95 走る走る俺達
ただひたすらに月の迷宮を走る。直線の通路を走る。
首無しの死ビトであるデュラハンから逃れる為に走る。全力疾走で走る。
途中で未来アリスが振り返ると、
「デュラハンいないわよ! とりあえず振り切ったようね!」
と言い、俺達は一旦その場で立ち止まって息を整えた。
「アリス、足速くなったな……。俺の全力疾走について来れるのか」
「え? 私、途中からは走っていないわよ?」
なに?
「床を凍らせて、スケートのように滑っているの。月の迷宮の整った床だからこそ出来る芸当ね」
未来アリスは水色のメイド服のスカートから伸びる足で、凍った床をトントンと叩いた。
「ずるいぞ! なら俺の足元も凍らせろよ!」
「構わないけれど、慣れないと転ぶわよ?」
と話していると後方からカシャカシャと金属の鎧が擦れる音が聞こえ、俺達は視線を合わせたと同時に再び駆け出した。
そしてすぐに滑って転んだ。
「痛っ……! おいこら! 凍らすなら凍らすって言え!」
「あなたが凍らせろって言ったんじゃない!」
言い合いはそこそこに、俺は差し伸べられた未来アリスの手を取り立ち上がった。
そして後方のデュラハンに視線で狙いを定め、目の前の床に向かって腕を構えた。
「出でよ狛犬!」
ワンワン!
「よし、走るぞ!」
身を低くして尻尾を振りながらデュラハンを見据えている狛犬の頭を撫でてから、俺は未来アリスとともに走り出した。
「ワンちゃん懐かしいわ! 暫くしたら飛んで行くのよね?」
「ああ、10秒後にデュラハンの胸元目掛けて飛んで行くはずだ」
「それで倒せるんじゃない?」
「いや、どうだろうな……。当たれば威力はありそうだけど」
俺は走りながら、未来アリスの足元を見た。確かに足が着く直前に床が凍っており、スイーっと滑っていた。
「威力はありそうって、ワンちゃんのダメージ計測していないの?」
「しようとしたけど発射までに10秒掛かるから、パンチングマシーンがファール扱いして1回分消費したんだよ……。って、お前も目の前で見てただろ」
まあ、俺からしたら昨日の事だけど、未来アリスからしたら7年前の出来事か……覚えてなくてあたりまえか……。
「思い出したわ! 確かあなた、『犬だけにワンアウトだな』ってドヤ顔で言ったわよね!?」
覚えていた。
「あれは、ワンちゃんの鳴き声と野球をかけて言ったのね!? 今わかったわ! 分かったけれど面白くないわ!」
散々な言われ様だ。
「まあ、18歳とはいえまだまだお前はガキだからな。高尚な笑いが分からんでも無理はない。ってか、部屋の入り口が見えて来たぞ」
言い切った瞬間、通路の後方から狛犬の鳴き声が聞こえた。
「ワンちゃん飛んで行ったみたいよ!」
「……ああ、今ヒットして胸を貫いた感覚が伝わって来たわ。でも倒した手応えはないな……。とりあえず部屋に入るぞ!」
そのまま走って小部屋に入り込むと、やや見慣れたモンスターが俺達が足を踏み入れるのを待っていたかのように、突として先制攻撃を放った。
「食人花か!」
俺は伸ばされた槍のような根をダガーで打ち弾こうと――
「無い!! 出でよ玄武!」
カメエエエエッ!
「なに!? なにが無いの!?」
「ダガーだ! 風呂に行く恰好のまま連れて来られたんだった!」
俺は光の甲羅で弾いた根に目を向けてから、食人花へと駆け寄った。
同時に食人花は花冠を傾かせ、奥に覗かせる口から眠りガスを吐き出した。
「うわっ! これ吸うとヤバイぞ!」
「そのまま駆けて!」
未来アリスの声を背中で聞いた瞬間、激しい追い風を感じた。
風は食人花の眠りガスを吹き飛ばし、同時に俺の身を僅かにだが加速させた。
「出でよ鎌鼬!」
ザシュザシュッ!
二撃の斬風が食人花を斬り刻んだ。と同時にフワリとジャンプをした未来アリスが俺を飛び越えて奥の扉へと走った。
「今の、風の加護か!?」
「そうよ! 因みに床を凍らせるのは水の加護と精霊術の合わせ技よ!」
おお……すげーな未来アリス……。
水の加護って……ウィンディーネの加護か?
色々と聞きたかったが、また聞いたこと以外をペラペラと喋られたら宇宙がヤバイと危惧し、俺はそのまま未来アリスの後を追った。
「あったわ! 階段部屋よ!」
扉を駆け抜けた未来アリスが言った。
「宝箱もあるな! よし、ブタ侍開けてくれ!」
「承知したYO! 開けBUTA!」
自動的に開き切るのを待たずに、俺は中に入っている物を取り出した。
「指輪と小さい杖があったぞ!」
未来アリスがどちらを必要としているのか分からない為、俺はその両方を左右の手に持って未来アリスに向けた。
その瞬間、階段部屋の外からデュラハンが奏でる鎧の金属音が聞こえた。
「よし、ギリギリ相手にしないで済んだな! ブタ侍、帰還魔法――」
「待ってちょうだい!」
突然、未来アリスが俺の言葉を制するように声を上げた。
「このままデュラハンを放置したら、過去に丸投げみたいで嫌だわ! やっぱり倒すわよ!」
「えええ……倒すって……。マジか?」
「マジよ! あなたとプリティーアリスに負担を押し付けたくないわ! 特権階級の先輩だもの!」
「い、意味分からん……。ってか、どっちにしろ俺には負担掛かるんだが」
言いながら、言葉とは裏腹に立ち上がり、俺は深呼吸を一つした。
18歳になって……しかも俺と離ればなれになってる様子なのに変わってないな……!
目の前の困難から逃げ出さないこいつを支えるのが、俺のこの異世界での存在価値だ!
なんたって、俺はアリスの軽く召喚獣なんだからな!
と考えながら、幼さを残している顔が放つ気の強い眼差しに相対した。
「じゃあ無双するぞ! 作戦会議の時間は4秒だ!」
*
「――これが作戦だ、分かったか?」
「分かったけれど、とっくに4秒過ぎているわよ」
「余計な事をツッコムな! ……来るぞ」
階段部屋の隅を指さしながら言うと、未来アリスは素直にそこに向かい、入り口から真っ直ぐ奥にいる俺に目で合図をした。
これがギリギリ俺と未来アリスの距離が5メートルを越えるポジションだった。
「出でよ青鷺火!」
グワァッ!
デュラハンが階段部屋に足を踏み入れた瞬間、青鷺火を使役し、デュラハンの俺への殺意を確実なものにした。
首から上が無いため眼を視る事は出来なかったが、一目散に俺へと迫り振り上げられた巨大な両手剣は、殺意をこれまでかと言う程に告げていた。
「アリス走れ!」
「了解よ! あなたも気を付けなさいよ!」
未来アリスが階段部屋の扉を抜けたと同時に、両手剣が横に払われた。
「っ……!」
俺は青い攻撃軌道を視てから躱そうとしていた。
しかし、赤く光って殺意を示す眼が無いからか、そんなものはいつまで経っても視えなかった。
「うおおおっ!」
俺はその薙ぎ払いを必死に屈んで躱した。完全回避の形となったのは、ただ運が良かっただけとしか言えなかった。
「くそっ……! 殺意を示す赤い光が視えないと、軌道予測も視えないのか!」
そのままデュラハンを注視すると、胸部の上の辺りに風穴を発見した。
「狛犬……感覚通り胸を貫いてくれたんだな……」
金属の鎧ごと体を貫いた狛犬に感動していると、間もなくデュラハンの二撃目が迫った。
それは鋭く放たれた蹴撃だった。
躱すか、防御の姿勢を取るか、体力を消費し過ぎて動けなくなる覚悟で玄武を使役するか。
はたまた、ひょっとしたら青い攻撃軌道が視えるんじゃないか。
それらの迷いは判断を遅らせ、結果としてなんの態勢も整えないまま肩に強烈な一撃を浴びる事となった。
「ぐはっ……!」
俺は月の迷宮の壁まで蹴り飛ばされ、反動で身体が前に崩れ落ちた。
「痛え……けど!」
前のめりになって倒れ込みそうになったのを利用し、俺はそのまま一歩を踏み出して全力で駆けた。
「出て来いや木霊!」
――来たで ――そうやで ――何させる気やで!?
そして階段部屋の扉を通過したと同時に3体の木霊を扉前に配置し、なけなしのデュラハンの足止めを行った。
「階段になったりアリスの氷の塊にも耐えるんだから、還るまでの数秒は即席の壁ぐらいにはなるんだろ!?」
――なんやて? ――壁やて ――しゃーなしにやで!
頼もしい木霊の言葉を脳内で聞きながら、俺は未来アリスが待っている場所へと急いだ。
「直線の通路! そこでデュラハンを倒す!」




