーグ・オブ・エグゾダスの剣士タイプのプレイヤーと比べて遜色ない……いや、大半に勝てると思います」
「魔法の国の戦士に勝てる。か。
……うれしい事を言ってくれる。
どれ、シャワーを浴びてきたまえ。食事は負けた私が奢ろう」
二週間の航海の終わり、トリトン海軍基地で艦隊から分離された、『漣』『雷』は地球へ向かう最後の超光速飛行に入った。
わずか十分ほどの超光速飛行を終えると、そこはもう地球圏である。
『雷』を先頭に2隻は、地球の大気圏へと滑り込む。
とても大気圏に突入しているとは思えない、スムーズな航行である。
『漣』艦内から、外を眺めているラーズをして、何も感じない。
しかし、空の色が黒から群青を経て青へ変わっていくのを見れば、なるほどこの巨大なメカニズムが大気圏に突入したのだと実感できる。
「……陸が多いな……」
とラーズは呟いた。
地球はセンチュリアに比べると少々小さい惑星である。大体赤道外周で四〇〇〇キロほどセンチュリアの方が大きい。
しかし、おそらく陸地の面積は地球の方が多いだろう。
「しっかし、緑が多い星だな。
がっつり砂漠化してるセンチュリアとは大違いだ……」
そして、なんでそんな惑星の住人がセンチュリアを侵攻する必要があるのか? それを考えると腹も立つ。
だがそんなことより、ラーズには直近で確認するべきことがある。
地球で魔法が使えるか? だ。
地球には魔法文明はない。これは、いろいろな人間に確認し、可能な限りの文献を見た限り間違いなさそうである。
しかし、それでもなおラーズは魔法に頼らざるを得ないのである。
「さて……」
胸の前で左手のひらを上に向け、魔法の発動準備をする。
使う魔法はなんでもいいが、コンピュータの支援無しに使える魔法は限られる。
今回試すのは、ただの照明弾である。
「《光》……デプロイ」
祈るような思いで、魔力を通すと手のひらの上に直径十センチ程の赤い光の玉が出現した。
「大きさ……色ともにセンチュリアで使うのと変わらない……か」
作った光球を色々な方向から眺めつつ、手元のメモ調に情報を記述する。
記述が終わったら、今度はその光球を真上に向かって投げ上げる。
天井に衝突したそれは、ポンっ! というコミカルな音を立てて爆ぜ純白の光源へと変わる。
「……明るさも問題なし……と」
……しかし、手ごたえがいいな。センチュリアより空間魔力量が多いのか……?
ふん。と唸って、ラーズは真上に投げ上げた光源をリリース。次の魔法を準備する。
今度は、持続時間ゼロ。減衰最弱に設定した《光》を生成する。
再び光球を真上に投げ上げ、様子を観察する。
今度は持続時間が〇なので、天井に当たった瞬間に発光した光源は、即座に減衰を開始する。
その減衰速度は最低に設定してあるので、ゆっくりと輝きを失っていく。
ラーズはそれが何秒で消えるかを、壁掛け時計の秒針で計測した。
十三秒。
「やっぱ長いな」
そういって、ラーズはメモ帳を手元に引き寄せた。
シャルル=マーレー第三方程式と言うものがある。ある条件下における、魔法の減衰速度(t)を求める方程式である。
ただし、今回は(t)に今計測した時間を代入して、代わりにセンチュリアにおいては定数六八.四一とされている空間魔力量(M)を逆算する。
各種パラメータの記憶が若干曖昧だが、ラーズの計算結果によるとMは八八くらいになった。
小数点以下は計算せずに適当に丸めている。パラメータの精度が怪しいので、細かく計算する意味がないのである。
計算結果がめいいっぱい有利な方に傾いているとしても、一割もパラメータが狂ってるとは思えないので、一割以上地球はセンチュリアより空間魔力量が多いことになる。
「……どういうこった?」
なぜ、センチュリアより空間魔力量の多い、この惑星に魔法文明が現れなかった?
……現れているのを、みんな知らないだけなのか?
多くの疑問が湧く。
が。
「……が、まずは最初の賭けには勝ったぜ」
帝都東京 霞が関海軍省。
「遠路遥々、まずはお疲れ様」
そう言ったのは、白髪に長い髭を蓄えた老人だった。
まさに好好爺といった風情なのだが、こういう老人こそが危ない。
アベル曰く、好好爺は人柄でできるものでは無く、外部からの政治的エネルギーでできるとの事だ。
この老人は永井修海軍軍令部総長。帝国海軍のトップであるとラーズは草加に教えられた。
「まあ、かけなさい」
永井はラーズにソファーを進める。
ここは海軍省の建物の地下……何階かは分からない……にある、秘密の会議室と言った所だろうか。
その部屋に集まったのは、数人の男たち。
知った顔は、小沢と草加である。そして、いま喋っている永井。
この三人は白い詰襟の制服である。
これ以外では、ダークグレーのスーツの三〇代と思われる男。いかにも、やり手といった風情だ。
そして、警備と思われる黒い詰襟の男たちが四人。入口に二人、ソファから少々離れたところに二人。
「いえ。立ったままでいいです。
まずは聞いてください」
ラーズは言う。
この二週間ほどの間にラーズの話す日本語は、ほぼ違和感のないものになっている。
他にやることがないので仕方ない。努力と暇の賜物である。
「まず、最初に帝国に魔法の秘密を全て伝えたいと思います」
ラーズの言葉に、場の空気感が変わる。
「……その上で、次の話をしたいと思います」
「伝える? 伝えるというのは、魔法の使い方を我々に教える、と?」
ダークスーツの男が言った。
「まあまあ、神崎さん。
そう結論を焦らなくてもいいでしょう」
それに永井が声をかける。
「……せっかちなのは許してやってくだされ」
「せっかちでも問題はありません。
ただ、魔法の使い方、という表現は間違っています」
こちらはラーズ。
「間違っている?」
「魔法というのはシステムなので、使う、ではなく運用する。が正しいです」
「ふむ」
と神崎は腕を組んで顎に手をやった。
考える時の癖なのだろう。
「……つまり、ドラゴンたちが我々に隠している魔法の秘密はシステムだと?」
ズバリ答えを口にする神崎。なるほど、諜報関係の人間だけあって頭の回転は抜群にいい。
そして、ラーズにとってもそれは、望ましい事だ。
「そうです。そのシステムを教えます」
……さあ勝負だ。
とラーズは思った。
現状ラーズが切れるカードはこれ1枚。これを外交カードとして使っているドラゴン達には悪いが、センチュリアの解放の為には仕方ない。




