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俺とアリスの異世界冒険手帳~ショッピングモールごと転移したのはチートに含まれますか!?~  作者: 底辺雑貨
六部 第二章

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488 おかしくないよ

 ナディアは大方の記憶を取り戻したようだった。いや、これは少し正確性に欠くかもしれない。取り戻したというよりは、もともとあったものの輪郭が浮き彫りになり、やがて姿かたちがくっきりと露顕したというほうが正しいのだろう。千年ものあいだ砂に覆われていたアーティファクトが、突然の嵐によって地上の光に晒されるように。


 しかしいずれにせよ、彼女は母親や継母との思い出に戸惑っているようだった。記憶の完膚なき解放が彼女にとってあまり喜ばしいことではないと、その面持ちは無表情ながらに語っていた。「継母は、わたしが生母を嫌いにならないように、ずっと気を使ってくれていたんですね」、とナディアは言った。俺はそれには答えず、かすかに頷きさえもせず、黙って彼女の横顔を見ていた。


「母は屋敷を追われたとき、すでに妹を身籠っていました。もちろん父の子ではありません。追い出されたのはそれが原因なのでしょう。ですが、やっと七歳になったばかりのわたしには、それがどういうことか上手く呑み込めませんでした。父が母を金を持たせて追いやる。その現実的な光景だけが、目の前に広がっていたのです」


 ナディアは堰を切ったように話しはじめた。口調は今までと変わらず平坦で落ち着いているが、どこか自分自身に向かって話しているようにも感じられた。もしかしたら、そうすることによって、溢れ出るあまり幸せではない思い出を、頭と心に軋轢なく落ち着かせようとしているのかもしれない。なので、俺はできるだけ言葉を挟まないように心掛けた。相槌で流れを途切らせないようにも努めた。


「そうですね、今では理解できます。不義を働いた母をわたしがいつまでも大好きでいられたのは、ぜんぶあの人のおかげだったんです。ひょっとしたら、父と一緒になってわたしの継母となったのも、それが理由かもしれません。わたしを厳しく教育したのも、自分が悪者になって母との思い出をわたしがより大切にしようとするためだったのでしょうか? いえ、それは少し違う気がします。きっと、あれはあれであの人の性分だったのでしょう。ですが、あの教育が、わたしの歌姫への坂道をずいぶんなだらかにしてくれたのも事実です。もちろん一部で、全部が役にたったわけではありませんが。


 母が父と別れてからもこっそりわたしに会いに来てくれたのも、その目的は金品をわたしに持って来させることだったんですね。エメラルドのブローチ、真珠のネックレス、ダイアの指輪。それに、シェヘラザード王妃銀貨もあったと思います。すべて忘れていった自分の持ち物だと聞かされていましたが、今にして思えばそんなはずはありません。きっと父からの多額の手切れ金を浪費してしまい、わたしを利用しようと思いついたのでしょう。けれど、わたしを見て喜んでいたあの笑顔も、優しく抱きしめてくれた抱擁も、嘘ではなかったはずです。なぜなら、幼い子供は母の愛情を正確に推し量ることができますよね? なので、あれも母のなかでは真実だったと思います。だからこそたちが悪かったとも言えますが。


 十五歳を間近に控えたコンサートで再会したのも、わたしが世界一の歌姫だと知り、お金の援助を期待してのことだったのかもしれません。継母はそれがわかってて、それ以上わたしと母を近づけたくなかったのでしょう。しかし、わたしはそれで継母を糾弾し、拒絶し、母と半分血の繋がった妹を受け入れてしまいました。いえ、こんなふうに言うと後悔してるとウキキさんは思われるかもしれませんが、そんなことはありません。歌を歌って稼いだお金を母に使ってもらったのは、今でも正しかったと思います。母を愛していましたし、妹も本当に可愛かったので。後悔なんて、するはずがありません。


 あの病床の日々も、ほとんどすっかり思い出してしまいました。日々と言っても、せいぜい七日かそこらですが。あれだけ言葉巧みに傷つけてしまったわたしを、継母はなにも言わずに看病してくれました。母や妹に会いたいとわたしが言えば、毎日送迎の馬車を手配してくれました。しかし、母が来てくれたのは、たったの一度っきりでした。わたしがニンゲンとして生きる最後の晩だったはずです。ごめんね、本当にとても忙しかったのよ、と母は泣いてわたしに謝りました。本当にとても忙しかったのだと思います。なぜなら、そのときにはもう、ハイデルベルク様と契約を結んだあとだったのですから。もちろん、わたしが死んだあとにハイデルベルク様の眷属になる契約です。ただのニンゲンである母が、あの主様ときっちり話を纏めるなんて、本当にとても忙しい日々だったと予想できます。


 ところで、ウキキさん。話は逸れますが、なんでずっと黙ってるんですか? なんですか、その優れた聞き役を演じる的な態度は。『うん』とか、『へー』ぐらい返してくれたほうが話しやすいものですよ。あと、わたしが世界一可愛いからって、あまりじっと見つめすぎないでください。これだけ長いあいだヒトの姿をニンゲンに見られるのは、ほとんど千年ぶりなんです。恥ずかしいとか、照れるなんて言うと、ウキキさんは良いほうに取られると思うので、はっきり言っておきます。ウキキさんにそうやって穴が開くほど見られるのは、あまり気分が良いものではありません」


 俺は『へー』と言った。それから少しだけ視線を彼女の顔の横にずらした。これで文句はないはずだ。


「次の日の正午に、わたしは死にました」とナディアは言った。俺は思い切ってもう一度彼女の顔を見つめ直した。「看取ってくれたのは、継母とハイデルベルク様だけでした。そしてわたしは吸血鬼になったわけですが、ここでひとつ疑問が残ります。ウキキさん、それはなんだかわかりますか?」


「ああ、わかるよ」と俺は言った。「なんで継母があの吸血鬼の好きにさせてたかってことだろ?」


「そうです。わたしをハイデルベルク様に差し出す見返りに、母が莫大なお金を受け取ったのは覚えています。ですが、なぜ継母はその契約の履行を黙って見ていたのでしょう? あの人の性格や倫理観からすれば、わたしを吸血鬼にすることを好ましく思うはずがありません。それなら、なんででしょう? いえ、ウキキさん、そんなに顔を真っ赤にしてまで考えていただかなくて結構です。疑問とはいえ、今ではほとんどはっきり正解がわかっているのです。先ほど、わたしの本当の過去の世界で、継母がわたしに訊きましたよね? 『ねえ、あなた、いま幸せ?』と」


「ああ」と俺は言った。「あのときいた小っちゃいナディアの未来の姿がお前だと、家族の誰も気がつかなかった。けど、継母だけはお前が誰だかわかっていた……。そしてお前は、かすかにそっと頷いた」


「はい、わたしは頷きました。あのとき少しだけ考えたのですが、わたしは今それなりに幸せみたいです。それで、継母は色々と悟ったのだと思います。わたしが黒死病になったときも、色々と考え込んだことでしょう。わたしが死んだあとも、わたしはこの世界に存在すること。そして、『いま幸せ?』と訊かれれば、頷くぐらいには幸福ことを」


 いつの間にか、ガルヴィンは起きていたようだった。それでも俺たちの会話の邪魔をせず、向かいの席で黙って話を聞いていた。窓の外は、もう暗くなりかけていた。街頭に連なっていた露店が次々とたたまれ、多くの店主が稼ぎの少なさを声には出さずに嘆いていた。蛇使いの男が、最後の景気づけに思い切り笛を吹かせた。しかし、どの壺からも、蛇が頭を覗かせる気配はなかった。


「わたしは、今でも母を愛しています」とナディアは言った。「本当はなかったはずの、母が優しく歌を歌ってくれていた思い出も、くっきりと残されています。これって、少しおかしいことでしょうか?」


「いや、おかしくないよ」と俺は言った。「継母がそうなるようにしてくれたんだろ? だったら偽りでも、その記憶は大切にしまっておいたほうがいい」


「では、あれだけ大嫌いだったはずの継母を、今では母と同じくらい好きに思うことも、おかしくないですか?」


 うん、と俺は言った。「ぜんぜんおかしくないよ」


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