8 その風景を物として残したく
「待たせたわね! さあ着替えも済んだし冒険よ!」
和室の引き戸が大きな音とともに開いた。
その中央で、テナントでゲットした服を着たアリスが仁王立ちしていた。
先程までは長めの黒いスカートだったが、今は黒のショートパンツを穿いていた。相変わらず黒いタイツが素足を隠している。
しかし畳の上に脱ぎ捨ててある黒いタイツを見る限り、さっきまでの物とは違う新品のようだ。
上は英語の文章が書いてある赤いTシャツを着ている。少し肌寒くも見えるが、無駄に動き回るアリスにはそのぐらいが丁度いいのかもしれない。
今までのお嬢様ファッションと違い、今度のは元気で健康的な女子小学生ファッションという感じだった。
そういう意味では、等身大のアリスを表す服装かもしれない。
動きや表情や言動によって幼女に見えたり、小学生に見えたり、中学生にもたまに見えたりするアリスの等身大のファッショ――
「いつまでニヤニヤと眺めているのよ!」
いつの間にか背後に回っていたアリスが、俺の背中を背伸びしながらチョップした。
「誰がニヤニヤするか。それに少し舌っ足らずのお前がニヤニヤって言うと、猫にしか聞こえないぞ」
「に、ニヤニヤ……ホントね! 新たなチャームポイントの発見だわ!」
猫のポーズをして何度も繰り返すアリスを放っておき、俺はバックヤードの戸を押し開けてジャオンの店内に出た。
これからいよいよ外を探索するのだが、外といってもショッピングモールの周りを少し歩いてみる程度と俺は考えていた。
しかし昼食時に生鮮食品の有効活用法をアリスが言い出して、半ば強引に探索範囲が広がる事となった。
「カゴは持ったの? 私が一つ持つのだから、あなたは五つは持てるんでしょ?」
少し遅れてバックヤードから出て来たアリスが、置いてあるカゴのうちの一つに手を伸ばした。中には賞味期限切れの肉や魚が入っている。
「五つは無理だな、残りは夕食で食えるだけ食うよ。少しくらい賞味期限切れてても大丈夫だろ」
「私は食べないわよ? おなか痛くなったら嫌だもん」
「そうなったら噴水の水の効果が検証できそうだけど、お前は無理しないでいいよ」
俺はリュックの口を広げ、中を覗き込んだ。
中にはペットボトルに入れた噴水の水や、ビイングホームでゲットしたナイフが入っている。
刃物の扱いにはあまり自信がないが、丸腰よりはマシだろう。腰にぶら下げたホルダーにも、同じ物がもう一本入っている。
「じゃあ行くわよ! まずは狼の住処にお裾分けね!」
「わざわざ襲われに行くようなもんだけどな……。ってかアリス、俺も着替えたの気が付いてたか? ファッションチェックしていいぞ?」
「ジーンズにシャツね」
「正解だ!」
アリスに正解の商品でなにか面白い物をプレゼントしようと考えながら、俺たちはジャオンを出て北メインゲートへと向かった。
カゴ四つはさすがに重かったが、先程置いてあるカゴの中で一番重たい物に手を伸ばしたアリスの心遣いを見習い、グダグダと文句を言わずに持って歩いた。
「重くてもう歩けないわ! もしかしてこれ一番重いんじゃない!?」
アリスがグダグダと文句を言った。
*
北メインゲートを出て、狼の住処へと俺たちは向かっていた。
「そういえば、あなた昨日ドヤ顔で今日は雨だって言っていなかった?」
「言ってない」
「言ったじゃないドヤ顔で!」
アリスが俺の背中をチョップしながら語尾を強めた。
「言ってないものは言ってない。ってかお前チョップ気に入りすぎだろ」
「この手の動きは園城寺流にないものなのよね。気に入ったわ」
「なんだよその怪しい流派は……護衛術みたいなもんか?」
「ええそうよ! 園城寺家の帝王学の一つよ!」
初めてまともにショッピングモールの外を歩いているにしては、緊張感が少し足りないかもしれない。そう考えていると、気付けば狼の住処にだいぶ近い所まで来ていた。
俺たちは一度立ち止まり、注意深く観察した。
緩い丘の上の岩場には所々に穴倉があった。中にあの大きな狼がいると思うと、とてもこれ以上は進む気にはなれなかった。
「この辺でいいだろ。カゴ置いてずらかるぞ」
「まだ遠いじゃない! もうちょっと近づかないと狼を見れないわよ!」
「見たくねーんだよ!」
「はあ……。また私をガッカリさせたいのね……」
「させたくないっす!」
「じゃあもう少し進むわよ」
「はい!」
ついノリ良く答えてしまったが、確かにまだ距離があるので大丈夫だろう。と思い、先行しようとするアリスを追い越して少しずつ慎重に進んだ。
暫くすると、深く生い茂る草むらの奥に池が見えた。北メインゲートからではその存在しか確認できなかったが、水は透き通っていてきれいに見える。
その池のほとりで、一匹の狼が水を飲んでいた。
「あれどの子かしら?」
「どの子とかねーよ!」
「あっ、こっち向いたわ! 行くわよ!」、狼の視線に導かれるようにアリスは駆け出した。
「待てアホ!」、俺は直後に宙を舞うアリスの長い後ろ髪を咄嗟に掴む。
そのまま下半身だけが少し進み、アリスはおかしな体勢と必死の形相で振り返る。
「痛いじゃない! なにするのよ!」
「シーっ! 大きな声を出すなバカ!」
俺は手のひらでアリスの口を塞ぐ。
そのまま池の狼に目を向ける。特にこちらを気にする様子もなく、再び池の水を飲み始める。
ホッと一安心していると、アリスが俺の手をおもいっきり払いのける。
「息が出来ないじゃない!」
「いや鼻でしろ鼻で! とにかくこれ以上は危険だ、戻るぞ」
「わかったわよ、じゃカゴ置いて戻るわよ!」
俺とアリスはカゴの中の生鮮食品のパックを少し乱暴に開け、肉や魚をそのままカゴに投げ戻した。そしてカゴを残し、アリスの手を引っ張ってその場を後にした。
「ちゃんと食べるのよー! きっと美味しいわよー!」
「叫ぶなアホ! お前は餌付けでもするつもりか!」
去り際に住処に向かって手を振りながら、アリスは叫んだ。そのバカの腕を掴み、来た時の倍のスピードで俺たちは北メインゲートまで戻ってきた。
俺はペットボトルのお茶を飲み、ふうっと大きく息を吐いた。緊張からか、おろしたてのシャツの脇の下の辺りには大きなシミが広がっていた。
「アリスも飲むか?」
リュックからアリスのお茶を取り出し、手渡した。
「ええありがとう」とアリスは言った。「でも悔しわね、あの穴の中まで行きたかったわ」
「悔しがる意味がわからん……あのなアリス、もう少し慎重に行動しようぜ? いくら楽しい異世界冒険と言っても……ってどこ行く」
「ショッピングモールの周りを歩くんでしょ? 行くわよ!」
「そうずんずん先を歩くなよ、せめて俺の後ろからついてきてくれ……」
そう言いながらアリスを追い抜き、俺たちはショッピングモールの周りを時計回りに歩いた。
半分ほどになったお茶を二本ともリュックに入れていると、またアリスが突然駆け出した。
「見て、鳥があんなにいる!」
アリスが指差す方向には狼の住処にあったのと同じくらいの大きさの池があり、そこには様々な色の鳥が数多くいた。
様々な色というのは本当に様々な色だった。虹から落ちてきたような赤青黄緑白黒の鳥が、画用紙に適当に垂らした絵の具のように散らばり、水浴びをしていた。
「なんだか、色紙で作った紙絵が動いているみたいね」
アリスは俺が思ったのとは別の表現で、その美しい風景を言葉にした。
「どれもハトぐらいの大きだな……鳥類図鑑も見たくなってきた」
「後でツゲヤに行く?」
「そうだな」
俺は頷きながら、リュックからスマホを取り出した。そしてカメラモードにして、その風景を写真に収めた。
「おいアリス……なんで写真の真ん中にお前がいる」
「きれいな風景と一緒に私を写してちょうだい!」
「まあいいか……せっかくだから、今後もこの異世界の景色を写真に撮るか。こんなきれいなんだから、物として残さないと勿体ないよな」
「いいわね! 元の世界に戻ったら自慢できるわよ!」
アリスはスキップっぽい動きで先へと進んでいった。スマホをジーンズのポケットに入れて、俺はアリスを追い抜き再びショッピングモールの周りを歩いた。
100メートルほど歩くと、東メインゲートが視界に現れた。
外から見ると、同じメインゲートでも北の物とは形が違う事に気が付いた。
ホームセンターのある東メインゲートなので、その分広くしてあるのかもしれない。
「ゲート寄るの? 開かないんじゃない?」
「ああ、外から開けようとしても開かないかの確認だよ」
厚いガラスのドアに近づき、俺はステンレスの取っ手を掴む。そして思い切り力をこめて引っ張る。
「……開かないな、まあ当たり前だけど」
もう一度、今度は何度も繰り返して小刻みに引いてみる。よくある様なドアと違って、音すら立たずに密閉されている。
「私のアイス・アローで強引に開けてみる?」
「開けてみねーよ! そもそも開いて欲しくないんだよ!」
簡単な検証の結果、普通に開けようとしてもまず無理だが、強引に入ろうとすればいくらでも方法はあるだろう。という至極当然な結論に落ち着いた。
「ちゃんと戸締まりしたし、心配いらないんじゃない?」
「ああ……搬入口やシャッターも全て閉めたから、見落としがなければ常識のある普通の人間には入れないな」
俺はわざと含みのある言い方をしたが、アリスはそれに反応せずにメインゲートを離れて歩き出した。
木の板や店舗にある鉄製の棚などをバリケードにしようかと考えた。だが、強引に入ろうとする者に対しては、その信用のおけない安心感は逆に油断を招いて危険かもしれない。
この異世界ではそんな者に対して、ちっぽけな物理的バリケードなどなんの役にも立たないだろう。
「侵入者を防ぐ結界を張るから下がっていろ! とか言って、魔法陣でも描いてくれる賢者様こねーかな……。ってアリス待て、先行するなって!」
少し離れたアリスを追いかけると、鼻の先を突然の雨が濡らした。
「雨だぞ! だから降るって言っただろ!」
俺はそのままアリスの元まで走り、北メインゲートまで急ごうと促した。
雨は勢いを増してきた。
何も知らない異世界の雨は、あるいは水の形状をした寄生虫かもしれないし、巨大な龍の涙かもしれなかった。いずれにせよ、あまり長い時間打たれる気にはならなかった。
「異世界でもホントに雨って降るのね! 虹出るといいわね!」
「はしゃぐなよ……急いで戻るぞ。シャツ貸してやるから頭に被せろ」
「大丈夫よ、いらないわ!」
「いいから被せとけ!」
羽織っていたシャツをアリスの頭に被せ、そのまま俺たちは走った。
気温が下がったのか、Tシャツ一枚だと少し肌寒く感じた。
「もう少しで北メインゲートだ、結構濡れたな」
「そうね、服が濡れてベトベトよ! シャワー浴びたいわ!」
「熱いシャワーがいいな、お湯を沸かして風呂も――アリス止まれ!」
北メインゲートの辺りに何かがいる。それは強烈な違和感として俺の脳に突き刺さる。
複数の人影――雨に視界を遮られているが、雨宿りをしようとする善良なものにはとても見えない。
「誰かいるの!? 異世界人かしら!」
「わからん………2、3、4人いるぞ」
その場で立ち止まり、俺は人影を注視する。
それらはこちらに気が付き、声も上げずに向かってくる。
「アリス、俺の後ろにいろ!」
俺は腰のホルダーからナイフを抜く。
慣れないながらに握りしめていると、こちらに近づいてくる者達の姿がはっきりと雨の中に浮かび上がる。
「なんだこいつら……。まるで……」
次の瞬間、それらは一斉に襲い掛かってきた。