サイラースの魔女7
◇◆◇◆◇◆◇
ルビィ失踪。
「……やはり、その後の足取りは追えません」
レプトラがキーボードを叩きながら、アベルに言う。
ルビィからの連絡が途絶えて、約二四時間。
「……逃げたんでしょうか?」
「逃げるメリットは無いと思うんだけどなあ……」
アベルはぼやいた。
ルビィには、最大級の待遇を与えてある以上、逃げるメリットは思いつかない。
逃げ出すならせめて、相応のレベルまで魔法を習熟してからだろう。
「普通に考えると何かのトラブルに巻き込まれた、って所なんだろうけど……」
なにしろ、ルビィにはオーウェン家のスキャンダルを嗅ぎまわるという、かなり危険な事をやらせているのだ。
その過程で何ががあった、と考える方が自然である。
「……現地入り……するか」
「ダメですよ」
アベルが席を立とうとしたのを、シルクコットが制する。
「ドラゴンマスターから、危ないことをさせるな、と仰せつかっています」
「お前、オレの直属だろ? なんでドラゴンマスターの……」
「お給料は、アイオブザワールドからもらっていますので」
まあ、それはそうである。
どこの会社でも、社長が一番偉いのだ。
……一番怖いのは株主からの名指しだけどな。
そんな事をアベルは考える。
まあ、実際問題として、色々やらないといけないことがあるので、そんなに長期間エッグを開ける事は出来ない。
オーウェン=サイラースはあまりにも遠すぎるのだ。
……一番、近いのはレクシーだが……
これも難しい。
レクシーは騎士団のとのジョイントミッションに組み込まれている。
これをジョイントミッションから分離するとなると、膨大な調整事項が発生する。
そうなれば、もはやエッグから別の担当者を派遣した方が早い可能性すらあるのだ。
どちらにしろ、できる事は少ない。
もともと、オーウェン=サイラースについてはアベルの手持ちで割けるリソースが無かったので、ルビィを送り込んだというのもある。つまりルビィそのもの以外に割けるリソースはない。
それはアベル自身もわかっている。
「……現地の治安維持組織は……ダメ、ですよね? やっぱり」
困った顔でレプトラ。
これまた当然の帰結として、現地の治安維持組織がオーウェン家あたりと結びついていない保証はない。
というか、結びついていると考えるべきだ。
……どうする?
アベルは熟考した。
治安維持組織がオーウェン家と結びついているという前提で、ルビィがアイオブザワールドの子飼いであることを伝えるために、あえて捜索願いを出す。という選択肢もある。
だがその場合、口封じにいきなり殺されるリスクをしょい込むことになる。
「……難しいな。なにか、意見があったら聞かせてくれ」
レプトラとシルクコットはそれぞれ、悩み顔をする。
もっともレプトラは文官であり、シルクコットは兵隊。中長期的な戦略は専門外だ。それほど有用な意見は聞けないかもしれない。
「……なにか理由を付けて、『ブラックバス』をオーウェン=サイラースに寄港させては?
そのタイミングでレクシーの所の警備スタッフに探らせる、あたりでいかがですか?」
通常『ブラックバス』のような大型戦術艦は、コロニーの港に直接接岸することは無い。
コロニーに対して質量が大きすぎて、剛結合してしまうとコロニーの軌道を乱す危険があるからである。
今回の海賊当番では、補給などは騎士団の『サーモン』級を経由して行っているはずだ。その『サーモン』級は連絡船のピストン輸送で、コロニーの港とやり取りする。
「まあ……そんな感じにならざるを得ないよな……やっぱり」
アベルは、顎に手をやって考える。
もっとも、それでいい考えが浮かぶわけでも無いのだが。
「……わかった、それで行こう。レプトラ、内輪の暗号でレクシーに連絡を。
終わったら、ルビィの足取りの追跡を再開してくれ。
……オレは、有力貴族にあって何かいい方法が無いか、探って来よう」
「ではお供します」
◇◆◇◆◇◆◇
サイラースの魔女は、猟奇殺人犯である。
ルビィの記憶では、拉致された被害者は全て殺害されたはずだ。
その屍は全て血を抜き取られ、街の裏路地に捨てられていたとされている。
……その死体を捨ててる現場に居合わせた、って所かしらね……
まあ、事態は最悪の部類である。
エッグフロントの一件の時の男たちは、ルビィを拉致したが連れ去るつもりだった。
アベルは、そもそもルビィの捕獲自体が目的だった。
だが、今回は違う。明らかに殺害目的での拉致。
それもあまり楽しくはなさそうな、殺し方である。
頭から袋をかぶせられて、歩かされる事数分。その後車に乗せられ一時間程。さらに歩かされること、数分。
何かの建物に入った事が、音の感じでわかる。
何度か、暴れるという選択肢も考えたが、VMEは取り上げられている。それより問題なのは、ルーシーの居場所がわからない。
普通に考えて、ルビィの近くには置いていないだろう。
そうすれば、ルーシーを脅すネタとしてルビィを使う事もできる。
もっとも、脅す以前の問題として、この後すぐ殺されそうなのだが。
都合よく誰かが助けに来てくれるとは思えない。
アベル辺りがなんの脈略も無く現れるという展開を、ルビィは一瞬期待したのが、エッグフロントにいるアベルが突然現れる可能性は限りなく低い。というかゼロだ。
アベルはそんなに自由に動き回れるほど暇ではない。
なら、現地の治安維持組織が助けに来てくれるか? と言うとこれも、絶望的だろう。
何しろ実績ベースで今まで、サイラースの魔女を捕獲できていないのだ。ルビィの番の時にだけ突然有能になって踏み込んでくる。などという事は期待するだけ無駄である。
唯一、近くにいて味方になりうるのはレクシーだが、これも相対的に近いというだけで、何光年というオーダーで離れている可能性がある。大体オーウェン=サイラースの中の出来事などモニターしているとは思えない。
結論として、ルビィは自力でルーシーを助けて、この危機を乗り切る必要があるという事になる。
……無理だわ。これ。
あまりにも無理過ぎて、思わず他人事のようにルビィは考えた。
歩くこと更に数分。
ねっとりと絡みつく空気は、ここが地下であることを示しているのだろうか?
人工天体であるサイラース1に、地下は無いが。
唐突に、頭からかぶせられていた袋が取り払われた。
薄暗い部屋……と言っても結構広い。
そこは、『中世の牢獄と拷問部屋』という単語をそのままビジュアル化したような所だった。
ルビィはそれでも敵戦力を確認。
ここで戦う意思を失うわけには行かないのだ。
白づくめの三角頭巾が一ダースほど。サイラースの魔女も居る。
ルーシーの姿は確認できない。
特にルーシーの姿が見えないのは最悪だ。
ここにきて、見捨てる。という選択肢を検討しなければならないからだ。
ルーシーはルビィが初めて出会った同格の魔法使いである。その存在は非常に重要であると言わざるを得ない。
「ルーシーはどこよ?」
ルビィの前に立っている白づくめに対して、率直にそれを聞く。
「おとなしくしてれば、そのうち会える」
壮年の男の声で、その白づくめは言った。
シルエットからしてドラゴンではない。それにしては、きちんと竜語を喋る。
つまり、この男はエッグで長い間暮らしているという事になる。
一体何者なのか? 猟奇殺人に手を貸すメリットはなんなのか?
そういった疑問が浮かぶ。
だから、ルビィは言葉を続ける。
「……あの世で会える。とか言う気?
とんだ病的サディストね」
パン! と横顔を引っぱたかれて、ルビィは地面に転がった。
角の削れた石畳。かなり古い。
その男は、顎で他の白づくめに何かを指示したようだった。
別の三人が飛びかかってくる。
「ぎゃん!」
力いっぱい頭を地面に押し付けられて、ルビィは悲鳴を上げた。
「……いい目だ」
心底楽しそうに、ルビィを殴りつけた白づくめが呟く。
「……この……っ」
ルビィは何とか首をねじって、その白づくめを睨みつける。
もっとも、睨んだところで相手を喜ばせるだけかも知れないのだが。
白づくめは、袖をごそごそとやって、何かを取り出す。
「……ぃっ!?」
ルビィはのどの奥で悲鳴を飲み込んだ。
白づくめが取り出したのは、凶悪な曲面を持った短剣である。
……殺される!?
「このっ!」
叫んでルビィは、もがいた。
しかし、ドラゴンというのはうつ伏せの状態で翼の上に乗られると、ほとんど抵抗できないのだ。
ましてや、小柄なドラゴンであるルビィの片側の翼に一人づつ、さらに下半身に人が乗っているこの状態で、ルビィが抵抗するのは簡単ではない。
短剣が近づく。
「ぐっ……」
首に冷たい刃物が触れる。
TPOをわきまえたヒロインなら、やはり泣きわめきながら助けを求める所なのだろうが、ルビィの中の冷静な部分がそれを押しとどめる。
大体、現状泣きわめいても正義の味方が現れるわけがない。
そもそも正義の味方が現れたら、ルビィが成敗される側の可能性まである。
切り裂かれる激痛を覚悟して、何か気の利いた言葉を考え始めたルビィではあったが、どうも話はそんなに簡単でもないようだ。
襟首から差し入れられた短剣は、あっさりと化学繊維でできた服を切り裂いていく。
……これは……
どうやらすぐには殺さないつもりのようだ。
しかし、これはこれで、別種の恐怖がある。
ふとルビィは、『人の恐怖を喰らう化け物』が居ると言う都市伝説を思い出した。
トップスから、スカートまでを切り裂かれると、乱暴に仰向けにされる。
「……っ」
更に数度、白づくめが慣れた手つきで鋭利な刃物が衣服を切り裂くと、ルビィは文字通り丸裸にされた。
こうなると本当にどうしようもない。
サイラースの魔女の犠牲者は、殺される前に強姦されたのだろうか? と疑問がよぎる。
ルビィはその情報を知らないが、あるいは知らない方がよかったのかも知れない。
周りがどう思っているかは知らないが、ルビィは自分に女の魅力があるとは思っていない。
実際、アベルは全く反応を示さなかった。もっとも、これはアベルの周りにシルクコットやレクシーといった、キレイどころのドラゴンが揃っているのが原因かも知れないが。
どちらにしろ、このあたりのドラゴンとは比較にならないという事だろう。
それでも、胸元と下腹部を隠し……隠さざるを得ないのは、おんなの悲しいサガだ……ルビィは白づくめ達を睨みつけた。
「……気が強いな」
さっきまで喋っていた白づくめと違う男が喋る。いや、声から男と推定できたのだが。
「殺されるとわかってて抵抗しないなんてナンセンスだわ」
言い放つ。
今はまだ、どうしようもない。時を待たなければならない。
反撃の時だ。




