45 がんばれ
トロール死ビトの鉄の棍棒が俺へと振り下ろされるのを目視すると、俺はその一撃を必死に躱した。
縦に迫る攻撃には横に避けて対処する。当たり前の物理法則とはいえ、実際に巨体の怪物から繰り出される攻撃に対して行うのは俺の想像以上に困難だった。
しかし、死にさえしなければ噴水の水を飲めば大ケガでも治る。それに包帯もある。その事実は俺の恐怖を和らげ、同時に俺の勇気を増幅させる要因にもなっていた。
って言っても、こんな気合の入った一撃を食らったら即死でもおかしくないな……。
剣もクワールさんに返しちゃったし、ナイフじゃ心細いな……。
トロールAとの会話を終えた後、クワールさんには子供達とおじさんを連れて村まで戻ってもらった。
その際に丸腰だと危険なので、剣はクワールさんに返していた。
『トロール討伐の生き残りか……』
その時の会話で、クワールさんはこんな事を口にしていた。
数年前に実力者の間で盛んに行われた腕試し。
その相手に最適とされたのが、各地に点在しているトロールだったらしい。
この森の奥にも多くの実力者が入り込み、静かに暮らしていた亜人であるトロールの村が荒らされた。
クワールさんの村は、その時に宿泊やらなんやらでかなり潤ったらしいが、全滅したトロールの村を見た時クワールさんは唖然としたらしい。その時の罪悪感もあってか、クワールさんはトロールAに同情的だった。
『ワシらが若い頃は、トロールとの交流も少なからずあった。どうだろう……今回はまだ誰も傷付けられてないようだし、見逃してやる訳にはいかないだろうか』
子供と一緒にいたおじさんも若い頃を思い出したようで、2人で軽く昔話をしていた。
俺もクワールさんの意見に賛成し、大人しく森の奥に帰る事を条件に止めは刺さなかった。
今回の騒動の黒幕、それは死ビトとなったトロールBを操り、トロールAには一緒に村人を襲わないとトロールBは消滅させると言って脅した者……。先の会話から、俺はそう結論付けた。
その糞野郎が、今この瞬間も俺達を狙っているかもしれない……。
目の前の麻袋を被って素顔を隠している……いや、トロールAによって隠されているであろうトロール死ビトよりも、俺はその糞野郎の次の行動を懸念していた。
「アナ……こいつの相手は俺とアリスに任せろ。お前とレリアは周りを注意しつつ、ソフィエさんと子供達を頼む。……もしかしたら、今この瞬間も狙われてるかもしれない」
「なに!? どういう事だ!?」
「詳しく説明してる暇はない、早くしろ! ……おいレリア聞こえたな!? 頼んだぞ!」
俺はトロール死ビトに対して中距離を保っているレリアに、振り返らずに言った。
「トロールとは別に、わたくし達を襲って来る可能性のある輩がいるという事ですわね?」
「ああそうだ! ……アリスも聞こえたな! こいつの相手は俺とお前でやるぞ!」
「了解よ! あとチルフィーもね!」
「だな! チルフィーも頼むぞ!」
「了解であります!」
崖を背に、子供達を守るように両手で囲んで座っているソフィエさんに目を向けた。
「ウキキ! がんばれ!」
目が合った瞬間、ソフィエさんは微笑みながら言った。初めて理解したソフィエさんの言葉は、俺を激励するものだった。
「おうよ!」
そのソフィエさん達を守るようにアナとレリアが両脇に立ったと同時に、俺はトロール死ビトに向かって駆け出した。
「出でよ鎌鼬!」
ザシュザシュッ!
その二撃の斬風はトロール死ビトの膝を襲い、切断とはいかなかったが膝を突かせる事となった。
「硬いな……肉を斬るというより岩を斬った感覚だ……」
「さっきのトロールより強いわよ! 傷もすぐに回復するみたい!」
俺の後方でアリスが言った。その言葉を脳が認識した直後、トロール死ビトの鉄の棍棒が俺へと薙ぎ払われた。
「うおっ!」
俺はその横への薙ぎ払いに対し、少し後ろに飛び跳ねて対処した。
先程のトロールAとの闘いでも行った動作だったが、鉄の棍棒の長さを測りかねていた為、シャツごと俺の腹を薄く裂かれた。
「痛って……けどこの程度のケガなんて!」
Tシャツに浮き出る僅かな血に触れながら、俺は言った。
トロール死ビトは尚も攻撃の手を緩めずにいた。その一撃を数回躱した後、トロール死ビトはそれまでよりも数秒長めに鉄の棍棒を振りかざした。
その力溜めのような行動に臆せず、俺は一歩踏み込んだ。
「出でよ鎌鼬!」
ザシュザシュッ!
トロール死ビトの腹をX字に斬った直後、振り下ろされた鉄の棍棒の風圧を背中に感じた。
「やったか!?」
死ビトなので出血の類は一切なかったが、岩を斬る感覚とはいえ確かな手応えを感じた。
「やってないわよ! だから、すぐに回復すると言ったでしょ!」
背中でアリスの声を聞いてから振り向くと、アリスがフワりと2メートル程ジャンプをした。
「アイス・アロー!」
ズシャーー!
その空中から撃たれた氷の矢は水平にトロール死ビトへと向かって行き、X字の斬痕に追い打ちをかけるように突き刺さった。
「って! おいアリス! 今お前不自然に浮いたろ!」
「チルフィーの風の加護よ! 1秒ぐらい風を味方に出来るの!」
「であります! いつまでも、あたしのチアがただの応援だと思わないで欲しいであります!」
おお……チルフィー頼もしいな……。
と、やっと風の精霊シルフらしさを目の当たりにしていると、トロール死ビトが再び鉄の棍棒を振りかざした。
「くそっ……トロールAより回復が早いな、もうX字が塞ぎかかってる……やっぱ頭部を狙わないとか……」
そして振り下ろされた一撃を再び横に避け、俺は届かないであろう言葉を投げた。
「おいトロールB! トロールAはもう森の奥に帰ったぞ! お前もいい加減、糞野郎に踊らされてないでトロールAの元に帰れ! 死ビトになったお前を大事に想ってくれてる奴だぞ!」
届かない言葉は空へと消え、鉄の棍棒がそれを追うように振りかざされた。
もう何度目かも分からないトロール死ビトの振りかざす姿を確認した瞬間、俺は大きく後ろに飛び跳ねてから、アリスの元へと素早く駆けた。
「おいチルフィー! その風の加護、俺にも出来るのか!?」
「どうでしょう……マナが0.001では効果は薄いと思われるであります」
「そうか……でも少しでも効果があるならやってくれ!」
「了解であります!」
チルフィーがアリスの頭から俺の頭へと軽やかに飛び移った。
「アリス、俺が次にトロール死ビトの攻撃を避けた瞬間、奴の頭部を氷の矢で狙えるか?」
「狙えるけれど、少し刺さるだけよ? あの被っている袋みたいなので守っているみたい」
「ああ、少し刺されば十分だ……多分」
言い切ってから、俺は再びトロール死ビトへと駆け出し、インファイトを挑んだ。
「チルフィー! 俺の合図でチアを頼むぞ!」
「了解であります!」
チルフィーが目の前の怪物にビビらずに返事をしてすぐに、鉄の棍棒が勢い良く振り下ろされた。
それを横に躱したと同時に、アリスの氷の矢がトロール死ビトの頭部に浅く突き刺さった。
「チルフィー頼む!」
「行くであります! チアであります!」
その瞬間、頭上のチルフィーから俺の全身に風が伝わった。身も心も軽くなるような、そんな優しい風だった。
俺はその風を纏ったままホルダーからナイフを抜き、トロール死ビトの頭部へ向かって風を頼りに飛び跳ねた。
そして、光って消えたアリスの氷の矢が突き刺さっていた箇所目掛けてナイフを突き刺し、そのまま勢い良く右手の拳をトロール死ビトの頭部に捻じ込んだ。
「出でよ鎌鼬!」
ザシュザシュッ!
頭部の中で、二撃の斬風が舞った。
頭の内部から側部へと放たれたX字の斬撃は、トロール死ビトの頭部を半分ほど斬り裂き、呻き声一つ無くトロール死ビトはそのまま静かに膝を突いた。
「成功したの!?」
「ああ……」
俺は、自分の行った結果である凄惨な光景を見ながら、短く呟いた。
そんな俺のテンションを察したのか、駆け寄って来たアリスが俺の背中に軽くチョップをした。
「私達は勝ったのよ! あなたはみんなを助けたの!」
その俺を気遣うように言ったアリスの言葉を脳が認識した瞬間、俺の脳は背後のトロール死ビトの動きも察知した。
それは頭部を半分失ったにもかかわらず、再び鉄の棍棒を俺とアリス目掛けて横に薙ぎ払うという動作だった。
くそっ……俺が避けたらアリスがっ……間に合うか!?
「出でよ玄武!」
カメエエエエッ!
しかし、俺の使役した玄武がトロール死ビトの強烈な一撃を弾く事はなかった。
使役した刹那、俺達の横から突進して来た大きな物体によって、トロール死ビトはその一撃を当てる前に大きく吹き飛ばされた。
「お前……森の奥に帰れって言っただろ!」
俺は、その突進して来たトロールAに向かって言い放った。
しかし、トロールAは俺の言葉など受け入れない様子で、トロール死ビトに語り掛けた。
「オデのせいで、つらいおもいさせてゴメンな。死ビトでもいいからおまえと一緒にいたかった……でも、それはオデの勝手なわがままだな……」
トロールAの言葉もまた、トロール死ビトへ届いてはいなかった。
それでも、トロールAは言葉を送り続けた。
「ゴメンな……でも、もういいんだ。もうおまえもオデも苦しまなくていいんだ……」
その様子を俺とアリス、そしてソフィエさんや子供達やソフィエさん達を守っているレリアとアナの全員が黙って見ていた。
そして次の瞬間、トロールAはもう一度、崖を背にしているトロール死ビトへと向かって突進した。
「生まれ変わったら、またオデたち一緒になれるよな? また、ほこり高きトロールとして、おまえと――」
トロールAの言葉を俺達が最後まで聞く事はなかった。
激しい突進を受けたトロール死ビトはその衝撃で辛うじて頭部に着いていた麻袋が脱げ、半分程しか無くなった素顔をあらわにした。
同時に、トロールAとともに崖から落ちていった。
残った片方の瞳からは、一筋の涙が零れ落ちていたように見えた。




