96 どこかにあるユートピア
時計の針は残酷だ。
秒針君はスプリンターを自負している。一人称は『オイラ』だ。
「ヘイヘイ兄弟、まだそんな所にいるのかい? オイラがまた追い抜いちゃうぜ?」
一周ごとにそんな事を言いながら、長針君や短針君を抜き去っている。
しかし、彼は気付いていない。秒針君の一周は長針君の僅か一歩に等しいという事を。短針君に至っては、その一歩に遠く及ばないという事を。
だけど2人は秒針君になにも言わない。事実を告げたら、彼が走る事を止めてしまうから。
未来アリスの懐中時計を思い浮かべて、そんな事を考えながら、俺は全力で月の迷宮5層を駆けた。
直線の通路を走ると、数字の床があった部屋の入り口の前で未来アリスの手を振る姿が見えた。
「遅いわよ! 待ちくたびれたわ!」
その言葉に対し軽く手を上げて答えてから、凍った床の上でスライディングをした。
「うおおお!」
と思わず声を上げる程に床はよく滑った。走るよりもだいぶ速かった。
そのまま20メートルぐらい滑ると未来アリスに激突しそうになったが、
「風の加護でキャッチするわ!」
と言うと同時に強風を俺に向けて発生させ、突進力と相殺した。
「サンキュー!」
俺は天使の輪を浮かべてカーバンクルを従えている未来アリスの元で立ち上がり、一直線の通路の先に目を向けた。
「よし、だいぶ引き離したから余裕があるな! そろそろデュラハンが姿を見せるはずだ!」
『直線の通路でひたすら攻撃を浴びせる』
それが、俺の打ち立てた単純明快な作戦だった。
「発射までに10秒かかる狛犬でも、ここからならほぼノーリスクで4発ぐらいは撃てるはずだ!」
「私も射程に入ったら撃つわよ!」
「ああ、頼む!」
俺は通路の先を見ながら息を飲んだ。
飲み終えた瞬間、目の端に黒い鎧の姿が映った。
「出でよ狛犬!」
ワンワン!
俺は視線で狙いを定め、狛犬を使役した。
敵に迫られる中、ただ待つ10秒は永遠のようにも思えた。
ワオオオオン!
『永遠は言い過ぎだワン』と言わんばかりに、伏してデュラハンを見据えていた狛犬はライフルから撃ち出された弾丸のように超高速で飛んでいった。
「当たったの!? ここからではよく見えないわ!」
「感覚が教えてくれる! 文句なしのクリーンヒットだ!」
狛犬は狙い通りにデュラハンの腹部を貫いた。
だが、それでも放たれるプレッシャーやゆっくりと進む歩は止まなかった。
「出でよ狛犬!」
ワンワン!
二撃目は右足を狙った。
その結果、俺はデュラハンの高い学習能力を知る事となった。
「なっ……! マントで防ぎやがった……!」
感覚ではなく、視覚がその防衛反応を捉えた。
狛犬が右足を貫く瞬間、デュラハンは黒いマントを前方になびかせ、いとも簡単に超高速の狛犬を防いだ。
「出でよ狛犬!」
ワンワン!
それでも狛犬の使役を止めなかった。
迫るデュラハンまでの距離は20メートル程度、残るチャンスは多くて2回。チャンスがある限りは撃ち続けようと決めていた。
諦めたチャンスはすぐに裏返ってピンチに変わる。それは、元の世界で散々思い知った事だった。
「アイス・アロー!」
ズシャーー!
ワオオオオン!
狛犬が発射されると同時に、未来アリスはタイミングを合わせて氷の矢を撃った。
未来アリスも諦めるつもりは更々ないようだった。
まあ、こいつがなにかを諦めたら無機質な天井の月の迷宮に雪が降るか。
と考えた次の瞬間――
迫る狛犬と氷の矢に向けてデュラハンは巨大な両手剣を投げ放った。
「っ……!」
氷の矢は打ち弾かれ、狛犬はその両手剣を粉砕したところで還り、粉砕された両手剣の厚い刃は回転を加えたまま俺達へと迫った。
「出でよ玄――」
「ダメよ! 防御は私に任せてあなたは攻撃をしてちょうだい!」
事もあろうか未来アリスは俺の前に立ち、微動だにせずに迫る刃に視線を送り続けた。
その刹那、カーバンクルの額のルビーが赤い光を放った。
赤い光はビデオの巻き戻しのように刃を弾き返し、ウェポンスローの態勢のままでいるデュラハンの右手に突き刺さった。
「あなたは早くワンちゃんを!」
「ああ! これが最後のチャンスだ!」
どうせ最後ならフルパワーだ!
「出でよMAX狛犬!」
ワンワン! ワンワン!
デュラハンを視線で狙いMAX使役した瞬間、構えた先の月の迷宮の床に現れたのは2体の狛犬だった。
獅子のような犬。犬のような獅子。
少なくとも俺の目ではそう見える2体を目の当たりにしたと同時に、ショッピングモールのツゲヤでゲットした空想の生き物大百科を思い出した。
神門を護る狛犬は2体……そしてその名は――
「行け! 阿形! 吽形!」
ワオオオオン! ワオオオオン!
秒針君が10歩進んだのと時を同じくして、並んで身を低くしながら尻尾を振っていた阿形と吽形は超高速で飛び立った。
狙いは胸部の風穴と腹部の風穴の間。
しかし到達する刹那、またもデュラハンは黒いマントを正面になびかせて防御の態勢を取った。
「ぶち破れ!!」
効果の程は知れないが、思わず俺は拳を突き出した。突進力を少しでも底上げしたかった。
結果、阿吽の呼吸で迫った2体の狛犬は黒いマントごとデュラハンを貫いた。
と同時に、デュラハンの周りに直接発生した12本の氷の矢が、時計回りに1本ずつ黒い鎧に突き刺さっていった。
「フェンリルの技みたいだな……」
俺は未来アリスの魔法に対して感想を一つ。
「そういえばワンちゃん2匹いたわね! どっちも懐かしくて可愛いわ!」
未来アリスは俺の幻獣に対して感想を一つ。
「おつかれ!」
「おつかれさま!」
そして、自然と突き出されてコツンとぶつかる拳が二つ。
*
月の迷宮の長い通路。そしてそこに倒れているデュラハン。
その禍々しい黒い鎧と黒いマントを眺めていると、黒いモヤモヤが発生して全身を包んだ。
「また転生して、どこかに現れるのか?」
「ええ、ここで消えて、ここでは無いどこかに姿を現すわ」
「その度に強くなるのか……。ズルいな」
と言うと、未来アリスはメイド服のスカートから懐中時計を取り出し、同時に宝箱の中身が置いてある数字の床があった部屋へと駆け出した。
「タイムリープの時間ギリギリなのか? き、キッスはどどどどうする……?」
俺は濡れたマシュマロの感触を思い出した。
俺のユートピアはそこに存在する。バンダースナッチを封印している場所でもある。
「時間が無いわ! はい、あなたはこれを持って!」
と差し出されたのは短めの杖で、同じく宝箱に入っていた指輪は未来アリスのメイド服のポッケに投げ入れられた。
「指輪が必要だったのか。お前の時代には無かったのか? ……ああ、その時代のは更に未来のアリスが持ってったから無いのか」
割とお決まりのタイムリープの宿命かもしれない。
そう考えると、じゃあ最初に指輪を持って行ったのはどの未来アリスなのかと頭が混乱しそうになった。
「あったわよ? 2つ必要なの」
お前が最初か。
「いや、じゃあこの時代で後々困ったりしないのか!?」
「プリティーアリスには、もっと良い指輪をプレゼントしてあげてちょうだい!」
話がまるで見えない。
と、俺が存在しない物が見えなくて嘆いているなか、床に立っているブタ侍は確かに存在する魅惑のゾーンを直視していた。
「あああっ! おいアリス、スカートの中を覗かれてるぞ! ……くそっスマホは和室だ!」
証拠写真を撮って未来アリスに提示出来ない事を悔しく思っていると、床のブタ侍を氷が包んだ。
「ブタ侍ちゃん! 今度覗いたら氷結のお仕置きって言っておいたわよね!」
両手に腰を当てながら未来アリスは言ったが、無色透明の氷に全身を覆われたブタ侍には聞こえていないようだった。
「おお……。未来では既にブタ侍の悪事がバレてるのか……。ってかドロワーズを覗いてなにが面白いんだ……。こんなもんおパンツ様とは到底認められないってんだ」
「あなた、なんでドロワーズって知っているの?」
数秒後、俺は月の迷宮5層を彩る氷のオブジェとなった。




