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俺とアリスの異世界冒険手帳~ショッピングモールごと転移したのはチートに含まれますか!?~  作者: 底辺雑貨
六部 第二章

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473 ただちょっと忘れているだけ

 ルナは気を失ってから、しばらく目を覚まさなかった。大声で呼びかけても身体をゆすっても、なんの反応も示さなかった。そこで俺は枯れた木の下までルナを運び、着ていた薄手のコートを脱いで、その上に彼女を寝かせた。そしてその隣に腰を下ろし、なんとなく細長い無数の枝越しに赤い空を見上げた。


 赤茶けた灰が雪のようにひらひらと空を舞い、紅い四の月の荒れた地表に降り積もっていた。そんな光景は、俺にふと北の大地での出来事を思い出させた。予期せぬ元の世界への帰還のあと、再びこの異世界に戻って来たとき最初に飛ばされた土地だ。そこで俺は激しい吹雪のなかをスノウホワイトと名乗る老婆の声を頼りに進み、凍死を免れた。そして凍結した八つ死湖を走って突っ切り、北の国グロウナイのサンクチュアルという街に辿り着いた。


 そこで俺を待っていたのが、大魔導士アリューシャ様――最始の魔女ピーリカ――だった。八歳程度のいわゆる『のじゃロリ』だ。長い銀色の髪、幼いながらに美しい顔立ち。こうして眠っているルナの顔を見ると、無関係だとはどうしても思えないほど似ている。ルナの双子の妹と併せて、実は三つ子の女神だったと言われたら納得してしまうほどに。むしろ、そう明かされなければ不自然なまでに。


 そして、ルナは『ピーリカ』という名前を俺の口から聞き、気を失ってしまった。顔を引きつらせ、瞳孔を思いっきり外まで広げ、無表情のまま意識が途絶えてしまった。こうなれば、もう無関係というほうが無理がある。きっと、アリューシャ様とルナとリアは密接な繋がりを有しているのだろう。月の民の末裔と、双子の月の女神以上のなにかを。


 幾重もの枝のあいだをすり抜け、赤茶色の灰が一片ルナの広いおでこに落ちた。それを指先で払ってやると、ほぼ同時にルナの目が開いた。緋色の瞳がしばらく虚空を眺め、少しすると俺の顔を見つめた。


「私はどうしてここで横になっているのかしら?」と彼女は言った。声は落ち着いており、響きも安定している。


「俺と話してるときに、いきなり気絶したんだよ」と俺は言った。「覚えてないのか?」


「覚えていないわ」とルナは言った。「いえ、そうじゃない。覚えてはいる。けれど、なにがあったのかは思い出せない」


 少しだけ迷った。ルナに最始の魔女ピーリカについて訊ねたことを言うか言わないかでだ。あれはどう考えても普通の反応ではなかった。きっと、この名はルナの頭や心のもっとも柔らかい部分を強く刺激してしまうのだ。


「頭の隅で、なにかが引っかかってる気がする」と彼女は起き上がりながら言った。「心の奥が、まだざわめきのようなものを残している。けれど、取り出すことができない。取り出すことができないし、取り出さないほうが良い気もする」


 言わないほうがいいだろう、と俺は思った。ルナは俺が夢から覚めれば、またひとりぼっちでこの紅い四の月に残されることになる。余分な負担は与えないほうがいい。それでなくとも、彼女は文字どおり死ぬほど頑張っているのだ。


「アリスの話をしてたんだよ」と俺は適当に言った。「きっとバカな話を聞いたから、心労がたたって気を失ったんだと思う」


 ルナはしばらくのあいだ、俺のついた嘘を推量するように宙に浮かべていた。やがてそれをそのまま飲み込み、唇を少しだけすぼめた。


「まあいいわ。そういうことにしておく」と彼女は言った。「それより、私としてはまだあなたがここにいることが不思議でならない。もうとっくに目が覚めるころだと思っていたのだけれど」


「ああ、それな」と俺は言った。「たしかに、お前が気絶したあと、ちょっとしてから現実の世界で起きたよ。でも枕元にリアがいて、『まだねむっていたほうがいい』とかなんとか言って、枕に後頭部を思いっきり押しつけられたんだ」


 ルナはふっと口許をほころばせて笑った。彼女が笑うと、俺はものすごく嬉しい気持ちになれた。だけど、ほんの少しだけ悲しくもなる。どうしてだろう?


「あの子は私のためにそうしたのね。私が眠っているあいだ、あなたに近くにいてもらうために」


 だろうな、と俺は言った。それから頭を撫でてやろうとしたが、小さな手でさっと振り払われてしまった。


「もう撫でてもらうのは、今回はやめておくわ。こんなことで喜ぶと思われるのは癪だし、なによりあまり気軽に触れられると、女神の威厳がなくなってしまう」


 そっか、と俺は言った。それなら、次に会ったときのために取っておこう。もしかしたら、いつかそのうち夢のなかだけじゃなく現実でもルナの頭を撫でてやれるかもしれない。そのときが来ればいいと、俺はなによりも強く願う。


「きっと、もうじき本当にあなたの夢が覚めるころ。あと二十二日よ。それ以上は、もうなにも言う必要はないわね?」


「ああ、大丈夫だ」と俺は言った。そこで俺の意識は夢から切り離された。





 ショッピングモールの和室の天井。それが、俺の最初に目にしたものだった。もう見慣れたジャオンの休憩室の天井だ。アリスからもっと居心地の良いテナントの一つを寝床として与えられているが、この四畳半の狭さがなんとも心地良くて、ついここに来てしまう。それに、アリスから『与えられる』というのも未だに釈然としない。アリス国王? まったく、クワールさんも村から移住してきた老人たちも、アリスに好きにやらせすぎだ。


 二つめに目にしたものは、リアの横顔だった。彼女は俺の布団のすぐそばに座布団を敷き、そこに座って熱心に本を読んでいた。いや、本というか漫画の単行本のようだった。俺が起きたことに気がつくと、リアは漫画本をちゃぶ台の上に置き、俺の顔をじっと見つめた。


「ウキキ、おきた。リアはどうだった」


 独特な口調と喋り方だ。彼女は疑問符というものを語尾に置かない。


「ああ、意識も戻って思考もちゃんとしてたよ。ってか、リアは俺が夢のなかでルナと会ってるって最初からわかってたのか?」


 リアはなにも答えず、首を縦にも横にも振らなかった。時計台の下で時間を尋ねる人を見るような目で俺のことを見つめていた。きっと、わかってて当たり前なのだろう。俺の質問が馬鹿げているのだ。


 なんとなく手持ち無沙汰になり、俺はリアが読んでいた漫画について訊いてみた。誰もが知る有名な囲碁の漫画の一巻だ。


「それ、面白いだろ。ってか、お前日本語わかるのか?」


 リアは首を横に振った。「わからない。だけどエをみてるだけでたのしい。さいきんいつもマンガをみている」


 なるほど、と俺は思った。リアがここのところ忙しそうにしてたのは、こうして夢中で漫画を読んでいたからなのだろう。なにか重大な事件が持ち上がって奔走してるのではないかと密かに心配していたが、それなら安心だ。


「文字が読めないで、ストーリーわかるのか?」

「なんとなくわかる。これはコダイのマモノをショウカンしたシュジンコウが、しろいイシとくろいイシをつかってよのなかにフクシュウするはなし」

「全然わかってねえな……」


 俺は棚に置いてある小物入れからハサミと糊を取り出し、その辺のノートを適当な大きさに切り取って、漫画の台詞の上にじかに貼りつけた。そしてボールペンでなるべく丁寧に主人公の台詞を代筆した。同じ要領で数ページ分を進め、主人公と平安時代の棋士との出会いを終えたところでリアに手渡した。リアはそのあいだ、羊の放牧を眺めるような目で俺のことを見ていた。


「ほら、これで読めるだろ?」


 リアは漫画のページに目を落すと、すぐに頷いた。ショッピングモール・スキルの効果で、俺が発言したり書いた言葉は相手の認識言語にすべて置き換わるのだ。


「よめる。ヒカルとサイ」とリアは言った。それから、俺の顔をじっと見つめた。「ありがとう」


 ルナと違って、リアは笑わない。それでも、喜んでいることはちゃんと伝わった。こんなことで喜んでもらえるのなら、もっとほかの漫画も代筆してやろう。手始めに俺はリアからまた漫画を受け取り、作業を続けることにした。時間はかかるかもしれないが、これからも俺はこの異世界で生きていくのだ。たぶんいつかは本屋中の漫画の翻訳を完成させられるだろう。


 ノートにハサミを入れながら、俺はふと何気なくリアに訊ねてみることにした。きっと、俺は目を覚ましてからずっとその質問をいつリアにするのか逡巡していたのだろう。訊くなら今しかないし、今訊かないならもう一生この件に関して口にしないほうがいい。そんな種類のものであるように感じられた。


「なあリア、お前は大魔導士アリューシャ……最始の魔女ピーリカを知ってるか?」


 しっている、と彼女は言った。透明感の強い緋色の瞳が、ほんの一瞬だがきらりと光ったように見えた。


「ルナもしっている。でもよくないことしかおぼえていない。だからショックがおおきくてあんなふうになってしまった」とリアは言った。「ほんとうは、ルナはやさしかったあのヒトのことをちゃんとおぼえている。ただちょっとわすれているだけ」


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