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俺とアリスの異世界冒険手帳~ショッピングモールごと転移したのはチートに含まれますか!?~  作者: 底辺雑貨
六部 第一章

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399 僕が無知なままでいれば

 しかしオオムカデは姿を現さなかった。窮屈そうにミカゲの眼球を押しやって出てくることもなければ、もちろん鼻の穴から顔を覗かせることもなかった。俺の吐き出した誘い文句だけが、宙に馴染めずいつまでも辺りを浮遊している。ミカゲの頭に触れた手は、だがたしかにかすかな蠢動を感じ取っていた。


「『出て来いよオオムカデ、そろそろ不法滞在はやめにしようぜ?』……ですか?」とミカゲは落ち着いた表情で俺の言葉を反復した。「ウキキさん、これは僕の知らない遊戯か何かなのでしょうか?」


 俺は首を横に振った。


「いや、遊びなんかじゃないよ。お前の頭の中にはムカデの飛来種がいるんだ。お前は知らず知らずのうちにそいつに知性を与え、代わりに精力を受け取ってる。お前らキサラギ家の当主は、代々その精力の供給のおかげで、妖しの雲なんて馬鹿でかい幻獣をずっと使役できてたんだ」


 ミカゲは何も言わなかった。表情に変化も見られなかった。だから俺は話を続けた。


「いきなりこんなことを言われても信じられないだろ? 俺だって、もし脳内にイソギンチャクがいるなんて言われたら反応に困ると思うよ。だけど本当なんだ、今見せてやるからちょっと待ってろ」


 俺は手のひらをミカゲの後頭部に接触させたまま、迷うことなく鎌鼬を呼び出した。風が舞い、両手の鎌が鈍色の軌跡を交差させる。だがミカゲを傷つけるつもりなんてこれっぽっちもない。鎌鼬は俺の望むもの以外には刃を通さない。繊細な黒い頭髪が何本かはらはらと落ちただけだ。斬風が収まっても、ミカゲは眉一つ動かさなかった。


「なあオオムカデ、よく聞いてくれ」と俺はミカゲの脳内に潜む飛来種に言った。「俺はこの村の住人じゃない。ミカゲの使役する妖しの雲になんか護られていない。だから、今ここでミカゲを殺しても全然困らない。お前なら、このロジックがちゃんと理解できるだろ?」


 少しだけ反応を待ってみた。だがリアクションらしきものは何もなかった。


「次はミカゲの首を刎ねる。そしたらお前は宿主を失い、知性を獲得できなくなる。人間をあしに喩えることも、それになりたいと願うこともできなくなる。自分の頭で考えられない、ただのおぞましい飛来種に逆戻りってわけだ。それが嫌なら今すぐ出てきてくれ」


 ミカゲの顔が戦慄の色に染まったのはそれからすぐのことだった。眼球の内側に違和感を覚えたとき、彼ははっきりと自分の脳に巣食う異形の存在を認めた。何かが自分の右眼を外側にずらし、目頭とのあいだから這い出ようとしている……。短い悲鳴が彼の口から漏れた。少年のように細い腕がしなり、咄嗟に手のひらがそこに持っていかれた。しかしそれは指の間をするりとすり抜けていく。絶叫が温度調整の行き届いた心地よい和室に響き渡った。華奢な体つきからは想像もつかないほど大きな声だった。


 オオムカデは途中で長い身体を折り、宙で鎌首をもたげてミカゲのことを見下ろした。その眼下で、急にミカゲは咳き込みだした。喉の奥に染み出る恐怖と驚愕を吐き出そうとするみたいに、何度も何度も。俺は彼の背中をゆっくりとさすり、咳が止まるのと、そして同時に事実が受け入れられるのを待つことしかできなかった。外で風が吹いているみたいだ。まるで秒数を刻むように、鎧戸をかたかたと揺らせている。長い時間が経過した。それから、ようやくミカゲは少しだけ落ち着きを取り戻した。





 俺は部屋の隅にあった大きな姿見をミカゲの布団のわきまで移動させ、彼に自分の姿を確認させた。青白い顔が余計に青ざめ、唇がわなわなと震える。意を決してオオムカデに手を触れようとするが、本能がそれを遮る。大きかろうが小さかろうが、誰だってこんな気持ちの悪い生き物に触りたくなんかない。


「な、なんなんですかこれは……」


 かすれた声が俺に問う。かといって視線はこちらに投げられていない。左の目はいつまでも鏡に映る自分の顔を見ている。そのなかで、右の眼窩から生えるように伸びている醜悪な飛来種を見つめている。


 俺はまた一から説明をした。そのあいだ、ミカゲは一言も発さず黙って俺の話を聞いていた。オオムカデも、まるで善意の第三者のように大人しくしている。しかし無数の足は荒海を渡る舟のオールのようにせわしなく動き、きしきしと不気味な音を立てつづけていた。


「そういうことですか……」、キサラギ家とオオムカデの繋がりを理解すると、ミカゲは小さな声でそう呟いた。「何百年ものあいだ、僕たちキサラギの当主はそのことを秘匿されてきたのですね……」


「『彼の者を想うなら、決して明かすべからず』」と俺は言った。「これがこのハバキ村で守られ続けてきた掟だよ」


 ミカゲは嘲るように笑った。


「とても良い掟です。きっと黙っていることの罪悪感がやわらぐことでしょう。いや、この村の人たちはそんなものを胸に覚えたことすらないかもしれない。こんな化物が脳にいるなんて知られたら逃げられてしまう……、そういう心配しかしてこなかったのでしょうね」


 そうかもな、と俺は言った。ミカゲは襖の近くで倒れている十二家の男や、隣の部屋で影を奪われて固まっているムツキ様に目を向けた。


「にもかかわらず、ウキキさんは反対を押し切ってまで真実を僕に告げた……。なぜですか? と僕は訊かずにはいられません」

「お前に選んでほしかったからだよ。全部知ったうえで妖しの雲を使役するのか、それとも村を去るのか……。その権利がお前には――いや、キサラギ家の当主全員にあったはずなんだ」

「選ぶ? ウキキさんは僕に、自分の自由と村人の命を天秤にかけろと言うのですか?」


 俺は何も言わなかった。ある意味ではそのとおりだからだ。この村の人々にだって、外の人間があたり前のようにやっている自警の道がちゃんと残されている。しかしそれを今ミカゲに言ったところでなんにもならない。彼にとってこの選択は、まさに自分の自由と村人の命を天秤にかけることに等しいのだ。


 やがてミカゲは静かに首を振った。それに合わせ、オオムカデは宙でゆらゆらと揺れ動いた。


「僕は知りたくありませんでした……。どちらかを選ぶなんて僕にはできそうにありません。ウキキさんは最後まで異邦の旅人を演じるべきだったんです。だってそうでしょう? 僕が無知なままでいれば、この村はなんの問題もなく上手く回っていたんです」

「いや、上手く回ってなんかいないね。そのせいで心を痛める家族がいる。眠れないほど思い悩み、無謀な計画を実行に移したバカな妹がいるんだ」


 ミカゲの薄っすらと冷たい表情に赤みがさした。「イヅナに何かあったんですか!?」、衰弱しているとは思えないほど強い力で、彼は俺の肩を揺すった。


「お前が睨んでたとおりだよ、イヅナはシワス家で療養なんかしてない。ずっと青龍と組んで、十二家の殺害をたくらんでたんだ」


 見開いた目はより多くの情報を求めていた。俺は彼を安心させるために、まず今はキサラギ家の屋敷で休んでることを教え、それからイヅナと青龍が企てた青龍事変について駆け足で説明した。そして最後に、一番伝えづらいことを口にした。それはオオムカデによって、ミカゲの心の奥にあるものが白日のもとにさらされていることだった。


 俺は言った。「『辛い、苦しい、早く死んでしまいたい』……。イヅナはずっとこんなことを聞かされてきたんだ。『なんで僕なんだ、どうして妹じゃだめなんだ』……。ミカゲに罪があるとは思わない。誰だって心で毒づくことはあるからな。だけど、イヅナが追い込まれた原因は間違いなくお前にある。……なあミカゲ、こんなんで村が上手く回ってたって本当に言えるのか?」


 ミカゲの視線は優雅に宙を泳ぐオオムカデに及んでいた。涙で目元を濡らし、憎悪に顔をゆがませている。するとオオムカデは初めてミカゲの前で口を開いた。


「ギィッ……ギィッ……。の、脳と繋がっていれば嫌でも伝わってくる……。し、思考。ゆ、夢。そ、そして感情……。こ、これは燃えるように激しい怒りであろう……。なぜ……なぜ……? なぜミカゲは憤怒の念に駆られる……? しょ、小生にはわからないであろう……」


 ミカゲは怒りに打ち震えたが、不意にはっとするように明後日の方向をかえりみた。それから少し遅れて、イヅナの声が遠くで聞こえた。足音が廊下を駆け抜け、隣の部屋にどたばたと入り込む。少女は影のない老人の隣を横切り、夢中でミカゲの胸に飛び込んだ。


「おにい!」と彼女は叫ぶように言った。「大丈夫なの!? 十二家に何もされてない!?」


 長いあいだ離れていた兄妹は、お互いの無事を確かめるように見つめあい、そして抱きしめあった。ともあれ妹は生きている。愛する妹のままちゃんとここにいてくれる。それをしっかり感じ取ると、ミカゲはイヅナの頭を軽く撫で、柔らかな笑みをこぼした。しかし、すぐに表情を曇らせた。


「イヅナ……その眼帯はどうした?」


 イヅナはじれったそうに首を振った。


「そんなことはどうでもいい! おにい、今すぐ村を出よう!」


 懐から抜身の小刀を取り出し、彼女はそれをしっかりと携えた。愚かなまでに初志を貫徹するつもりでいるのだ。だが青龍の力を失った今、それは幼稚な絵空事にすぎない。護身用の小刀だけで、まともに動けない兄と逃げ切れるわけがない。


 しかし、俺が咎めるまでもなかった。兄は悲しそうに何度も首を横に振り、イヅナに武器を置くよう頼んだ。そして痩せ衰えた脚で立ち上がり、もう一度妹に抱擁の腕をまわした。


「すまなかった、イヅナ……」と彼は言った。「僕のすさんだ胸の内を覗かせてしまった……。そのせいで、随分辛い思いをしただろう……。『なんで僕なんだ、どうして妹じゃだめなんだ』、そんな考えは確かに僕のなかにある……。くすぶった焚火のように、いつだって消えずに残されている。けれど、これだけは確実に言えるんだ……。僕は、お前を何よりも大切に思っている。それは嘘じゃない。母さんの遺影の前で誓ったっていい」


 イヅナはミカゲの胸のなかで泣いていた。か細い声が兄に言う。「そんなのわかってるよ……。だけど……、だから……」、小振りの刀はまだ小さな手に握られている。頼りない刃が小刻みに震えている。


「ねえイヅナ」とミカゲは言う。「僕の話を聞いてくれないか? 今日見た夢の話なんかじゃない。これは、僕たち兄妹の未来に必要な話なんだ」


 俺はイヅナの肩にそっと手を置いた。オオムカデより明確な善意の第三者として、これだけは言っておかなければならなかった。


「青龍の最後の言葉をもう忘れたのか? 兄貴とちゃんと話をする……、それがまわりまわってやっと行き着いた唯一の道だろ?」


 イヅナは手の甲で涙を拭い取り、中立的な目で俺のことを見た。


「大丈夫、安心しろ」と俺は言ってやった。「もしミカゲがこの村から去ることを選ぶなら、お前らの安全は俺が保証する。ムツキ様もほかの手練れも簡単に捻じ伏せて、かすり傷ひとつなく二人を飛空艇に乗せてやる。そんなことができるの? って顔をしてるな……。おいおい舐めてもらっちゃ困るぜ――いったい誰がお前や青龍を倒したと思ってるんだ?」


 イヅナは眉をひそめた。ミカゲとよく似た綺麗な目がじっと俺のことを睨んだ。


「白虎でしょ?」と彼女は言った。そういばそうだった。


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