6.アンブローズ12歳。裏通りでアンジェリカと出会う
10歳を超えたあたりからお父様は魔法に加えて剣術などの武芸も習うよう勧めてきた。極力体に筋肉をつけたくない私は毎回断った。そして晩春に12歳の誕生日を迎えて数日経った日お父様に執務室に呼び出され同じことを言われた。
「剣術はやりません。騎士になるわけでもないのに練習して何になるんですか?」
「三年後、従騎士として宮廷へ奉公する時どうするんだ」
今日、お父様は引かなかった。
「貴族は二年間宮廷に従騎士として奉公することが課せられてるんだぞ。分かってるのか」
「分かってます。義務はちゃんと果たします」
「果たすだけではだめだ。結果も残せ」
「そんなこと急に言われても無理です!」
行くだけでいいと思っていたのに結果と求められて焦る。体を動かすようなことを何もしていない私には幼い頃から武芸の教育を受けてる人に付いて行くだけでも精一杯になりそうな状態だった。
「家を継ぐ者の資質は家格に関わる。お前もそれくらいは分かっていただろう?」
「私何度も言ってますが後継者はクレムの方が最適だと思います」
「いつまでも甘えたことを言うな」
お父様が珍しく怒鳴り、私を上から下まで見ると深いため息を吐いた。私は今日も変わらず華やかでかわいいドレスを着ていた。レースがふんだんに使われた鮮やかな薔薇色のドレスだった。
「第一、お前はいつまでそんな恰好を続けるつもりだ」
「いつまでもです」
「そろそろ物事の分別をつけたらどうだ」
いつも以上に辛辣な口調と厳しい視線に何も言えなくなる。
「お前、自分を客観的に見てどう思う。今はまだいい。これから声が変わって体格も男らしくなるだろう。それでも続けるのか? 続けるなんて馬鹿なこと言うなよ」
これから女装はさらに難しくなる。これからどんどん似合わなくなっていく。考えるのを避けていたことをぶつけられ思考停止する。
執務室を出た後、女装したまま家族や使用人にばれないように家を出た。もう何も考えたくなくてとにかく遠くへ行くことにした。
歳をとる度にあれは作り話だと冷静に考える自分が強くなっていき忘れかけていた虹色の魔珪石の話を思い出す。詳しい文献を探しに図書館を巡ったがプエルデイの伝承を扱った書物はどこにもなかった。
乗合馬車に乗って遠くへ行く。初めて出会う人みんなが私を女の子だと思って疑わなかった。適当な町で馬車を降りて露天商に洋服屋、雑貨屋を覗いていく。店員は全く疑うことなく私を女の子としてもてなしてくれた。
自分らしく過ごせて楽しいが失われることが分かっている分悲しくなる。日が暮れ始めるとますます悲しくなってきた。迷惑をかけていそうだが家に帰る気がわかず町をあてどなく歩く。
賑わっていた往来も人が減り街燈が灯される時間になる。それでも帰る気が湧かず目立たない暗がりの路傍に座り込んだ。
「女の子が一人でこんな所にいたら危ないよ」
声をかけられ顔をあげると金髪の巻き毛の綺麗な少女がいた。質素なワンピースすら華やかに見せる少女の美しさに嫉妬心が湧いてくる。
「放っておいてよ」
「何かあったの? 私でよければなんでも聞くよ」
「歩き疲れて少し休んでただけだから放っておいて」
「嘘。ずっとここで座り込んでいたでしょう。ここ裏通りで危ないから心配で見てたんだよ」
少女は私の隣に座り込む。いつまでも立ち去らず顔を伺ってくるので根負けした。
「私、自分らしく生きていけないの。きっと嫌われているし気持ち悪いって思われてるかもしれない」
今まで考えないようにしていたことを話すと目に涙が溜ってきた。私のドレス姿を見る度にため息を吐くお父様とクレメントの顔が浮かぶ。女装に寛容だったお母様も最近は苦笑を浮かべるようになった。家族にそんな反応をされても私はきれいでかわいいものが好きでどうしてもやめられない。
「それにこれからもっと色んな人にそう思われるかもしれない。それが不安で仕方ないの」
心が女性なせいで男性として振る舞っても人に違和感を与えてしまう気がしていた。私には男性として生きていく自信が欠片もない。どうしようもない現実に涙が溢れて止まらなくなった。泣きじゃくっていると少女は背中を撫でてくれた。
「私は誰に何を思われても気にしないな」
少女が立ち上がり優雅にくるりと一周回って見せた。乱れた長い髪を手櫛で整えながら少女が微笑んで聞く。
「私のことどう見える? どう思う?」
「かわいい。きれい。美少女に生まれて来れてよかったね。幸せしか知らなそう」
「あれ? おかしいな。もっと他にあるでしょう?」
少女はくすくす笑ってワンピースをつまんで見せてきた。
「私の服見て何の仕事してるか分かるよね?」
「え? ああ……」
暗くてよく見えなかったせいで言われてやっと気が付く。少女のワンピースの生地は薄くてよく見ると身体の線が透けて見えた。ワンピースではなくシュミーズだった。暮らしの大変そうな少女に幸せしか知らなそうなんて言ってしまったことを後悔する。何て言ったらいいのか分からず沈黙が広がる。遠くからお客さんを呼び込む女性の艶っぽい声がする。
「お嬢様みたいだから分からないかな。男娼って知ってる?」
「さすがに知ってる……え?」
「娼婦に見えるでしょう? でも男娼なんだよ」
「……え、え!? 男っていうこと!? 嘘」
つい確認しようと身体に視線が行く。けれど彼はワンピースを持ち上げるのをやめてしまった。透け感のあるシュミーズだがギャザーが寄っているため広がっていない時は布が重なってよく見えなくなる。
「男だよ。こんな恰好してるけどね」
少年はいたずらっぽく笑って私の隣にもう一度座り直す。私の頭は衝撃でまだうまく回らない。
「仕事で差別的なことを言われることもあるし酷いことされることもあるよ。私の人生不幸なものだと思うでしょう? でも貴女の言う通り幸せなんだ。大切な人がいて必要としてくれるから」
少年の表情に影は全くなく本当にそう思っているようだった。少年の心の拠り所となっているものが気になって口を開く。
「大切な人って誰?」
「お母さん。私を捨てたらもっと楽な生活ができるのに一緒にいてくれるんだ」
少年は照れくさそうにはにかんだ。私の家族は貴族だから体裁を傷つけるようなことがあったら一緒にはいてくれない。
「大切な人に嫌われたらどうすればいいの? 私家族から嫌われそうなの」
自分の言葉にまた涙が目に溜まる。
「貴方は家族から嫌われたらどうする?」
「父は私が生まれる前にお母さんを捨てたからなんとも思わないけど……」
少年は黙り込んで答えを探すが中々思いつかないようだった。考え込む少年の顔に影が差した気がして答えを求めるのをやめることにした。
「無理して答えなくていいよ」
「私から聞き出したのに気の利いたこと言ってあげられなくてごめんね」
涙を袖で拭っていると少年は色っぽく微笑んで私の顔を覗き込んできた。少年の青い目が遠くの街灯の光を受けてかすかに輝く。
「いいこと思いついたんだけど、私を貴女の大事な人にするっていうのはどうかな?」
「初対面で名前も知らないのに?」
「やっぱり無理があるか。私は貴女にとって何でもない存在だから響かないかもしれないけど、私の話を聞いてくれる貴女のことがとても好きだよ。嫌ったり気持ち悪いなんて思わない」
慰めているだけだと分かっているけど優しい言葉を貰うと心が温かくなる。不安と寂しさが少しやわらぐ気がした。
「私は貴女の事とても可愛くてすてきな女の子だと思う」
少年が続けて言ってくれる言葉に騙しているようで罪悪感が湧き心が痛くなった。でも女の子として可愛いと言ってもらえる機会は二度とないと思うと男だと明かせなかった。それにどうしても少年の中で女の子としてあり続けたいと思う自分もいた。
「アンジェリカ何しているの! 早く来なさい!」
通りの向こうから大人の女性の声がする。それに向かって少年が慌てて答える。
「今行きます! 一人で帰れる?」
「大丈夫だよ。帰れる」
「良かった。それと、貴女はうまく受け取れてないのかもしれないけど家族は貴女のこと大切に思ってると思うよ。きっと今も心配してるんじゃないかな? ちゃんと早く御家に帰ってね」
私がうなずくとアンジェリカはほっとした表情をして立ち上がった。もう二度と会うことがないかもしれないと思うと別れがつらく、通りの向こうへ走っていく後ろ姿にたまらず声をかける。
「また会いに来てもいい?」
「いつでもどうぞ。よかったらその時に名前教えてね」
アンジェリカは振り返ってとても嬉しそうに笑った。見送ってから励ましてくれたお礼を言っていないことに気付いて後悔した。