3.アンブローズ5歳。魔法の座学を受けるⅡ
「話を戻しましょうか。魔力量教えてくれる?」
「知らないです。あ、でも宮廷魔術師目指せる素質があるって言われたことあります! だからたぶん結構あると思います!」
「それは誰に言われたのかな?」
「王立魔術研究院のハミルトン先生って言ってた気がします」
「副院長か……ちょっと気になるなぁ」
先生の淡褐色の目が好奇心でキラキラしている。
「もし誰にも言わないなら本当はまだ早いけど特別にちゃんとした魔法を教えてあげましょうか」
「その魔法は何ができるんですか? 風船作り? 玉転がし? 治癒?」
今まで習った魔法を思い出す。道具遊びと変わらないものが多く退屈するものが多かった。治療魔法は怪我をすると傷口に勝手に魔力が集まってきて習う前に覚えてしまった。
「治癒魔法以外は魔法じゃなくて補助魔導具を使った魔力量の増強訓練だね。魔法はこういうのだよ」
先生は私たちから離れると何もない空中から水を噴き出させて消した。湿った空気がふわっと体に吹き付けてこれがただの幻ではないのを実感させる。今までで出来上がっていた魔法の地味なイメージが一新される。思わず机から立ち上がりディーン先生の元へ駆けよる。クレメントは冷静でただ目を見張って驚くだけだった。
「何それ!? そんなことできるの!? 知らなかった!」
「他にも火や雷とかも出せますよ」
「それって何でもできるの!? 私にも教えて!」
「アンブローズ様がやっと魔法に興味を持ってくれてうれしいです」
授業中の声の調子の良さは演技だとばれていたようだった。
「どうすればそれ出来るの? 私も水出してみたい!」
思わず敬語が取れるがそんなこと気にしていられない。失敗して部屋が水浸しになったらまずいので先生の服を引っ張って外へ連れて行く。先生は無抵抗で連れ出されてくれた。
「二人とも魔力の感覚はつかめてますか?」
「つかめてます!」
「じゃあ魔力器からを魔法をイメージしながら魔力を放出してみてください」
「どうやって放出するんですか?」
魔力器は物体として存在する物ではないので感覚的にしかつかめない。体の中に大きなものが存在はしている感覚はあるがとても曖昧だ。
「怪我をしたときに傷口に魔力が集まってくるだろう。その時に自分の中で魔力の道筋のようなものが出来る感覚を覚えたことがないかな」
思い当たるものがあったので頷く。
「その感覚を呼び起こしながら行使したい魔法のイメージをするんだ」
身体の中に道筋のできる感覚が強くなり魔力器の存在が自分の中で明確になる。イメージした通りの現象がそのまま現実に起きた。
「できた!」
「兄様すごい」
先生と同じように噴き上がらせていたが地面を濡らしそうだったので球の形に変えて膨らませていく。魔力器の中の魔力が揺蕩う感覚も分かる。そして自分の中で自由に使える魔力がどのくらいあるのかも分かった。
魔力器内の魔力がどんどん減っていく。魔力の放出を止めると水が落ちてくるのが感覚的に分かった。水が辺り一体に流れて庭が目も当てられない有様になってしまう光景が目に浮かぶ。
先生がやっていたように魔法を消そうとするがやり方が分からない。
「どうしよう先生! これってどうやって消すの!?」
先生は茫然と魔法を見るだけで反応しない。クレメントは私がうまく魔法を制御できていないのが分かると屋敷の中へ駆け戻って行ってしまった。
「ディーン先生!!」
「ああ、悪い。お前すごいな」
先生に素の口調で返される。本当に心から褒められているみたいだがそれを喜ぶ暇は今はない。魔力器からどんどん魔力が減っていくのが分かる。初めて味わう感覚がすごく怖い。
「どうやって消すの!?」
「魔法は一度行使したらもう消せません」
「嘘でしょう!? 先生は消してた!」
「あれは風の魔法を使って細かく霧散させただけで、行使した魔法をなかったことにはできません」
水に加えて風をイメージするがなんだかごちゃごちゃしてきた。魔力器から魔力がなくなってきて血の気が引いていく感覚がする。強風にあおられて倒れそうになり魔法に集中できない。
「アンブローズ様にはまだ繊細な芸当はできませんから、諦めて魔力の放出を止めてください」
「無理! 先生もこの水どうにかして! お父様に怒られる!」
「子供がこれだけの魔法を使えてたら逆に喜ぶでしょう。それにこれをどうにかできる魔力量は私にはありません」
先生は上の空ではっきりせず、ただ私の魔法を見上げていた。魔力器が空に近くなると気が遠くなる。視界が暗くなり目も眩み、立っていられずその場にくずれおちた。
目を覚ますとベッドにいた。部屋には誰もおらず廊下に出ても使用人すらいない。外がやたら賑やかで使用人総出で庭の後始末をしているのが容易に想像できた。窓の方は出来るだけ見ないようにしてお父様のいそうな執務室に行った。扉の前へ行くとお父様の聞いているだけで胃が痛くなりそうな厳しい声が聞こえてきた
「私が今まであの子に魔法を見せてこなかった理由が分かるか?」
音が鳴らないよう気を付けながら扉を少しだけ開ける。部屋の中をうかがうと先生が膝をついて頭を下げて謝罪していた。入室する勇気は一気に消え失せた。
「使いこなせない状態で威力のある魔法を行使させないためだ。監督する者がいながらこんな結果になってしまったのが残念でならない。多大な魔力量を持った子供が魔力量最大の魔法を使うかもしれない可能性と危険性を配慮出来ないとは思わなかった。お前はアンブローズが怪我をしていたらどうしていた?」
「療治魔法の備えは常にしてあるので治療を施していたと思います」
「他者を治癒する療治魔法にはフェムテラピアの枝が必須だよな。屋敷の者が巻き込まれて怪我人が大勢出ていたらどうしていた? お前はそれだけの備えをしていたのか?」
お父様の絶対零度の声が淡々と響く。先生は黙り込んでしまって沈黙が広がる。
「これだから経験の浅い若いのは嫌だったんだ。研究院には契約解除状を送る。不服はあるか?」
「ありません。この度は大変申し訳ございませんでした」
「待って!」
先生がやめさせられてしまう。思わず扉を開けたがお父様の剣幕が想像以上で反動で戻ってきた扉に隠れながら訴える。お父様の明るい琥珀色の目は瞳孔が目立って見えてとても怖い。
「私、ディーン先生から魔法まだ習いたいです」
「話すことがあるなら部屋の中に入ってきなさい」
「はい。ごめんなさい」
執務室に入りディーン先生の後ろに隠れる。まず自分の失敗について謝る。
「魔法失敗してごめんなさい。今度からは魔法がどう影響するか考えてから使います」
「私だけでなく外で後始末をしている者にも謝罪してきなさい」
お父様の視線が先生に移って私の話が終わってしまいそうになる。
「待ってください。私、今日初めてちゃんと魔法に興味持ったんです」
「今日、初めてなのか」
「魔法ってもっと地味で退屈なものだと思っていました。魔法に興味を持てたのはディーン先生のおかげなので、ディーン先生から勉強したいです」
先生を見るお父様の険が少し取れる。お父様は私に視線で外へ出るように促す。
「早く外へ行って片付けを手伝いにいきなさい」
「分かりました」
庭へ行って使用人に謝りに回って手伝いに加わりに行く。庭の片づけが終わるころにはもう先生は帰ってしまっていた。
結局お父様に先生をどうしたのか聞けないまま次の魔法の授業の日を迎えてしまい、落ち着かない気持ちで家庭教師の入室を待った。
授業開始時間になって入室してきたのは変わらずディーン先生だった。
「アンブローズ様、この前はありがとうございます。継続して家庭教師を続けられることになりました」
「本当によかったです」
自分の失敗で先生が大変なことになってしまうのはつらかったのでとても安心した。
「お礼に何か欲しい物があったらプレゼントしますよ」
「特にないです! 魔法を教えてください!」
「指導要領は守れと旦那様にきつく言われたからごめんね。しばらくはまた座学で教えます。でもそれが終わったら実践に移れるから、それまでは」
「お願い。ひとつだけ特別に教えて欲しいんです」
お父様に密告されたらかなわないのでクレメントに聞こえないよう先生を引き寄せて小さな声で言う。
「どんなお願いでも叶えられるすごい魔法を教えてください」
もし魔法がなんでもできるのなら私は早く女の子として生きていきたかった。私の切羽詰った表情を見て先生は淡褐色の目を丸くする。
「どんなお願いでもかぁ。でも魔法は万能じゃないんですよ。期待に応えてあげられなくてごめんね。そんな魔法があったらいいのにね」
不思議なことができる魔法ならなんとかなるかもしれないと思っていただけにがっかりした。けれど魔法への学習意欲は変わらず熱心に先生の話を聞いた。