番外編 姉妹ケンカ sideアリス
そこは神社と呼ぶにはあまりにも侘しい。境内には楼門も神楽殿もなく、御神木のようなものも見当たらない。狛犬や狛狐もいなければ、手水舎もなく身を清めることすらままならない。うらぶれた拝殿が奥でひっそり佇んでいるだけだ。それは私に、祭祀の途中で打ち捨てられた物悲しい神輿を思わせる。
それに比べると、参道は荘厳を絵に描いたような代物だった。朱塗りの鳥居が約10センチおきにいくつも建ち並んでおり、蛇行しながら参拝者を祀られる神のもとへと導く。まるで別世界に繋がる赤いトンネルのようだった。歩いてくる途中で一万本もあるのだとウィンディーネは教えてくれたが、実際に数えたことはもちろんないらしい。ただ先代のサラマンダーからそう聞いたので、間違いないだろうというのが彼女の主張だ。
「あいつはアタイをからかったり嫌味を言ってきたりはするが、嘘は言わねぇからナ。千本でも五千本でもねぇ、一万本だ」
そのサラの姿はどこにもなかった。レリアも行方が掴めていない。神社をぐるっと一周してから(驚くほど狭いので一分もかからなかった)、私はグリフィンちゃんを召喚して空から二人を捜すことにした。けれど背に跨ったところで助けを呼ぶ幼い声が聞こえてきた。間違いない、サラのものだ。
私もアナも同時に振り返る。声は参道のほうから聞こえた。死ビトに追われているのだろうか? 連なる鳥居に目を向けると、すでに私の視野にはウィンディーネの遠い背中がある。水色の長いうしろ髪が、嵐に見舞われた川のように振り乱れている。
「アリス殿は上から我々を援護してくれ」とアナは私とグリフィンちゃんを見ながら言う。「召喚しながらの精霊術は、精度に難があることは知っている。だがアリス殿なら……よ、余裕のよっちゃんイカだろう? 秘密特訓の成果の賜物、今こそわたしに見せてほしい」
私は頷く。アナは少し不器用な笑みを残して走り去る。余裕のよっちゃんイカ? この世界にもよっちゃんイカがあるのだろうか? なんだかあの人から言われているみたいだった。いずれにせよ、その信頼は私を高揚させる。うふふ、やっぱりアナもウィンディーネも私が頼りなんだわ。
グリフィンちゃんが空を駆けると、私はすぐにサラの姿を鳥居の合間に見出す。いや、サラだけじゃない。その小さな手を握って前を疾走するレリアがいる。やはり無数の(五十体はいそうだ)死ビトに追跡されており、後方およそ1メートルの位置まで迫られている。
「レリア! サラ! 助けに来たわよ!」
私は二人に追いすがる先頭の死ビトに狙いを定め、アイス・アローを撃ち放つ。けれどほんの少し横に逸れ、鳥居の上部に当たってしまう。上手く命中させるには、鳥居と鳥居のあいだ10センチを通さなければならない。それに加えて、疾駆する死ビトの頭部を正確に射貫く必要がある。腕でも胸でも意味がない。
召喚中でなければ、それは私にとってそれほど難しくないだろう。今の私なら鳥居の間隔が5センチだろうが直撃させる自信がある。けれどグリフィンちゃんに多くのマナを注ぎながらとなると、途端に難易度が跳ね上がってしまう。意識の分配やマナの微調整。それらを少しでも失敗すれば、グリフィンちゃんは私を大空に残したまま消失してしまう。そして形象の整わない氷の矢が明後日の方向に飛んでいく。
しかし、どこかに着陸してからなんて悠長なことはやってられない。アナの言うとおり、私が今ここで秘密の特訓の成果を発揮しなければならない。そうしなければ、誰も二人を助けることはできない。
私はグリフィンちゃんに旋回してもらい、レリアたちに接近する死ビトを視野に収める。そしてもう一度意識を集中させる。臍の下に力をこめ、左手を真っ直ぐに伸ばし、人差し指と中指のあいだで照準を合わせる。
「アイス――」
そこで私は逡巡する。いや、駄目だ、と私は思う。下手したらレリアとサラに当ててしまうかもしれない。さっきのだって、鳥居がなければ二人の身体を貫いてしまっていたかもしれない。
指先が震えた。体がこわばっていた。私の魔法は強烈で、だからこそ色々な可能性を考慮しなければならない。どうして私は今まで何も考えずに撃てていたのだろう? わからなくなってくる。視界が霞がかっている。私とグリフィンちゃんを繋ぐマナの通り道が、急激に狭まっていくのを感じる。
「考えるなバカ河童! 狙わずにぶっ放せ!」
そのとき、私の耳が声を拾う。遠く離れた場所を走るウィンディーネが発したものだ。彼女はいま私に一番必要な言葉を激流に乗せて届けてくれた。それは処方薬のように私の頭に浸透し、白濁する意識を清流でそそぐ。見るみるうちに目の前が明るくなってくる。
狙わなくていい。いや狙いはするのだけれど、そこに重きを置くべきではない。何よりも大切なのはイメージだ。私が当てようと思って撃てば、それは必ず的を捉える。魔法ってそういうものでしょ?
「アイス・アロー!」
私はその軌道を追わない。目視せずとも、撃ち出した瞬間にヒットすると感覚が教えてくれる。だから次に取るべき行動にすぐ移る。それは死ビトを分断しておくことだ。
私は群れの上空に巨大なアイス・キューブを創造し、落下させる。かなりの数の鳥居を巻き添えにしちゃったけれど、四角形の氷の塊が土嚢のような役割を果たし、上手く群れをせき止めることができた。タイミング的にすべてをまでとはいかなかったが、そこを越えることができたのはたかだか十体ちょっとだ。ウィンディーネの到着を待たないでも、この覚醒したマジカルプリンセス・アリスなら難なく片付けられるだろう。
けれど私が振り向いたとき、ウィンディーネはもうそこにいる。しなやかに伸びる腕で抱き込むように二人を保護し、遊んでいるもう片方の手で水術を放つ。驚異的な足の速さだ。そして驚異的な術の正確さだ。水から生成された大きな鎌が、何度も弧を描くように飛びまわっている。そこから運よく逃れられた死ビトもいたが、幸運は続かない。示し合わせていたかのように登場したアナの一閃により、あっけなく首を落とされる。
アナとウィンディーネは本当に強い。それにぴったり息が合っている。彼女たちを見ていると、死ビトなんて(それも円卓の夜の死ビトなんて)たいしたことがないと勘違いしてしまいそうになる。私はおそらく、二人のあいだにケメストリーが生まれた瞬間に立ち会っているのだろう。互いが互いの力を増幅させている。彼女たちが組めば、どんな敵にも負ける気がしない。監督冥利に尽きるというものだ。
ふと、私の視線がレリアのほうに引きつけられる。レリアがじっと私のことを見ている。きっと、考えていることは同じなのだろう。レリアはアナに、そして私はウィンディーネに。私たちは自分の姿を二人に重ね、少し未来を想像する。アリス、わたくしについてこられるかしら? それは私のセリフよ! そしていつか、私たちは憧れを超えていく。
*
分断しておいた死ビトをすべて倒し、私たちはまた朱色の鳥居を通って本殿を目指す。歩を進めるあいだ、レリアとサラはほとんど静かに口を閉ざしている。いくつかの質問に答えただけだ。それによると、レリアはユニコーンで飛空艇から飛び立ってすぐにサラを見つけたらしい。しかしそこでユニコーンは飛ぶことをやめてしまい(謎の多い幻獣なのだ)、はるばるこの神社まで歩いてきたそうだ。
二人はなんだかむすっとしているみたいだった。相手に対して不満を抱いている様子だ。死ビトから逃げるときはあんなに強く握り合っていた手も、今では離れたところで宙ぶらりんになっている。レリアは冷たい表情でつんとすまし、サラは面白いぐらい口を尖らせていた。
ケンカでもしたのだろうか? 私たちのいないあいだに言い争いでもして、それで二人して拗ねているのだろうか? だとしたら、おそらくその原因は、これからサラの身に起こることにあるのだろう。あるいは、これから起こり得ることに。
先代の記憶が甦れば、サラは今とは別の存在になってしまうかもしれない。そのことを一番気に病んでいるのはレリアだし、そのレリアの心の些細な動きを誰よりよく見ていたのはサラだ。だからサラは記憶と覚醒を放棄し、一度は私たちの前から姿を消してしまった。『レリア かなちい なら あたち キオク いらない』、こんな書き置きを残して。
あまり口を出す気にはなれない。きっとあの人なら、二人のあいだにずかずか割って入ってしまうだろう(薄い人生経験が彼をそうさせる)。だけど人には黙っていなければならない時間が必ず存在する。これはレリアとサラが切り裂くべき静寂だ。
「でよう、ガキのサラマンダー」、しかし私の配慮は足蹴にされてしまった。ウィンディーネが口を挟んだのだ。彼女もあの人と同じくらいデリカシーがない。何万年生きたとしても、最初からないものはずっとないみたいだ。
ウィンディーネは続けて口にする。「逃げ出したテメェがここでアタイらと一緒に歩いてるってことは、受け継がれなかった記憶をちゃんと引き継ぐ覚悟ができたのか?」
レリアの顔色が変わった。不安そうな瞳があどけない少女の横顔を見つめた。
「うん! あたち立派なサラマンダーになる! だってレリアは、あたちが知らない誰かになっても、ぜ~んぜん気にしないって言うんだもん! 大人のおねえさんになって、レリアを上から見下ろしてやるんだから!」
そう言って幼いサラは立ち止り、背伸びをして辺りをきょろきょろと見まわした。まるで高い位置からの見晴らしに、今からでも慣れておこうとするみたいに。
「そうじゃないでしょ、サラ!」、レリアはたまらずに横槍を入れる。「わたくしは気づいたんですわ! サラがどうなっても、それはわたくしの知るサラだって! サラに何があろうと、知らないほかの誰かになんかならないって! それをあんなに一生懸命伝えたのに、どうして間違った解釈をするの!? あなた、わたくしの話をちゃんと聞いてましたの!?」
「聞いてたもん! レリア言ったもん! あたちがどうなろうが気にならない、だから早く覚醒しろって!」
「ぜんぜん違いますわ、それが曲解だと言ってるのよ! あなた、わたくしが言ったことを少しも理解できていないじゃない!」
ちょっと羨ましいと思ってしまう。まるで二人で姉妹ケンカをしているみたいだ。なんだか今日は、誰かを羨ましがってばかりいる。もし私の妹が産まれていれば、こんなふうにちょっとしたすれ違いからケンカになったりしたのだろうか。
一つわかったことがある。それは、レリアは自分自身の力で大切なことに気がつけたということだ。『サラマンダーはサラマンダーなんだ。別の存在なんてどこにもいやしねぇんだよ』。私もアナも、ウィンディネーからそう言われるまで考えが及ばなかった。やっぱりサラはレリアにとって、とても特別な存在なのだ。そして、サラにとってのレリアも。
しかしだからこそ、なんだかかなりややこしい状況になっているみたいだ。
「も~なによ! レリアなんて、『ばぁんぐれいとこうの剣』をずっと持て余してるくせに!」
「サラこそ、火蜥蜴の変化能力を使いこなせていないじゃない! 炎は死ビトにとても有効だと、なんど教えれば学びますの!?」
「レリアのわからず屋! も~いいもんバカ!」
「バカって言うほうがバカですわ! それに、わたくしこそサラがこんなに聞き分けがないとは思いませんでしたわ!」
もうすぐ鳥居を抜け、本殿が見えてくるころだ。大丈夫なのかしら、この二人。




