464 虹色のパルケルスス
ガルヴィンはこれから何が始まるのか、まったく知らされていない様子だった。しかし招き入れられた会議室の暗い照明やひっそりと燃える蝋燭の炎、そしてアリスの試されているような視線を気取ると、だいたいのことは把握したようだった。なにより入室を許されたのは自分とザイルの二人だけだし、この部屋には四大精霊が揃っている。自分も精霊王の候補なのだと、少女が気づくのにあまり時間はかからなかった。
「それで、いったいボクはいつの間に、精霊王になるために必要な認印を与えられてたの?」とガルヴィンは用意された椅子に座るなり声をあげた。
「大魔導士アリューシャ様からは、ザイルと同じとき密かに付与されていたみたいだな」と俺は少し離れた丸テーブルの席から言った。「クラット皇子のは、ちょっと前にさりげなくお前の手を握らせたときだよ。クラット皇子本人もよくわかってないままだけどな」
「へえ」と彼女は他人事のように言った。「全然気づかなかったよ。認印って、そんな本人に内緒で与えていいものなんだ」
ガルヴィンは少なからずこの場を不快に思っているようだった。しかしそれも無理はないだろう。なんたってこの世界の破滅を防ぐための言わば鍵のようなものを、自分が知らないあいだに握らされていたのだから。
「認印がなんだか、ガルヴィンとザイルはちゃんとわかってるか?」と俺は敢えて二人に質問をした。ザイルがわかっているのは当然だが、ここからは二人を同じ候補者として扱わなければならない。
ザイルはそこで初めて椅子に腰掛け、隣のガルヴィンに目を向けた。「ガルヴィン、答えてみろ」と彼は対立者というよりは、どちらかというと師匠としての面持ちで彼女に言った。
「みんな耳にタコのつまらない話だよ、それに本当かどうかも確かじゃない神話みたいな出来事だね」とガルヴィンは軽い憎まれ口を叩いた。それから手を頭の後ろで組み、あくまで儀礼的に話し始めた。
「かつてこの世界に二人の精霊王がいた。名前はオーベロンとティターニア。この愚かな精霊王たちはつまらないことから争いを始め、瞬く間に世界を二つに分けてしまった。水は涸れ、火は燃え尽き、風は澱み、大地が形を変えるまで戦いは続いた。だけどあるときにふと二人は和解した。ボクに言わせれば、馬鹿みたいな痴話喧嘩でしかなかったんだ。犬も食わないってやつだね。
二人は自分たちの争いに世界を巻き込み、それなりに反省した。そしてそれなりの対策を考えた。またいつか馬鹿な精霊王たちが同じように馬鹿なことをしたときのために。そこで協力を要請したのが、大魔導士と大召喚士ってわけさ。次代の精霊王は、この両者の許しなく生まれないように取り決めたんだ。それが認印ってわけだね。その時代でもっとも力を持つ大魔導士と大召喚士だけがそれを付与できる。そしてそれは、もし自分たちが認可を与えた精霊王が間違いを起こせば、必ず討つという覚悟の証でもある。……まあ、こんなところかな?」
誰もが真剣に耳を傾けていたが、アリスだけは違った。信じられないというような表情を顔に浮かばせ、議長席でわなわなと身体を震わせていた。ガルヴィンが話を終えると、アリスは夢中になってガベルで丸い板を三回打った。ショッピングモールの子供たちがふたたび会議室のドアを外から開けたが(その合図なのだろう)、アリスの間違いだとわかると空気を読んで静かにドアを閉めた。
「ちょっと、それどういうことよ!」とアリスは議長席から身を乗り出して声をあげた。「どうして大召喚士の認印がクラット皇子なのよ! どう考えても一番は私じゃない!」
ふむ、と俺は思った。いつかこういうやり取りが起こることは予想できていた。アリスのような直情的なバカを黙らせるには、理論立てて語っても無駄なのだ。そのときにもっとも欲しがる言葉を与えてやらなければならない。
「落ち着けよアリス……。アリューシャ様はこう言ってたぞ、大召喚士の上に究極召喚士がいるって」と俺は金ぴかに塗ったメッキのような嘘を咄嗟に言った。「お前に相応しいのはそっちなんだよ。だって当たり前だろ? お前はクラット皇子より強いんだから」
「アルティメット・サモナー……!」とアリスは鼻をヒクヒクさせながら繰り返した。自分の口で発したところ、語呂も結構気持ち良いみたいだ。「いいわ! そういうことなら、大召喚士の座はクラット皇子に譲ってあげるわ!」
アリスは俺の嘘に気分を良くし、またしっかりと席に落ち着いてからガベルを一度だけ叩いた。それからザイルに起立を求め、よく通る声で議長というよりは面接官のように質問をした。
「名前はなんていうの? あなたのことを、ここにいる全員にいちから教えてちょうだい!」
四大精霊の誰もが黙って見守っているところを見ると、あらかじめこういう進行だと話し合いが行われていたみたいだ。なんだか茶番のようにも感じるが、しがない書記でしかない俺は黙っていたほうがいいだろう。
「ザイル・ミリオンハート・オパルツァー」とザイルはとくに気分を害する様子もなく素直に口にした。
「年齢は? ザイルは何歳だったかしら?」
「二十六だ」
「出身地はどこ?」
「オパルツァー帝国だが、産まれた場所なら帝国領ヴァインズの辺鄙な村ということになるな」
「確か次男だったわよね? お兄様は金獅子のカイルで間違いないわね?」
「ああ」
「あとシュリイルという妹と、白髪アフロの弟がいるわね?」
「ああ」
そこでアリスはガベルを叩いた。それが三回だったため、またしてもドアが開きかけたが、すぐに音もなく閉じられた。賢い子供たちなのだ。
「思い出したわ! あなたの白髪アフロの弟に、私たちは時の迷宮で月の欠片を全部盗まれたのよ!」
「それは悪いことをしたな。あいつは奔放な風来坊なんだ、勘弁してやってくれ」
「まあいいわ。それじゃあ、結局のところ兄弟は何人いるの?」
六人だ、と彼は答えたが、それは正しくもあり間違ってもいた。正確には七人だったが、一人弟が亡くなったのだ。そしてその死はザイルの原点とも呼ぶべき出来事でもあった。なぜなら、彼はそれをきっかけに強くなろうと決意したのだから。
だいたいの質問を終えると、アリスは次にガルヴィンを立たせた。ガルヴィンは気だるげに立ち上がり、アリスの問いに淡々と答えていった。十二歳。出身地はわからない、きっと屍教団のアジトだったどこかじゃないかな。お姉様? ああ、そうだね、そういえば異父姉妹の姉が一人いるみたいだね。
それからアリスは精霊王への意気込みを二人に尋ねたが、そこで大人しくアリスの進行に従っていた四大精霊に変化が起こった。水の精霊ウィンディーネは青色に、火の精霊サラマンダーは赤色に、風の精霊シルフのチルフィーは緑色に、そして地の精霊ノームの六人は黄色に、それぞれ全身が淡く発光しだしたのだ。
「これはなんでありますか!」とまずチルフィーが驚いて口を開いた。「怖いであります! あたしどうなっちゃうのでありますか!?」
「落ち着いて、平気だから」とサラは最年少ながら落ち着いた声でチルフィーをなだめた。「これは、あたちたちのなかで眠る、パルケルスス様の目覚めの兆候だよ」
ノームの六人が同時に同じ角度で同じ深さだけ頷いた。
「ってわけだから、アリスとウキキはもう引っ込んでナ! ここからはアタイら精霊様の時間だ!」
やがて四大精霊に宿る光が彼らから解き放たれ、ゆっくりと宙を進んで一か所に重なり合った。そしてさらなる輝きを放ち、四色が絵筆で混ぜ合わさる絵具のように融合した。
それはぷかぷかと浮遊する大きな雫のような形をした球体だった。「やあ、ワタシが目覚めたということは、精霊王が新たに誕生するんだね?」と虹色のパルケルススは言った。




