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俺とアリスの異世界冒険手帳~ショッピングモールごと転移したのはチートに含まれますか!?~  作者: 底辺雑貨
六部 第二章

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432 わたしのお月さま

 自分の死について語れる人間は非常に稀有な存在だろう。なぜなら――なんて接続詞で繋げるまでもなく、その経験をとうとうと口述したり綴ったりするには、当然生き返りを果たさなければならないからだ。世界にはそんな話が山ほどある。しかし神話の類や純粋な思い込みを別にすれば、その多くは――あるいはほとんどすべては――ただの欲にまみれた虚言に過ぎないのだろう。醜く肥えた髭面の教祖かネタに困った煙草臭いライターかわからないが、彼らは平気で嘘を口にする。


 しかし、なかには本当に隠り世かくりょから這い出ることができた人間もいたかもしれない。アマゾン奥地の老人やガンジス川で溺れた少女の言ったことは真実なのかもしれない。だとすれば、彼らはたぶん俺と同じものを目にしたはずだ。完全なる闇――どこまでも続く無の領域を。


 俺は二度ほどそこに足を踏み入れ、そして同じ回数だけ甦った。日本神話で言えば大国主命おおくにぬしのみことと並んだわけだ。そしてそのおかげで黄泉性を纏うことができ、本来なら触れることすらできない隠り世の住人に取引を持ちかけることができる。戦うことの悦びを忘れた、この哀れな吸血鬼に。


 自分の頬に滲む赤い血を、吸血鬼は指先でそっと拭った。俺の使役した鬼熊がわずかに掠っていたのだ。彼はそれから俺を見てにやりと笑う。四十そこそこに見える美しく青白い顔貌が、少しずつだが確実に生気で満たされていく。


「どうだ……? 俺が誰だかわかってくれたか?」と俺はハイデルベルクに言う。「俺はこの異世界でもたぶん稀な、あんたが忘れてた戦慄を思い出させることができる人間だ。もしこれから俺の出す条件を飲んでくれるなら、すべてが終わったあとに好きなだけこうやってあんたと戦ってやるよ」


「ああ……そうだった……」とハイデルベルクは長い時間が経ってから言う。「我の心の空虚にあったものは、この愉悦だ……。そなたが我に一時いっときもたらし、そしてすぐに損なわれてしまったものだ……。ああ、我はもう二度と失いたくない……。ようやく呼び覚まされた、この戦いの悦びを……」


 そこでハイデルベルクの姿が消えた。いや、違う。あまりに速すぎて残像すら視認できなかったのだ。気づけば彼の長い腕は俺の眼前で差し出され、鋭利な爪を生やした大きな手が俺の首を絞めている。目は血走り、口からはだらだらとよだれが垂れている。


「さあ、亡者の諸手を振り切り黄泉から返ったニンゲンよ……! 我に恐怖を与えてくれ……! 我の肌を粟立たせ、震いおののかせ、そしてそなたの血飛沫が舞う姿をとくと観せてくれ……!」


 ちょっと計画と違う。俺の予想では交渉だけで済んだはずだ。それにこの無茶な要求はなんなんだ。俺の攻撃を期待するわりには、まったく寄り道もなく真っ直ぐ殺しに来ている。


「い……出でよ……鎌鼬……!」


ザシュザシュッ!


 彼の片腕を斬り落とす。予測に反し思ったよりもあっけなくそれが実行できてしまう。切り口から血が噴き出し、大理石の床を赤く染めていく。しかしハイデルベルクは動じない。怖くなり切断した腕を俺が反射的に投げ捨てても、彼はまったく気にも留めない。


「素晴らしい……。素晴らしいぞ、ニンゲンッッッ……!」とハイデルベルクは興奮を抑えようともせずに、狂ったように声を上げる。「悪寒が背中を駆け巡る……! 心臓が戦慄わななく……! これこそが、我の求める殺し合いだ……!」


 彼が損傷した腕を振ると、急激に成長する樹木のように肘の付け根から新鮮な腕が生えてくる。飛び散った血は瞬く間に蒸発し、磨き上げられた床が青い月明かりを薄っすらと反射させる。


「腕が生えてきたであります!」とチルフィーは驚いて見たままのことを口にする。


「あたり前です。吸血鬼は首を落とされない限り、どこであろうとすぐに再生してみせます」と蝙蝠のナディアが承認を与える。


 この機に乗じてちょっと一息……とばかりに話を持ちかけようとしたが、無駄だった。ハイデルベルクは休む間もなく夢中になって攻撃を仕掛けてくる。単純な手刀による突きがそのほとんどだが、どれも綺麗に躱すことができない。青い軌道による予兆は視えているのだ。しかし、視えた瞬間には裂傷を負っている。幻獣を使役する暇もなく、急所をなんとか守ることで精いっぱいだ。速い、なんてものではなかった。これでは、懐中電灯の光を避けろと言われているようなものだ。


 自分のしていることがどれだけ危険なことか、俺は今更ながら思い知る。たしかにラウドゥルの言ったとおりだ。神話の時代から生き続け、幾度となく人に災禍をもたらした怪物に戦いの悦びを思い出させてはいけない。金融ごっこと眷属集めで満足させておくのが正しい。


 泣き叫ぶ声が聞こえる。助けに入ろうとする気配を感じる。どちらもチルフィーのものだ。俺は手のひらを彼女のほうに向け、大丈夫だからそこで見ていろと手の動きで伝える。大丈夫だから……。今逆転の一手を考えているところだから……。


「どうした、黄泉返りの戦士よ……! 足りぬ、足りぬ、足りぬ……! もっとだ、もっと我に仇なせ……!」


 青い軌道が俺の心臓に突き刺さる。そこから辿った先にある手刀には、これまでにない力が籠められている。今までよりずっと明確に相手の命を刈り取ろうとする一撃だ。慈悲なんてものは一欠片も存在していない。


 しかしその若干の大振りは、俺に幻獣を使役する隙を与えている。一秒にも満たない間隙ではあるが、それだけあれば十分だ。


「出でよ玄武――並びに鬼熊!」


 光の甲羅が手刀を弾く。同時に、鬼熊のアッパーが尖った顎を打ち砕く。ハイデルベルクは綺麗に真上に吹っ飛び、一秒か二秒かけてゆっくりと床の上に落下する。


「おい……、あんた馬鹿なのか……?」と俺は伸びた格好のハイデルベルクに言う。「今ここで俺を殺したら、もう二度と戦いの悦びは味わえないんだぞ……?」


 音もなく、すっとハイデルベルクは立ち上がる。強烈なカウンターが利いているのかいないのかはわからない。いや、ちっとも利いていないのだろう、と俺は思う。こいつの強さは、俺の知る強さとはまったくベクトルからして異なっている。


「知らぬ、知らぬ、知らぬ……!」とハイデルベルクは言う。「我はこの享楽に逆らうことなど到底できぬ……! ああ、もっと、もっとだ……! 須臾しゅゆの命を燃やし尽くし、永遠に我とここで死合ってくれ……!」


 その時、ハイデルベルクの影が歪んだ。しばらくのあいだ不気味に揺らぎ、やがて打ちつけられた楔から解放されるように浮かび上がった。それは一瞬で俺との間合いを詰め、獰猛な獣のように飛びかかってくる。俺は咄嗟に身を翻してかわし、大きく飛び退いて距離を取る。そこで別の影に背後を取られたと知ったのは、チルフィーが叫んでからすぐだった。


「ウキキ! 危ないであります!」


 振り返る。そこに影が蠢いている。俺の影のようだった。ハイデルベルクは自身のものだけではなく、俺の影まで切り離して従僕に仕立てあげたのだ。


「っ……!」


 しかし腹を裂かれる寸前で、ナディアが俺と影とのあいだに割って入った。身を挺して庇ってくれたのだ。片翼が丸ごと引き千切られ、彼女はその場にぱたっと墜落する。影の獣が焚き火の煙のように消え入ると、同時にハイデルベルクの悲痛な叫びが城中に響き渡った。


「おおおっっ……! なんということだ……! 尊き我が眷属よ、なぜ、なぜこのような真似を……!」


 ハイデルベルクはふらふらとした足取りで歩み寄り、ナディアの前で膝をついて小さな彼女をそっと持ち上げる。大きな手のひらのなかで、彼女は細切れの言葉を絶え絶えに継いだ。


「愛しいわたしの主さま……。優しいわたしのお月さま……。わたしはもう、あなたさまが苦しむところを見たくありません……。お願いです、また孤独になんて、なろうとしないでください……」


 蒼い三の月がふたりを照らす。蝋燭の火はもうずいぶん前から消えている。


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