67 犯人
「アリスさんとアナさんが翔馬でショッピングモールに……」
ボルサがメガネに手を当てながら俺の言葉に反応した。
「ああ。心配だけど、確かに甥のケガも酷そうだったしな。アナが付いてるから大丈夫だと思うけど……」
俺は集会所の一室で歩き回りながら言った。
ボルサとゴンザレスさんと今後の対策について話し合っている最中だった。
「落ち着くんじゃウキキ。もう何周も机の周りを回っておるぞ」
ゴンザレスさんに腕を掴まれ、俺は足を止めた。
そして頭を冷静にし、先程聞いた森で起こっている事を頭の中で復唱した。
アラクネ……旦那狼も言っていたその名は、森の奥の祠に封印されていた蜘蛛の怪物……。
その封印の元となっている結界は、昨日ミドルノームとファングネイによる二国間連合のチームが確認した時は無事だったようだが、今日の朝には結界が破壊され封印が解かれたらしい。
『朝、蜘蛛が森を徘徊してました』
それが封印が解かれた証拠らしく、その破壊された結界の確認に向かったファングネイの兵士がまだ戻って来ないとの事だった。
それも心配だが、聞いた内容に俺達が見た森の上空に昇る煙と、死ビトが村に溢れていた理由は含まれていなかった。
俺を乗せて森を走っていた時、旦那狼は『森の中まで死ビトが入って来るのは珍しいな』と言っていた。
そのうえ、村の中にまで死ビトは入って来ている。その2つの出来事は、ただ1つの真実を俺に告げていた。
死霊使いが死ビトを操ってるな……。
それは明白だった。死霊使いは、まるで純白のシーツに垂らされた一滴の墨汁のようにその存在を誇示しているように思えた。
先日アナ達の馬車が襲撃された際に殺された男の他にも、死霊使いはいた事になる。
問題は、その人物が外にいるか内にいるかという事だった。
俺は何気なくボルサをトイレに誘い、その事を廊下で話した。
疑っている訳ではないが、まだゴンザレスさんの前で話す程、彼の事を信用していなかった。
「死霊使いですか……確かにそうとしか思えませんね」
「ああ……。誰か怪しい奴はいないか?」
「誰が怪しいかは分かりませんが、村の住人以外で訪れているのは……」
ボルサはそう言うとトイレに向かい、用を足しながら続きを述べた。
どうやらトイレの誘いを素直に受けた事に嘘偽りは無かったらしい。
村に訪れているミドルノームの人間は、領主代理とその甥、それとアナ、ゴンザレスさんの4人。
そしてファングネイの人間は、ボルサと先程見たケガをした長身の兵士、それと結界の確認に向かっている兵士の3人という事だった。
レリアはアナの弟子でありながらファングネイの人間なので、俺とアリスとチルフィーと同じく部外者という事にしておこう。それとレリアの従者も含めて、5人の部外者も森に訪れている事になる。
その12人のうちの誰か……まあ俺とアリスとチルフィーは除いて、9人のうちの誰かが死霊使いという事になる。もっとも、村に訪れた誰かが犯人。であればという前置きが必要ではあったが。
「なにか分かりましたか?」
とボルサが聞く。
「いや、なにも分からん」
と俺は答える。
そうして廊下を歩いて再び部屋に戻ると、ゴンザレスさんの姿が無かった。
それに気が付いたと同時に、集会所の外から悲鳴が聞こえた。
うわああああああ!
それは、男性のものだった。
*
「何事ですの!?」
集会所から出て来たレリアが、外に出て状況を確認している俺に聞いた。
「分りません……。男性の悲鳴でしたよね」
落ち着いているように見えるボルサが代わりに答えると、上空から再び悲鳴が聞こえたと同時に重量感のある物体がボトッと音を立てて地面に激突した。
人だった。
「死んでる……」
空を注視しながら駆け寄り、俺は脈を取ってから言った。
その場にいる全員が息を飲んだ。カボチャのゴムで結んでいるレリアの薄いピンク色の髪が風で舞った。
次の瞬間、三度男の悲鳴が上空で響いた。
うわああああああ!
「屋根の上だ!」
その悲鳴の主は集会所の瓦の屋根をノソノソと歩き、俺達にその異形の姿を見せた。
「蜘蛛……アラクネか!?」
俺達はその乗用車程の大きさの蜘蛛を前に立ち尽くした。恐らく、ボルサもレリアも考えている事は俺と同じだった。
蜘蛛が人間の悲鳴を真似てたのか……!?
その悪趣味な蜘蛛の行動の意味を考えた。考えたが、すぐに止めた。
そんな事は無意味だった。まずは、蜘蛛をなんとかしなくてはと頭を切り替えた。
俺は動き出し、蜘蛛の次の行動を予測した。
「2人ともボサっとすんな! 狙われてるかもしれないぞ!」
蜘蛛のおぞましい8つの目は俺に殺意を示してはいなかった。となれば、俺以外の誰かを狙っている可能性があった。
俺は無防備なレリアの元へ駆け出した。
それとほぼ同時に、蜘蛛は屋根から飛び降りレリアに向かって先端が銛のようになっている足を伸ばした。
「出でよ玄武!」
カメエエエエッ!
50パーセントの確率は的中した。
ボルサには悪いがレリアを護る事を優先した俺は、蜘蛛の伸ばされた足を玄武の光の甲羅で弾いた。
体力の消費が多い為あまり玄武のシールドを多用したくは無かったが、なにが起こるか分からない蜘蛛の初撃をダガーで受ける気にはならなかった。
「レリア、戦えるか!? 無理なら集会所に入れ!」
蜘蛛から目を離さずに俺は言い、返答を待たずに右腕を構えた。
「出でよ狐火!」
ボオオォォォ!
火炎を放射すると、蜘蛛は素早く飛び跳ねて躱した。
「剣閃!」
その蜘蛛の弧を描くジャンプの軌道を目で追い掛け、着地予想地点に剣閃を放った。
質量を持つ一文字の閃光は屋根に上がった蜘蛛の胴体を斬った。が、やはり致命傷を与える程の威力は無かった。
「……よし、殺意が俺に向いたぞ! レリア、中距離幻獣で攻撃出来るか!?」
俺が体内に住まわす幻獣では屋根の上に立つ蜘蛛を攻撃する事は出来なく、俺はレリアのイエティやユニコーンの登場を待った。
しかしレリアは顔色を変えながら小刻みに体を震わせており、俺の言葉に反応する事はなかった。
「おいレリア! 大丈夫か!?」
俺が軽くチョップをしながら言うと、やっとレリアは目の焦点を俺に合わた。
「く、蜘蛛……。蜘蛛……ヤダあああ! 蜘蛛は嫌ですわ!!」
「蜘蛛が苦手なのかよ! じゃあ集会所の中で隠れてろ!」
と促すと、まるで集会所がレリアを招こうとしたかのようにタイミング良く引き戸が開いた。
「ウキキ、何事だ! まさか蜘蛛が村に入って来たのか!」
クワールさんが剣を抜きながら言うと、その後ろからゴンザレスさんやレリアの従者やソフィエさんまでが集会所から出て来た。
「そうです……蜘蛛ってかアラクネです! 集会所の屋根にいます!」
指さして全員の視線を屋根の上に誘導すると、蜘蛛は赤く光らせる目を元に戻してから8つの足を屋根に強くめり込ませた。
砕かれた一部の瓦が屋根から落下した。その一番先頭が地面に激突して砕けると、ゴンザレスさんが声を上げた。
「蜘蛛が……蜘蛛を産んでおるぞ……!」
それは見る見る間に増え、集会所の屋根一面がサッカーボール程の小蜘蛛で埋め尽くされた。
「ヒッ……! 蜘蛛は嫌ですわ!!」
と、わめくレリアを抱き寄せた。クワールさんの隣で呆然としているソフィエさんも、シュシュを着けている両腕を震わせていた。
「ウキキ! 死ビトが集まって来てます!」
なっ……! 死ビトまでっ……!
叫んだボルサの後方を見ると、10数体の死ビトが井戸のある広場からゆっくりと近づいて来ていた。
「まだあんなにいたのか……いや、また森から入り込んで来たのか?」
とクワールさんが言うと同時に、小蜘蛛を産み終えたアラクネが屋根の上で吠えた。
ワオオオオオオオオオオン!
今度の声真似は、狼のものだった。




