5.アンブローズ8歳。虹色の魔珪石の伝承を知る
とうとうディーン先生から魔法を教わるのが今日で終わりになった。先生は名残惜しげに授業で使用したものを鞄に片付け始める。
「これで私が教える魔法の基礎課程は修了になります。長いようで短かったですね」
感傷的な気持ちになりつつもクレメントと2人で先生を玄関まで見送る。
「次は二人で王都へ小姓として奉公しに行くのかな? 大変なこともあるかもしれないけど挫けずに頑張ってくださいね」
「いえ、行くのは僕だけです。ブローズは跡継ぎとしての勉強に集中するため騎士教育は受けないことになりました」
すかさずクレメントが訂正する。最近クレメントは私のことを兄様と敬称では呼ぶのをやめて愛称で呼ぶようになった。その変化にどういった意味があるのかは怖くて聞けたことがない。
「へえ、珍しいね。まあでもアンブローズ様は魔力量はかなりあるからそれだけで一目置かれるでしょう。従騎士奉公中に宮廷魔術師の勧誘がかかるかもしれませんよ。……どうしてそんな渋い表情をしているんですか?」
「従騎士奉公って必ずやらないといけないんですかね?」
「貴族の子息が従騎士として国の騎士団で奉公するのは義務ですからね」
「務められる気がしないです。女の子になりたいな」
心が弱っているせいもあり言わないようにしている本音がもれてしまう。先生はくすくすと笑いながら私を宥めるがクレメントは小さくため息をついた。
「そんな女々しいこと言っちゃだめだよ」
耳元で小さくクレメントに注意される。声音が冷たく嫌われかけていそうで悲しくなる。
玄関から外へ出ると西日の明かりが庭を橙に染めていた。
「それでは、二人ともいつまでも仲良くしてくださいね」
「ディーン先生、今までありがとうございました」
先生が門の外へ向かう。クレメントはすぐに屋敷内に戻って行ったが、私は先生が見えなくなるまで見送っていた。すると先生が駆け戻ってきた。
「どうしたんですか?」
「アンブローズ様、後で渡そうと思って忘れてました」
先生は鞄から古ぼけた本を取り出し私に差し出した。
「これをどうぞ。何でも叶えられる魔法が知りたいと言っていたでしょう」
「絵本?」
私は受け取った絵本をその場でぱらぱらと開いてみようと思ったが紙が経年劣化していて丁寧に捲らないとすぐに破れてしまいそうだった。
「なんでも願いを叶える変わった魔珪石のお伽話ですよ。研究院の書庫で見つけて貰ってきたんです」
「研究院の資料なんて頂いても大丈夫なんですか?」
「昔から伝わる伝承でこの話を描いた絵本はたくさんありますし、旦那様に首を切られかけたとき庇ってくれたお礼をしていませんでしたから。それじゃあ元気にね」
「はい! 先生もお元気で!」
部屋に戻りドレスに着替えてから貰った絵本をめくる。読み終わるとクレメントが部屋に入ってきた。
「どうしたの? クレムが私の部屋に来るなんて珍しい」
「いつまでその恰好続ける気? ブローズはいつから男らしくするの? 後継者がそんな状態だとまずいとは思わない?」
「いつまでもしたいと思ってるよ。私はクレムの方が後継者にふさわしいと思ってるからいつかお父様を一緒に説得しない?」
「する分けがない。そんなこと思ってるのブローズだけだよ」
ブローズまでお父様と似たようなことを言うようになってしまった。何と返したら納得してもらえるのか分からず口を噤んでいるとクレメントは不満げにため息をついて私の手元に視線を移した。
「そんな絵本持ってたっけ?」
「何でも願いを叶えられる魔珪石の伝承の絵本だよ。先生から貰ったの。クレムも読む?」
「お伽話なんて興味ない」
そのままクレメントは黙り込み沈黙が続く。興味はなさそうだが気まずいので絵本の内容をクレメントに教えて間を繋ぐことにした。
「はるか昔のある所に、プエルデイと呼ばれる虹色に輝く魔珪石があったの。その魔珪石に込められた魔力は増幅されてどんな願いでも叶えられるようになるんだって」
「例えばどんな願い?」
「人を蘇らせたいとか、自分の魔力量を増やしたいとか、兎に角何でも叶えられるの! でも叶えられる願いは一つだけなんだ。その虹色の魔珪石は込められた魔力を許容量を超えた量にまで増やす性質のせいですぐに壊れてしまうから。それで願いを叶えられるのは一人だけだから争奪戦になっちゃうの」
クレメントが意外にも興味を持ってくれるのが嬉しくて語ってしまう。
「ふーん。それでその話は結局どうなるの?」
「争っているうちにみんな平和を望むようになってその願いを叶えるために争いのもとになる虹色の魔珪石は隠されるっていう最後だった。まだその虹色の魔珪石は使われてないんだよ!」
「その話って願いは自力で叶えましょうっていうことだよね。ちゃんと分かってる?」
クレメントに言われて先生が他力本願なことを言う私にこの教訓を贈るために絵本をくれたのだということに思い当たる。けれど先生は絵本を王立魔術研究院から持ってきたといっていた。資料として保管されているのならこの伝承が史実である可能性も捨てきれない。
「そういう教訓を伝える話だということは分かってるよ」
クレメントには口ではそう言ったものの私はどうしてもプエルデイが実在するのではないかという希望が捨てきれずにいつまでも心に残り続けた。