58 月明りに吠える
俺は身動きが出来なかった。
声も上げられなかった。
数メートル先のピエロはそんな俺をあざ笑うかのように、手を下げたままゆっくりと近づいて来た。
仮面の奥の目を見ると、俺に殺意を示してはいなかった。
しかし、それは攻撃の意思を否定する事にはならないので戦いに備えようとしたが、体が硬直したままだった。
仮面の奥に覗かせる口元の角が上がった。
そしてピエロは黙ったまま俺の正面に立ち、俺の胸に手を当てた。
その瞬間、やっと俺の体は脳からの命令に従った。
ザシュザシュッ!
俺がピエロの手から逃れる為に後ろに飛び跳ねた刹那、目の前で二撃の斬風が舞った。
「っ……! 鎌鼬か!?」
離れるのが1秒でも遅かったら、俺の腹部はその鎌鼬に斬り裂かれていた。
それでも無傷とはいかなかったようで、俺の胸部はシャツやTシャツごと薄皮一枚をX字に斬られていた。
「お前誰だっ……! なんでピエロの恰好してるんだよ! ってか、どうやって中に入ったんだ!?」
ただでさえ不気味なピエロに真っ暗なショッピングモールで襲われるなんて事は、恐怖以外の何物でもなかった。
しかしそのピエロの初撃を見た事により、俺の脳はピエロに対する恐怖から『敵』に対する警戒に切り替わった。
こんなふざけた格好をしてるけど、こいつは幻獣使い……。
ピエロが俺に与える情報を整理しながら、俺は対処法を考えた。
動かずにいるピエロを観察していると、ピエロの仮面の後ろで金色の少し長い髪がなびいた。
その風に舞う金色の髪を見ていると、ピエロは黙ったまま俺に向けて腕を構えた。
「くそっ……無視かよ!」
幻獣使いが腕を構えたら、それは攻撃の合図だ。
俺はレリアと戦った事により知り得た、その弱点とも言えるような見え見えの動作を視認すると、繰り出されるであろう幻獣の攻撃に備えた。
ビリビリビリッ!
俺が備えた瞬間、ピエロの右手から獣の爪が稲妻となって俺に襲い掛かった。
「出でよ玄武!」
カメエエエエッ!
光の甲羅が稲妻を防ぎ空気中でスパークしたと同時に、俺はピエロから距離を取る為に走った。
「雷属性の攻撃かっ……ってか、黙ったまま使役出来るのか!?」
アリスが眠るジャオンから離れるように走りながら、俺は振り返ってピエロを確認した。
すると、走っている俺へと腕を構えたピエロの口元が動いた。
ビリビリビリッ!
再び稲妻が迫って来た。
俺はそれを躱す為に屈んだ。が、頭上でスパークした稲妻の爪は閃絡現象で俺の体に伝わり、俺の全身を高電圧で焼いた。
「ぐわああああああっ!」
直撃は避けた為、致命傷にはならなかった。
体が感じた程のダメージはなかったが、痺れて足が上手く動かなかった。
「くそ……痺れさせる攻撃……なのか?」
手を膝に突きながら痺れに耐えていると、ピエロがゆっくりと近づいて来た。
「出でよ狐火!」
ボオオォォォ!
俺は無防備な人影に向かって狐火を使役した。
しかしその火炎はピエロの眼前で止まり、まるで狐火の射程距離を測っていたかのようなピエロの不気味な表情を照らした。
次の瞬間、ピエロの右腕から使役された獣が月明りに照らされながら吠えた。
ガルウウウウッ!
柱のように太い腕の熊が放ったボディブローが、俺へと迫った。
「出でよ玄武!」
カメエエエエッ!
玄武の光の甲羅が、熊のボディブローを弾いた。
が、光の甲羅が玄武とともに消えた瞬間、俺の側面に回り込んでいたピエロがもう一度巨大な熊を使役した。
ガルウウウウッ!
俺は反応が遅れ、防御をする事も躱す事も出来ずに脇腹に強烈なブローを食らった。
「ぐあっ……」
俺は噴水の元まで吹き飛ばされた。骨を砕かれたような痛みが全身を貫いた。
こいつ、つええな……。
でも早く倒して、ビイングホームでレンガとセメントゲットして、アリスの為に風呂作らなきゃな……。
それにしても、マジでこいつ何者だ? なんで襲って来るんだ……?
『あなたが逃げるからでしょ! 男なら堂々としていなさい!』
不意に、以前アリスに言われた言葉が頭の中で響いた。
「男なら堂々とか……」
俺は噴水の淵に手を突きながら、力を振り絞って立ち上がった。
下半身がガクガクと震えた。それは、短時間で2回玄武を使役した事の代償のように思えた。
ゆっくりと歩いて近づいて来るピエロは、俺がなんとか直立と言う言葉の体裁を保っている姿を眺めていた。
そして数メートルの場所で立ち止まると、そのまま黙って金色の髪をなびかせた。
「……まさか噴水の水を飲めって言いたいのか? いい加減、少しは喋れよ。幻獣を使役する時、何気なく小さな声で命令してるだろ? 俺に声を聞かれたらまずいのか?」
それでもピエロは黙っていた。
俺はその姿を注視しながら、噴水の水を片手ですくって飲んだ。
「お望み通り飲んだぞ。第2ラウンド開始で良いんだよな?」
喋りながら俺はピエロに向かって駆け出し、そのふざけた仮面に向けて右腕を構えた。
「出でよ鎌鼬!」
ザシュザシュッ!
ピエロは鎌鼬の射程ギリギリのところまで後ろに下がり、二撃の斬風を躱した。
「もう一度!」
と叫びながら再びピエロに向けて右腕を構えた。
「出でよ鎌……と見せかけて張り手!」
鎌鼬を使役せずに、俺はそのままピエロの仮面に向けて構えた右腕から張り手を繰り出した。
再び鎌鼬の射程を完璧に測って躱そうとしたピエロは、その張り手に咄嗟に反応したが、もう1歩踏み込んだ俺の手のひらはピエロのアゴを捕らえた。
「からの……出でよ鎌鼬!」
ザシュザシュッ!
それでもクリーンヒットとは成らなかった。ピエロは二撃の斬風を宙返りで躱しながら、同時に俺の顔を蹴り上げた。
「痛っ……」
俺は蹴られた顔に手を当てながら、鎌鼬で斜め半分に斬って落としたピエロの仮面に視線を向けた。
「男前の顔が少し見えてるぞ……!」
仮面を手で押さえながら素顔を見せずにいるピエロに向かって俺は言い、同時に腕を薙ぎ払いながら狐火を使役した。
「出でよ狐火!」
ボオオォォォ!
直線上ではなく、横に薙ぎ払った狐火の炎がピエロを捉えた。
直線に放つよりも放射時間が短く、それに加えて後ろに飛び跳ねられた事によって炎で包むまでは至らなかったが、それでもそのふざけた衣装を焦げさせる事に成功した。
しかし炎による灯りが消える直前、俺はピエロが後ろに飛び跳ねてから予想だにしていなかった幻獣を使役する姿を目撃した。
カメエエエエッ!
「なっ……玄武まで使役出来るのか!」
何故、この瞬間に防御系幻獣を使役したのかと疑問に思った刹那、玄武に巻き付いている黒いヘビが俺に向かって飛び跳ねた。
「うわああああっ!!」
その黒いヘビは限界まで開いた口で俺の肩に噛み付き、そのまま急速に縮んで無理やり俺をピエロの元まで引っ張った。
「くっ……玄武の黒いヘビにこんな使い方があったのかっ……!」
眼前でピエロの金色の髪が風でなびいた。その瞬間、俺はピエロの正体に気が付いた。
「お前……金獅子のカイルか!?」
当たっているかは分からなかったが、これだけ俺を圧倒する相手は最強の幻獣使いである金獅子のカイルしか思い当たらなかった。
もちろん、その他にも俺より強い幻獣使いは無数にいるかもしれないが、それでも金髪である事や仮面の奥に見え隠れする甘いマスクを加味すると、やはりその名しか思い浮かばなかった。
尚もピエロは黙っていた。
黙ったまま、俺の後ろに素早く回って左腕の付け根で俺の首を締め上げた。
「ぐっ……落とすつもり……か?」
喉元を圧迫されながらも、なんとか俺は声を上げた。
しかし俺の予想はある意味では当たっていたようだが、落とすという意味合いは違っていた。
カメエエエエッ!
ピエロは再び玄武を使役し、俺を締め上げたまま右腕をショッピングモールの2Fの手すりに向けた。
そして黒いヘビを手すりに噛み付かせ、そのまま伸縮するロープを操るかのように黒いヘビを縮ませてショッピングモールの2Fに移動し、手すりの上に立った。
くそ……体が動かない……。
スパイダーメンかお前は……!
俺が声にならない声を上げると、ピエロはそれが聞こえたかのように口元に笑みを浮かべた。
次の瞬間、俺はピエロに顔面を掴まれたまま2Fから落とされた。
ピエロは空中で俺の腹部に膝を突き、俺が受け身を取ろうとする事すら許さなかった。
やばい……このまま後頭部から落とされたら……。
くそっ……ア……アリス……。
俺はアリスの顔を思い浮かべた。
笑って泣いて怒って笑って……それから真顔になって、また笑っていた。
俺はそのアリスの様々な表情を目に焼き付けると、なんとかピエロから逃れようと空中でもがいた。
ここからの大逆転の方法を、ゆっくりと時間を掛けて考えた。
そうしていると、俺の手がまだ動く事に気が付いた。
なので、ピエロのふとももに手を当てて叫んでみた。声が出るかどうかは分からなかったが、叫んでみた。
「……出でよ鎌鼬!」
ザシュザシュッ!
空中で、二撃の斬風が舞った。




