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79 獣の優しさ

「さよならってどういう事だよフェンリル!」


 パンパンに膨らんでいるアラクネは風船のようで、頭胸部から伸びている黒い老婆はサナギのようだった。


 そのアラクネの体内から直接脳に届くフェンリルの声は、いつも通り綺麗で落ち着いていた。


――時間が無いので手短に言う。心して聞くのじゃ。


 前置きから次の言葉までの間隔は、やはり短かった。


――アラクネは召喚士アリスを取り込んで自ら眠りにつくつもりじゃった。それは200年前にアメリアとともにアラクネを打ち破った時の繰り返しじゃ。


「そうなのか……」


――儂はその時、主人であるアメリアを護る事が出来なかった。黒い塊をどうする事も出来なかった。そうして血の契約は解除され、儂は大狼になった。しかし、今回は息子の嫁が召喚士アリスを護ってくれた。儂は2人続けて主人を失わずに済んだのじゃ。


 淡々と語るフェンリルだったが、所々で様々な感情が込められていた。


――召喚士アリスには礼を言っておいておくれ。儂の姿形に変化はなかったが、アメリアに負けず劣らず純粋な良いマナじゃった……。このまま召喚士アリスの召喚獣としてともに生きるのも悪くなかった。


「ああ……伝えるよ……」


――頼んだぞ。では、アラクネの黒い塊を破壊して完全に滅ぼすのじゃ。……心配いらん、毒の流出は内から儂らが抑える。


「心配いらんって……じゃあ、お前と嫁狼はどうなるんだ……?」


 少しの間、沈黙が訪れた。それを打ち破ったのは嫁狼の語りだった。


――私達は……そうね、天国に行く事になるわね。旦那が待っている場所へ。


「……知ってたのか。ごめん……旦那狼を天国に送ったのは……俺だ」


――知っているわ、旅立つ前に私の前に立ったもの。旦那も頼んだようだけれど、私達の赤ちゃんの事……お願いね。


「ああ……チビ狼の事は任せてくれ。……でもチビがいるのに……なんで何度も自分の命を投げ打ってアリスを護ってくれたんだよ……」


――美味しいお肉のお礼かしら。あとは……そうね、大狼は考えるより先に体が動いちゃうのよ。あんたもそうでしょ? でも後悔はしていないわ、心残りが無いと言えば嘘になるけれど。


「そうか……。ありがとうな……」


 としか言えなかった。


 俺はアリスの顔に目を向けた。フェンリルと嫁狼の語りは聞こえていないが、俺の喋っている事を聞いて察していた。


「嫁狼ちゃんに、私がおばあちゃんになって会いに行ったら、また背中に乗せて今度は天国を案内してくれるように言ってちょうだい……。あと、フェンリルにありがとうと……。フェンリルの教え子である召喚士アリスは、あなたを永遠に忘れないと……」

「ああ……分かった」


 俺は頷き、アリスのそのままの言葉を伝えた。

 フェンリルと嫁狼はアリスの想いにしばし黙り、それからフェンリルが再び語った。


――さあ、もう時間がない。早く黒い塊を打ち砕くのじゃ。……すまんな、巻き込むぞ嫁よ。

――いいのよお義母様。


 それが最後の語りだった。アラクネの内から毒を抑え込む為なのか、俺の脳内にはもう2人の言葉が響く事はなかった。


 俺は全身に力を込めて、なんとか立ち上がった。しかし、すぐに崩れ落ちてしまった。

 膝が震え、四肢は体温を失ったかのように冷たかった。

 

 だが、俺が出来なくても頼りになる仲間がいた。


「アナ! 俺は無理だ! あの黒いサナギを剣で砕いてくれ!」


 アナもまた、アリスと同様に察していた。

 まだ多少は麻痺が残っているようだが、右手で握っているヴァングレイト鋼の剣を構えながらアラクネに近づいた。


「任せろ」


 多くは語らなかった。色々な想いがあるはずだが、アナは短く言ってから剣を横に払った。

 黒いサナギが真っ二つになった瞬間、今度は縦に斬り、ヴァングレイト鋼の剣が鞘に収まったと同時に黒いサナギは跡形も無く消え去った。


「終わりましたね……」


 ボルサが呟いた。

 俺が黙って頷くと、アラクネの蜘蛛部分が僅かに光ってから消滅した。


「ありがとう、さようなら……」


 アリスが言った。表情は見えなかったが、肩を震わせていた。





「包帯が意味あるとは思えないんだが……」


 動けないのをいい事にアリスは好き勝手に包帯を巻き、俺の全身はアリスの芸術作品となっていた。

 ケガは治せても体力を回復させる効果はないので、幻獣のMAX使役を続けた代償で俺は未だ洞窟内で横になったままだった。


「あなたの足のケガ、包帯を巻いていなかったのに治りかけているわね。私の指はまだかさぶたにもなっていないわ」


 血の契約の際にフェンリルに少し裂いてもらった指先と、俺のふともものケガを見比べながらアリスは言った。


「ああ……。そういや村で寝てる時も、レリアと比べて俺のケガの治りは早かったな。逆に、マンドラゴラの影響はゴンザレスさんより俺の方が大きかったみたいだけど……」

「ウキキはアリスさんが無意識で召喚した人間なんですよね? なら、召喚獣のような体質が僅かながらあるって事じゃないですか?」


 ボルサは、アリスに巻かれた自分の腕の包帯の先を結んでから続けた。


「つまり自然回復が早く、逆にデバフには弱いとかですかね。まあ、それが召喚獣の体質かは知りませんが」

「急にゲーム用語が出て来たな。でも、確かに月の迷宮で食人花の睡眠ガスを食らった時も、ほんの少し吸っただけなのに効果絶大だったな……」


 ケガの治りは早く、弱体効果は人より多く受けてしまう。という事なのだろうか。

 メリットとデメリットを兼ね備えているようだが、しかし獣の眼も踏まえると軽く召喚獣である事はメリットの方が多いように思えた。


 いや、それ以前にアリスが無意識でも俺を選んでくれたおかげで、素晴らしい仲間と巡り合えた。

 それに、なによりアリスを護る事が出来る。この泣き虫ぱっつん前髪バカの傍にいてやれる事が出来る。


「言わずもがな……だな」


 と考えてから呟くと、右手がやっと少し動くようになってきた。

 俺は包帯で器用に作られた犬耳を自分の頭から外し、俯いているアリスの頭に乗せた。


 俺をこの異世界に召喚してしまった事の責任を重く受け止めているのだろう。犬耳アリスは無反応だった。


「アリス、俺はこの異世界に来れて良かったと思ってるよ。だから、顔を上げて笑ってくれ」

「え? ……ああ、その事? じゃあ、私にもっと感謝しなさい! 算数ドリル、私の代わりに解きなさいよ!」


 全然、重く受け止めていなかったようだ。


「代わりに解く意味が分からん……。って、じゃあなんで元気がないんだ?」


 俺がズバリ聞くと、膝に座らせているチルフィーのポニーテールを引っ張りながら再びアリスは俯いた。


「……私、守られてばかりだったわ。アナにもボルサにも、あなたにもフェンリルにも……。嫁狼ちゃんなんか私を庇ってアラクネに食べられて……」


 段々と溢れる涙はやがて下まぶたを突破し、頬を伝った。

 こんなに泣いて喉が渇かないのかと、俺は少々場違いな疑問を抱いた。


「全員、得意分野を活かしただけだろ。今回はたまたま、フェンリルを召喚中のお前を守ってフェンリルがアラクネを倒すって戦術だっただけだ。まあ、実際は超絶イケてる俺がカッコよくアラクネを倒したけどな」


 動くようになった左手を添えて、右腕を天井に向けて構えながら俺は言った。


「どこがカッコよくよ! 無計画に使役して動けなくなっているじゃない! 今後はちゃんと考えて使役しなさい!」


 アリスはムキになって言い返すタイプの表情になり、俺の胸にチョップをかました。


 本当は、もっと言ってやれる事があるのだろう。それなりに漫画やアニメや映画も見たので、少し考えれば相応の暖かい言葉は見付かった。


 しかし、アリスに誰かの受け売りの言葉を投げかけるのは嫌だった。

 そんな事をするぐらいなら、無言でモンゴリアンチョップでもかました方が幾分かは想いが伝わる気がした。


「ウキキ殿……冷たいな。こういう時はもっと暖かい言葉をだな」


 冷たいと言われた。


「そうなのよアナ! この人、基本的に私に冷たいのよ!」


 チルフィーのポニーテールを掴んでグルグルと回しているアリスが、同調してから続けた。


「でも、その中で見え隠れする優しさが大好き!」


 アリスは満面の笑みで俺の手を握った。


「ああ、俺もお前が大好きだ! だから早く涙を拭って、戦友達を弔って、嫁狼の忘れ形見を迎えに行こう! それが、俺とお前に出来る嫁狼へのせめてもの恩返しだ!」


 そう言ってから俺はなんとか上半身を起こし、アリスの手を強く握り返した。と同時に、周りから冷たい視線を感じた。


「やってらんねーであります……。イチャイチャしたいなら2人の時だけにするであります……」


 チルフィーが言った。


「大好きって……ウキキ、正直僕は引いています。この世界ならなんでもありって訳ではないですよ」


 ボルサが言った。


「あなた……やっぱりロリコン変態バカだったのね……」


 何故か敵に回っているアリスが言った。


「おい違う! Like的なやつだ、もっとフランクなアレだ! くそっ……ここは欧米的文化圏じゃなかったか!」

「アリス殿、今後はわたしの家で暮らそう。レリアもいるし楽しいぞ」


 俺が弁解をすると、アナがアリスの肩を抱いて洞窟の出口へと歩いて行った。

 全員がそれに続いた。いや、チルフィーは残っていてくれたようだ。


「このロリコンがっ! であります!」


 蔑んだ目で言うと、チルフィーまでもがアリス達を追って飛んで行った。


「俺はロリコンじゃない! むしろ、それを取り締まる側の人間だ!」


 俺の虚しい叫びが、洞窟内で反響した。



――召喚士アリスを頼んだ。うぬらの行く末、どこまでも見守っておるぞ。



 不意に、フェンリルの綺麗な声が耳から入り脳に響いた。


「ああ、任せとけ!」


 俺はその空耳を脳内のフォルダーに永久保存し、よろけながらも立ち上がってみんなを追い掛けた。


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