番外編 憧憬の師 sideアリス
ウィンディーネはあまりにも強く、そして躊躇がなかった。押し寄せる死ビトのほとんどは彼女の水術によって、近接を一度も許されることなくその場で葬り去られた。まるで、岸を前にして沈みゆく古びた小船の集団を見ているようだった。私はその実力をあの人から聞いて認識しているつもりだったけれど、想像を遥かに超えている。私が出会ってきたみんなのなかで、一番強いのは間違いなくこのウィンディーネだ。
しかし、なかには頑丈な小船もあった。死ビトは首を刎ねるか脳の大部分を破壊しなければ倒せない。頭部から爪先まで、隈なくプレートアーマに覆われている死ビトがいたのだ。一網打尽を目的として拡散された水の矢では、その装甲を穿つことはできない。それを見て取ると、ウィンディーネは舌打ちをしてから水の槍を生成した。そしてそれを握りしめ、次の瞬間には鈍色に光るヘルムごと頭部を刎ね飛ばしていた。
戦いが終わると、急に静けさが訪れた。ウィンディーネは夏場の庭先で打ち水をするように槍を払い、液体に変えて辺りに撒いた。いったいあの水術はどんな性質のものなのだろう、と私は思う。どうやって水を生み出し、どうやって槍を形づくるのだろうか? 彼女は厚い金属をいとも簡単に貫通させて見せた。いったいどれだけ硬質の槍だったのだろう?
いや、そうじゃないのかもしれない、と私は思う。硬いとか柔らかいの問題ではないのかもしれない。ウィンディーネが貫くことを目的として生成すれば、それは必ず的を打ち破る。術や魔法の考え方としては、おそらくそのほうが正しいのだろう。いずれにしても、私がウィンディーネから学ぶことはとても多い。彼女の戦いからはできるだけ目を離してはいけない。
辺りの死ビトが片付くと、アナは緊張の糸を切るように短い音を立てて鞘にオウス・キーパーを収めた。「まことにその戦いぶり、鬼神の如くと言ったところだな」とアナはウィンディーネに言った。
「あぁ? 四大精霊のこのアタイに鬼神とは、まったく褒められてる気がしねぇナ。『だが――』って続ける気なら、アタイが聞いてるうちにさっさと言いナ」
「だが――」とアナは口にした。「協調性には欠けてると言わざるを得ない。わたしが足を薙いで態勢を崩した死ビトに、ウィンディーネ殿はうしろから水術を放っただろう? わたしは次の動作で首を落とすつもりでいた。島に着陸してからここまでの戦闘で、何度か同じようなことが散見された。難しいかもしれないが、もう少しわたしの腕を信用してもらいたい」
ウィンディーネは指で頭をぼりぼりと掻いた。まだ手は少し湿っており、わずかな水滴が動きにあわせて瑞々しく飛び散った。
「そうか、わりぃ。アタイはずっと一人で戦ってきたからナ、集団戦には慣れてねぇんだ」としばらくしてからウィンディーネは言った。「なら、この次からはアタイが撃ち漏らした奴はテメェに任せる。と言っても、そんなに多くはねぇだろうがナ」
了解した、と言ってアナは頷いた。「その信頼に、必ずとも答えてみせよう」
私はこの二人を羨ましく思う。最初はどうあれ、ほんの少し一緒に戦っただけでもうお互いを認め合っている。私はまだ円卓の夜の死ビトには遅れをとってしまう。とてもじゃないが、彼女たちの隣に並び立つには至らない。それどころか、二人が戦いのさなかで見せる私への気の配り方からは、ずっと保護的な色が感じられる。悔しいけれど、これが今の私の立ち位置なのだ。私には足りないものがまだまだ多い。
それからはウィンディーネの先導にちょっとした変化が見られた。心なしか進むスピードを緩め、少し移動しては振り返って私とアナの様子を確認した。ウィンディーネだって少しずつ成長しているのかもしれない。彼女は大昔にこの離れ小島を頻繁に訪れており、かなり地理に明るい。それを活かし、できるだけ死ビトとの交戦を避けられる道が選ばれるようになった。おかげで、歩きながら話を聞く余裕も少しだが生まれた。
「それで、ウィンディーネと先代のサラは、何をしにこの島に来ていたの?」
私の問いにはまず首が振られた。それから、さあなという答えがややあって返ってきた。
「さあなってどういうこと? まさか覚えていないとでも言うの?」
「いやそうじゃねぇ。アタイは実際、なんのためか知らずに連れて来られてただけなんだ。そうだナ……たしか先代のサラマンダーには一度、その前の前のサラマンダーには二度、それで……その前の前の前のサラマンダーは四度もアタイをこの島に引っ張ってきやがったナ。それ以前はよく覚えてねぇが、やっぱり何代かごとに同行を強要されたナ。けど、どのサラマンダーも本当にたいしたことは何もしねぇんだ。神社に行って、賽銭箱に銀貨を投げて、鈴緒を振って音を鳴らせばはい終わりってわけだ。特に祈ったりもしてなかったナ」
「その神社が、先代の記憶がないサラでも絶対に向かうだろうって、ウィンディーネが言った神社なのね?」
ウィンディーネは草むらをジャンプで越えてから頷いた。ふわっと舞う長い髪はとても美しく、澄んだ泉の波紋を私に連想させた。人を寄せつけない深い森の奥にある神聖な泉の波紋だ。
「今にして思えば、あの参拝には何か意味があったのかもしれねぇナ」とウィンディーネは言った。
「そして繰り返し同行させることで、言葉にせずともウィンディーネに覚えておいてもらいたかった……。そういうことだろうか?」とアナは言った。
会話はそこで自然と中断された。前方に死ビトの群れを確認したからだ。数は二十から三十といったところだろう。あそこを通らなきゃ神社には辿り着けねぇ、とウィンディーネは言った。アナとウィンディーネのあいだにはそれ以上、目配せもハンドサインも必要とはされなかった。
息をぴったりと合わせ、二人は群れに攻撃を仕掛ける。まずウィンディーネが水術で多くを蹴散らし、それからアナが真っ直ぐ駆け込んで斬りかかる。その数メートル横を通り過ぎてこちらに向かってくる死ビトも何体かいるが、アナはそんなことは気にもかけない。目の前で巨大な斧を振りかぶる巨大な死ビトに集中している。私の知らないあいだに目に見えないラインが共有されており、それを越えた死ビトはウィンディーネが担当することになっているのだ。お互いの信頼が即席のルールを作り出す。
四体の死ビトが猛然と迫っている。しかしその足元で激しい水柱が発生し、あえなく宙に打ち上げられる。そしてウィンディーネが指揮者のように手を振ると、水柱が逆流して津波のように死ビトを襲う。いや、それだけじゃない。先端を凍らせ、鋭い突起を作り出している。どうして水の精霊なのに、凍結まで自在にこなせるのだろう? いえ、だからそうじゃないわね、と私は思う。そういう考え方をしていたら、たぶん私は今より強くなることができない。
気づけば四体の死ビトはすべて仕留められており、アナも巨躯の死ビトを打ち倒している。また私は活躍することができなかった。けれど、あまり残念には思わない。今はウィンディーネから学ぶべきときなのだ。レリアもアナを見て、こういう気持ちでいるのかもしれない。少し未来の自分を思い浮かべ、私たちは憧憬の師に自分の姿を重ねる。
「そうかもナ」とウィンディーネは不意に口にした。なんのことかと思ったけれど、前の会話から繋げて話しているのだ。戦闘に関する批評はとくに無いらしい。しいて言えば、二人とも私が無傷なのを見て、一瞬だが口元をほころばせたぐらいだ。
「そうかもしれぇ」とウィンディーネは復唱した。「あの参拝には意味があって、アタイの記憶に刻もうとしてたのかもナ。……あのアホはいつもそうだった、大事なことは言葉にしねぇんだ。そのくせ、嫌味や難癖は休まず口をついて出やがる。『あらウィンディーネ、百年ぶりに会いに来たら随分と小じわが増えたじゃない』、……んなわけあるか。アタイは生まれてからずっと変わらねぇっつうの。
そういや、笑顔だって一度も見たことがねぇナ。たまに笑うとすれば、それはアタイが下手打ったり失敗したときだけさ。口角を吊り上げてアタイを嘲笑し、アタイのドジを物語や詩歌にして国中に流布するんだ。おかげでサイウィン・ディーネの童話や童謡のほとんどにアタイが登場しやがる。『水の精霊 川で転んで 流された ドンブラ ドンブラ 流された』、……くそ、あいつだって一緒に流されたのに、なんでアタイだけ……」
私もアナも黙ってウィンディーネの話を聞いていた。大地に根を張る樹々の上を、穏やかな風が吹き抜けていった。
「アタイが神殿に引き籠ってたときだって、サラマンダーは空気を読まずに押しかけてきやがった。エロ河童から聞いてるだろ? アタイは終わらないヒトの不幸に心が割れちまいそうになって、いっさい外に出なかった時代があるんだ。あのアホはどこからか聞きつけて南の国からやって来ると、いきなり早く出てきなさいとしつこく扉を叩きやがった。アタイは絶対に出るつもりはなかった。そっからは我慢比べさ、あいつは一年二年と嫌味を吐きながら毎日扉を叩き、アタイは耳を塞いでやり過ごす……十年経ったころに、やっとあのアホは諦めてガササラ火山に帰っていった。アタイの完全勝利ってわけだナ。それを祝してハーブ酒を呑もうと摘みに出ると、アタイのハーブ園が爬虫類動物園に変わってやがった。掛かった費用はすべてウィンディーネに請求するよう言付かっております、だとよ。くそ、そのせいでアタイが何十年チケットのもぎりをやる羽目になったか……。思い出したら腹が立ってきたぜ……」
苦虫を嚙み潰したようなウィンディーネの顔を見て、私もアナも笑った。どこからか川のせせらぎが聴こえ、その方向を示すように雲間から陽の光が射していた。今日は暖かい冬の一日になりそうだ。
「仲が良いのだな」とアナは言った。
「あぁ? テメェ、アタイの話を聞いてたのか?」とウィンディーネは言った。
「わたしにはそのように聞こえたが?」
ウィンディーネは舌打ちをして、それから吐き捨てるように言った。「んなわけあるか。あんな性悪女、アタイは大嫌いだぜ」




