78 蜘蛛の糸
アラクネが7本しか残っていない足の1本を俺へと伸ばした。
俺はその青い攻撃軌道をよく見た。左から迫っているが、直前で浮き上がって俺の頭部を貫くつもりのようだ。
ダガーはもうないので、俺はその足を屈んで避けた。
軌道が見えているとは言え、その行為はとてもじゃないが余裕とは言えなかった。
何度かそのように避けながら攻撃のタイミングを窺っていると、急にアラクネはアリスへと向けて足を伸ばした。
その軌道予測は見えなかった。どうやら自分に向けられる攻撃しか見えないようだ。
しかし、その足はアリスには届かなかった。
フェンリルの爪撃によって軌道を変えられ、蜘蛛の足は洞窟内の岩を砕いた。
それと同時に、フェンリルは6本の巨大な氷の矢をアラクネへと向けて飛ばした。
俺もその射撃に合わせてアラクネへと駆け寄り、1本失いながらもバランスを保っている蜘蛛の足に触れた。
「出でよ鎌鼬!」
ザシュザシュッ!
俺の鎌鼬は蜘蛛の足を斬り、フェンリルの氷の矢は蜘蛛の頭胸部を捉えた。
その瞬間、アラクネの目は赤い光を失った。
「くそ……MAX鎌鼬じゃないと切断出来ないか……。フェンリル! 殺意がそっち向いたっぽいぞ!」
「分かっておる」
俺とフェンリルとの間に、それ以上の会話はいらなかった。お互い言葉を発さずに立ち位置を代わり、今度はフェンリルがアラクネの攻撃を避ける事に集中した。
「私は大丈夫だから、あなたも攻撃してちょうだい!」
アリスの前に立つと、頭の上の輪を光らせながら言った。
その光は少し弱まり、アリス自身もかなり疲れているようだった。
「大丈夫か? マナを供給し続けてると疲れるんじゃないか?」
「へっちゃらよ! と言いたいところだけれど、もうあまりもたないかもしれないわ」
「そうか……じゃあ早く倒さないとな!」
と、俺がアラクネに向かって駆け出そうとすると、急に俺達に向かってアラクネは足を伸ばした。
それはフェンリルにも迫っており、ここにきてアラクネは同時攻撃を繰り出して来たようだ。
「焦ってる証拠か!?」
俺は軌道予測が見えるのを待ってからアリスとともに避けようと、アリスの肩を引き寄せた。
しかし、直前になっても青い軌道は見えなかった。
「うおっ! やばい!」
見えると思い込んでいた為、反応が遅れた。
すると、アナが俺達の前に立ちヴァングレイト鋼の剣を構えた。
「ハアアアッ!」
と気合を入れてアナは剣を振るったが、蜘蛛の足は軌道を変えてそれを避け、アリスの右側から迫った。
その刹那、血が舞った。
「ボルサ!」
蜘蛛の足は、体を張ったボルサの肩に抉るように突き刺さった。
「ボルサ大丈夫!?」
アリスが崩れ落ちそうになっているボルサの体に触れた。
「アリスさん……僕は大丈夫ですから、フェンリルに集中してください。ウキキ……アリスさんは僕とアナさんで守るので、アラクネをお願いします……」
「……了解した!」
俺は駆け出した。振り返らなかった。
ボルサを信じて、今はアラクネを倒すことに集中した。
フェンリルに目を向けると、直接脳内に声が響いた。
――青い軌道は、相手が目を赤く光らせ殺意を向けている状態でなければ視えない。
そういう事は早く言え! ……ってか、もうアリスがいっぱいいっぱいだぞ! 早く倒さないと!
――分かっておる。次で決めるぞ、うぬは上から狙え。
フェンリルはそう語ると、アラクネの周りに直接氷の矢を発生させた。3本しかなかったが、それでもアラクネは焦りの表情を浮かべた。
「最後の突撃でありますね!?」
「ああ、行くぞチルフィー!」
俺はチルフィーと拳を突き合わせてから駆け出し、前方に腕を構えた。
「出て来いや木霊!」
――出たで ――そうやで ――ダルいで
「ダルいのかよ! そう言わずにまたサポート頼むぞ!」
木霊の階段を配置し、それに跳び乗ってから俺は空中を駆けた。
そして3体目の木霊が頭を突き上げた瞬間、それに合わせてジャンプをした。
「っ……!」
幻獣のMAX使役が祟ったのか、思うように足に力が入らずアラクネの上を取る程の上昇力を得られなかった。
と同時に、フェンリルの3本の氷の矢がアラクネを捉えた。アラクネはそれを両手に張った蜘蛛の巣で防いだが、ネットに飛び込んだのは12時方向の1本のみだった。
アラクネが奇怪な絶叫を上げた。その瞬間、フェンリルの頭上の輪っかは光を失った。
「チルフィー! 風の加護だ!」
「了解であります! 加護発動であります!」
フェンリルが作ってくれた、アラクネを倒す最後のチャンスだった。
俺はチルフィーの風の加護で更に上昇し、アラクネの上から腕を構えた。
「出でよMAX狐火!」
ボオオオオオオオォォォ!!
「からの……出でよMAX鎌鼬!」
ザシュザシュッッ!!
俺は出し惜しみをせずに、フルパワーで狐火と鎌鼬を使役した。
火炎はアラクネの全身を焼き、二撃の斬風はアラクネのアメリア部分をX字に斬り裂いた。
断末魔は無かった。
「さようならじゃ、アメリア……」
代わりに、大狼に戻って光の輪が消えているフェンリルの小さい声が聞こえた。
アメリア部分は光とともに消滅した。
アラクネは元の蜘蛛単体に戻ると、そのまま脚を折って勢いよく倒れ込んだ。
俺は自由落下のなか、それを確認した。
せめて足から落ちたかったが、体が全く動かなかった。
チルフィーがなにかを叫びながら、俺を浮かばせようと必死に引っ張っていた。
悪いなチルフィー……後先考えずにMAX使役しちまった……。
ほら……もうちょっと気合入れて引っ張ってくれ……って、無理か。
「あの程度の高さからすら、まともに着地出来んのかうぬは……」
俺を空中で引っ張り上げたのは、やはりフェンリルだった。
いや、必死に頑張ってくれたチルフィーの浮力と合わせて、2人のおかげで俺は地面に激突せずにすんだ。
しかし、俺がそのお礼を言う前に、ボルサが驚愕の表情で声を上げた。
「アラクネが……」
フェンリルを含めた全員の視線が、アメリアに代わって現れた老婆に向いた。
蜘蛛部分はまるで巨大な風船のようにり膨らんでおり、貫いた部分からシューっと空気を漏らす音を鳴らした。
その瞬間、アラクネの蜘蛛部分の口が大きく開き、太い糸を吐き出した。
「アリス! 危ない!」
体が動かないので、俺は思い切り声を上げて注意を促した。
しかし、アリスも同じく疲弊しており、その糸を避けるための動作を行えずにいた。
――やっぱり、最後はこう来たわね。
アリスの前方で宙を駆けている嫁狼が語った。
アリスを狙った太い糸は嫁狼に一瞬で巻き付き、そのまま蜘蛛の口まで引っ張って運んだ。
その嫁狼を追い掛けた者がいた。大狼に戻ったとはいえ、まだまだ大きな白い体のフェンリルだった。
フェンリルは、自ら嫁狼とともに蜘蛛の口の中に飛び込んだ。
次の瞬間にはアラクネの老婆部分は段々と黒くなり、俺の乏しい語彙で言うところの黒いサナギへと変わった。
「嫁狼ちゃん! フェンリル!」
アリスが真っ先に叫んだ。
俺もボルサもアナも言葉を失っていた。
「どうするでありますか!」
アリスの周りを飛び回っているチルフィーが言った。
誰もその問いに答えられずにいると、俺の脳内にフェンリルの言葉が響いた。
――さようならじゃな。
倒れている俺の脳に直接響いたフェンリルの言葉は、別れの挨拶だった。
とても綺麗で澄んだ声の挨拶だった。