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俺とアリスの異世界冒険手帳~ショッピングモールごと転移したのはチートに含まれますか!?~  作者: 底辺雑貨
六部 第一章

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407 物事は見かけどおりとは限りません

 導術師の老人は話し疲れたのか、しばらく目を細めて魔法人形をいじりまわすアリスのことを見ていた。なんらかの思惑を感じさせる意味深長な眼差しだ。その白く濁った目は何かを見極めようとしている。しかし、考察がどちらに向けられているのかはわからなかった。亡国グスターブの皇室の血を引くアリスかもしれないし、ゴリラやキリンのコミカルな魔法人形かもしれない。あるいはその両方かもしれない。だがどちらにせよあまり愉快な沈黙ではなかったので、俺は後者について口にすることで注意をこちらに引くことにした。


「魔法人形といって、ある特定の場所に持っていくと自律して動くんです」


「ほう……。なるほど、そうでしたか」と老人は言った。「高名な魔導士はなんの変哲もない人形を己の目や耳、あるいは後ろから敵の喉元を裂く暗殺者として利用します。なるほど、そんな高度な術を用いるとは、やはりアリス様の魔法の才は底を知らぬようだ」


 それとは少し違うと思うが、これ以上この話を広げたくないので黙って愛想笑いを浮かべておいた。グスターブ皇国では双子の月の女神が広く信仰されている。なので、その特定の場所が月の迷宮だと知られたり、実際にルナとリアが存在すると何かの拍子で感づかれたら、かなり厄介なことになりかねない。我ながらすごく余計なことを教えてしまったと後悔した。アリスの赤いリュックのチャックからぶら下がるブタ侍も、俺の不用意な発言を咎めるように、無言で顔をこちらに向けて山岳の冷たい風に揺られていた。


「おや、あの人形は……」と老人はアリスの足元に横たわる少女のフィギュアに目を留めて言った。「北の国グロウナイの大魔導士アリューシャにそっくりですね。彼女を模して造られたのでしょうか?」


 なかなか見識が広く、そして目聡い爺さんだ。ひょっとしたら、最初からアリューシャちゃん人形に気づいており、それで魔導士の使う術について口にすることで、俺たちの反応を窺ったのかもしれない。大魔導士の操る人形の耳目が、今自分に傾けられてはいないかと訝っているのかもしれない。


 考えすぎだろうか? だが、今の彼は俺たちにとって明確な敵だ。念のために、俺はアリスに人形をしまえと目で合図を送った。アリスは俺の視線に気づくと、何を思ったのか眉をひそめ、そしてアリューシャちゃん人形の捲れ上がったスカートの裾をさっと下ろした。たしかに俺は白と黄色の縞々おパンツ様に半分目を奪われていた。だが違う、そうじゃないんだ。


「さて、どこまで話しましたかな?」


 幸い、老人はアリューシャちゃん人形にそれほど興味がないようだった。あるいは興味のないふりをして話題の転換点を設けた。どちらかはわからない。それを読み取ろうとするには、あまりにも表情が薄すぎる。


「えっと、『龍を宿せし者』も『時を駆けし者』存在するというあたりです。『時を駆けし者』についてはアリスこそ生き証人だと……」

「ふむ、それでしたらもう話は終わっておりますね」


「いえ、大事なことをまだ聞いてません」と俺は言った。「太古の昔に結ばれた、双子の兄弟と月光龍の盟約。それから、グスターブ皇国の三人の戦士は何千年もこの世界を守ってきたとあなたは言いました。……それなのに、どうして月光龍は皇国を焼き払ったりしたんですか? クラット皇子の弟――クラシーが死んだからだと前々から聞いてますが、それでは説明に難があるように感じます」


「ふむ、そうですか、ウキキ様にはそのように感じられる」と導術師は言った。「しかしワタシはそうは思いません。双子の弟、あるいは妹。その『時を駆けし者』が使命を果たす前に死亡すれば、二百年後に渡る戦士がいなくなってしまう。三人ではなく、二百年後の皇室に産まれた双子だけで、強大な飛来種に立ち向かわなければならないわけです。勝てるでしょうか? わかりません。世界は滅ぶのでしょうか? わかりません。我々人間にはまだ起こっていない出来事を知る力は与えられておりません。しかし、これだけはわかる。それは、盟約は反故にされたということです。少なくとも、月光龍にとってはそれが事実だということです。『一度はヒトに期待した。だがヒトはやり遂げられなかった』……。そして、人に裏切られた龍は皇国を火の海に沈めた。古の誓約も、何もかも灰燼に帰すために……。どうでしょう? ワタシにはそれほど荒唐無稽な話だとは思えませんが」


 なるほど、と俺は思った。たしかに、サイズの合わないリュックとネギを背負って巡礼の旅に出るペリカンよりは、よっぽど話の筋道が立っている。


 ちょっと長い休憩になってしまった。十分やそこらだと思っていたら、スマホを見たら二十五分も経過していた。ひょっとしたら、この老人にまんまと足止めを食わされてしまったのかもしれない。今ごろラウドゥルとクラット皇子はとっくに山頂まで登り、崩龍との契約を開始しているのかもしれない。


 だが俺の心配を察したのか、導術師はそれが杞憂であることを教えてくれた。皇子と団長はまだ辿り着いていないでしょう、と老人は表情のない声で言った。彼らはいくつかの祠をまわっていかなければなりません。そうしなければ、崩龍の眠る龍域の扉は開かれないのです。


「龍域……ですか?」と俺は反復して尋ねた。


「ええ、龍域です」と老人は言った。「龍の住処は総じてそう呼称されます。選ばれた人物にしか立ち入ることの許されない空間です。『龍を宿せし者』でない人間が一歩でも足を踏み入れれば、たちまち龍の怒りを買ってしまい、無残に八つ裂かれしまうことでしょう。『猛き龍、鋭く大きな爪で、賊の体躯を引き裂いた』、皇国に残された古い書物にもそう綴られております」


 気のせいだろうか、彼の平坦な声が一瞬うわずったように聞こえた。見間違いだろうか、白濁した目の奥で微光がまたたいたように感じられた。


「今発てば、ちょうど彼らと同じくらいの時間に山頂に着けるでしょう」と老人は平板な岩塊から腰を上げて言った。それから手を差し出してきたが、握手のつもりではないようだった。彼は俺が預かった登山用の杖の返却を求めているのだ。


 まさか受け取った瞬間に殴打してくるわけでもないだろう。俺は素直に要求に従った。彼は杖を手にすると、先っぽで軽く地面を突いた。まるで、久しぶりに会った相棒に疑りぶかく探りを入れるみたいに。


「もし本当にクラット皇子とラウドゥル団長を追うつもりでしたら、お気を付けください」と彼は言った。「物事は見かけどおりとは限りません」、それから杖のT型グリップを握り、そこにぐっと力を込めた。


 細い刀身が少しずつ引き抜かれていく。仕込み杖だったのだ。「このように」と言って彼は微笑した。刃が陽光にさらされ鈍色に輝き、照り返す光が老人の顔の染みを鮮明に浮き上がらせた。


 俺はアリスの手を引っ張って背後に下がらせたが、導術師に攻撃の意思はないようだった。ワタシはもう少し休んでから登ることにします、と彼は言った。おそらくそれでも間に合うでしょう。きたるべき瞬間を、ワタシはこの目に焼き付けたいのです。





 なんだか狸に化かされたような気分だった。あるいは本当に狸か狐の類が老人に成りすまし、俺たちにグスターブ皇国の歴史や神話を物語ったのかもしれない。そう思えるほど、あの導術師との時間は現実性に乏しかった。今となっては、半分夢を見ていたようにさえ感じる。


 アリスは体力も回復し、元気に頂上へ向けて傾斜のきつい砂地を歩いていた。何度かわざわざ登った坂道を走って下り、大砂走を楽しんだりもしていた。何年か前に祖父と登った富士山では転倒して砂だらけになってしまったので、そのリベンジらしい。アリスは俺のすぐ隣を砂煙を上げながら疾走して下り、そしてまた主人の投げたフリスビーを咥えた犬のように嬉々として駆け上がっていった。それを五回ほど繰り返すと、疲れたわと当たり前のことを言って、俺の背中にしがみついてきた。おんぶをしてちょうだい、と偉そうにせがまれたので、俺は丁重にお断りした。


「どうしてよ! 高貴な私を背中におぶれるのは、あなたにとってすごく光栄なことなのよ!」

「ぜんぜん光栄なことじゃねえよ……。バカことして勝手に体力を消費したんだから、責任もって自分で歩けって……」

「そういえば、ナルシードもこの山に入っているはずよ」

「どういう会話の流れだよ……。何がそういえばなんだ……」


 どうやらナルシードもアリスと同様、航行中の飛空挺から飛び降りていたらしい。アリスと違って甲板の逆側だったので、地上からは見えなかったみたいだ。ナカゴ村で合流したと言うが、それなら無事ノベンタさんの呪いを解けたということだろうか? 二人はそのために世界各地を渡り歩いていたはずだ。


 あいつがここに来た理由は聞かなくてもわかる。きっとラウドゥルがいるからだろう。ずっと憧れ、生きる目標にしてきた皇国騎士が、卑劣な(とナルシードは思っている)野盗に成り下がった。その日から憧憬は軽蔑に変わり、目指すべき背中は切っ先の純然たる正鵠になった。二人はどうあれ斬り結ぶ運命にあるのだ。


 仕方がないので少しだけアリスをおぶってやると、歩き出してからすぐに前方の岩陰に人の気配を感じた。ナルシードではない。かといってラウドゥルでもクラット皇子でもないし、ましてや導術師の老人が先回りしたわけでもない。その男はとくに熱心に身を隠すつもりはないらしく、恰幅のいい体の半分ほどをさらけ出していた。見覚えのある半身だ。嫌な記憶がいくつも頭の片隅に甦ってきた。


「よう、タフ・ボーイ」とその男は言った。そして岩陰に未練を残しているかのように、時間をかけてゆっくりと全身をあらわにした。


 それは、もう何度も顔をあわせたことのあるグスターブ皇国の大男だった。名前はまだ知らない。あまり知りたいとも思わない。


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