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俺とアリスの異世界冒険手帳~ショッピングモールごと転移したのはチートに含まれますか!?~  作者: 底辺雑貨
六部 第一章

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396 オットセイの秘密の芸事 ペンギンの合唱 元魔女の昔話 あそこもそう悪くないと白虎は言った

 キサラギ家まではとくに人目に触れることなく移動することができた。ウヅキは何度か声をかけられ、愛想なくそれに一言二言答えたが、うしろを歩くイヅナに気づいた村人はいないようだった。夜を待ってから行動したことが功を奏したと思う。それにイヅナは花柄のストールを口元までいっぱいに巻きつけていたので、よっぽど疑り深く目を凝らさなければ彼女とわからなかったはずだ。もしばれていたなら、今ごろ大騒ぎになっていただろう。


 彼女は自分の家の敷居を高く感じているようだった。青龍と結託して十二家の滅亡を目論んでいたのだから、それも無理はないだろう。だが一度跨いでそれを越えると、あとは自然と足が兄の部屋へ向かったようだった。最初は早歩きで。それからほどなくして、ほとんど駆け足でイヅナは長い廊下を突っ切った。


 しかし、ミカゲの姿はそこになかった。たたまれた小振りな布団が中央にぽつんと残されているだけだった。部屋は寒く、庭に面した鎧戸が風に撫でられかたかたと音を立てている。柱に矢で射付けられた紙片に最初に目を留めたのはクラット皇子だった。ミカゲは当家で預かっている、イヅナを連れて来訪されたし、と彼は声に出して読み上げた。署名はないものの、それがムツキ様からのメッセージであることはウヅキとイヅナの反応を見れば明白だった。


「やっぱり……! あの人には全部見破られてたんだ!」とイヅナはどなるように言った。「それで、おにいを人質に取って、わたしを差し出せって言ってるんだ!」


 イヅナは興奮した様子で部屋から飛び出ようとしたが、すぐに足元がふらついて畳の上に倒れ込んだ。あれから休息したとはいえ、まだ満足に動きまわれる状態ではないのだ。駆け寄ったウヅキが手を貸そうとするも、差し伸べた大きな手が握られることはなかった。かといって突っぱねられたわけではなく、イヅナはそのままこんこんと寝入ってしまったのだ。


 白虎が俺の胸の奥から語りかけてくる。「お馬鹿さんのお馬鹿な脳でも、ちゃんと機能するのね。強制的に体を休めているんだわ」


 そうだな、と俺は言った。それからウヅキがミカゲの布団に彼女を寝かせるのを黙って眺めた。十六歳にしては本当に小さな身体だ。兄と同じく、年齢よりだいぶ幼く見えてしまう。こんな少女が青龍と融合し、俺や俺の体を借りた白虎と戦ったのだ。きっと見かけよりも消耗していることだろう。時折聞こえるうわ言は兄を呼ぶ声が大半だった。その三分の一程度の割合で、彼女は青龍の名も口にしていた。


 ウヅキはイヅナの頭を丁寧に枕に載せ、顔にかかった長い前髪を指で払った。そして右目の白い眼帯(俺がショッピングモールから持ってきた物だ)を静かに見つめた。失われた光は、きっともう取り戻すことはできないのだろう。


「これがイヅナの背負った罪に対する罰なのか?」とウヅキはぽつりと言った。「イヅナは誰一人殺害していない。だがムツキ様の右腕を腐らせ、切り落とすことを余儀なくさせた……。神はその罰として、同じ右側の視力をイヅナから奪ったのではないか……?」


 馬鹿な男ね、と白虎は言った。これは人が龍と融合した結果でしかないというのが彼女の意見だった。神はそんなつまらない人のいざこざにわざわざ首をつっこんだりしないわ。俺もおおむね同じ考えだった。少なくとも、俺の知る神にこんな手の込んだ罰を仕込む余裕はない。ルナは四の月で気が狂いそうになるほど頑張っているし、リアだってショッピングモールで何事かに繁忙だ。しかし、あえてウヅキに反論するつもりもなかった。


 ウヅキはイヅナの首に花柄のストールが巻かれたままなのに気づくと、そっと抜き取り、手に持って、今度はそこに目を落とした。


「思いのほか気に入ってくれたようだ。北の国の土産で渡したものだが、本当は指輪か何かを買うつもりだった。だが店に入った途端オレは気恥ずかしくなり、棚にあるものを適当に手に取って会計を済ませた。それがたまたまこの肩掛けだったのだ」


「へえ」と俺は言った。


「ミカゲには本を買ってやった。なかなかの読書家でな。書痴と言っても差し支えないだろう。あいつは遠い国で綴られた物語に夢中になり、雪の降る白い街並みに思いを馳せた。しかししばらくすると顔を上げ、安楽椅子から戸外を見やってこう言った。『けれど僕は、村の外さえ見たことがない』」


 俺は黙っていた。ウヅキは花柄のストールを折りたたんでイヅナの枕の隣に置くと、真剣な顔つきで(いつだって真剣な顔つきなのだが)俺の顔に目を向けた。


「ミカゲのことを頼めるか?」

「ああ、もちろん」

「オレはもうしばらくイヅナのそばにいてやりたい。うわ言がやみ、しっかり夢のなかに腰を落ち着けるまではな」

「ああ、それがいいと思う」


 すごく嬉しく思う。こいつが大事な親友のことを俺に任せてくれるのが。信頼が形となり、無防備に俺の手のなかに託されている。俺はそれを胸の中心にそっとしまい込み、落としてすぐの腰を再度持ち上げる。





 クラット皇子はウヅキに預けてきたが、クリスはついてきてしまった。暗い道を四本足でとてとてと歩きながら、俺の尾骨から垂れ下がる白い尾にじゃれついている。そしてしきりに青龍と白虎の戦いを回想しては、興奮した様子で俺の脳に直接語りかけてくるのだった。


――龍虎相まみえる……。わらわの闘争本能を刺激する、良い戦いじゃった。特に最後の爪撃はおもわず歓声をあげてしまったくらいじゃ。


 クリスは俺のなかにいる白虎のことを明瞭に感じ取っているようだった。それに理屈はわからないが、彼女と会話することもできていた。その口ぶりからすると、かなり尊敬しているみたいだ。白虎もクリスについては思うところがあるようだった。


「孫娘のあんたを見ていると、フェンリルのことを思い出すわ」


 一度だけ何かの巡り合わせで共闘したことがあるらしい。そのとき、フェンリルはすでにアメリア・イザベイル(クラット皇子の祖先だ)の召喚獣で、とある辺境の国を壊滅させた飛来種を退治するところだった。白虎は当然敬慕する主を亡くしてからとても長い時間が経っていた。なのでその飛来種(ミミズの飛来種だったらしいが、ちゃんとは覚えていないみたいだ)に牙を剥いたのは誰かに命じられたからではなく、ただ鳴き声が鬱陶しかったからだそうだ。


「フェンリルは強かったわ。それに優しかった。飛来種を葬ったあと、私に一緒に来ないかと誘ったわ。きっとひとりでいる私のことを不憫に思ったのね。けれどきっぱりと断ったわ。あの頃は京皇以外の誰とも心を通わせる気にはなれなかったし、それに彼女と私って見た目から何から色々と被ってるじゃない。だから、それが最初で最後の顔合わせだったわ」


 白虎は俺の内側からクリスのことを見つめていた。クリスもクリスで、祖母のことを話す白虎を大きな目ん玉で覗き込むように見ていた。ふたりの意識は俺という壁を隔ててではあるが、かなり近いところで向かい合わせになっていた。


「あんた、焦っているのね」とやがて白虎は口にした。「強くなりたくて仕方がないんでしょ? 一刻も早く、三井優希の隣で力を振るえるようになりたい。だから青龍との戦いにも割って入ってきたのね?」


 俺はクリスの顔をまじまじと見てみた。すると不意に目が合い、クリスは照れるようにぷいっと顔を背けた。なかなか可愛いところがあるじゃないか。


「けれどそんなに急ぐことはない」と白虎は続けて言った。「あんたは大丈夫。ちゃんとこの男と肩を並べるほど強くなれるわ。私はなにも、フェンリルの血筋だからこんなことを言ってるわけではないの。あんたを見て言っているのよ。だから今は自分にできることをやりなさい。よく食べ、よく遊び、よく眠りなさい」


 俺だってそれはわかっている。というか、未来のアリスからの手紙でそれを知っている。だけど俺には白虎のように上手く諭すことはできなかっただろう。これがクリスにどう影響するかはわからない。しかしそれからは、クリスが再度あの戦いを目を輝かせて物語ることはなかった。熱狂する観戦者ではなく、同じフィールドを目指す挑戦者の目つきに変わった。


 白虎はそれからしばらくすると、もうお別れの時間が近いと口にした。俺の左手の爪と尻尾が消えたときがその合図らしい。俺には彼女がいなくなる前に伝えなければならないことがあった。先ほど回顧した未来のアリスと、それは関係している。


「一つ頼みがあるんだ」と俺は自分の胸に向かって言った。「カイルに言っといてくれないか? 次元圧空の扉が次に出現するのは、どこか雪の降る高い場所だって。オオムカデって飛来種がそう教えてくれたんだ。かなり信憑性のある情報だと思う」


 未来の世界で俺がこの異世界に帰還したのは、アリスが十八歳になってからのことだ。今から七年後ということになる。カイルも同じ扉で来ていると未来アリスの手紙にはあった。逆説的に捉えると、未来の俺とカイルは――あるいはもっと多くの協力者は――次元圧空の扉を探し出すのに七年もの歳月を費やしたということだ。七年後の世界はすでに飛来種に食い尽くされている。朝も夜もなく、春夏秋冬もないディストピアだ。しかし輝氷の天使アリスは何も諦めていない。俺とカイルという強力な助っ人を加えた新・アリス戦隊で反撃に打って出ると、手紙は結ばれていた。


 どこか標高の高い降雪地帯。カイルだったら、このヒントだけで違う世界に繋がる扉を発見できるのではないだろうか? 七年後ではなく、かなり早くに世界を渡って来れるのではないだろうか? そうなってくれたらとても心強い。あいつがいれば、ガーゴイルの起動も最後の飛来種もちょちょいのちょいで解決に導いてくれる気がする。


 白虎は言った。「それなら私も聞いていたわ。べつに構わない。もちろん、彼が私と四つ子の坊やたちに会いに来たときで良ければということだけれど」


 それでいいよ、と俺は言った。真夜中の動物園。その園内の一番目立つ場所に設置された檻のなかで、ホワイト・タイガーの赤ちゃんをまとめて抱えるカイルの姿が目に浮かんだ。彼はすごく楽しそうにしている。白く小さな虎たちはものすごく嫌そうにしている。


「檻から出ようとは思わないのか?」と俺は白虎に尋ねた。「お前ならいつでも抜け出せるだろうし、どこでだって暮らしていけるだろ?」


「あら、あそこだってそう悪くないわよ?」と彼女は透き通るような綺麗な声で俺に言った。「飼育員はみんな愛情をこめて熱心に四つ子を世話してくれるし、夜泣きが酷いとオットセイがヒトに内緒の特別な芸であやしてくれる。満月の夜はペンギンがゴスペルを披露して楽しませてくれるし、かつて魔女だった蛙の昔語りは情操教育にピッタリ。園長がちょび髭なことを除けば、文句のつけようのないところよ」


 オットセイの秘密の芸事や、ペンギンの合唱や、元魔女の昔話。なるほど、すごく面白そうなところだ。


 自然と会話が途切れたまま、俺は夜のハバキ村を歩いた。坂を上り、橋を渡って、質屋の角を曲った。途中で果物屋の前を横切った。一昨日の朝、ラウドゥルがレリアにリンゴを買ってあげた店だ。そういえば、レリアはあとでラウドゥルにリンゴを上手く剥いて見せると得意げに言っていた。拉致犯とその被害者。あの約束が果たされることはあるのだろうか。


 湿り気を帯びた風が正面から吹いてくると、クリスは思わず目をつぶった。その風の冷たさは厳冬の到来を匂わせていた。もうすぐこの世界の十二月が――崩龍の月・陰が終わろうとしている。妖しの雲が3つの月の光を遮り、神秘的な色合いに輝いていた。


「きっと、青龍はもう十二家のことなんてどうでもよかったんじゃないかしら?」


 俺はなんとなく胸に手のひらをあてた。「突然どうしたんだ?」


「べつに、ただそういう気がしただけよ。あいつは千年も強く恨んでいられるほど熱意のある奴じゃないもの。かなり大雑把で飽きの早い奴。そのくせ、私たちのなかで一番気がまわるの。毎年京皇の誕生日には花束を用意するし、私たちにも何かプレゼントをしてくれたわ」と白虎は言った。「そういうところも、私は気に入らなかった」


 それから少しすると白虎はいなくなった。もしまた私に頼りたいことがあったら、胸のなかでそう願いなさい。気が向いたら助けてあげるわ。最後にそう言い残して。


 完全に消えてから、俺が京皇神君の生まれ変わりという話を詳しく聞きそびれたことに気がついた。だけど、あれは青龍の隙を作るための嘘だったと俺は思っている。あるいは本当にその可能性があり、彼女は示唆しないわけにはいかなかったのかもしれない。べつにどっちでも構わない。彼女は俺のことを気にかけてくれている。誰の生まれ変わりだろうと、それはきっと確かなことなのだから。


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