帰らざる旅路10
ドン! という破裂音で始まった、超光速飛行はやはりドン! という破裂音で唐突に終わった。
時間は三〇秒くらいだろうか?
「……終わり?」
「はい。この船ではせいぜい二億キロ跳ぶのがやっとですので」
エージェント・クロウラーは答える。
二億キロは惑星の中で生活しているラーズにとっては途方もない距離だが、宇宙レベルで見た場合は極めて短い処理であると言えるだろう。
「二億……随分遠くまで来たもの……ん?」
ラーズ視力はかなりいい。ドラゴン……空を飛ぶ生き物だ……のアベルと比べても遜色ないレベルである。
「あの星って……オウターリアだよな?」
理科教科書などで見慣れた、赤茶げた星が小指の先程の大きさで前方やや左に見えている。
「そうですね」
よくよく考えれば、エージェント・クロウラーとてドラゴンである。やはり視力はいいはずである。
「……あんまり考えたくないんだが……なんか居ないか? アレ」
よくない……非常に良くない考えがラーズの頭をよぎる。
つまり、敵の艦隊である。
「……たのむ! これも予想通りで大丈夫すり抜けられる! って言ってくれ頼む!」
思わず手を合わせて、拝むラーズ。
だが、現実は無常であった。
「これはいけません」
舵輪を右に回しながら、エージェント・クロウラーは言う。
……ああ。やっぱりダメなのか。
ラーズは暗澹たる気分になった。
あとは、見つからないことを祈るのみである。
「超光速飛行の残滓を探知された公算が高いです。
超光速飛行用のコンデンサへのチャージが終わるまでは、通常空間を逃げ回るしかありません」
そう言うと、エージェント・クロウラーはスロットルをグイっと押し込んだ。
船が目に見えて加速する。
「……やはり、見つかったようですね。
三隻が追跡してきます……まずいですね。
反応からすると、駆逐艦と巡洋艦です。この船では逃げきれないかも知れませんが……
なんとかアステロイドを目指しましょう。あそこなら隠れてやり過ごせるかも知れません」
ラーズは隠れたら敵が集まって来て、袋叩きに合うんじゃないか、と思ったがそれは言わない事にした。
このフラッシュラー星系は第四惑星オウターリアのすぐ外に小惑星帯を有する。大小数億の隕石からなるそれは、なるほど隠れるには適しているかも知れない。
「……ところでよ? 味方っていないのか!?
こんな船まで用意してあるってことは、相応に大きい組織が絡んでるんだろ? 救出部隊とか……」
「聖域守護艦隊は聖域に入れない決まりですので、ここまで助けに来ることは無いです」
「ひでえ」
エージェント・クロウラーの返答にラーズは思わず大声を上げた。
「本気で助ける気あるのか!?」
至極もっともな意見である。
「私はスリーパーエージェントなので、本国の現状はわかりかねますが……
いくらなんでも、放置という事はないはずです」
それに対して、エージェント・クロウラーは安心できる要素〇の事を言う。
「……見つからない?」
「この船の質量くらいなら、周囲の小惑星に紛れます」
アステロイドベルトに突入して一時間ほどが経過していた。
エージェントクロウラー曰く、もうすぐ超光速飛行用のコンデンサのチャージが終わるので、それで一気にフラッシュラー8の付近まで飛べるとの事だ。
フラッシュラー8とは、主星のフラッシュラーの八番目の惑星の事で、センチュリアではこの惑星がまだ見つかっていない為、こういう呼び方をするようだ。
なお、一回目の超光速飛行が二億キロ程度だったのに対して、今度は十億キロ以上飛べるのは主星から離れたから、だそうである。
「……うを!」
っとラーズが声を上げた。
窓の外を、侵略者の宇宙船が通って行ったからである。
「……こちらは暗いので向こうからは見えません。
エネルギー水準も低いので、フラッシュラーのバックグラウンド放射に紛れているはずです」
落ち着いた口調でエージェント・クロウラーは言う。
まあ、実際その通りなのだろうとラーズは思った。
「……問題は、動き出す瞬間……って事か……」
ラーズは唇をなめながら続ける。
「ピリピリする……喉が渇くぜ」
そもそも攻撃型のラーズは、自分の火力で運命を切り開こうとするタイプである。
自分の力の及ばないところで、どうこうされるストレスへの耐性はあまりない。
「キャビンに飲み物ならありますよ」
「じゃあ、ありがたくいただいて来よう」
そこまで言うと、ラーズはキャビンに向かって歩き始めた。
操舵室の扉を出て、ほんの数メートルの連絡通路を抜けて、その向こうの扉を抜けるとキャビンだ。
「……おっ。特等席で宇宙旅行を楽しんでたか?」
アベルが軽口をたたくが、ラーズは乗る気にはならなかった。
「……とても楽しめる状況じゃねえな」
そう言ってからラーズは冷蔵庫から水を取り出し、一気に煽る。
「……ふう。
侵略者の船に追い掛け回されてる。
エージェント・クロウラーが言うには隠れてれば見つからないらしいけどな。
まあ、そのままもう一回超光速飛行ができるようになるまで粘る方針みたいだ」
袖で口元を拭いながらラーズは続ける。
「……ここまで来たらどうにもならないしね。
どっかり構えてよう。
……僕も水貰っていいかな?」
大物めいたことを言うのはレイルだ。ラーズの脇から冷蔵庫に手を伸ばし、ペットボトルの水を確保する。
「だなー。
オレも水貰うぜー」
そういうアベルに、レイルは確保したペットボトルを放り投げて、自分は新しい物を確保しなおす。
「……なんで……なんで、あんたたち、そんな落ち着いてられるの!?
宇宙よ! ここ宇宙わかってるの!?」
「オウターリアの外側らしいからな。ただの宇宙じゃなくて人跡未踏……すくなくともセンチュリアの人々は未踏の地だ」
「……そして、そこで謎の侵略宇宙人に追い掛け回されてる。
素敵な事だよ。人生で一回くらいは経験しときたいね」
「あーっ! ここにまともな人間は居ないの!?」
「まともな人間どころか、人間がレイルしかいないしな。
仕方ねえだろ」
「そーじゃないの!
そういうことを言ってるんじゃないの! いつ死ぬか分からない状況でなんでそんなに気楽なの!?」
狂乱状態でエレーナが喚き散らすが、まあほかの三人にしてみれば知ったこっちゃない。といった風情である。
実際、ラーズは……いや、アベルもレイルもだろう……あまりここで死ぬという感覚がない。
それはただの直観などではなく、死線の近くを彷徨った者の嗅覚である。その嗅覚がここでは死なないと告げている。
もっとも、いままで死ぬと思ったシチュエーションでも、死ななかったので、その嗅覚も怪しいが。
この時、ラーズを含む三人はある種の楽観主義に支配されていた。死ぬか?生きるか?の判断が三人に一律訪れるという考えである。
もし、三人がエレーナのようにバラバラに一人づつ死んでいくビジョンを持っていれば、おのずとリアクションは変わっていただろう。
船がソロリと動き出す。
ジリジリする一時間が過ぎ、さらに安全の為に三〇分身を潜めた末、エージェント・クロウラーは出発の判断を下した。
曰く、次の超光速飛行に入りさえすれば、もう安全との事だ。
ラーズは、再び操縦室に戻っている。
キャビンに居てもよかったのだが、なんとなく操縦室の落ち着くような気がした。
……外がよく見えるからだろうか? とラーズは考えていた。
「……すぐに超光速飛行はできないのか?」
「もう少し開けていないと……ダメですね。
上の方に行きましょう」
エージェント・クロウラーは上の方を指さして言った。
宇宙に上も下もないのだが、惑星の公転面に対して上なんだろう。とラーズは判断した。
それでも誰から見て上なのかは分からなかったが。
エージェント・クロウラーがスロットルを開け、船が加速する。
すぐ近く……と言っても、大きさの比較対象がないので距離は分からないが……に浮いていた岩石の影から、一隻の船が現れた。
「……クリーブランド級!? まずい。
これはまずいです。待ち伏せです」
言いながら、エージェント・クロウラーはスロットルをいっぱいまで押し込み、その横の赤いボタンをこぶしで叩く。
その瞬間、船が狂ったような加速を示す。
追跡者の船から放たれた数条の光が、後方に流れていく。
「おいおいおいおい! 大丈夫なのか!?」
「……大丈夫ではありません……が」
「が?」
「アステロイド帯を抜けます。
……これなら、なんとか……」
エージェント・クロウラーの言う通り、周囲に浮かんでいる岩の数が目に見えて減り始める。
「……!
エージェント! 左!」
ラーズが叫んだ。それに反応してエージェント・クロウラーは舵輪を乱暴に押す。
ラーズたちの乗る船の艦首がぐっ、と下がる。
そして、その先を数条の光が駆け抜けていく。
「……対艦魚雷とは……マイスタ・ラーズ助かりました」
「助かってねーだろ!?」
「あの魚雷を食らったら船の三分の二が消えてます」
そういう意味では、なるほど、助かったのかも知れない。
だが、状況は好転したわけではない。
侵略者の二隻の戦闘艦艇に追跡を受けていて、先ほどのエージェント・クロウラーの言葉から速度は敵の方が速いのだろう。状況は依然悪いと言わざるを得ないだろう。
「皆さん、何かにつかまってください」
言うが早いか、エージェント・クロウラーは舵輪を乱暴に回す。
前面の窓の星空が左に流れ、ラーズたちの乗る船を追い抜くように、光が駆け抜けていく。
「……砲撃に切り替えて来ましたか」
口調は変わっていないような感じではあるが、一瞬エージェント・クロウラーが舌打ちしたのをラーズは聞き逃さなかった。
「……このままではジリ貧になるので、多少無茶ですがこのまま超光速飛行に入ります!」
エージェント・クロウラーの操作により、宇宙船は再び光の中に飛び込む。
二度目の超光速飛行である。
すぐに光が消え、周囲に静寂が戻る……はずだ……
だが、現実は違った。
筆舌しがたい炸裂音を伴って、船が揺れた。
最初の水に飲まれた時と比較しても、圧倒的に大きさの衝撃。
操縦席の、今まで緑や青で表示されていた計器が一斉に赤色に代わる。
古今東西、赤色の表示は良くない物と相場が決まっている。この場もそうだろう。
……どう考えても楽観は出来ない……よな?
とラーズは考えた。
「……今のは!?」
「……何かの爆発物を一緒にアークディメンジョンに引き込んだようです……
あっ!?」
そこで、エージェント・クロウラーの言葉が途切れた。
それにラーズが疑問の言葉を投げかけるより、早く二度目の衝撃。
船体が激しく揺さぶられ、エージェント・クロウラーの座った席の左側の内装パネルが剥がれて、落ちる。
「がっ」
という、小さな悲鳴。
ラーズは聞き逃さなかった。エージェント・クロウラーの声である。
「どうした!? 大丈夫か!?」
と声をかけてみたが、どう見ても大丈夫そうではない。
エージェント・クロウラーの左の脇腹から大腿部にかけて、赤いシミが大きくなっていく。
……色が赤すぎる。動脈!?
普通の外傷で、動脈を傷つけられる可能性は低い。体というのはそういう風にできているからだ。しかし、動脈からの出血と思われるけがをしたという事は、見た目にわからないようなダメージを負ったという事である。
この場合だと、先ほどの爆発で飛んできた破片被害あたりが有力であると言えるだろう。
見れば、ラーズも左肩の辺りから出血していた。
まあ、こちらのダメージはほとんどない。タダの切り傷である。
「……アベルを」
ラーズは席を立った。
もし本当に動脈まで達するような負傷をエージェント・クロウラーが追っているのなら、医療知識も高度な回復魔法ないラーズにできる事はほとんどない。
照明が消えて、赤い非常灯が照らす通路をラーズはキャビンに向かった。




