60 虚ろな瞳
シャッターを開けると、外は雨だった。
搬入口であるシャッターの先は元々コンクリートの低い坂道があったようだが、転移した今は角度がつく前で綺麗に切り取られていた。
俺がそのコンクリートと草原の境目を見ていると、横殴りの雨がバックヤードの中に入り込んだ。
慌ててシャッターを閉めると再びバックヤードが薄暗くなり、延長コード無双から伸びるいくつかの電球の存在感が増した。
「雨か……死ビトがわんさか湧くかな……」
俺はそう呟くと、そのままバックヤードを出てジャオンの2Fに向かった。
スマホが示す時間は昼の12時を少し過ぎており、朝方眠ってから6時間程が経過していた。
俺は起きてからすぐにレトルトのお粥を温め、アリスに食べさせてから薬を飲ませていた。
アリスは鮭の切り身入りのお粥より、梅入りのシンプルなお粥を好んだ。
少し塩辛い中に広がる梅の酸っぱさが美味しいのだと、評論家のような事を言っていた。
新しいパジャマに着替えさせてから寝る前に熱を測ったら37.1度だった。もう少し寝ていれば平熱に戻るだろうか。
「元気になる前に風呂完成させたいな……」
呟きながら女子トイレの中に入り、バケツの中に防水セメントを丸ごと入れてから適量の水を流し込み、ヘラでかき混ぜた。
レンガのブロック積みは意外と楽しかった。
これが後にレンガ風呂になって熱いお湯に浸かれるのだと思うと、ウキウキせずにはいられなかった。
俺は元々100点を1つ取るよりも70点を量産したいタイプだったが、このレンガ風呂に限っては120点を目指した。
「アリスの為ならエッサァーホイサァー」
いつの間にか、俺は歌っていた。
*
「出でよ狐火!」
ボオオォォォ!
雨が激しく降るなか、草原の一角で狐火の火炎放射が死ビトを包んだ。
狐火の尻尾から放射される炎は、雨や湿気などまるで気にしないかのように死ビトを焼き尽くした。
「狐火でも頭を狙えば倒せるけど、死ビト相手なら鎌鼬の方が手っ取り速いな……」
俺は1人呟いでから、左手で腰のホルダーから新たにゲットしたバールを抜き、数メートル先の死ビトに剣閃を放った。
刃物ですらないバールから放たれる剣閃の威力は知れていたが、それでも死ビトは俺に殺意を示した。
俺はその死ビトに向かって駆け出し、バールで思い切り頭を殴打した。
しかしその一撃では当然倒せなく、死ビトは持っている剣を俺に振り下ろした。
「遅いっ!」
俺はその剣撃を左手に逆手で持つバールで弾き、そのまま死ビトの顔に右手を当てた。
「出でよ鎌火!」
噛んだ。と言うか、言い間違えた。
当然なにも現れず、もう一度使役し直した。
「出でよ鎌鼬!」
ザシュザシュッ!
X字に死ビトの頭部を斬り裂いたと同時に、まだまだ湧いてウロウロとしている死ビトまで走って近づいた。
「言い間違えて使役出来ずにピンチって展開だけは嫌だな……」
俺は死ビトとの距離を見測りながら立ち止まり、5メートル程先の死ビトに向けて腕を構えた。
「出でよ青鷺火!」
グワァッ!
頭上に現れた青鷺火が、俺に向かって羽ばたき青い炎を放った。
俺の全身を青い炎が包むと、5メートル先の死ビトが虚ろな瞳を赤く光らせた。
その少し先にいる死ビトは無反応だったので、上手く青鷺火の有効範囲を割り出す事となった。
「半径約5メートルが有効範囲か! 意外と広いな!」
言いながら俺は駆け寄り、鎌鼬を使役した。
辺り一面の死ビトを倒し終えると、俺はドロップした月の欠片を拾い集めてからショッピングモールに戻り雨がっぱを脱いだ。
レンガ風呂を大方造り終えてからの死ビト退治だったので若干疲れていたが、休息を取らずにそのままジャオンの2Fに向かった。
「思ったより死ビト湧いてたな……円卓の夜になるとこれ以上増えて強くなるのか?」
前に雨が降った時よりも多く湧いていたように思えた。
もしかしたら雨の強さで湧き具合が変わるのかもしれない。もしくは、円卓の夜に近づいているからだろうか。
湧いたまま放置しておくと後で誰かが襲われるかもしれないので、また後で見回って少し狩っておこう。
「しっかし、16体倒して欠片3個か……ドロップ渋くなってないか?」
俺は不満を漏らしつつ、2Fの生活用品で四角い容器をゲットしてから欠片をその中に入れ、レジカウンターの下にしまった。こうして貯金しておけば、いざと言う時に役立つだろう。
「不測の事態に備える、素晴らしい俺。元の世界の頃は行き当たりばったりだったからな……」
自画自賛は程々に、俺は隠しておいたドスケベ雑誌を手に取った。
と同時に、カウンターに置いてあるプロレス雑誌の表紙が雑に折り曲がっている事に気が付いた。
「これは……」
適当に捲ってみると、いくつかのページの文字がカッターかなにかで綺麗に切り取られていた。
「ピエロのメモ……この雑誌から切り取ったのか……」
モテ雑誌も同様の状態だった。
こんな事をしてまで訳の分からない事を伝えた意味を考えたが、さっぱり分からなかった。
「金獅子のカイルかもしれないピエロ……ショッピングモール中探したけど、影も形もなかったな……」
どこから現れ、どこに消えたのか。何故あんなメモを残したのか。その意味はなんなのか。
なに一つ分からなかった。早くアリスに夜中の出来事を話し、『そういうものなんじゃない?』と言って欲しかった。
俺はそれらの雑誌を纏めてレジカウンターの下に置き、そのままレンガ風呂に向かった。
既に蛇口から伸びているホースは、レンガ風呂の中に水を一杯まで溜めていた。
俺は蛇口を捻って水を止めてからホースを戻し、レンガの隙間から漏れていないかを確認した。
「おお、我ながら漏れ一つない素晴らしい出来だな」
女子トイレの角に造ったそのレンガ風呂の下には、すのこを敷いていた。
清潔とはいえ、さすがに地面のタイルに腰を下ろしたくはない為だった。
ちゃんと水を抜くための穴も作っており、縦3メートルに横2メートルのレンガ風呂はいつアリスが元気になっても良いような完全の仕上がりだった。
「よし、沸かし太郎の出番だ」
俺は、まるで青い猫型ロボットがポケットから出したかのような便利道具3個を風呂に沈めてから、スイッチに指を伸ばした。
「ポチっとな!」
「ポチっとなってなによ? なにをしているの?」
「うわああああ!」
背後から突然声が聞こえ、思わず声を上げた。
「なんだアリスか……爆発したかと思っただろ……」
俺は心臓に手を当てながら、ぼやいた。
「なんで爆発するのよ……。それよりもしかして、それお風呂!?」
バレてしまった。本当はアリスが元気になってから見せようと思っていたのだが。
「あなたが造ったの!? 凄い!!」
「まあな。でもまだ沸いてないし、沸いても熱があるうちは入っちゃダメだ」
「もう平熱よ! これが沸かしてくれているの!?」
アリスはレンガ風呂に沈んでいる沸かし太郎を指さしながら言った。
「ああ。紹介しよう、沸かし太郎3兄弟だ」
「沸かし太郎って言うの!? 凄いわね!」
「ああ、恐らく『沸かしたろう!』にかけてるんだな……エグいネーミングセンスだ」
俺はその上手さを噛み締めていたが、アリスはそこはどうでも良いようだった。
「太郎も凄いけれど、レンガが綺麗でお洒落ね! こんなの造れるなんて、あなた凄いわ!」
アリスは元気よく振り返り、輝かせている目を俺に向けた。そして続けた。
「じゃあ、出て行ってくれる?」
「おい、風呂はまだ沸いてないし、それに熱引いたからって今日は入るの止めとけ」
「違うわよ! トイレに来たのだがら、察しなさいよ!」
ああ……そりゃそうか、用を足しに来たのか……。
って、よく考えたらトイレに起きたら風呂バレバレなのに、よく隠し通せると思ってたな俺。
と思いながらアリスのオデコに手を当てると、なるほど熱は引いているようだった。
「おい、マジでまだ風呂は駄目だからな」
「ぐぐ……分かったわよ。まあ、あなたに免じて明日入る事にするわ」
「そうしとけ。一番風呂は譲ってやるから」
俺が女子トイレを後にしながら言うと、アリスは俺の背中に元気な声をぶつけてきた。
「お風呂ありがとう!」
「おう」
俺は小さく振り向いてから、満面の笑みを浮かべているアリスに短い返事を返した。




