サイラースの魔女17
「ルビィです」
その連絡は、レクシーが思っているより遥かに早く来た。
「あら、早いわね。
検疫は終わったのかしら?」
「……さっき採血しました……結果は……」
そこまで言ってルビィは通信機の外の誰かと話したらしい。
「……十分くらいだそうです」
「そう。
……ところで、私の『ブラックバス』に乗る以上、仕事をしてもらいたいのだけれど」
「仕事……?」
「別に難しい事はなにもないわ。
ちょっと、『キャンベラ』の出してきたデータを解析してほしいの」
通信機の向こうでルビィが唸ったのが聞こえた。
「……構いませんが……先にマイスタ・アベルと通信したいです。
検疫待ちの間にでも、超光速通信したいと思います」
ふむ。と今度はレクシーが唸った。
敵である可能性のある『キャンベラ』の前で、超光速機関を起動するのは少々はばかられる。
超光速機関は非常にデリケートな構造物である。普段は尾鰭の強靭な装甲に守られているが、使用時は外部に露出させることになる。
この状態で攻撃を受ければ、いくら『ブラックバス』といえども危険だ。
極論すると、さっきの警備艇にすら撃沈されかねない。
……でも、まあそんなに問題ないかしら……
レクシーには、多少勝算があった。
E5312が一隻なら、ルビィの申し入れは断るところなのだが、今回は僚艦E5314が居る。
E5314は作業員を回収すれば追いついてくるはずだ。そうすれば、直掩を任せて通信も可能だろう。
「……いいわ。ただし、僚艦が来てからよ。
今、この海域は準戦闘状態なの。超光速機関は危なくて使えないわ」
「……先にデータ解析をしろ、って事ね」
「物分かりがよくて助かるわ」
レクシーは満足げに頷いた。
「検疫が終わったら、ブリッジへ」
警備スタッフに連れられて、ルビィが『ブラックバス』のブリッジに現れたのは、それからさらに十五分後だった。
『キャンベラ』には動きはない。
サイラース1の沿岸警備隊の船は近づいてきているが、手を出しあぐねているようだ。
「これが……『ブラックバス』のブリッジ……」
ルビィが誰にともなく呟いている。
「そこのコンソールを使って」
レクシーは艦長席を立つと、向かって右側の戦術用コンソールに向かう。
「使い方は?」
「……ローラン・クラシック・コンピュータ社の金竜帝末期のモデル……
多分大丈夫……だと思います」
素晴らしい知識だとレクシーは思った。
アベルが多大なコストをかけて連れてきただけあって、ルビィは非常に優秀である。
「オーケイ。席について。
……このデータは、『キャンベラ』……あの地球の船だけど……から送られてきたシステムのログよ。
彼らは、『キャンベラ』はシステムのトラブルで、この海域に落下したと主張してるわ」
簡単にあらましを説明する。
「……ちょっとこのシート寝すぎじゃ……」
『ブラックバス』に限ったことではないが、船舶のオペレータシートは相当背もたれが相当寝ている。
ルビィは、収まりが悪そうに、もぞもぞとしている。
「エルゴノミクス的には問題ないから、そのうち慣れるわ」
「……やっぱり、なんか……変な感じだけど……
この、ワークフォルダに入ってるヤツが、システムログ?」
軽やかにキーボードに指を走らせ、ルビィはレクシーに確認する。
この辺の手並みは、アベルの直属内ならレプトラと比べても遜色ない。
いや、ルビィの方が危ない橋を渡った回数で上回る分、勝るか。
「そう。それがシステムのログ。
地球のテクノロジーだから、うちのエンジニアじゃ検証できなくて。
……できる?」
「やってみましょう」
「……ログのエンコードを解いて、タイムラインに並べてみましょう……
エネルギー消費量の変動と、事故が起こったとされるタイミングを照合すれば、なにかわかるかも?」
ルビィはデータの信ぴょう性を疑っているようだ。
しかし、今のところデータに改ざんの形跡は見られないといったところか。
「どう?」
「……うーん……
今のところ、このデータは改ざんされていなさそう、としか……」
問うレクシーに対して、ルビィは答えた。
「……となると、『キャンベラ』は偶然サイラース1に落ちてきた?」
「偶然か、誰かの意思なのかはデータからは判断できないですが……」
もっとも、ルビィはその誰かに心当たりがあったのだが、この話は最初にアベルに話さなければならない。
と。
「……艦長! 時空振先進波を探知しました!」
レーダー担当から声が上がる。
「E5314? ショートADDするほど離れてないはずだけど……」
「いえ。E5314ではありません。E5314は二十万キロほど後方に確認されています。
アークディメンジョンから降下してくるのは……大型艦を含む艦隊です!」
「!?
総員戦闘配備! 通信! IFF照合急いで!」
レクシーが叫んだ。
「火器管制。アイ」
「アイ。艦長。IFF照合中……」
突如、ブリッジ内の温度が上がったような感覚を覚えて、ルビィは困惑した。
レクシーが艦長席に転がり込むように戻ると、忙し気に手元のコンソールを操作する。
「艦長! IFF照合できました。
接近中の艦船は英海軍所属、戦艦『レパルス』以下駆逐艦六隻と判明」
「英海軍ですって!?」
レクシーの声と同時に星空が歪み、全長四八〇メートルに達する巨体が惑星サイラースをバックに出現する。
「艦長! 『レパルス』より通信が入っています。
艦隊司令長官サー・エディ・バターリーと名乗っています」
「迎えに来た、ってところかしらね……
戦闘体制は維持のまま待機。
いいわ。繋いで」
レクシーは戦術コンソールをちらりと見て、E5314と『レパルス』の位置関係を確認する。
……もうちょっとかかりそうね……
現状、英国はエッグの同盟国であり良好な関係を保っているが、国家の関係など何をショックに崩れるか分かったものではない。
かつて地球であったフォークランド紛争など、始まった当日に発売された雑誌に「紛争など起こるはずがない」と力説されていたくらいなのだ。
……じゃあ、E5314が来るまで待ちましょうか……
「わたしはエッグ聖域守護艦隊所属E5312艦長、レクシー・ドーン。
本艦隊の最先任です。サー」
「応答感謝する。レクシー艦長」
エディ・バターリーは、渋い声で答えた。
サーの称号があって、R級戦艦に将旗を上げているという事は、相応の実力者という事だろうか。
「本題を伺いましょう。サー」
「……我が政府と、エッグの上層部の話し合いの結果、『キャンベラ』は我が艦隊が責任をもって英国領まで連れていくことになった」
「なるほど」
あごに手をやって、レクシーは相槌を打つ。
確かにオーストラリア政府にも、英国政府にも……もちろん、エッグにもメリットがある政治取引のように思える。
「……政府に確認します。お待ちください。サー」
レクシーは指でハサミを作って、通信切断を指示する。
通信が切断されたのを確認してから、レクシーはルビィの方に向き直る。
「ルビィ。『キャンベラ』のデータはどう?」
問われたルビィは、コンソールから顔を上げることもなく返す。
「……見た感じ、データに改ざんの痕跡は見えません……が……
違和感を感じるので、もう少し時間が欲しいです」
「いいわ。
これから私はエッグ本国と通信するから、それが終わるまでは続けて」
◇◆◇◆◇◆◇
レクシーが本国と通信している時間はどれほどだろうか?
本当はルビィも、アベルに対して報告すべきことがあるのだが、まずは『キャンベラ』のログの解析に注力する方がよさそうである。
「……?」
ルビィは、キーボードを叩く手を止めた。
レクシーにも言ったことだが、違和感がある。
「……困ったわ……」
違和感の正体がわからない。
ただ、ルビィの経験上……あるいは、女の勘的な物が……このログはクサイと告げている。
そして、こういった感覚が当たっている事も経験上分かっているのだ。
「……変ね……」
何が変かというと、一瞬キーボードからの入力に遅延が出た。
『ブラックバス』のコンピュータは極めて強力な物なので、普通に考えて入力に遅延が出るなど考えられない。
……可能性としては……
ルビィは、コマンドウィンドウを開いて、いくつかのコマンドを立て続けに打ち込む。
「……キースニファ!」
大声で怒鳴るなり、ルビィはコンソールの下に転がり込むと、パネルの蓋を外して、中の配線をむしり取る。
「『キャンベラ』のログはマルウェアよ! ネットワークを閉鎖して!
早く!」
警備の担当が、ルビィに困った顔を向ける。
「何やってんの!? 早く閉鎖しないと……もういいわ」
ルビィは通信コンソールに向かうと、通信士官を押しのけて、コンソールを操作する。
基幹系のネットワークスイッチにアクセスして、すべての通信ポートを強制的に閉じる。
E5312のクルーが最初に『キャンベラ』のログに触って、どれくらい時間が経っているかはわからないし、もしかするともう手遅れかもしれないのだが、何もしないわけには行かない。
「報告を」
エッグと連絡を取っていたレクシーが、三十秒と待たずに戻ってくる。
ルビィがネットワークを切断したので、エッグとも通信ができなくなったのだろう。
「『キャンベラ』のログにマルウェアが仕込まれてました。
キースニファは確実に、ほかにも何か入っていた可能性があります」
「キースニファ?」
「入力されたキーを記録するマルウェアで……キーロガーとか言われたりもします」
ああ、あれね。とレクシーは呟いた。どうやら伝わったらしい。
「……僚艦へもネットワークを切断するように命令を。
あと、『レパルス』にも……いえ、『レパルス』には私が直接言いましょう。
通信をつないで」
ほどなく、『レパルス』への通信が繋がれる。
「バターリーだ。レクシー艦長」
バターリー提督はすぐに、答えた。
通信を待っていたのだろう。
しかし、残念ながら『キャンベラ』の引き渡しに関する話ではない。
「サー、『レパルス』に『キャンベラ』がこの海域に出現したときのログは行っていますか?」
レクシーが問うと、バターリーはしばし沈黙した。
おそらく副官と話しているのだろう。
「……こちらにも来ている。
あれがどうかしたのかね?」
「うちのエンジニアが分析したところ、巧妙に細工されたキーロガーが含まれていました。他に攻撃用のソフトウェアが仕込まれていないかは分析中なので、不明です」
再びバターリー提督は沈黙する。
「どうするんですか?」
ルビィは率直な疑問をレクシーにぶつけた。
「……そうね……」
レクシーは自分の首を人差し指でなでるような仕草をした後、言葉を続ける。
どうもこの仕草は通信をミュートしろ、という事らしい。
「E5314も近くに来てるし『ボニト』の艦載艇もあるから、『キャンベラ』と『レパルス』両方同時でも、逃がさず撃沈可能よ。
……つまり、相手の出方次第って事ね」
そう言ってレクシーは笑った。
「……すまない。レクシー艦長。しばらく待っていただきたい」
バターリー提督は、一言通信を入れると再び沈黙した。
……向こうも本国確認かしらねぇ……
ルビィがそんなことを考えていると、『レパルス』の超光速機関が起動するのがブリッジのメインディスプレイで見えた。




