88 虎穴に入らずんば虎子を得ず
月の迷宮3層。
それは小部屋2つと通路のみで構成される、極めてシンプルな層と言えた。
そのシンプルな層の通路の行き止まりの壁をコンコンと叩いてみた。
「硬いな。やっぱ大理石だな」
「材質はどうでもいいのよ! スイッチのように押せる場所はないの?」
「ああ、そういう謎解き要素もあるのか……」
なるほどアリスの言う通りかもしれない。それなら怪しいのはなにもない2つの小部屋だろうか。
「ちょっと小部屋に戻って調べてみよう」
「そうね、なにかあるハズよ!」
俺達はそのまま来た道を戻り、小部屋の中に再び足を踏み入れた。
「怪しい場所はあるでござるか?」
アリスの頭上から地面に飛び降りたブタ侍が言った。
「怪しいって言えば怪しいとこだらけだな、壁や天井のランダムな直線が交差して色んな形の模様になってるし……。ってか」
俺は地面を走り出そうとしたブタ侍に手を伸ばした。
「お前はアリスの頭の上で座ってろ。もし、落とし穴的な罠があってお前が落ちたら帰還魔法で戻れなくなるだろ」
「そうでござるな。ではMy sweet honeyの頭上から陣頭指揮を取るでござる」
「誰がお前のだ! ってかなんで武士がネイティブ発音なんだよ!」
反論するブタ侍の竹刀の衝撃を手に感じながら壁を弄り回しているアリスの元まで歩くと、突然遠くから扉が開くような音が聞こえた。
「なんだ今の!? 最初の小部屋からか!?」
ブタ侍と顔を見合わせながら言うと、壁に手を当てているアリスが振り返った。
「ここよ! スイッチみたいになっているわ!」
「スイッチ!?」
壁から手を離したアリスの視線の先を見ると、壁を走るいくつもの直線が交差して小さな正方形の模様になっていた。
「押したのか?」
「押したわ!」
どうやら事後報告だったようで、その結果である音の正体を突き止めようと俺達は最初の小部屋へと向かった。
「……死ビトが湧いてるな」
「ハズレのスイッチだったって事かしら」
「かもな……。取り敢えず倒そう」
言いながら、俺は小部屋の入り口から死ビトへと視線で狙いを付けた。
「出でよ狛犬!」
ワンワン!
そして現る獅子のような狛犬。その新幻獣はサッカーボール程の大きさで、姿勢を低くして尻尾を振りながらジーっと獲物を見据えた。
「昨日ガチャガチャから出たワンちゃんね! やっぱり可愛いわ!」
「危ないから頭を撫でるな! そろそろ突進するぞ!」
発射までに10秒ほどのタイムラグがある狛犬は、地面限定だが木霊のようにある程度は好きな位置に出現させる事が出来る幻獣だった。
ワオオオオン!
「あっ! 飛んで行ったわよ!」
「ああ、死ビトの頭部を狙って出現させたから、一直線に頭部を貫いて……って、死ビト動きやがった!」
避ける気は無かったようだが、たまたま死ビトはフラフラと前方へ歩き、その後ろを超もの凄い勢いで狛犬が飛んで行った。
「出でよ鎌鼬!」
ザシュザシュッ!
俺は狛犬の無念を晴らすべく、死ビトの後ろから迫ってX斬りをお見舞いした。
「結局イタチちゃんなの!? ワンちゃんのクダリはなんだったのよ!」
「うるさい! せっかくまともな威力っぽい飛び道具をゲットしたんだから使いたいだろ!」
当たれば威力はありそうだけど、最初に狙った位置に飛んで行くだけだから使い辛いな……。
と考えながら、この小部屋の壁をグルッと見回した。
「ここにもスイッチみたいな正方形の模様あるか?」
「あったわ!」
と言うと同時にアリスがスイッチを押すと、その正方形の模様を含む壁の一部が光って扉のように形どり、ガチャっと大きな音を立てた。
「扉が出現したな……」
自動で開いた両開きの扉の奥を覗き込むと、突然視界に巨大な鉄の塊のような物が飛び込んだ。
「うおおお!」
思わず叫びながら顔を引っ込めた次の瞬間、目の前を風圧とともに鉄の塊が通り過ぎた。
「み……ミノタウロス!?」
思考より先に口に出た言葉の通り、巨大な鉄の斧を横に薙ぎ払った牛の化物が眼前で次の攻撃を繰り出そうとしていた。
「アイス・アロー!」
フワリと後方に跳びながら撃たれたアリスの氷の矢はミノタウロスの頭部を捉える瞬間、攻撃から防御に切り替わった鉄の斧に遮られた。
「アリス! もっと下がれ!」
「了解よ!」
小部屋の奥までアリスを下がらせ、壁に出現した光る扉から完全に姿を現したミノタウロスを注視した。
「で、でけえ……」
その3メートルほどの体躯はトロールと同程度だったが、巨大な斧と猛牛のような頭部が放つ威圧感はトロールを凌駕していた。
俺は腰のホルダーからダガーを抜くか一瞬迷った。
左手に逆手で持って防御に使うのが俺のスタイルだが、鋼鉄製のダガーでは強靭で常識外に太い腕が繰り出す斧と打ち合うのは無謀にも思えた。
その迷いが、俺の反応をコンマ数秒遅らせた。
ミノタウロスは俺の真横を駆け、アリスへと向かって斧を振り上げた。
「しまった……! 殺意を俺に示してないんだから狙いはアリスだった!」
その瞬間、ブタ侍がアリスの頭上から飛び跳ねた。
「くらうでござる! 豚・即・斬!」
水平に構えた竹刀から放たれた鋭い突きが、ミノタウロスの眼球へと迫った。
「目ん玉ちょうだいするでござ――」
しかしその一撃が眼球を捉える前に、ミノタウロスは振り上げた斧の柄でブタ侍を叩き落とした。
「アイス・チェーン!」
叩き落とされたと同時に、ミノタウロスの足元に左手を向けたアリスが新魔法を詠唱した。
次の瞬間、地面から氷の鎖が生え、ミノタウロスの右足に巻き付き動きを阻害した。
「ブタ侍ちゃん大丈夫!?」
と地面で転がるブタ侍の元へと駆け出したアリスだったが、ミノタウロスはすぐさま右足に力を込めて氷の鎖を打ち破り、再びアリスへと迫って斧を振り上げた。
「出でよ玄武!」
カメエエエエッ!
俺はアリスとブタ侍の前方まで駆け、振り向きざまに玄武を使役して光の甲羅でミノタウロスの強烈な一撃を弾いた。
「アリス、俺から5メートル以上離れろ! ブタ侍! アリスを守ってくれてありがとうな!」
「礼には及ばないでござる」
返事があった事に安堵し、俺はアリスとブタ侍が離れるのを確認してから青鷺火を使役した。
「出でよ青鷺火!」
グワァッ!
俺へと向けて羽ばたき青い炎を放った青鷺火が消えたと同時に、ミノタウロスは目を赤く光らせ殺意を俺に示した。
「こっからが本番だミノタウロス!」
昨日、アリスと草原で数体の死ビトを狩って分かった事。
俺の獣の眼は相手の殺意を視認し、その殺意を持つ相手の青い攻撃軌道までをも視る。
しかし全てが見える訳ではなく、俺が認識している攻撃方法のみに限定されるようだ。
「その横に薙ぎ払う一撃はもう見たぞ!」
言いながら、俺は既に視えているミノタウロスの薙ぎ払いを後ろに飛び跳ねて避け、風圧とともに巨大な斧が目の前を通り過ぎた瞬間、一歩踏み込んでミノタウロスの腹部に手を当てた。
「出でよMAX鎌鼬!」
ザシュザシュッッ!!
ミノタウロスの巨大な斧が放つ風圧。それよりも数段強い斬風が強靭な腹部を大X字に斬り裂いた。
ウガアアア……
そのままミノタウロスは斧を手放し、その落下音が小部屋に響くと同時に後ろに倒れて活動を停止した。
「実は3層に入った時点で視えてたぜ……。お前が倒れる瞬間をな……!」
俺はクルリと振り返り、後方で俺の強さに目を輝かせているアリスの元へと歩きながら呟いた。
「いてっ……」
そして転んだ。
「キメ切れない男……。視えてたって絶対に嘘よね」
「ついMAX使役しちまって足にきたわ……。でも長く戦いたくはない相手だったからな……」
俺は差し伸べられたアリスの手を取りながら、照れ隠しで微笑んだ。




