帰らざる旅路11
操縦室を出て右に行き、そこの扉を開ければ数メートル先にキャビンの扉がある。
一瞬、扉が開かなかったらどうしよう、とラーズは考えたが扉は開いた。
ほとんど同時に、向かい側……要するにキャビンの扉も開きアベルが顔を見せた。
……まずは、無事か。
ラーズは安堵の息を吐いた。
もしアベルが、行動不能に陥っていたら詰みだった。
「アベル! エージェント・クロウラーがケガした。
オレじゃ手が出せない」
「わかった。行こう」
ラーズの言葉に、アベルは一瞬で状況を理解したようだ。
伊達に長い間コンビを組んでいるわけではない。以心伝心、というやつである。
だが状況がそれを許さない。
ギギギ…… というとても不快で、不安になる低音。
それに続いて、パキ! という音。
そして、その音を最後に世界から音が消えた。
アベルが左手を差し出した。
「-!」
無茶だ! と声を出したつもりだったが、その声は出なかった。
ラーズもまた、右手をいっぱいに伸ばしてアベルに差し出す。
……あと、数センチ。
届く! とラーズは思った。
しかし、その直後距離がぐっ、と開きアベルの差し出した手は宙を切った。
離れたのは、アベルではない。
ラーズとアベル、それぞれいる場所が離れているのである。
……船が、二つにちぎれる!?
そうラーズは考えた。
アベルは、まだあきらめきれないらしく、ラーズの方に飛び移るしぐさを見せた。
がその腰に、エレーナが飛びつき、それを制す。
「-!! -!?」
何事かをエレーナが喚き散らしているようだが、ラーズには聞こえなかった。
だが、エレーナの行動自体は正解だと思える。
エレーナとレイルが、二人がかりでアベルをキャビンに引きずり込むのが見えた。
遠ざかっていくキャビンの扉が閉じる瞬間、レイルがこちらを向いた。
……すまない。
とでも言ってるのか? とラーズは考えた。
エレーナとレイルの行動で、ラーズの方も冷静になった。合わせて退くしかない。
ラーズが、操縦室側の通路に引っ込むと、扉が自動で閉じた。
今までと違い赤色の文字で、与圧不良・閉鎖中。という赤い文字が扉の表面に表示されている。
「ぐっ……」
閉じた扉に背中を預け、ラーズはうずくまった。
耐え難い、痛み。
見れば、体の左側に無数の傷ができていた。
船体が崩壊したときの破片被害だろうか。
感覚的に、体内まで達した破片もありそうだった。そういったものは外科的な手法で破片を摘出しないと、魔法では治らない。
無論、それを直す魔法のストックもラーズは持ち合わせていなかったが。
「……エージェント・クロウラー……エージェント・クロウラー……」
と名前を呼びながら、ラーズは壁にもたれかかるように歩き、操縦室へと歩を進めた。
一度、傷を負った事を認識きてしまうと、その痛さを再び忘れることはできない。
「……エージェント・クロウラー……すまない。
アベルを連れて来ること……できなかった……すまない」
言葉を吐くたびに、体の中の方がジンジンと痛んだ。
……ああ。ダメか?
とラーズは考えた。
大けがをしたことは、今まで何度もある。
だが、その時はアベルが大体なんとかしてくれた。
……無力だ。
ラーズは、思う。魔法使いとして性能はアベルを圧倒しているというのに、緊急事態への対応能力は圧倒的に劣っているではないか。
攻撃型の魔法使いは、どうしても状況変化に弱いのだ。
「?」
ふと、エージェント・クロウラーの反応がないことに気づく。
ラーズは慌てて、エージェント・クロウラーの様子を見る。
様子を見ると言っても、ラーズは床を這うようにそちらに寄ることしかできない。
「エージェント! エージェント・クロウラー! 起きろ! 話を聞け!」
「……大丈夫。まだ生きてますよ。
申し訳ありません。こんなところまでお連れしながら……」
げふっ。と、エージェント・クロウラーは一度咳込んだ。
相当辛そうだと感じる。
「……勝手についてきたのはオレたちだから、文句言うつもりはない!
でも、他の三人乗せた後ろの部分がちぎれたぞ!」
「……超光速機関自体は、船の前の方にあります……ので、ちぎれた船体は通常空間に落ちます。
……なに。宇宙空間はほとんど何もないので、なにかに衝突……したりするような可能性は少ない……ですよ」
エージェント・クロウラーはラーズを安心させようとしているのか、言葉を続ける。
「……超光速機関は、前にありますが……機関部はちぎれた後ろなので、そのうちエネルギーが切れてこちらも通常空間に落下します。
それを味方がうまく補足してくれれば、救助が……来ます」
そこまで、喋ってエージェント・クロウラーは激しくせき込んだ。
「そうだ。救急キットとかないのか!?」
「……扉の左の化粧パネルを外したところに……食料と水も多少はあります……」
「待ってろ、なんとか止血を……」
そんなラーズに向かって、エージェント・クロウラーは笑った。
「……医薬品も食料もあなたが、使ってください。
生き延びていただかないと、私の仕事が全く意味がなかった事になってしまいます。
それは、とても悲しい……事です。
どうか……」
「お前が生かすのはオレじゃなくて、アベルの奴だろ!?」
エージェント・クロウラーの言葉のなんと悲壮な事だろうか。
一時間程度経っただろうか?
無音の暗闇の中に一瞬、雷光のような光が走った。
……これが通常空間に落ちる、ってやつなのか?
コンデンサに蓄えていたエネルギーを使い果たし、超光速機関が停止。船が通常空間に落下する。
窓の外に星空が戻った。
「エージェント! 星空だ! 起きろ。助けが来るぞ!」
ラーズはそう叫んでみたが、本当に助けなど現れるのだろうか? という疑問が頭をよぎる。
宇宙の広さは、現実的に無限であると言っても過言ではない。
その中で、果たして千切れとんだ船の破片……そして、そこに乗っている二人を見つけることなど、果たして可能なのだろうか?
言うまでもなく、巨大な船を光より速く飛ばすことのできるような連中である。
可能なのかも知れない。
そこまで、考えたラーズの思考は、突然鳴り響いたアラームによって中断を余儀なくされた。
そして、アラームと同時に流れる合成音声が無慈悲に告げる。
「警告。与圧区画の減圧を確認」
と。
「……超光速飛行中は漏れないってか」
とラーズは悪態をついた。
しかし、言われてみれば確かに船体が千切れとんだ時、外が真空ならもっと派手に空気が流れたはずだ。
「……これは……詰んだか?
なあ、エージェント・クロウラー……」
「……」
エージェント・クロウラーは何も言わなかった。
「……」
ラーズもまた沈黙する。
目の前を、指の先程の赤い玉が浮かぶ。
最初、それがなにかラーズには分からなかったが、すぐにそれが自分の血であることが分かった。
……ああ。そういえば、宇宙なんだから重力はないのが普通だよな。
と、達観した感想しか出てこなかった。
「-! --!!」
「! --!」
耳元で誰かが何かを、叫び、ラーズの肩を激しく揺さぶる。
……?
それがなんなのか、ラーズには分からなかった。
誰かがそこに居るらしい。
痛い。寒い。
まさか、ベッドの上で死ねるなどと甘えたことを考えていた訳ではないが、これは酷すぎるのではないか? とラーズは自問する。
死だ。
なんと魅力的なんだろうか? その向こうはきっと、痛くもないし寒くもないのだろう。
最初に見えたのは、白い天井と白い照明だった。
……生きてる……のか?
ゆっくりと回りを見回す。
水色のカーテン。何かの医療器具と思しきもの。
病院? と考えたが、それにしては質素な感じだ。
ふと、自分の体を見渡す。
「……あーダメか」
と思わず声に出してしまった。
両手両足は布製の拘束具を用いて、ベッドに固定されていた。
胸の辺りにも、太めの拘束帯。
……捕まったのか……
そうラーズが思ったとき、唐突にカーテンが開かれた。
先ほどの声を聴かれたのだろう。
カーテンを開けたのは、白衣を着た女性……女医という事になるのだろうか? 歳は30代後半から40代と言ったところか。
さらに、その後方に2人の男。揃いの制服を着ている事などから警備員の類か?
「-ー」
女医は、何事かを喋った。ラーズには分からない言葉である。
「-」
やはり、その言葉は分からない。おそらく聞いたことすらない言語である。
……さて、どうするか?
ラーズは考えた。問題が山積みすぎてどこから対応していいのか分からないのだ。
そもそも、いつもなら負けたら死ぬほど悔しいはず、なのだが今回はそうでもない。戦略レベルでなすすべもなく圧倒されたからだろうか?
だが、それにしても理不尽すぎる。
レイル辺りの使う魔法も大概理不尽だが、今回のは度合いが違う。
……そういえば、アベルやレイルはどうなった?
ようやく、思考がそこに行きついた。
ラーズは周囲を見回してみるが、ほかのメンツは見当たらない。
一緒に捕まったわけではないのか? あるいは、別の所に隔離されているのか? 現状では判断できない。
……困ったぞ。
こういうシチュエーションで、声を上げるのは想像以上に勇気が必要であることにラーズは驚いていた。
そこまで考えると、得体の知れない人物の前で体を晒して縛り付けられている、という状況にも恐怖を覚える。
一度そう思ってしまうと、恐怖は止められない。
「……お前らは何者だ!?」
叫んでラーズはありったけの、魔力を集めにかかる。
VMEの支援がなくとも、人一人程度なら一発で消し炭にする程度の威力の魔法を行使する自信がラーズにはあった。
……!
だが、そんなラーズの自信も虚しく、魔力が集まらない。
収束速度を減衰速度が上回っている為に、いつまでたっても魔法の発動ラインまで魔力が集まらない。
それが、何らかの自然現象によるものなのか、テクノロジーによるものなのかラーズには判断が付かなかった。少なくともセンチュリアでは遭遇したことのない事象である。
理由はどうであれ、ラーズの最後の武器は奪われた。
泣きそうだった。こんな事は、フローリアの大切にしていた花壇を消し炭にしたとき以来だ。
助けは来ない。抵抗もできない。本当の絶望というのは酷く空虚なものだとラーズは思った。
思っただけで、泣き出さなかったのは及第点だと自分に言い聞かせる。
「-」
女医が何かを言い。背を向けた。壁際のテーブルから何かを取り出しているらしい事が伺えた。
ああ。拷問受けるのってこんな気分なんだな。そんな感想が沸き上がる。
女医が振り返った、手には銀色のトレイを持っている。
そのトレイに何が乗っているのか、ラーズからは見えなかったが、これは怖い。
「ひぃ」
見えるわけでもないトレイの上に、恐ろしい拷問道具の幻覚を見て、その恐怖に思わず情けない声が出た。
しかし、これは致し方ないだろう。拘束されて身動きできない状態で、正体不明の人物が何か得体の知れない物を手に近づいてくる。筆舌に尽くしがたい恐怖である。
「-」
女医は何かを言い、笑顔でラーズの方に手をかざして見せた。
その仕草にすら思わず、ビクッとラーズは反応してしまう。
……やっぱり死ぬなら化け物と戦って死ぬのがいいな。
とラーズは思った。
しかし、笑顔で手をかざす動作は、心配するなという意図とも考えられる。
もっともこの状況で、楽観的な解釈ができるほどラーズのメンタルは強くない。ラーズのメンタルの強さは、アベルの支えがあっての事である。
だが、女医はトレイをベッドの脇に置くと、その上に乗っているデバイスをつまんでラーズに見せた。
ラーズには少々不格好で古臭いデザインの片耳用イヤホンに見えた。
女医はそれをつまむと、自分の右耳に挿入して見せる。
なるほど、ラーズの第一印象に違わずそれは耳に装用するデバイスのようだ。
それを見せられて、ラーズは少し安心した。
しかし、そこまでやって安心させてくれるという事は、よほど自分は酷い顔をしていたのだろうか?
とラーズは考え、今泣いてないよな? と確認する。
そんなことを考えているうちに、女医は新しいデバイスを取り出し、それをラーズの耳にも突っ込んだ。
最初の状態よりも随分ましだが、これとて気分のいいものではない。
耳に突っ込まれたそれは、耳障りなノイズを数秒間発した後沈黙した。
……?
しばしの沈黙の後、女医が言葉を発する。
「……わたしの言葉はわかりますか?」
……!?
さっきまでさっぱり分からなかった言葉がわかる事にラーズは驚愕した。
この耳に装用するデバイスは翻訳装置という事になる。
「……わかる……」
もっとも、言葉が通じたからと言って、状況が変化するわけではない。
だが、それでもラーズは聞かざるを得なかった。
「……他の奴らは……どうなったか教えてほしい」
「……あのドラゴンの人なら残念だけれど」
女医は一瞬言葉を選んだようだった。
「……その……
その、ドラゴンの特徴は!?」
そう問うラーズの声は上ずっていた。
「……金髪でスーツ姿……」
……よかった。アベルじゃない。
ラーズは安堵の息を吐いた。
そして、その直後に死んだのがエージェント・クロウラーであることを喜んだ自分に猛烈な嫌悪感を抱く。
「……他には!?
他に誰か……」
続くラーズの問に、女医は首を振った。
……つまり。
つまり、ラーズは完全に一人になった。センチュリアですらない宇宙のどこかで一人になったのだ。




