64 疾風
疾風迅雷。
俺はそんな四字熟語を頭に浮かべながら、旦那狼の背中に乗って通り過ぎる森の景色を眺めていた。
森では死ビトが何体か彷徨っていた。
目的もなくただ虚ろな目で歩いている様は哀愁が漂っており、俺達に気が付いてからゆっくりと歩いて向かって来る姿は滑稽とも言えた。
追いつけると思ってるのか……。
その死ビトが視界から消えると、俺を乗せて森の岩肌の下を走っている旦那狼が語った。
――森の中まで死ビトが入って来るのは珍しいな。
「そうなのか?」
――ああ。森は高い木々のおかげで雨の影響が少ないからな。
「なるほど……。だから不便でも森の中の村で暮らしてるのか」
――まあ、円卓の夜になればそんな事はお構いなしだけどな。
不意に、旦那狼が高く跳んで大きな水溜りを避けた。
後ろを走っているアリスを乗せた嫁狼は、旦那狼よりも更に高く跳んで水溜りの上を駆けていた。
着地する姿を確認してから、俺は旦那狼に気になっていた事を聞いた。
「なあ、俺がお前らと少しは同じって、どういう意味なんだ?」
――そのまんまの意味だ。お前からは召喚獣の気配を感じるぞ。まあ、どうやら違うみたいだが。
「俺から召喚獣の気配……」
――違うみたいと言うか、気配が薄いと言うか、まあ一言で言うなら軽く召喚獣じゃないかお前? って事だな。
「俺が、軽く召喚獣……?」
――お嬢ちゃんとお前の主人と従者の関係って、そういう意味じゃないのか?
「アリスが召喚士で、俺が召喚獣って事か? いや、アリスはそういう意味で言ってる訳じゃないけど……」
――そうか。まあ、お前からは幻獣の気配も感じるからハッキリとは分からん。母なら分かるだろうけどな。
「母って、あの一番大きい狼か?」
――ああ、そうだ。お、村が見えて来たぞ。
旦那狼はそう語り、最後に高く跳んで岩を乗り越え村の入り口の前に着地した。
「お前たちは森の奥に行くのか?」
――ああ、既に仲間や母が戦ってるからな。俺と嫁はチビの世話で遅れたが、早く駆け着けないとな。
「そうか……。なにか手伝える事はあるか?」
――さっきも言ったが、アラクネは俺達の因縁の相手だ。まあ、森を徘徊してる蜘蛛がいたら片付けてくれると助かるな。
「分った、任せろ。……気を付けて行けよ?」
――お前もな。
旦那狼はアリスを降ろした嫁狼を見ながら短く語った。そして一度も振り返る事なく、2匹で森の奥へと駆けて行った。
俺とアリスは、見えなくなるまでその後ろ姿を眺めていた。
戦いへと向かう2匹の白い狼は、儚くも美しい綿菓子のように見えた。
*
村の中へ足を踏み入れると、俺はその光景に愕然とした。
「死ビトだらけじゃない!」
「ああ……。悪い予感が当たっちまったな……」
村の入口から見える範囲だけでも、10を超える死ビトの姿があった。
それらはまるで、村人と入れ替わったかのように自由気ままに村を闊歩していた。
「村人の姿がないな……避難してるのか?」
「あっちから声が聞こえたわよ!」
駆け出しながらアリスは言い、木のフェンス沿いを走って村の角に位置する民家の裏へと向かった。
俺も聞こえたその声は恐らくアナのもので、気合いを入れて剣を振るった際に漏れる掛け声のようだった。
「アナ! 大丈夫!?」
アリスが声を掛けると死ビトの頭を斜めに斬った瞬間だったようで、血の噴出もなくズレ落ちる死ビトの頭部ごしにアナの返事が聞こえた。
「アリス殿にウキキ殿、それに風の精霊まで……来てくれたのか!」
「チルフィーであります!」
呼び名に不満そうなチルフィーが、アナの前で飛び回りながら言った。
そして再びアリスの頭の上に着地すると、アナがチルフィの手に触れながら言い直した。
「チルフィー殿か、すまない。シルフなんて高貴な上級精霊と言葉を交わした事なんてなかったのでな」
「チルフィー! あなた高貴だったの!? 緑色の綿のパンツなのに!?」
「えっへんであります!」
チルフィーが偉そうな面構えで両腕を組んだ。
このまま放っておくと、どっちが高貴か対決が勃発しそうなので、俺は言葉を挟んだ。
「森の上空に煙が見えて心配で来たんだ、なにがあった?」
俺が真剣な眼差しでアナの視線を征して尋ねると、アナは顔を赤らめながら目を伏せた。
「そんなに見つめられると照れるからよせ……」
「そのギャグはもう飽きた! 簡潔になにがあったか言え!」
「なっ……貴様、乙女の恥じらいをギャグだと! そう言えば貴様、レリアの髪を切断したらしいな! その首を掻っ斬ってやるから剣を抜け!」
アナは頬を赤く染めたまま、俺に剣を向けて言い放った。
「意外とめんどくさい奴だな……。それにこれは剣じゃない」
俺は腰のホルダーからバールを抜きながら言った。
「なに? なんでそんな物を武器にしてる? わたしを愚弄してるのか!」
「仕方がないだろ、これしかねーんだよ!」
俺とアナが言い合っていると、その声に反応したのか死ビトが民家の裏にやってきた。
「出でよ鎌鼬!」
ザシュザシュッ!
「お前がうるさいから集まって来ただろ!」
「わたしのせいなのか! それならなにか、空が美しく茜色に染まるのもわたしのせいか!」
「2人ともいい加減にしてちょうだい! アナ、レリアやみんなは無事なのね!?」
「あ、ああ。レリアは他の者と一緒に集会所を守ってる。ソフィエ様や村人は全員その中にいて無事だ」
「じゃあ、さっさと死ビトを片付けるわよ!」
アリスは合図をすると同時に駆け出し、目の前の死ビトに氷の矢を撃った。
「アリス! 前に出ないで俺の後ろから狙え!」
俺は焦って叫びながら、アリスの後を追った。
15……16体だろうか?
俺達は見える範囲の死ビトを大方倒し終え、集会所に向かっていた。
「アナ強いわね! 女騎士だなんてカッコいいわ!」
アリスは、アナが背中に纏っている青いマントに触れながら言った。
「国唯一の女騎士だっけ? 魔法は使えないのか?」
アナは先日のトロールとの戦いも含めて、剣を振る姿しか俺達に見せていなかった。
剣が凄腕なのは素人の俺から見ても明白だったが、この異世界で果たして剣だけで貴族であるレリアを師事させる程にのし上がれるのかは疑問だった。
「魔法の類は一切使えん。ウキキ殿のように幻獣を住まわせる事も出来ないし、魔剣使いや剛体術の才能も無い。それなのに、ミドルノーム最強の騎士『大地の剣』と呼ばれてる。……何故だか分かるか?」
俺がアナの問いを考えていると、アリスが手を上げながら答えた。
「剣で最強だから? と言うか、騎士なのだから剣で最強なら最強の騎士なんじゃないの?」
「いや、残念ながら剣を振るうしか脳が無い騎士は、わたしぐらいだ。……答えは、わたしが女だからさ」
アナは空を見上げながら続けた。
空の色がアナの瞳に映り、青い目が一段と青く輝いていた。
「誰も本当にわたしが最強だとは思ってない。『どうだ? 我が同盟国の女性は強くて美しいだろ?』と他国に言いたいが為に、ファングネイ王国の騎士団長が付けた呼び名だ」
強くて美しいか……さらっと自慢が入ったな……。
まあ、確かに綺麗だけど……。
そう思いながら、俺は改めてアナを見た。
身長は女性にしては高く、170センチないぐらいで俺より少し低い程度だろうか。
残念ながら脚はロングスカートで見えなかったが、上半身は相変わらず中途半端に金属の鎧を纏っていた。栗色の髪は肩の位置で綺麗に切り揃えてあり、前髪は纏めて横に流していた。
と、俺がアナの全身を隈なく眺めているとアリスが口を開いた。俺はその瞬間、ブタ侍よろしく優れた視線移動法でアナの胸の谷間から目を逸らした。
「ようするに、強い騎士って事でしょ! それで良いじゃない!」
「強い騎士か……。そうだな、アリス殿がそう言ってくれるなら、わたしは『大地の剣』で居続けよう! レリアの師匠でもあるのだからな!」
アナはそう微笑みながら言うと、前を向いてただ歩き続けた。
俺はてっきりアナの胸の谷間を見ている事をアリスに咎められると思っていたが、別件だったようだ。
それならば、まだ見続けよう。その魅惑の谷間がこの目に焼き付くまで――
数秒後、アリスのキューブが俺の頭に落ちた。




