表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺とアリスの異世界冒険手帳~ショッピングモールごと転移したのはチートに含まれますか!?~  作者: 底辺雑貨
六部 第二章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

500/511

481 死の病と化した魔女

 人間だったころのことなんて思い出したくない。ましてや、歌なんて絶対に歌いたくない。ナディアと呼ばれる吸血鬼は、寸法にいささかの狂いもない戸をぴったりと閉めるようにそう言葉を結んだ。コウモリ姿のまどかな双眸からは、感情の奥行を正しく推し量ることはできない。だが少なくとも、簡単に説得できるような事柄ではないようだった。ならば仕方がない。病床で死を待つばかりのトゥモンには歌姫の最高の歌を聴かせてやりたかったが、ここは以前のように俺が歌うしかなさそうだ。


「そっか、わかったよ」と俺は窓から外を眺めるナディアに言った。「悪かったな、やりたくないことを無理に押し付けようとしちゃって」


 もう時間はあまり残されていない。明日の朝日すら見られずに、奴隷の少年は死んでしまうかもしれない。早く戻り、トゥモンに歌を歌ってやろう。それから二人でまた歌い、最後の時間を穏やかに誰にも邪魔されず一緒に過ごそう。


 俺はカフェの女店員が気だるげに持ってきたコップの水を一息で飲み干し、状況をかいつまんでガルヴィンとナディアに説明した。それから急いで店から出ていこうとしたが、なにを思ったのかナディアがパタパタと俺の眼前まで飛んできた。


「ちょっとウキキさん、なんで無視するんですか。歌姫が歌を歌いたくないって言ったんですよ。そんなことを聞いたら、もう少し踏み込んでくるのがニンゲンの人情ってものじゃないんですか?」


 この吸血鬼はなにを言ってるのだろう。もう少し踏み込む? だがしかし、そんなことをしたところで、歌を歌いたくない理由を簡単に話して聞かせてくれるとも思えない。


「本当は、歌を歌いたくないわけじゃないんです。歌いたくても、歌えないんです」とナディアは言った。支離滅裂な発言なのに、それとは打って変わって冷静で落ち着いた聞き心地の良い声だ。


「なんでだ?」と俺は訊ねた。だってそれが人情ってものだからだ。


「まあまあ、立ちながらではなんなので、ウキキさんはそこに座ってください」と彼女は言った。思ったよりもすんなりと簡単に話して聞かせてくれるみたいだ。というか、話したくて仕方がないみたいだ。


「いや、でも悪いけど時間がないんだ。それは今度にして、俺はトゥモンのところに戻るよ」と俺は言った。黒死病は刻一刻とトゥモンの身体を蝕んでいる。死ぬのがもう少し先だとしても、いつ意識を失っても不思議ではない。それに、もしそうなったらふたたび意識が回復する保証もどこにもない。本来だったら、俺はカフェになんて来るべきではなかったのだ。すぐにでも歌を聴かせてやり、あいつの希望の一つを叶えてやるべきだったのだ。


 後悔が奥歯を強く歪ませる。焦燥感が額に汗をにじませる。窓のすぐ向こう側を、親方らしき男が多くの奴隷を引き連れて歩いている。自由都市への嫌悪感が胸の奥の幻獣たちに伝わり、だんだんと激しい熱を帯びはじめる。


「それなら大丈夫です、あの少年はあと二日もちます。死の直前まで意識がなくなることもありません。願いを叶えてあげる時間は、まだ十分あると思います」


 その言葉に、俺は証左も根拠もなく安心感を覚えてしまう。俺を見張る目的でハイデルベルクが遣わした、吸血鬼の一言にだ。我ながらどうかしている。こいつはいつか俺を死地に送るためにここにいるのだ。味方でもなんでもない。


「そんなこと、なんでお前にわかるんだ? 話を聞いてほしくて、適当言ってるんじゃないのか?」と俺は彼女に訊ねる。声が震えていることに、言い終わってから気がつく。


 ナディアは言う。「なぜなら、わたしの死因が黒死病だったからです」





 黒死病――。それは汚染された砂を吸い込んでしまうことが原因とされている。遥か東の地から、汚染された砂が風に舞って運ばれてくるのだと。しかしそれが迷信だということを、まずナディアは俺とガルヴィンに教えてくれた。ニンゲンはいつの時代も解明できない謎を、それなりに上手く説明したがるものなんです、と彼女は言った。


「まあ、わたしも本当の原因を知ったのは、吸血鬼になってハイデルベルク様から聞いたあとですが」


 なら、本当の原因はなんなんだ? と俺は訊いた。最始の魔女――それが、コウモリの小さな口から聞こえた回答だった。


「正確には、かつて最始の魔女だった五人のうちの一人です。名前までは伺っていませんが、魔女ピーリカと――ああ、ウキキさんたちのあいだではアリューシャと呼んだほうがいいですね――特別親しかったそうです。ウキキさんも、あのときハイデルベルク様から聞きましたよね。新しい人類を十二の神に委ねたあと、概念と融合した魔女がいると。その概念が、死病だったというわけです。この世界で不治の病とされるものは、すべてこの魔女の変わり果てた姿だそうです」


 脳が追いつかない。冒険手帳にメモを取る気にもなれない。あとでアリスたちと情報を共有するとしても、上手く説明できる気がしない。死の病と化した魔女? そんな概念になってしまう心理が、ほんの少しも理解できそうにない。


 しかし、わからないながらも感じたことがある。やはり魔女とは禍々しいものなのだ。アリューシャ様の――最始の魔女ピーリカの――可愛らしい見た目や味方然とした動静に惑わされてはいけない。きっと彼女は最終的に、俺たちの敵になる。


「どうやら、わたしの話をちゃんと聞く気になったみたいですね」とナディアは言った。いつの間にか俺はガルヴィンの隣の席に座り、彼女の澄んだ綺麗な声をむさぼるように聞いていた。


「黒死病の話はこれで終わりです。それではいよいよ歌姫のわたしが歌を歌えない理由に移りたいと思いますが、本当に聞きたいですか? いいですよ、ウキキさんがそう言うなら、わたしもやぶさかではありません」


 超聞きたい、と俺は言った。ちょっとむかついたが、そう明確に伝えておかないとめんどくさくなりそうだ。


「いや、でもさ」とガルヴィンが唐突に話に割り込んできた。幼い十二歳の少女には、話を早く終わらせるには黙って聞くという社会的通念がまだわからないのだ。「歌いたいなら、どこかそのへんで歌えばいいじゃない。元歌姫なら、結構な人数が足を止めるでしょ」


 ナディアはわかりやすい溜息を吐いた。相手の発言を丸ごと否定する、たしかな塊となった溜息だ。


「やれやれ、この娘はなにもわかっていませんね。いいですか、歌を生業とするものが歌いたいというのは、豪華なステージで大勢の観客を前にして歌いたいって意味なんです。あと高額なギャラ。誰がうらぶれた原っぱで数人の聴衆を前に歌いたがるものですか。すべての歌い手はもっとチヤホヤされたいんです」


 ガルヴィンは頭のうしろで手を組み、「へえ、そんなもんなの」といかにも興味なさげに口にした。俺はなにも言わずに、黙ってナディアが言葉を継ぐのを待った。


「ですが、わたしはそんな構ってちゃんではありません。歌いたいのに歌えないれっきとした理由があるんです。それは、歌っていると、大好きだった生母が小さなわたしに歌を唄っている姿を思い出してしまうからなんです。いえ、もっと正確に言えば、脳裏に浮かんだはずの母の優しい顔が、どうしても思い出せないからなんです。そうなると、決まってわたしは動揺してしまいます。悲しくなって、もうそれ以上は歌えなくなってしまうのです」


 なるほど、と俺は思った。彼女が歌を歌えない理由がこれではっきりしたわけだ。しかし、話が終わったからといって、すぐに席を立つ気にもなれなかった。ナディアがこんなことを俺に話したのは、なにか助けを必要としているからに他ならないはずだ。


「それで、俺にできることはなにかあるのか?」と俺は言った。「力になれるなら、なるよ。もちろん、歌えるようになったら、トゥモンの前で披露してくれることが条件だけどな」


「あります」と元歌姫の吸血鬼は言った。「ウキキさん、あなたにしかできないことなんです。なぜなら、八咫烏なんて珍しい幻獣を宿しているのは、わたしの知る限りウキキさんだけですから」


 そこで一度、彼女は口をつぐんだ。とても明喩的な沈黙だった。少なくとも、八咫烏がもたらす虚像の世界を数多く俯瞰してきた俺にとっては。


 ナディアは言った。「わたしの物語のなかに入って、生母を見てきてください。わたしがちゃんと、その優しい顔を思い出せるようになるために」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ