サイラースの魔女14
「ちょっと!? どうなってんのよ!?」
「変体白づくめ集団もヤバいけど、他にもヤバい奴らが居るってことよ!」
走っていた通路を右に入って、ルビィは自分たちが走ってきた方を確認する。
さっきの男は追ってこない。
《ブラックファイア》が一定のダメージを与えたか、あるいはほかに別動隊でも居るのか……
残念ながら、後者の可能性が高い。
「ルーシー。ちょっと待って」
ルビィは手に持っていた、通信機のイヤホンを耳に突っ込む。
この通信機は、先ほど男からルーシーを引きはがすときに、どさくさ紛れに奪い取った物だ。
主要な目的は、男の連絡手段を封じる目的だが、うまくすればルビィ達を襲った連中の動向を盗聴できるかも知れないというのもある。
「……応答しろ。どうした。応答しろ」
通信機からは男の声。
まだ若いとルビィは思った。声の調子から、喋りに慣れているようにも思われる。
政治家だろうか?
だとすると、ルビィ達の襲撃を指示した当人かも知れない。
しかし、直後その男が喋った言葉は、ルビィを驚愕させるものだった。
「どうした!? 応答しろ! グレイマン!」
「グレイマンですって!?」
思わず声に出してしまってから、ルビィは自分の口を押えた。
もちろん、無線機の音声入力は切ってあるので、その声が相手に聞かれる事はないのだが。
……グレイマンとは……
しかし、先ほどの男はルビィの知っているグレイマンとは違う。
ルビィの知っているグレイマンは直接会った事こそないが、おそらく五十代後半だ。
……ただの同名の人物?
普通に考えると、そういう事になる。
なにより、今はそんな事を考えている場合ではない。
グレイマンとその依頼主が連絡を取り合えば、人数をかけて駆り出される恐れがある。
「……逃げないと」
ルビィは言った。
「逃げる……ってどこへ!?
……いや、そもそもなんで逃げないとダメなの!?」
「……私たちが生きてると、オーウェン=サイラースのスキャンダルが表に出ちゃうから、それを嫌ってるやつが居るのよ。
当然、そいつは権力があるから、一歩的にこっちが悪役にされちゃう。
こっちへ」
再びルーシーの手を取って、ルビィは走り出した。
映画などでは変装したりするものなのだが、残念ながらドラゴンというのは変装するのに向かない生き物なのである。
その理由は、主に背負った巨大な翼。ドラゴンの翼はほぼ個体ごとにユニークなので、ドラゴンの特定の個体を探すときは翼の色で探すのである。
無論、翼を隠すなど論外だ。余計に目立つ。
まずい事に、ここは治安維持ユニットに併設された病院である。監視カメラの類には事欠かないだろう。
発見されるのは時間の問題である。
だが、外に現れた戦闘艦によって町は混乱状態になっているし、しばらくは収束しないだろう。
戦闘艦の出現がグレイマンの工作なら、状況の変化により完全に墓穴になったと言える。
「どこに行くのよ!?」
「外よ」
「外って……外は暴徒化した……」
ルーシーは『外』の意味を間違えているようだったので、ルビィはそれを訂正する。
「その外じゃないわ。サイラース1の外よ」
「……えええええ!?」
「しっ! 声が大きい」
叫んだルーシーを制して、ルビィは歩き出す。
「外って、どっかの国の戦艦が居るんでしょう? 出て行って攻撃でもされたら」
ルビィが見るにつけ、外の船は戦艦ではなかったのだが、まあそんな事はどうでもいい。
「外には、アイオブザワールドの船も来てるわ。大丈夫よ」
そう自信を持って言い切ったルビィではあるが、実はかなりあいまいな状況ではある。
外の『ブラックバス』がアイオブザワールドの船であることは確実で、高確率でレクシーの船であるとは思うのだが、確定事項ではない。もしアベルの息のかかった船で無かったら助けてもらえない可能性がある。
しかし、それでも現在のサイラース1に留まるよりはマシであると断言できる、
「でも、どうやって宇宙港まで行くのよ?」
ルーシーの疑問はもっともだとルビィは思う。
サイラース1の宇宙港までは、ざっと四キロはあるだろう。無論、公共交通システムは使えないので徒歩で移動する必要がある。
混乱が起きている街中で移動する距離としては、相当苦しい距離だ。
しかし、それに関しては打開策がある。
「それは大丈夫。ここは治安維持ユニットの施設よ。
沿岸警備隊の使ってるドッグと港があるわ。
ここに来る途中で、沿岸警備隊の制服着た集団も見たわ」
「……凄い。よく見てるわね」
まあ、官憲の動きが気になるのは、かつての職業柄のせいではあるし、現在進行形で指名手配されているからと言うのもある。
……そういえば、指名手配解けたのかしら?
そんな疑問も同時に沸き上がった。そもそもルビィがサイラース1に来た理由の一つが、指名手配を逃れての事である。
「キミたち。どこに行くのかね?」
通路を行くルビィ達に、声を掛けて来た者が居る。
治安維持ユニットの制服を着た、壮年のドラゴンだ。
その声で、ルーシーがびくっ、となったのだがルビィは無視した。
「クセルさんに言われて、沿岸警備隊の事務所に行くようにって。
なんでも、ここは危ないから……とか」
視線を左下に向けて、やや怯えた表情でルビィは答える。
クセルが参加した救出ミッションが相応に治安維持ユニット内で知られているなら、ルビィのこの嘘はそれなりに信ぴょう性を持つはずだ。
ルーシーがびくびくしているのも、うまい具合にフォローできるだろう。
「魔女事件の被害者さん達か……
いや、大変な目に会ったね」
壮年のドラゴンはそう答えた。どうやら、クセルの参加した救出作戦の事は知れ渡っているらしい。
「本当は関係者しか乗せられないんだが……直通エレベータを使わせてあげよう。こっちだ」
それはありがたい事である。
「ルビィ。あなたよくあんなにさらさら嘘が言えるわね」
エレベータに乗るなり、ルーシーは腰に手を当てて、文句を言い始めた。
「おかげで、アイオブザワールドに入れたんだけどね」
ルビィはそう言い返す。半分は本当だし、半分は自虐である。
「でも、あんまりここでも喋らないで。
誰かに聞かれてるかも知れない」
おそらく大丈夫だとは思うのだが、やはりルビィとしてはそれが心配である。
今乗っているエレベータは、重量物運搬用の物なので遅い。
もし、エレベータの乗っている間に事が露見して、扉が開いたら取り押さえられるなど最悪だ。
チン! という軽やかな音。そして、エレベータの扉が開く。
そこは青黒いリノリウムの床と白い壁の通路だった。その壁に案内パネル。
通常コロニーの各フロアのエントリーには、地図の設置が義務付けられている。
これは、主に災害時に外部から入ってくる救出チームの為の措置なのだが、ルビィ達のようによくわからない所を逃げ回っている逃亡者にとっても、非常にありがたい。
「……大丈夫。ここであってる。
こっちよ」
ルーシーに道を示してルビィは通路を進む。
ルーシーが黙って付いてきてくれるのはありがたい。騒いで暴れられたら詰んでいたところだ。
……ありがたついでに、コンピュータが欲しいわね……
残念ながらルビィのガジェットの類は大半が寮に置きっぱなしである。
◇◆◇◆◇◆◇
「艦長! 『キャンベラ』から通信が入っています。
いかがいたしますか?」
『キャンベラ』と約十万キロを隔ててにらみ合う事、二時間。
動きは。『キャンベラ』側からあった。
「申し訳ありません。パケットの劣化が酷くて、上手く聞き取れません」
『ブラックバス』の円形のブリッジ。艦長席から見て左向きに座っている通信担当官が困った顔をレクシーに向ける。
「ふうむ」
レクシーは唸って、顎に手をやった。
「……通信。近寄ったら、明瞭に受信できる可能性はある?」
「アイ。艦長。
……しかし……通信士官の自分が言うのは憚られますが……危険ではないでしょうか?」
気を聞かせて、リスクを指摘してくれる。
レクシーとしても、それは気になる所なのだが、どちらかと言うと一発撃って貰った方が話が早いので、接近する口実が欲しいのである。
「行きましょう。わたしたちとお話しがしたいみたいだから、黙ってるのは気が引けるわ。
機関! 微速前進。距離四万まで詰めます」
「アイ。艦長。
微速前進!
コンデンサ並列。ヌルオードライブ一番コンタクトレディ……コンタクト」
『ブラックバス』の推進器にパワーが飲み込まれ、膨大なエネルギーが推進力に変換される。
その推進力に引っ張られて、『ブラックバス』の巨体がゆるゆると動き出す。
「さて、普通に考えれば向こうが誘ってるわけだけど……どうするかしら?」
レクシーの考えでは、『キャンベラ』はわざとエラー率の高い通信を流して、こちらが近寄ってくるように仕向けているに違いない。
これでもし『キャンベラ』が発砲すれば、そのまま沈めてしまえばいい。
旧式の一等巡洋艦の主砲が、最新鋭のE5300シリーズにどれほどの傷をつけられると言うのか。
しかし、彼我の距離が六万キロに達したころ、驚くべき事に『キャンベラ』からの通信が明瞭になり始めたのだ。
「通信。こっちの音声はミュートのまま、『キャンベラ』の音声をオープンに」
「アイ。艦長」
レクシーの指示に従い、チャネルがブリッジのスピーカーに接続される。
「繰り返す。こちらはオーストラリア海軍所属、巡洋艦『キャンベラ』応答願う。
私は、『キャンベラ』艦長マクファーソン大佐。周囲の『ブラックバス』。応答を願う」
へえ。とレクシーは感嘆の声を上げた。
まさか本当に音声通信をしているとは、思わなかったのである。
「……いかがいたしますか? レクシー艦長」
「いいでしょう。繋いでちょうだい」
「アイ。艦長。
接続五秒前……三……」
通信士官は、三に続く二と一は指だけでカウントして、通信を接続した。
「本艦はアイオブザワールドの所属、『ブラックバス』級巡洋艦E8312.
艦長のレクシー・ドーンです」
「……やっと答えてくれたか!」
本当にうれしそうに、マクファーソン大佐は言った。
「私はオーストラリア海軍のチャールズ・マクファーソン大佐。応答してくれてありがとう艦長」
「感謝は結構です。
あなたの船は、武装状態でエッグの領海を侵犯しています。即刻退去を要求します。
要求に応じない場合、指揮官権限により撃沈します」
レクシーは毅然と言い放つ。
今述べた事は、全てレクシーの権限で可能な事である。
と言うより、他国の武装した艦船が自国の領海に侵入するのを許す艦長など居るわけはない。本来なら問答無用で撃沈してもどこからも文句は出ないのだ。
「待ってくれレクシー艦長! 我々に敵対する意図はない。
超光速機関のトラブルで、この船はここに落下したのだ。なんならログを提出してもいい」
「では、それは提出いただきましょう。
もしあなたの船が動けないなら、キャリアシップを呼ぶことも可能ですよ」
キャリアシップというのは、艦船を運搬するためのトレーラーである。『ブラックバス』のこのキャリアシップで運ばれてきて納品される。『ブラックバス』が収まるようなトレーラーである。『キャンベラ』を格納するなど容易い。
無論、それは拿捕と同義なのだが。
「……それは……
どうか、もう一時間。猶予を頂けないだろうか?」
マクファーソン艦長が頼み込む。
顔は見えないが、拝み倒しているといった風情だ。
対するレクシーはどう答えた物かと考えた。
が、レクシーが答えを出すより早く、戦術士官がこちらに向かって合図を送ってくる。
それを見て、レクシーは手元のコンソールで通信をミュート。
「どうしたの?」
「サイラース1に動きがあります。
沿岸警備用の港から、艦艇が出航するようです」




