467 位階の縛り
精霊王を決める二人の戦いが始まってから数分経つと、フィールドが炎を司る活火山から周りを岩山に囲まれる盆地へと変化した。遥か上空の四隅から見下ろす巨大な四大精霊のなかで、今度はサラマンダーに代わりノームの六人を覆う光が強く大きく輝きだした。ここからは地の精霊の領域ということだ。
その時点で俺が考える今後の展開の予想は、ガルヴィンがしばらく受けに回るだろうということだった。なぜなら火の領域が終わったことで、一番得意とする炎の精霊魔法の増幅が収まってしまったからだ。防御に回るだろうと思ったし、防御に回るべきだろうとも思った。少なくとも、とりあえずはザイルの出方を窺い、隙があれば強められた地の精霊魔王をぶっ放すのが一番の良策だ。
しかし、ガルヴィンの取った行動は俺の予想を大きく裏切った。あろうことか、フィールドが変わった直後に再度炎の精霊魔法を発動したのだ。いくつかの火球が一直線にザイルに向けて放たれるが、しかしそれはたった一振りで撥ね返されてしまった。軌道を変えた複数の火の球が、山の荒い岩肌を細かく穿って破裂する。
ザイルは鼻で笑い、前方の少女を睥睨する。もう少し頭を使って攻撃しろ、と彼の冷ややかな青い目は語っている。それに関しては俺もザイルと同感だ。先ほどまでの増強された炎の精霊魔法でさえ通用しなかったのだから、ガルヴィンは攻め方をもっと熟考するべきだ。
だが、ガルヴィンの頭の上を陣取るチルフィーは違う意見のようだった。彼女は満足するように口角を上げ、ザイルのことをきっと睨みつけた。
「ガルヴィン、これでいいのであります!」とチルフィーは言った。「あたしたち精霊の神髄は、得意なことを押し付けるところにあるのであります! だから、戦いたいように戦うのであります! あたしと一緒に、あの嫌な奴をやっつけるのであります!」
四大精霊の風の精霊がどちらか片方に肩入れすることについて、パルケルススは何も咎めたりするつもりはないようだった。ザイルが意義を唱えることもなかった。しかし上空に聳えるチルフィーはずっと変わらず瞑想するように佇んでいるので、きっと今ここにいる彼女は観念的な存在なのだろう。それほどの力は発揮できないはずだ。
チルフィーの口上が終わると、ガルヴィンはにっと笑った。そして両手を高く掲げ、そこに火焔を形成した。増幅はもちろんされていないが、地獄の底で生まれたような活きいきとした炎だ。人ひとりぐらい簡単に飲み込んでしまうほど大きい。
ザイルは眉をひそめ、つまらないものを見るような目で炎が放たれるのを待っていた。しかしチルフィーとともにガルヴィンの身体を薄緑色の風が包んでいくと、その目が細められた。
ガルヴィンは両手を勢いよく振り下ろし、熱く燃え盛る火焔を撃ち出す。「炎っ……そして風っ!」と彼女は力を籠めるように発声する。すると二人を纏っていた風が解き放たれ、吹きすさび、竜巻となって炎と混じり合う。
それは一瞬間の出来事だった。本当に刹那のうちに炎と絡み合う竜巻がザイルを飲み込んでしまった。俺の隣に立つアリスが腕を組んで何度も頷く。ここまで届く強い風が、アリスの長い黒髪をなびかせている。
「あそこにいるチルフィーは力を発揮できない、とあなたのことだから思ったでしょうね」とアリスは言った。「それはとんでもない誤解だわ。たしかに、あのチルフィーは、心象風景と概念的な肉体の世界における、観念的な存在かもしれないわ。けれど、それって精霊の本質そのものだと思わない? つまり、ここでチルフィーにえこ贔屓されたガルヴィンは、風の精霊の力をフル性能で使い放題だということよ」
「いや、なに偉そうに解説してんだよお前……。ってか、なにが『つまり』なんだよ……」
「けれど、これで勝負が決まったとは思わないほうがいいわ。むしろ、ガルヴィンはこれでようやくザイルと同じ地点に立てたようなものよ」、アリスは涅槃に達した修験者のように不敵に笑い、俺の顔をじっと見つめた。「この戦い、白いほうが勝つわ」
そう聞いて俺は輝くような白髪のザイルの勝利を連想したが、どうやらそういうわけではないようだった。ちょっと言ってみたかっただけのようだった。しかしアリスがバカとはいえ、どうやらグラディエーターである俺の見立てよりも、精霊士と同じウィザードのアリスの意見のほうが的確なようだ。それは認めないわけにはいかない。
そしてやはりアリスのいうとおり、勝負は決まっていなかった。炎を纏う竜巻が収まると、涼しい顔をしてにやっと笑うザイルの姿がそこにあったのだ(今日はどいつもこいつも口元だけで笑ってばかりだ)。しかしザイルの表情とは裏腹に、それなりの方法を取らなければ防げなかったみたいだ。彼を守った厚い岩の防御壁が音を立てて崩れ、滅んだ街の古い瓦礫のように足元に散らばった。
「弱き者ガルヴィンと、それに味方する風の精霊か……」とザイルは口にした。「面白い、やってみるがいい。ここからお前はどう戦う? かつてお前に才能を感じたおれを、どう満足させてくれる?」
チルフィーはその言葉によりいっそうの奮起を見せたが、ガルヴィンは追撃することなく頭のうしろで腕を組んだ。彼女は言った。
「その前に、一つ訊いておきたいことがあるんだけど」
「なんだ? つまらぬことなら、おれに聞かせず口を閉ざしておくんだな」
「ザイル、あなたは位階の縛りを使わないつもりなの? その気になれば、いつだって精霊魔法発動の許可を取り下げることができるでしょ? このままボクに、好き放題撃たせる気?」
ザイルは何度かその場で首を振った。稲穂のように垂れる白い前髪が、それに追従して揺れ動いていた。
「つまらぬことなら、口を閉ざしておけとおれは言った。が、そのことで集中を欠くようなら教えといてやる。パルケルススの創り出したこの世界では、そんなくだらない位階の差異は適用されない。なぜ、こんな簡単なことが感じ取れない?」
「ああ、そうなの」とガルヴィンは言った。そして両手にそれぞれ炎と風を纏った。「なら、負ける気がしないよ!」
彼女は炎と混ざり合う竜巻を撃ち放ったが、しかしすでにザイルはそこにいなかった。風の精霊魔法と脚力で空高く飛び上がり、ガルヴィンの上から地の精霊魔法でカウンターを放った。山のように巨大な岩の塊が、前後左右の四方から彼女に襲いかかる。先端は盗掘者を屠る遺跡の罠のように、無数の鋭いトゲに覆われている。
「あの大精霊士ホントにムカつくであります!」とチルフィーはガルヴィンの頭上で吠え立てる。「あたしの風を、あたしの許しなく使うなんてズルいであります!」
「そうだね、だけど文句を言ってる場合じゃないよ」とガルヴィンは言う。「チルフィー、ボクらも風の精霊魔法でザイルより上に逃げるよ!」
しかし、それはザイルにとってため息を吐くほどつまらない予想の範囲内の行動だった。まるで準備されていたかのように(いや、実際準備されていたのだろう)、上空のガルヴィンに向かって硬質化された水の柱が伸びていった。
次の瞬間、少女の華奢な身体の真ん中に孔があく。晴れ渡る青空の中心で、噴水のように血飛沫が舞った。ザイルの水の精霊魔法が消えると、彼女はそのままなんの対策もなく落下する。そして、激しく地面に叩きつけられる。
「おい、ガルヴィン!」と俺は声を上げ、すぐに駆け寄ろうと歩を運んだ。しかし一歩か二歩目で下半身が動かなくなってしまった。
アリスも同じように、俺のすぐ横で固まっていた。「どうやら、私たちが手を出すのは許されていないようだわ!」とアリスは言って、首を限界までねじって後方のパルケルススを見やった。
「そのとおりだよ、アリス女史」とパルケルススは言った。「精霊を取り巻く円環に身を置く者以外、この世界では何人たりとも手出しはできない。だけど、ああ、心配はいらないよ。最初に述べたとおり、ここでは身体を貫かれようが、血が噴き出して干からびようが、命に別状はない。まあ、少し戦いにくくはなるだろうがね」
二人の戦いは、まだ始まったばかりだ。




