57 3つの月は出ているか
52DMG!! YEAH!!
「ええっ!? 低いじゃない!」
ボルサが帰った後、俺達はゲームコーナーのパンチングマシーンでダメージ計測を行っていた。
大きなモヒカンの人形の頭部にはアリスの氷の針が10本刺さっており、その合計ダメージをモヒカンが告げていた。
「でも氷の矢は81DMGだったし、アリスの成長で氷の針のダメージも上がるだろ」
68DMGだった前回と比べて、今回の氷の矢は81DMGと上がっていた。
もしかしたら、サウスポーになった事も影響しているのかもしれない。
「よし、次は俺だ。どいてろ668ダメージ譲」
「ちょっと! その呼び方をするのなら、81ダメージに上げときなさいよ!」
俺はスルーしながらアリスを離れさせ、モヒカンの腹部に向けて腕を構えた。
「出でよ狐火!」
ボオオォォォ!
狐火の火炎放射が筋肉とも脂肪とも言えるような人形の腹部に直撃し、黒く焦がした。
94DMG!! YEAH!!
「あれ、思ってたより低いな……鎌鼬は確か139ダメージだったよな」
「でも私のアイス・アローより高いじゃない!」
「お前の魔法は遠距離攻撃出来る事が強みだろ、狐火でさえ1メートル程度しか届かないから、俺は接近戦しか出来ん」
と話していると、モヒカンの人形が警告音を発した。
「お、来たな……。出でよ玄武!」
カメエエエエッ!
俺はモヒカンから放たれた衝撃波を玄武の光の甲羅で防いだ。
前回は吹き飛ばされたが、今回は鮮やかに防御フェイズを対処した事により、俺は自身の成長を感じた。
「俺は登り始めちまったぜ……最強への階段ってやつをよ。最強の幻獣使いである、金獅子のカイルが頂上で待ってるぜ……おっと、足場の悪い階段だな」
「なに気持ちの悪い小芝居をしているのよ!」
俺が決めポーズをしていると、アリスが後ろから俺の背中に向けてチョップを繰り出した。
俺はそのアリスの手刀を振り向きざまに掴み、そのままモテ雑誌のモデルよろしくイケメン過ぎる顔付きでアリスを見つめた。
「そう何度もチョップを食らう俺じゃないぜ? 俺に惚れると火傷をするぜ子猫ちゃん?」
「だから気持ちが悪いわよ!」
と言いながらも、アリスは顔を少し紅潮させていた。
あらら、大人のフェロモンを出し過ぎたかな。と思っていると、掴んだアリスの手から熱が伝わって来た。
「お前……氷魔法撃った後なのに手が熱いな、それに顔も赤いぞ……熱あるんじゃないか?」
「熱? ……どうかしら? あまり経験が無いから分からないわ」
アリスが言い切る前に小さなオデコに手のひらを当てると、明らかに平熱ではない熱さだった。
「風邪じゃないか? ダルいとか喉が痛いとかないのか?」
「そう言われてみると、少しダルくて喉が痛いわね……。これ風邪なの?」
どうやら風邪をひいた事がなさそうなアリスをベンチに座らせ、俺は取り敢えず水分を取らせようとボディバッグから財布を取り出し、自動販売機まで歩いた。
*
「37.6度か、完全に風邪だな……。水シャワーが良くなかったのかな……」
俺はアリスが手渡してきた体温計の数値を見ながら言った。
いや、それだけじゃないか……。
昨日は俺に付き合わせて外で寝かせちまったし、心配かけまくったし……。
そもそも転移してから色々とあり過ぎたからな……。
くそっ……俺がもうちょっとアリスの体調に気を配るべきだった……。
「私……死ぬのね……?」
和室の赤い布団に包まっているアリスが、弱々しく言った。
「いや、死ぬ訳ねーだろ……お前マジで風邪ひいた事ないのか?」
「……無いわね。でも、こんなに頭が痛くて喉が痛くて体の節々が痛いのだから、ただの風邪とは思えないわ」
「それが風邪の主な症状だ。ってか急に症状が出たな……自覚したからか?」
体調不良を自覚してから一気にその症状に襲われるのがアリスらしいと思いつつ、俺は本当にただの風邪である事を願った。
こんな異世界にいると、ただの風邪の症状でもなにか得体の知れない病気ではないかという考えが頭を過った。
「取り敢えず風邪薬ゲットしてくるから、大人しく寝てろ」
俺が立ち上がりながら言うと、アリスは俺のシャツの裾を掴んで俺が離れるのを阻んだ。
「行かないで……。私の傍にいてちょうだい」
「おい、メンタル弱り過ぎだろ。……すぐ戻るから心配しないで寝てろ」
ワシャワシャとアリスの頭を撫でると、アリスは掴んだその手から力を抜き、シャツの裾から手を離した。
俺はそのままアリスの赤いリュックに手を伸ばし、ブタ侍の紐をチャックから外してアリスの顔の隣に置いた。
「ブタ侍、アリスを頼むぞ。じゃあ行って来る」
もう一度アリスの頭を軽く撫でてから和室の引き戸を開けると、か細いアリスの返事が背中に聞こえた。
俺は足早にバックヤードのドアまで歩き、そのままジャオンの入り口に向かった。
外に出ると、既に薄暗くなっていた。
ドラッグストアの店内が暗かったら厄介だなと思っていると、いつの間にか自分が走っている事に気が付いた。
「くそっ、アリスのメンタルが移った……。でも俺が気弱になったらアリスが更に弱まりそうだ……」
走っている事に加えて自分の目が涙ぐんでいる事に気が付くと、俺はドラッグストアまで全力で走った。
*
アリスはレトルトのお粥を少し食べてから、薬を飲んで眠っていた。
寝る前に再び体温を測ると、38.1度に上がっていた。
「81ダメージ譲……早く68ダメージに戻れ」
俺はアリスの体温と氷の矢のダメージを強引に関連付けながら、アリスのオデコの上で温まった冷却シートを剥がし、新しい物を貼り付けた。
「氷があればいいんだけどな……」
なんでもあるように思えるショッピングモールだったが、アリスの頭を冷やす氷枕すら作れない事に気が付いた。
いや、それだけじゃなく暖かいお湯が出るシャワーも無ければ、浸かって疲れを取れる風呂すら無かった。
ここにはなにも無かった。俺とアリスがいるだけだった。
多分、最初からそうだった。
どちらかが欠けたら、この無駄に広いショッピングモールが残るだけだった。
それは、ただ虚構に広がる空っぽの空間で、闇に覆われたなんの暖かみも感じない無機質な巨大建造物でしかなかった。
「俺達の前に転移して消えた奴は、こんな心境だったのかな……」
そんな人物がいたとは断定出来ないが、ふとそんな事を俺は思った。
「せめて風呂作ってやるか……。めんどくせーし、お湯がネックだけど……」
果てしなく面倒だったが、何故かその面倒に思う気持ちの倍以上のやる気を感じていた。
こんな事は初めてだったので、そのやる気を少しでも失う前に俺は立ち上がった。
「どこか……行くの?」
俺が静かに引き戸を開けると、アリスが目を覚ました。
「ああごめん、起こしちゃったか? ちょっとビイングホームに行って来るわ」
「ううん……大丈夫よ。それより1人で平気?」
再びアリスの元に座ると、アリスは俺の手を握りながら上半身を起こした。
ピンク色のパジャマの襟元から覗かせる肌はほんのり赤く、体に宿した高熱を告げていた。
「平気だから、起きないで寝てろって……また熱が上がるぞ」
手を強く握り返しながら、アリスの背中を支えて再び仰向けに寝かせた。
その小さくて熱い背中は少しだけ湿っており、汗を掻いていた。
「もっと水分取って汗掻かないとな……パジャマゲットしたら、後で着替えさせてやる」
「自分で着替えられるわ、この変態」
言葉とは裏腹に、アリスは俺の手を自分の頬に当てながら言った。
頬は体より熱かった。
「優しいあなたは、私の希望」
アリスはそれだけを言うと、目を瞑って再び眠りについた。
妙に胸に刺さったその言葉を頭の中でリピートしながら、俺は静かに和室を出た。
外は、やはり少し肌寒かった。
その頬に触れた寒さが、アリスの手から伝わり残していた熱を相殺した。
空を見上げて3つの月を確認すると、まるで纏まる事を拒否しているかのように離れて空に浮かんでいた。
真っ暗な通路をハンドリフトを引きながら歩いていると、懐中電灯を持って来なかった事を後悔した。
戻って取って来ようかとも思ったが、このまま歩いてビイングホームでゲットした方が時間を無駄にしないで済むとだろうと考えた。
ガラガラとハンドリフトの音をたてながら進んでいると、不意に噴水の元に目が向いた。
目を凝らしながら見ていると、そこでなにかが動いた。
その動いた物は人だったようで、闇と同化しながらゆっくりと俺の方に向かって歩いて来た。
数メートルまで近づかれると、その何者かの妙な恰好が俺の角膜に映った。
カラフルでコミカルな衣装に身を包み、顔は鼻の赤い仮面で覆っていた。
その何者かは、ピエロだった。




