帰らざる旅路14
「状況は極めて悪いと思います」
ラーズが勝間に連れられて退去した後の会議室。
まずは草加が口を開いた。
「しかし、草加少将。これはエッグとアメリカの政治問題では?
下手なことをすると、エッグへの政治干渉ととられかねないのでは?」
貝塚は指摘する。
「確かにそうだろう。
ラーズ君はかわいそうだと思うが、おいそれとアメさんと戦争はできんよ」
小沢の言葉に草加は困った顔をする。
「……確かに額面通りに取ればそうなのですが……
エッグの政治不安が解消したあとアメリカに対して宣戦布告。という事になると考えますが……」
草加は、いったん言葉を切った。
「……つまり、そうならないと?」
「はい。小沢閣下。
ドラゴン達がアメリカに侵略された、と考えてくれれば良いですが……もとい、これでも良くはありませんが……
ドラゴン達が聖域を地球人類が侵略した、と判断した場合……最悪全面戦争になる可能性があります」
「むう」
草加の言葉に小沢は唸った。
エッグ領から一番近い地球人類の領域は、帝国領だからである。
もし、全面戦争になった場合、最初に矢面に立たされるのは、火種を作ったアメリカではなく大日本帝国という事になる。
「……よくないな。
虹色回廊の再来など御免被りたい」
小沢は言った。
虹色回廊の海戦とは、四〇年ほど前にエッグと大日本帝国間で起こった恒星間戦争である。
戦争の原因については諸説あるが、大日本帝国のマスコミの船が面白半分に聖域に近づいたことに端を発するとするのが通説である。
当時のエッグの主力艦だった『バラクーダ』級巡洋艦は性能も低く、帝国政府はそれほど問題はなく戦争は終わると考えていたが、エッグ側が新型艦である『ブラックバス』級巡洋艦を投入するに至り、状況が逆転。
結局、エッグの軍は大日本帝国海軍最大の泊地である東野郷を破るに至る。
この時の『ブラックバス』の衝撃は、いまだ地球の軍関係者のトラウマである。
当事者の大日本帝国海軍は、この戦争で主要な艦艇の二五%を失っている。
無論、『ブラックバス』級はその後も、五回のメジャーバージョンアップと無数のマイナーチェンジを経て、いまだに既知宇宙最強の船であり続ける。
「『ブラックバス』は手強いですからな……
……ここだけの話、腕試しをしてみたいのも事実ですが」
武人らしい事を貝塚言う。
「……冗談はやめてくれたまえ。貝塚君」
小沢は苦笑した。
「そうですね。そろそろ『ブラックバス』の次の話も聞こえてきています」
「そっちも冗談はやめたまえ」
「いえ、内調の友人に聞いたのですが……『ユーステノプテロン』級という名前を掴んでいるようです」
小沢の知る限り、ドラゴン達の船も帝国と同様に予算取りの段階で名前が付くはずなので、少なくとも建艦計画自体は存在するのだろう。
しかし、今はもっと重要な要素がある。
「……話をもどそう」
咳払いを一つして、小沢は言った。
「現状、事が大きすぎる上に、政治的過ぎる。
我々現場レベルの手に余ると言わざるを得ない。
やはり、内地に戻って永井閣下に判断してもらうしかあるまい」
永井とは、海軍軍令部総長の永井修元帥。すなわち政治的な海軍トップである。
「……司令官権限で、訓練航海を打ち切り、我が艦隊はトリトン衛星基地を目指す。
いいな?」
「はっ」
と答え、草加はメモを開く。
「……『雷』と二一駆があと三時間ほどで我が艦隊に合流予定です。
それを待って、移動を開始します」
巡洋駆逐艦『雷』は、同『漣』のネームシップに当たる。米軍侵攻時『雷』は駆逐艦を率いて性能試験中であった。海防艦を従えた『漣』より進出能力が高い編成の『雷』は、より遠くへ情報収集に向かった為、ここまで艦隊への合流が遅れていたのである。
いかに最新鋭の艦船であっても、遠くで起こった状況変化への対応速度には限界があるのである。
「草加参謀。艦隊に訓練用具治めを通達したまえ。
貝塚艦長は、『隼鷹』に訓練用具治めの通達を」
小沢が指示を出す。
同じような事を二人に言うのは一見無駄に見えるが、艦隊に対しての命令は参謀から各艦長に通達される必要があり、艦隊旗艦の『隼鷹』は参謀を介さずに長官の指示を受ける必要がある。そのためこういった命令になるのである。
これをめんどくさいからと、省略してしまうと非常事態時の命令系統に支障が出る。軍隊とはそういうものなのだ。
小沢は『隼鷹』の窓の脇に立ち、外を見た。
……戦争の気配。か……
窓の外には、一等巡洋艦『那智』と二等巡洋艦『五十鈴』、『五十鈴』の傘下にある第一〇四駆逐隊の防空駆逐艦が六隻ほど見える。
いづれも艦齢二〇年を超える老朽艦である。
『隼鷹』とて、近代化改修を済ませたとは言え艦齢は一八年。
新型の『雷』型のような新鋭艦も存在するので、全てが老朽艦というわけではないが、特に巡洋艦や戦艦の老朽化が激しい。
◇◆◇◆◇◆◇
巨大な航空母艦の中には街がある。とはよく言われる事である。
『隼鷹』の場合、艦の一番底の部分に街が存在した。
全長四四〇メートルに達する『隼鷹』は、三〇〇メートル程あるアーケード街を悠々とその腹の中に抱えているのだ。
「……本当に街があるとは……」
ラーズを連れた勝間は、会議室を退出した後、この通称『隼鷹横町』にやってきた。
今は、日本標準時では午前四時前なので、『隼鷹横町』も閑散としている。
それでも全く人が居ないわけではないし、大半の店も開いている。
「食べたい物があったら、いいなさい。
……小沢閣下のおごりだよ」
「ん。
いえ食欲がないんで……」
勝間の言葉に、ラーズはそう答えて手を振った。
「まあ、そう言わず。腹が減っては戦はできぬ。という言葉もある。
……なにより、食べないのは小沢閣下に失礼だよ」
磐城医師曰く、ほとんど何も食べないラーズはほぼ薬だけで体を維持している状況にある。
エルフの基礎代謝量については不明であるが、体重と体温から標準的な成人男子と変わらないだろうと、磐城医師は言っていた。
その通りだとすると、薬で賄えるのは基礎代謝の三割程度だろう。
「……では、わたしのおすすめの店に行こう。それでいいね?」
帝国海軍と言えばカレーである。
一九世紀末から延々と続く伝統だ。
「……ああ。おいしい」
勝間に言われるまま、運ばれてきたカレーに口をつけたラーズの言葉である。
「……?」
調子が出てきたのか、カレーにがっつき始めたラーズの横で、一瞬勝間は眉をしかめた。
なんの事はない、ラーズの言葉のイントネーションがおかしかったからである。
……翻訳機の調子が悪いようだ。
勝間はそう思った。
耳につけていた翻訳機を取り外し、リセットボタンを長押しする。
こういったデバイスが調子悪くなるのは、ある程度仕方ないというのが勝間の認識だった。
しかし、人間の認識がいかに儚いか、直後に勝間は知ることになる。
「……あっ。自分、今、日本語喋ってます」
「……? はあ?」
カレーを食べながら、勝間の方を見向きもせずに言ったラーズに、勝間は間抜けな声を出してしまった。
「いや、そんな馬鹿な」
と言ってから、勝間は翻訳機を今手に持っていることを思い出した。
「……やっぱり、発音おかしいですか?
この言葉、難しくって」
水を一口煽って、ラーズはカレーを食べる作業に戻る。
むちゃくちゃな話である。翻訳機があるので、二か国語放送を聞いているような状況になっているとは言え、実質的にラーズが日本語に接してから実質五日かそこらだろう。
それだけで、地球人類屈指の難解な言語である日本語を、ほとんど淀みなく話す。
どれほどの知性があればそんなことが可能なのだろうか?
「……ふう。
ごちそうさまでした」
ごちそうさま、までちゃんと学習しているラーズに戦慄しながらも、動揺を悟られないように勝間は言う。
「……おかわりはどうかね?」
「いえ。自分は小食なので……」
「……しかし、驚いたよ。日本語をこんなに早く習得するとは……」
ラーズの知力の高さについては、初期の頃から磐城医師が指摘していたし、勝間自身そう感じてはいたが、現実は想像以上であった。
もっとも、これが聖域の民のスタンダードなのか、魔法使いのスタンダードなのか、ラーズが特別なのかの判断は付かない。
……しかし。
と、勝間は天井を見上げながら考える。
自分はとんでもない拾い物をしてしまったのではないだろうか?
◇◆◇◆◇◆◇
翌日、日本標準時午前六時ちょうどに小沢長官から、出発の命が発せられるとラーズを乗せた艦隊は移動を開始した。
行先は、ソル恒星系の第八惑星にあるトリトン海軍基地であるという。
「ソル恒星系第三惑星、地球」
『漣』の一室で見たこともない配置の星々を眺めながら、ラーズは口に出して呟く。
そこは、侵略者たちの母星でもある所。
……センチュリア解放。
それはラーズを持ってして、とても困難な事に思えた。
だが、黙ってセンチュリアのすべてが失われるのを、見ているつもりもラーズにはなかった。




