7.アンブローズは女の子になろうと決心する
ついアンジェリカには大丈夫だと言ってしまったがもうこの時間に乗合馬車はやっていない。その上本当は家に帰る勇気もない。町をひたすら歩きまわって開いている宿屋を探す。幸いにも町外れに一軒明りの灯っている施設を見つけた。
「すみません。宿泊お願いできますか?」
「ここ宿屋じゃなくて傭兵ギルドだよ。もうこの時間、宿屋はどこもやってないよ。一体どうしたの?」
「昼寝してたら乗合馬車の時間が終わって帰れなくなってしまったんです」
家出だとそのまま言うのがためらわれて嘘をつく。けれど目が泳いでしまったせいか受付員は訝しげに目を細める。
「どこから来たの?」
「クロウフォード領のローウェルトンです」
「ウェストンまでくるのに6時間は軽くかかる道程だね。子供一人で出かけるような距離じゃないし家出でしょう? それにしてもすごい服。どこかの貴族のお嬢様だよね。家名は?」
嘘を続けて言うと自分の表情でばれてしまいそうなので正直に言ったら墓穴を掘ってしまった。もしここで家名を言ったら私の趣味が人に知れることを嫌がるお父様は激怒する。
「クロウフォードから来たならクロウフォード伯爵家のお嬢様かな?」
「違います。ごめんなさい」
黙っていたら見抜かれてしまい慌てて出口から出ようとして、ちょうど入ってきた騎士服を着た男とぶつかった。後ろに倒れそうになりと体を支えられる。
「おっと大丈夫?」
「騎士がこんな時間にどうしたんです? あ、そのお嬢様逃がさないで」
話している隙に逃げようとしたが無理だった。受付員の一言で騎士にがっしり掴まれる。
「いや、貴族の捜索依頼が出てるんでお願いしようと思ってたんですよ。クロウフォード伯爵家の」
「ああ、その子クロウフォードから来たらしいよ」
「嫡男のアンブローズ・ベイリー」
「外れか?」
「だから違うと言ったじゃないですか。あの放してください」
暴れると余計にしっかり抱え込まれた。騎士は私の顔を覗きこむと書面にもう一度目を通した。
「当たりみたいですね。黒の長髪に琥珀の目。捜索を眩ますために女装している可能性があるとありました」
「女装してるなんて書いてあったんですか?」
信じられず書面を見ようと体を捻ると逃げようとしてる思われたのか腕に力を加えられた。そしてそのまま騎士に担がれる。
「悪巧みは親に全てお見通しだったみたいだね。さあ観念して御家に帰りなさい」
お父様が私が女装していることを周知してまで探すとは思わなかった。家出を続ける気がなくなりそのまま騎士に連れて行かれる。
その日は騎士の詰め所の仮眠室で眠った。
起きると仮眠室の椅子でお父様が眠っていた。起こさないよう恐る恐るベッドから出る。家出を叱責する一発目がお父様なのは怖いくて他の人も来ていないか探しいくことにする。仮眠室を出ようとすると腕を思いきり掴まれた。
「どこに行くつもりだ」
「いえ、どこにも行きません。心を入れ替えて剣術の稽古を受けます。すみません」
「またこんなことされたら堪らない。そんなにしたくないのならもういい」
そっぽを向いて吐き捨てるように言われる。もう完全に嫌われて見切られたかもしれない。泣きそうになると脳裏にアンジェリカの顔が浮かんだ。するとどうしても質問したくなってしまった。
「お父様って私のこと大切だと思いますか?」
言って恥ずかしくなってきて後悔した。けれど意外にもお父様からは少し悲しげな優しい声が返ってきた。
「聞くまでもない。大切だと思ってるからお前のやりたいようにやらせてるんだろう」
「やらせてくれないじゃないですか。女装をやめろと言うし、武芸の稽古もしたくないです」
「それはお前がつらい思いをしないように言ってるんだ。今稽古をつけなかったら奉公中つらい思いをするのはお前だ。同じ貴族に舐められたとき、伯爵の仕事がやりづらくなるのもお前だぞ。それでもいいならもう何も言わない。帰るぞ」
お父様の口調はきついが私を心配して厳しく言っているのだと分かった。こんな自分でも大切だと言ってもらえて不安が消えて心が軽くなった。それと同時に申し訳なさも湧いてくる。
詰め所を出ると日はすでに昇りきっていた。お父様が私の手を引いて馬車の方に向かうのを引っ張って止める。ウェルトンを出る前にもう一度アンジェリカに会いたかった。
お父様の許可をもらい裏通りの方へ行くとお父様は顔をしかめたが何も言わなかった。昨日アンジェリカが駆けて行った方向に行くと娼館があった。けれどアンジェリカの姿は見つけられない。
「ここで働いているはずなんです」
「……入るのか? 昨日お前は誰と会ってたんだ?」
「アンジェリカと呼ばれてた私より少し年上くらいの男の子です」
私が気落ちした声で言うとお父様はため息を吐きながら一緒に娼館に入ってくれた。屋敷の中は薄暗く人気がなかったが、すぐにどこからか老紳士が出てきた。支配人のようで私を品定めする視線に少し怯む。
「お美しいお嬢さんだ。御幾らでお考えで? ちょうど娼婦が減った所だから言い値で買ってもいいですよ。……ですが金銭には困ってなさそうにお見えしますね。何のご用件でしょう?」
お父様があからさまに不機嫌そうにすると支配人は察して話を変えた。けれど肝が据わってるのかお父様の辛辣な視線に堪えた様子はなかった。
「アンジェリカという少年を呼び出してほしい」
「アンジェリカか。ちょうど昨日の深夜に親子で身請けされて出て行きましたよ」
支配人の発言に耳を疑った。町を歩き回っていいるうちに連れて行かれてしまったという事実に激しく落ち込む。
「一体どこにですか?」
「さあ、知らないね。金払いさえよければお客様のことに興味はないからね」
「少しでもいいのでどこに行ったのか教えてください。どうしてももう一度会いたいんです」
「申し訳ないが教えられない。でもずっと探していたらいつか見つけられるかもしれないよ」
お父様に促されて娼館を出ると馬車に乗ってバークレー領のウェストンを後にした。
もうアンジェリカには会えないと思うと心が苦しくなった。ちゃんとお礼を言えばよかった。名前も自己紹介しあえば良かったのにと色々後悔が浮かんでアンジェリカのことが頭から離れない。家についてから数日経っても気になってしまい食事がのどを通らなかった。何も手に付かずテラスで外を眺めていたらお母様が席に加わった。
「まだアンジェリカのことを考えているの? まるで恋煩いね」
お母様が冗談めかして言う言葉になぜか狼狽えてしまう。お母様は私の反応を楽しそうに眺めた。思ってもいなかったこと言われたのに心を見透かされたように感じて恥ずかしくなる。
「恋じゃないです。どうしてそんなこと言うんですか?」
「だってずっと考えているんでしょう? ウェストンで仲良くなったアンジェリカという女の子のこと」
「アンジェリカは男の子です」
お父様は私のためだったとはいえ娼館の中に入ったことをお母様に知られたくないようでアンジェリカについて詳しく話さないでいた。私もそれに合わせてアンジェリカを女の子だということにしていたのに動揺して口が滑ってしまった。けれどお母様は少しつまらなそうな表情になるだけだった。
「あら、そうだったの。女性名の男の子なんて変わってるわね。だから貴方と気があったのかしら。いつかまた会えたらいいわね」
「そうですね。いつかまた会いたいです」
お母様に微笑みながら返事をしたけれど心は無性に痛かった。もし探し出せたとして会えた時私はいくつになっているだろう。女の子としてアンジェリカの前に立ちたいのに叶わなくなっているかもしれない。それはどうしても嫌だった。どうしてそう思うのか自問したときどうしようもない答えにたどり着いてしまった。私はアンジェリカに叶わない恋をしている。
部屋に戻ってしまいこんでいた絵本を取り出す。どんな願いでも叶えることが出来る魔珪石プエルデイが実在すると思い込むことで安らかな気持ちになれた。
私は女の子としてアンジェリカと会って話したい。魔珪石プエルデイを何としても見つけ出して女の子になろうと決心した。