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5 世界は夜に移り変わり、闇を深めた

「そのわかりやすい持ち方はどうなんだ?」


 西メインゲートの壁にもたれかかり、俺は座っている。視線の先には、俺の靴を汚い物でも持つかの様に、親指と人差し指でつまむアリスがいる。


「拾って貰って文句を言わないでちょうだい! いつから履いている靴なのよまったく……」

「5年くらい前からだな」

「ギャアアアアア!」


 可憐な少女らしからぬ相変わらずの悲鳴と同時に、アリスは靴を俺に向けて放り投げる。

 俺はゆっくりと拾ってそれを履き、身体をいたわりながら立ち上がる。


 戦っている時はたいして気にならなかったが、胸部が赤く腫れていて、動くと鈍い痛みを発している。

 無残な右腕はその見た目ほど激しい痛みはなかったが、少しでも動かすと思わず唸るぐらいには痛む。


「大丈夫なの? 痛いんでしょ?」


 アリスが心配そうに俺の顔を覗く。

 その刻一刻と変わる表情を次の瞬間には出来るだけ明るいものにしたく、アリスの頭をポンポンとして俺は強がる。


「大丈夫だって! さあそろそろ移動するぞ!」


 3ヶ所すべてのメインゲートを閉めた事によって、これから新たに狼が入って来る事はない。だが、残っている一匹を放置するわけにもいかない。


「大人しく出て行けば、痛い目に遭わせなくて済むのに……」


 アリスは横たわっている狼を見て言った。

 その表情は、飼い犬を心配する飼い主の様にも見えた。

 大きい血溜まりは生々しかった。最初に感じた通り、一匹目より少し小柄だった。


「あっ! ピクっと動いたわ!」


 俺はその言葉に驚き、無意識に右手を狼に向ける。


「ぐっ……痛ってぇ……」


 思い切り動かしてしまった事によって、右腕から止まりかけていた血が再び滴り落ちる。


「大丈夫!? あなたのシャツでも巻いておく!?」

「いや……大丈夫だ。ってか、こういう時は私の服を巻いとく? って言うもんだぞ」

「それでもいいわ! じゃあ私の服を巻くわよ!」


 そう言って、アリスは着ている白いシャツを手早く脱ぎだす。


「いやいや、いいって! それにお前その下は服着てないだろ!?」

「そうだけれど……そうも言っていられないじゃない!」

「あとで包帯でも探して巻くよ……」


 子供の考えはよくわからん……。


 ケガに対する心配は人並み以上らしい。俺は焦りながらも、素直に暖かいものだと受け取る。


「そう? じゃあ私の快眠枕を探すついでに探すわよ!」

「俺の包帯はついでかよ!」


 と言っている途中で、俺はアリスの腕を掴み後ろに引っ張った。アリスもそれで気付いた様で、声を出さずにいた。


 2Fに上る階段の下に、最後の一匹と思われる狼がいた。その狼は三匹の中で一番大きく、群れのボスの様に見えた。


「あれは……。あの噴水にいた狼じゃない……?」


 最後の一匹は右目の辺りから血を流していたはずだ。しかし、近づいてくる狼にそんな怪我は見当たらない。


「新しく入って来た狼か……? それとも最初から三匹以上いたのか?」


 考えを纏める前に、狼は静かにこちらに向かって来た。

 凛とした真っ白い姿は美しいとさえ言えた。威風堂々という言葉がピッタリ当てはまっていて、俺たちの存在をまるで気にしていないようだった。


「アイス・アロー!」


 アリスが俺の横に出て、その狼に向かって氷の矢を撃った。

 しかし矢は大きく外れ、階段の手すりに当たった。


「当たりなさいよ! アイス・アロー!」


 もう一度アリスは撃ったが、やはりかすりもしなかった。まだ使い慣れていないアリスは、命中精度を欠いている様だった。


「アリス待て、なにか様子がおかしい」


 アリスが狼に向けている手を、俺は無理やり下げさせた。そして再び引っ張り、後方に下がらせた。


「こっちを全然見ていない……襲って来ないの?」

「いや……わからないけど、なんだか敵意がない様に見える……」


 俺は徐々に距離が近づく狼の目に視線を固定した。

 先の二匹は襲い掛かって来た時、目を赤く光らせていた。だが、視界の中央に捉えているこの狼の目は澄んだ藍色のままだった。

 それでも襲って来ないとは言い切れない。しかし、下手に刺激してここで襲われるより、やり過ごせるならその方がいいだろう。


 その目が初めてこちらを向いた。

 そして、俺はその右目の横にある微かな傷の痕に気が付いた。


「あの狼、やっぱり噴水の水を飲んでた狼だ……」


 あれだけ出血してた傷が塞がってる……。

 どういう事だ……? いや、どういう事もなにも……。


 俺は一つの仮説を導き出した。

 それは仮説なんて大層なものじゃなく、もっと単純な考えだった。


 狼は俺の考えなんて気にもせずに、澄んだ瞳を倒れている狼に向けた。その目と表情から感情を読み取ることは出来ない。しかし、少なくとも優しい眼差しのように見える。


「倒れている狼を噛んで引っ張っているわよ……!」

「ああ……運ぶ気か?」


 俺は先ほどの仮説と併せて考えてみる。


「……アリス、包帯はいらないかもしれない」

「なんでよ。……あっそういう事! ……あれ? ……ああはいはい。……ん?」


 アリスはものの5秒で、5通りの表情を見せた。





「最初に俺が華麗に倒した狼もいるな……」


 俺たちは2Fから、噴水の水を飲む三匹の姿を眺めていた。


 絶命したと思っていた東メインゲートで倒した狼は、背中にX字の斬痕が残っているものの、傷は完全に塞がっているようだった。


「私のプリティーアイス・アローでやっつけた狼も、段々元気になっているわよ」


 ボス狼が水を舐め、横たわる狼の口元を器用に舐めている。何回かそれを繰り返すと、その狼は自力で立ち上がり、自ら水を飲み始めた。


「あの大きい狼はお母様なのね。優しそうだもの」

「かもな。親子なのかもな」


 ついさっきまで殺し合っていた相手とはいえ、三匹の姿は見ていて心がとても和んだ。

 とは言え、水を飲み終わったら再び襲って来るかもしれないので、油断は出来なかった。


ワオオオオオオオン!


 突然、ボス狼が吠えた。


 その遠吠えはショッピングモール中に響き、俺の胸にも強く響いた。


「おお、心に響く遠吠えだな……」

「あなた、やっぱり犬願望があるんじゃない?」


 アリスが呆れながら言った直後に、後ろから獣の気配を感じた。


 振り返るよりも先に、それは俺たちの後ろを駆け抜け、そのまま1Fへとジャンプをして飛び降りた。

 それと同じ様に、数匹の狼が1Fのボス狼の元に集まった。


「三匹どころか、七匹もいたのか……」


 俺は身を震わせながら言った。


 最初から七匹いたのか、途中でメインゲートから入って来たのかはわからない。だが、もし一斉に襲ってきたら、確実に俺たちは死んでいただろう。


「大家族なのね……もしかしたら、最初からお母様狼のケガを治す事が目的で、その周りをウロチョロして刺激したからあなた襲われたんじゃない?」

「お前な……俺の名誉の負傷を過失の様に言うな」


 否定したが、俺もアリスと同じ事を考えていた。

 異世界で初めて敵として出会った狼たちだが、そう考えると親近感を覚え、自然と顔がほころんだ。


「あっ! どっか行っちゃうみたいよ!」


 七匹はボス狼を先頭にし、群れをなして噴水を後にした。噴水は相も変わらずひっそりと水を囲んでいる。波紋が落ち着き、ショッピングモールが静けさを取り戻した。


ワオオオオオオオン!


 もう姿の見えないボス狼の遠吠えが、もう一度聞こえた。


「ああ! メインゲート開けないと狼出れないぞ!」

「狼の言葉がわかるのね!?」

「いや、状況からの推察だよ! 人を犬扱いするな!」


 俺たちは急いで近くの階段で1Fに降りた。

 そして中庭の噴水の隣にあるミニステージを横切り、狼たちが向かった北メインゲートへと走った。


「ちょっと待ちなさい! 先に噴水の水を飲んで行くわよ!」

「ええ……あとでいいだろ?」

「ダメよ! そんな速く走って痛くないの!?」

「言われたら、痛くなってきた気がする……」


 アリスに引っ張られながら、俺は渋々噴水へと戻った。


「本当にこれでケガが治るのかね……」

「あなたが最初に言いだしたんでしょ! 早くしてちょうだい!」


 狼がペロペロと飲んでいた光景を忘れた事にする。ピンク色の花の白くて丸い葉っぱが、水面に浮かんで何かを主張している。俺は覚悟を決め、噴水の水を両手ですくい、そのまま口に運ぶ。


「そうやって普通に飲むのね……。ホントあなたにはガッカリ……」

「……あえて訊くが、なんで俺はガッカリされたんだ」

「狼みたいにペロペロ飲んだら可愛かったのに」


 こいつは本当に俺をなんだと思ってるんだ?


 そう疑問に思いながら、再び北メインゲートへと走って向かった。





 北メインゲートに着くと、既に七匹の狼が厚いガラスのドアの前で待機していた。

 その存在だけでエントランスホールの半分を埋め尽くしている。合間を縫って、俺はゲートのカギを開ける。


「この状況……。俺はいつ死んでもおかしくないな……」

「大丈夫よ! 狼はお利巧なのよ! 既に私たちとは厚い友情で結ばれているわ!」


ガブッ……!


「い、痛えっ!!」


 両開きのドアを開けている最中に、真後ろにいた狼が俺のケツを噛んだ。それは肉を剥ぐほどではなかったが、超痛かった。


「おい! どこが厚い友情で結ばれてんだよ!」

「きっと臭かったのよ!」


 アリスの言葉を聞き流し、俺はその狼を見た。

 それは最初に俺が死に物狂いで倒した狼で、背中にX字の斬り痕が鮮明に残っていた。


 ドアが開き、ボス狼を先頭にして次々と狼たちが出ていくなか、その狼だけはその場に残っていた。


――こんなガラスのドア、いつでもぶち破れるんだからな



 狼の目は、俺にそう語り掛けている様な気がした。


「いつでも来やがれ。いや、いつでもは来るな! まあ、次来ても返り討ちにしてやる。けど出来ればもう来るな!」


――じゃあなんなら今、もう一度ここで殺し合うか?


 その狼が一歩俺に近づいた。

 目が段々と赤く光り、俺に殺意を示し始めた。


「ほら見ろアリス! 目を真っ赤にギラつかせていやがる! 襲って来るぞ、危ないから離れてろ!」

「目? 別に光っていないわよ? 普通に見えるけれど。と言うか、狼と会話しているあなたが普通には見えないわね……」


えっ?


 アリスには見えてないのか?

 じゃあ、あの殺意の眼は俺にしか見えないのか!?


ワオオオオオオン!


 三度、ボス狼の遠吠えが鳴り響いた。

 それに反応した狼は赤く光らす目を藍色に戻し、群れの元へと駆け出した。


「ちょっと! なんであなたまで走るのよ! まさか本当にイヌ科なの!?」


 と言うアリスの言葉を背中で聞きながら、俺はX字の狼を追いかけて少しの距離を走った。


 メインゲートを出て数十メートルで立ち止まり、痛みが和らいだ右の手を口に当て、小さくなっていく狼たちを眺めた。


 群れは草原を駆け、岩を飛び越え、緩い丘になっている頂上の岩場の辺りで姿を消した。

 その隣には小さな池の様なものが見えたが、ここからではその概観は窺えなかった。


「あの岩場の辺りで見えなくなった……。あの辺りが住処なのか……?」

「意外と近いわね、200メートルぐらい先? と言うか、あなた目はいいのね」


 いつの間にか隣にいたアリスが、目を細めながら言った。


「お前目悪いのか? 視力いくつだ?」

「Aよ。でもあんな先までは見えないわ」

「いや、Aって……お前のバストは聞いてないぞ。ってかお前はAAだろ。盛るな。」

「視力の話よ失礼ね! 今の小学校はそうやって判定するのよ! この変態!」


 ああ、前にテレビでそんな事言ってたな。


 俺はジェネレーションギャップを感じながらも、住処の隣に池がある事に疑問を感じていた。


 水場があるのに、わざわざショッピングモールの噴水の溜まり水を飲みに来たのか?

 しかもあの水がケガを治す事を知ってた様子だった……。

 なんで、今日俺達と一緒に現れたはずの噴水の効果を知ってるんだ……?


 俺はその事をメモ帳に記入しながら考えた。

 次々と解決しない疑問が記されていくそのメモ帳は、包み袋の封を切った時よりも重くなっている気がした。


「わからん。まあ後でゆっくり考えるとして……おいアリス、戻るぞ」


 あれ? いない?


 振り返ると、アリスは少し離れた黄色いパンジーの様な花の元で座っていた。


「ああそうか、北メインゲートだからその花を摘んだ場所か」


 そう言いながらアリスの横に並んで座り、花を眺めた。


「せっかく摘んだのに、お父様とお母様のお墓には供えられそうにないわね」

「まあ……いつ戻れるかわからないからな……ってか戻れるかすら怪しいけど」

「そうね……きれいなのに残念」


 アリスは悲し気な表情で花を見つめていた。

 その姿を見てなんとかしてやりたいと思ったが、今の俺にはどうする事も出来なかった。


「じゃあ……押し花作って、いつか戻れた時に供えるか?」

「押し花? なによそれ」

「花を乾燥させて、紙に貼ったりして保存する方法だ、多分。詳しいやり方はわからんけど、まあツゲヤに書いてある本あるだろ」

「いいわね! じゃあ後でツゲヤに行くわよ!」


 アリスは俺の提案を気に入ったようで、勢い良く立ち上がり、そのまま北メインゲートへと駆け出した。


「あなた中々の提案をしたわね。お爺様に頼んで筆頭執事にしてあげてもいいわよ?」


 アリスは途中で小さくジャンプした後に振り返り、微笑みながら言った。


「今度は筆頭執事か……悪くないな」


 俺はアリスの誘いに曖昧に答えながら、空を見上げた。


 沈みゆく太陽の様な恒星は空を赤く染めていて、そこに浮かぶ3つの月を引き立てていた。

 元の世界よりも小さいそれらは、まるで兄弟が身を寄せ合っている様にも、敵同士がけん制し合っている様にも見えた。


「3つもあるんじゃ、多分この異世界の人達はどの月が好きか的なトークで盛り上がるんだろうな……」


 俺は独り言を呟きながら、北メインゲートへと歩いた。


「早く来てちょうだい! 暗くなってきたしお腹もすいたわ!」

「今行くから慌てるな!」


 アリスが両手を腰に当てながら、こちらを向いていた。それを見て、俺は少し歩くスピードを上げた。


 それから暫くして、世界は夜へと移り変わり闇を深めていった。

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