450 頼もしい仲間
アリスはチルフィーとの再会を、一日ぶりとは思えないほど大袈裟に喜んだ。チルフィーを自分の膝に座らせ、それからかしましくお喋りを始めた。ガルヴィンもクリスマスケーキと温かいお雑煮を用意し、トレイに載せてその輪に加わった。どちらもチルフィーが戻ってくるのを予想し、彼女のために取っておいたみたいだ。
俺はアナやレリアと近くのソファーに座り、そんなアリスたちの様子を眺めるともなく眺めていた。チルフィーがいると、やはりそれだけで空間が和やかになる。あいつが風の精霊シルフになろうがなるまいが、それは最初から変わらないことだった。チルフィーの周りには、いつだって穏やかな風が吹いている。
「それにしても、チルフィーがそんなことになっていたなんて、わたくしちっとも知りませんでしたわ」とレリアはアリスたちに目を向けながら言った。「本当に、ウキキ様の肩には色々なものが載っているのね。きっと今では、いつか宿の廊下で朝まで語り明かしたときよりも、ずっと多くなっているのではなくて?」
「そうでもないさ」と俺は言った。「たしかに多くはなったけど、それでも少しずつ片付いてるよ。本当に少しずつだけどな……。そしてそのたびに、新しい仲間や協力者を得られている。お前もアナも、チルフィーもガルヴィンも、俺の肩に載っかった厄介ごとのおかげで出会うことができたんだ。ソフィエさんもユイリも、ボルサもナルシードもラウドゥルも今はいないけど、道が交わえばきっと俺たちを助けてくれると思う。領主やオウティスやスプナキンみたいにいなくなっちゃった奴もいるけど……それでも俺とアリスには、ガーゴイルの起動阻止に立ち向かえるだけの頼もしい仲間が、こんなにたくさんいてくれるんだ」
「どうしたウキキ殿」とアナは俺の顔を覗き込むようにして言った。「いつになく言葉から詩的な響きが聞き取れるが、そんな少しの酒でもう酔いが回ったのか?」
俺はグラスの底に残ったウィスキーを見つめて頷いた。「ああ、そうかもな」
「けれどウキキ様」とレリアが言葉を継いだ。「サラを忘れてもらっては困りますわ。あの子は火の精霊として、完全に代替えを果たしましたの。これでほかの四大精霊とともに、この惑星に対して立派に力を示してくれるわ。そうすれば、きっとガーゴイルの起動も防げますわ」
「そうだな、もちろん忘れてないよ」と俺は言った。「ウィンディーネもノームもいるし、クリスもルナもリアもいる。ウヅキはイヅナやミカゲと一緒にハバキ村で待っててくれてるし、俺とアリスの故郷の惑星には姉貴と金獅子のカイルもいる。ああ、すごいじゃないか。ははっ……最強の布陣だぜ。これなら、NBA2015-16シーズンに勝率89%を誇ったウォリアーズにも勝てちゃうんじゃないかな――」
俺はそこで口をつぐんだ。アナが鬼の形相で俺を見ていた。俺は今レリアの前で誰の名前を口に出してしまったのだ? ちょっとグラスをテーブルに置き、真剣に考えてみる。ステフィン・カリー? カイリー・アービング? カイル・ラウリー? いやいやそうではない、俺はつい自分の滑らかな口に気持ちよくなって、金獅子のカイルと言ってしまったのだ。
レリアはアナとは逆に菩薩のような顔をしていた。自分の耳に届いた名前を脳内で精査するために作られた、仮置きの表情だ。これはやってしまった。小さなころからの恋に終わりを告げたとはいえ、その相手の名はまだまだ禁句なのだ。それに、俺はさっき地球で姉貴といることまで明示してしまった。ああ、これは本当にやってしまった。
「ウキキ様……あなた今もしかして、金獅子のカイルとおっしゃいませんでした?」と彼女はにっこり笑いながら言った。「……いえ、そんなわけないわよね。だってもしそうなら、ウキキ様のお姉様と一緒だということになってしまいますもの……。つまりわたくしが幼いころに見た、カイル様とイチャイチャしていたあの不埒な泥棒猫の正体が、ウキキ様のお姉様だと……。あら、いやですわ、わたくしったらなんておかしなことを考えてしまったのかしら……。まさか、そんなはずありませんわよね?」
もうなんていうか憐れだった。ちゃんと聞き取ったはずの答えを、脳内の防壁のようなものが必死に否定しようとしているのだ。ここは聞き違いってことにしておいたほうが良いのだろうか? アナに目配せをしてみる。『レリアの調子に合わせろ』、と彼女はジェスチャーと口の動きで俺に伝えようとしていた。鋭い鬼の牙を唇の下に覗かせている。アナは鬼の一族の末裔だったのだ。
なんとかアナと口裏を合わせ、この場はレリアの勘違いってことで納得させておいた。しかし、いつか彼女も知ることになるのだろう。幼い少女が恋焦がれた相手はすでに妻帯者だと。そして、妻のお腹のなかには新しい命が宿っていると……。それを知ったとき、レリアはどんな顔をするだろうか? なにを思い、なんて口にするだろうか? わからない、と俺は思う。たぶんアナにだってわからないだろう。しかし、ひとつだけたしかなことがある。それは、きっと本当の恋の終わりを迎えたとき、レリアがまた少しだけ大人になるということだ。少女はそうやって少しずつ階段を登っていく。
*
夜が更け、朝がやってくる。俺はその新しい一日をベッドのなかで迎える。今日の午後にはこのシルフォニアを発ち、ウィンディーネやノームやシルフの族長のいるショッピングモールに戻ることになっている。それまでは、街の外をうろつく死ビトを退治して回る計画だ。俺たちがケルベロスに蹂躙された人々のためにやってあげられることなんて、これくらいしかない。散った命も崩壊した建物も、誰にも元に戻すことなんてできない。
昨夜遅くに、ガルヴィンは俺にこう言った。「そういえばお兄ちゃん。あの皇子様は、ケルベロスの卵を孵すことにしたって」と……。それが、地獄の番犬に灰と骨にされた街並みをじかに目にして下した、クラット皇子の決断みたいだ。ケルベロスの罪は召喚士である自分が背負うと、彼は心に決めたのだ。
その決意がきっかけだったのかもしれない。クラット皇子は普段は食事の席に顔を見せなかったが、今朝はみんなと同じテーブルに着き、それなりにしっかりと朝食をとっていた。会話こそ少ないものの、受け答えはちゃんと声に出して返事をしていた。俺にアリスの生写真はいつくれるのかと催促までしてきた始末だ。自分のせいで祖国の復興が叶わない絶望も、ラウドゥルに棄てられた悲しみも、こうやってちょっとずつ癒えていくものなのかもしれない。
死ビトの討伐はいくつかの班に分かれて行われた。班分けはもちろんリーダー(気取り)のアリスが担当し、アリスとレリアとサラのアリス討伐隊アリス班、俺とガルヴィンとチルフィーのアリス討伐隊チルフィー班、アナとクロエのアリス討伐隊アナ班、というふうにどんどん決められ、そこに有志で募ったシルフォニアの兵士たちが十名ほど組み込まれていった。
ザイルの名はどこにもなかった。というのは、昨日シルフォニアの為政者との会談のあと、彼は飛空艇に帰ってこなかったのだ。アナの話だと会議はザイルの目論見どおり進み、シルフォニアはオパルツァー帝国の属領として併合されることになったそうだ。しかしそれは迅速な救援や保護が主目的とされており、復興がある程度済めばすべての領土を無条件で返還するという一文が条約には記されていたらしい。まるで正義の味方かなにかのようだが、当然多大な見返りがあるのだろう、とアナは口許だけで笑って言った。しかしなんにせよ、風の精霊シルフの故郷に悪いようにはしないだろう、というのが彼女と俺の総評だった。ザイルとてガルヴィンと同じ(しかも位階が一つ上の)精霊士なのだから。
そんなザイルと再会したのは、死ビト退治が始まってだいぶ経ってからのことだった。アリス討伐隊チルフィー班の俺たちは、深い森のなかを順調に進んでいた。そして開けた場所に出たとき、その中央で黒づくめのなにかと戦っている彼の姿があった。ザイルの極大な火炎による精霊魔法が相手のマントを焦がし、その刹那に薙ぎ払われた巨大な剣がザイルの頬をかする。
そう、彼はあろうことか黒鎧のデュラハンと戦っていたのだ。




