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俺とアリスの異世界冒険手帳~ショッピングモールごと転移したのはチートに含まれますか!?~  作者: 底辺雑貨
六部 第二章

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490 下手な脅し

 飛空挺のベッドはあまり寝心地が良いとは言えなかった。マットが石のように硬く、枕は異様に柔らかいのだ。そのせいで、身体が取り残されたまま首だけが深く沈んでいくような不快な感覚に襲われる。フランス革命の終わりに、ギロチンで処刑された無実の一般市民のような感覚だ。


 そしてそれは、俺を必要以上に眠気から遠ざける。ちっとも眠れる気がしない。もちろん十七時という時刻があまり睡眠に適しているとは言えないのも事実だが、昨夜から一睡もしていないとすれば話は別だ。幼い奴隷の少年の死は、俺から安眠どころか悪夢さえ奪ってしまったのかもしれない。


 飛空挺の窓から外を眺める気にもならなかった。たとえそれがどこの地域の雲の上からの風景であれ、少しでも気が紛れるとは思えない。ベッドで横になる以外になにもしたくなかった。そして少しでも目を閉じると、昨日の光景が鮮やかな映像となって翳ることなく瞼の裏に流れてきた。まるで悪意に満ちた第三者が、そこで映写機を回しているかのように。


 俺は仕方なく、追憶を再開することを選んだ。だってそれを選ぶしかないじゃないか。





 トゥモンの残された願いは、死ビトになりたくないというあまりにも罪のない願いだった。それを叶えてやるために、俺は送り人を探して街を駆けまわった。もちろん、ただやみくもに探したわけではない。送り人結盟の建物を訪ねようとしたのだ。いつかどこかで地味な看板を見かけた気がする。その結果、街を何時間か駆けずり回ることになっただけだ。


 目的の建物は西の街外れにあった。以前この都市を訪れた際に俺が破壊した多くの礼拝堂の一つの近くだ。最初に目にした送り人は、ドアに駆け寄ろうとした瞬間に中から出てきた長身の男だった。三送みおくりをしてくれ、もうすぐ亡くなりそうな子供がいるんだ! きっとこのようなことを俺はその男に言ったのだろう。不思議と、発言したことより耳にしたことのほうがより鮮明な記憶として残されていた。契約書はお持ちですか? とその男は俺に言った。


「持っていない? それどころか、契約すらしていない? それは少し妙ですね。裕福なこの街の方々なら、大抵はお抱えの送り人と生前契約を結んでいるはずですが。失礼ですが、どなたの三送りをご希望ですか?」


 俺はトゥモンの名前を口にした。奴隷の少年だとはっきり明言した。それからあの醜い親方の名を出そうとしたが、あいつの名前がわからなかった。たしかにいつかどこかで聞いた気がするのだが、どうしても思い出せないのだ。


「ああ、いえ、それは思い出してもらわなくて結構です。どなた様所有の奴隷であれ、うちでは三送りを出来かねます。支部の品位が損なわれたら問題ですので」


 どうしてここまで明瞭に彼の口にした言葉を覚えてしまっているのだろう。頭のなかで反復するだけで、腹の底が煮えかえるぐらい怒りがふつふつと沸いてくる。あのときもそうだった。腐った街の腐った人間の腐った発言を耳にしたとたん、目の前が真っ黒になった。俺はその男を乱暴に突き飛ばし、送り人結盟の無駄に重たいドアを開けた。そして見かけた送り人に片っ端からトゥモンの三送りを依頼した。


 だが、そこにいる送り人の誰しもが長身の男と同じような返答をした。たしか五、六名がそれぞれの個室に在席していたと思うが、全員言い回しまで含めてだいたい同じだった。奴隷の三送りなんてしたら、我々の品位が損なわれてしまうだろう。事務員らしき男と何人かの送り人は俺が指名手配中の男だと気づいたようだが、手を出してくるつもりはないみたいだった。ただなにか存在してはいけないものを見るような目で、俺の挙動を端から端まで追っていた。


 こうしてベッドで天井を見上げている今なら、少しは冷静な考えに浸れる。あんな送り人がいるから、この異世界は死ビトで溢れているのだ。辺境や旅程での不慮の事故ならばともかく、送り人が常駐している(それも暇そうな送り人が常駐している)都市から、どうして死ビトを生んでしまうのだろう。


 だが、昨日のあの場面では、もう激情に身を委ねることしかできなかった。脳が制御できるだけの憤怒の閾値を超えてしまったのだ。胸のなかの幻獣たちも呼応していた。怒りの炎で身体中がかっかと熱くなっていた。


「三送りをしろ、やらなきゃ殺す!」


 たしか背が低く体格のいい男だったと思う。あるいは首回りが特別に太く頑丈な女だったかもしれない。いずれにせよ、俺はトゥモンに侮辱的な言葉を吐いて去ろうとする送り人の首に背後から片手で触れて、そう宣言した。もちろん下手な脅しだが、今振り返るとそう思うだけで、実際は本当に殺すつもりだったかもしれない。なんにせよ、脅迫してでも従わせようとしたのはたしかだ。あるいは、そこにソフィエさんが現れなかったら、俺は本当に一人の人間の命を終わらせていたかもしれない。


「大丈夫だよ、ウキキ、私がやるから。三送り、早くあの子のところに戻ろ?」


 ソフィエさんとはいつ以来の再会だっただろう? もしかしたら、レリアのお家騒動のときにベッドで眠る彼女を見たのが最後だったかもしれない。もうあまりにも昔のことのように感じる。一日経った今でも、あの邂逅は夢の中の出来事だったのではないかと思える。


 しかしもちろん夢でもなんでもなかった。彼女は流浪の送り人として、文字通り世界のあちこちを巡行していたのだ。俺がアリスの精神世界でハートの女王アリスに追われていたときも、青龍やイヅナと戦っていたときも、チルフィーを騙して世界を見捨てるふりをしていたときも、ソフィエさんは主に恵まれない人々のために三送りを執り行っていた。何名かの同行者と一緒に。


 なにも死ビトの活性期である円卓の夜にそんな危険なことをしなくても、と思ったが、きっと円卓の夜だからこそなのだろう。この半年間は死ビトに襲われて命を落とす人間が桁違いに多くなる。そのなかで三送りされずに四併しあわせに遭って四の月で死ビトに変貌する人間も、やっぱり桁違いに多くなるのだろう。もちろん全員を、というわけにはいかないが、少しでも救済してあげたいというのが彼女の想いなのだろう。俺が密かに恋するソフィエさんは、そういう女性だ。


 なんてことはない。彼女の口ぶりからもわかるとおり、トゥモンは最初からソフィエさんに三送りされることになっていたのだ。あの蛙のような顔の親方は、おそらく俺がナディアの記憶のなかを旅しているときにでもソフィエさんに依頼したのだろう。彼が屋敷を留守にしていたのも、流浪の送り人の滞在を聞いてあの支部を訪問していたからかもしれない。


 『さて、それはワタシの与り知るところではありません。もちろん、世界でも有数の送り人と生前契約しておりますが、それはワタシにだけ有効でしてな』、こんなことを俺に言っておきながら、あいつはトゥモンのために動いていたのだ。


 『自分の財産たる奴隷から死ビトを出すことは、親方にとってこの上ない恥でしてな』。こんなことを後になって言っていた気もするが、もしかしたらもう少し違うニュアンスだったかもしれない。俺の耳は、嫌いな奴の嫌な言葉を正確に聞き取ることを苦手としているのだ。


 トゥモンは自分がちゃんと三送りしてもらえることを聞くと、とても安心していた。十歳の少年が自分の死出の旅に際し、あそこまで心穏やかになれるのだ。自分は異形の化物にならず、三の月に昇っていけるから……。俺はそれを、彼の手を握りながらも凄くいびつなことのように感じた。上手く説明できないが、決して幸せではなかった現世の後にまで怯えなきゃならなかったなんて、ものすごく間違ったことだと思ったのだ。


 この異世界の『生と死』、そして、『死と四併せ』。三送りされなければ、人は死ビトと化してしまう。俺がこの言わば呪われた輪廻をどうにかできないものかと考えたのは、このときが初めてだった。


 そして、それはソフィエさんもずっと胸に抱いていたことだった。分け隔てなく誰にでも三送りできるよう、結盟を離れて流浪の送り人になるずっと前から。そのために、手首に一生消えない縄の痕が残るほどの試練に挑む、もっとずっと前から。


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