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4 低い段差で転んで泣いて怒って笑った

「どうするの? このままここで静かにして、過ぎ去るのを待つ?」

「いや、そうはさせてくれなそうだ……」


 2Fから狼三匹の様子を窺っていると、そのうちの一匹が階段に近づいてきた。

 このままだと、すぐにでも俺たちの存在に気が付き、襲い掛かってくる事が難なく予想出来た。


「そこに一旦入ろう」


 すぐ後ろの床屋のドアを静かに開け、アリスとともに中に入った。店内で、なにか武器になりそうな物がないか探す。


「忘れている様だけれど、私の魔法でなんとかなるんじゃない?」


 アリスは両手を床屋のガラスのドアに向けて、得意げに言った。


 もちろんそれは考えていた。だが、出来ればそれは最後の手段にしたかった。

 狙った的に当たるかは疑問符が付くし、もし外してアリスが狙われたら、あの三匹の狼から守る自信がない。


 最初にこのショッピングモールごと転移した時に、もっと早めに行動するべきだったと悔やんだ。

 なによりも優先して行うべきだった事は、三角形の角にある3か所のメインゲートを閉める事だった。


「ちょっと! 聞いているの!」

「あ、ああごめん。聞いてる聞いてる」


 俺はロッカーに入っていた木製のモップを取り出し、ヘアカット用のハサミを何本かズボンのポケットに入れ、アリスの正面に立った。


「ちょっと床屋無双してくる」

「無双? 無双ってなによ!」

「主人公がカッコよく雑魚相手に余裕で勝ちまくる事だ。今回はこのヘアカット用のハサミでな!」


 俺はハサミをカッコ良く二刀流にし、ポーズを決める。


 ふと、あのガチャガチャが脳裏に浮かんだ。

 剣のマークや槍のマークを回していれば、もっとちゃんとした武器を手にしていたのかもしれない。


 今更ながら、獣のおもちゃが見たいという幼稚な発想で獣マークを回した事を後悔した。

 鎌鼬というぐらいなので、敵を斬り裂くぐらいの魔法が使えるかと思っていたが、そんなものを放てる気配はまるでない。


「そんなハサミでどうするっていうのよ!?」

「無双は道具を選ばないさ。主人公はカッコ良くなんでも扱って無双するんだ」

「意味がわからないわ! そんな事をするより、ここで静かにしていればそのうちいなくなるかも!」

「いや、ずっとここにいるわけにもいかないし、早いとこメインゲートを閉めないと狼が更に増える」


 三匹しかいないわけがなかった。

 外にはきっとウヨウヨといて、その全てがこのショッピングモールに入って来たら、その時は本当に打つ手がなくなってしまう。


「じゃあ私も戦うわ!」

「ダメだ! お前は大人しくここで静かにしてろ!」

「なんでよ! 私の方が魔法使えて強いじゃない!」

「そんな不確定要素でガキを危険に晒せるかアホ! アホって言うかバカ!」

「バカってなによバカ! バカって言うか変態ロリコンバカ!」


 暫くバカに○○と被せるやり取りが続いたが、終わりそうにないので、俺の方から切り上げた。


「……とにかく、お前はマジで大人しくしててくれ。実際、俺一人の方が動きやすいんだよ、ぱっつん前髪バカ」


 アリスは急に黙り、俯く。

 足手まといだと受け取られていたら、可哀そうな事を言ってしまったかもしれない。


「わかったな? でも、もしドアを突き破って狼が入ってきたら、その時は全力で氷の矢を撃て」


 念の為に、もう一度続ける。


「わかったか? 実は少し優しくて、客観的に見て可愛いバカ」

「……わかったわよ。実は少しだけ頼りになるバカ……」


 少しだけでも頼りになると思ってくれているのなら

、有り難い。


 俺はリュックとメモ帳をアリスに渡して、外の様子を窺いながら慎重にドアを開けて外に出た。


 ドアの向こうから心配そうに見つめているアリスは、渡したリュックを大きなぬいぐるみを抱きしめる様に持っていた。


 気を付けるのよ! でも、あなたさっき主人公がどうとか言っていたけれど、元の世界でもこの異世界でも世界は私を中心にして回っているの! 主人公なんて図々しい考えは捨ててちょうだい!


 ガラスのドア越しに聞こえたアリスの言葉で、危うく階段から転げ落ちそうになる。


「あいつ、あれマジで言ってるからな……」


 独り言を呟きながら、手すりから1Fの様子を窺う。


 噴水では相変わらず一匹が水を飲んでいた。

 よく見ると、その狼は怪我をしている様で、右目の辺りが少しえぐれて血を流していた。


「ケガで動きが鈍るなら有り難いけど……」


 他の二匹を探した。もう一匹はその狼の近くにいたが、残りの一匹は見当たらなかった。


「既に2Fに上ってるのか……?」


 俺がまずやるべき事はメインゲートの施錠。

 ジャオン側の北メインゲートは既に閉めてある。残りは東西のメインゲートだが、その一匹の位置がわからないと動きづらい。


「とにかく、ここから移動しないとな……」


 アリスのいる前で狼と戦闘にでもなれば、間違いなくあいつは出て来てしまう。そんな危険はおかせない。俺は姿勢を低くして、東メインゲートへと急ぐ。


 元々ビイングホームを目指して歩いていたので、ビイングホーム側の東メインゲートへは難なく辿り着いた。


 俺は外の生い茂る草原を注視しながら、厚いガラスのメインゲートを手早く閉ざし、鍵を掛ける。


 立て掛けておいたモップに手を伸ばす。そして西メインゲートに向かおうと振り返った瞬間、それは猛然と襲い掛かってくる。


「っ……!」


 一瞬にして、俺は仰向けに倒れ込む。跨る狼は目を赤く光らせている。咄嗟に防御に使った木製のモップが、ナイフのような牙から寸でのところで俺を守ってくれている。


 横にしたモップを握る両手に力を込め、俺はモップごと俺の頭部を噛み砕こうとする凶暴に抗う。

 しかし、バーベル上げのようにはいかない。モップはミシミシと不吉な音をあげ、限界が近いことを俺に伝える。


――我が名は鎌鼬


 不意に、脳の奥であのミニチュアの声が響く。


「鎌鼬! カ・マイタチ! カマイ・タチ! くそっ……なにも起きないじゃねーか!」


 狼は尚も顎をいっぱいまで広げ、俺の鼻先まで迫っている。

 間近で見るその迫力はとてつもない。だが、俺は必死にその恐怖を意識の外に追いやる。


 突然、狼は俺の胸を押さえつける前足をゆっくりと上げる。振りかぶる。そして、俺の顔面を目がけてツルハシのように勢いよく振り下ろす。


「うわああっ!」


ガスンッ……!


 咄嗟に上半身を横にずらし、鋭利な爪を避ける事に成功する。

 それは出来すぎた偶然だったが、一瞬とはいえ死を覚悟した俺の中のなにかが吹っ切れる。

 死んで当たり前、大怪我を負ってでも生きてさえいれば丸儲け。そんな状況で、俺は自分でも驚くほど冷静になる。生い茂る外の景色が風に揺れる。


 狼が再び大きく振りかぶる。

 俺はその隙にポケットからヘアカット用のハサミを取り出し、狼の前足に深く突き刺す。

 それは大して効いていない様だが、そのまま振り下ろされた爪は、一撃目よりほんの少しだけ動きが遅い。


 集中してよく見ろ……! 恐怖で神経を鈍らせるな……!


ガスンッ……!


 今度は偶然ではなかった。


 俺は避けたと同時にもう一度ハサミを突き立て、狼が少しだけたじろいだ隙に素早く動いて立ち上がった。


 だが、形勢逆転とはとても言い難い。

 一瞬で間を詰めた狼は逃げるかどうかの選択すら許さず、再び飛び迫る。


「ぐはっ……!」


 避けられずに、そのまま壁まで吹き飛ばされる。


「冷静になったところで、勝てないものは勝てないよな……」


 だが、死は覚悟していなかった。

 なんとか倒して、なんとかもう一匹倒して、なんとか更にもう一匹倒す事しか頭になかった。


――我が名は鎌鼬


「う、うるせーなこの野郎! 大逆転の方法を考えてんだから黙ってろ!」


――我が名は鎌鼬


「どうやって唱えても出て来ないじゃねーか! 引っ込んでろ!」


――我が名は鎌鼬


「そっ……。そんなに言うなら……いい加減、出て来いやクソ鎌鼬!!」


ザシュザシュッ!


 その瞬間、壁にもたれていた俺の右手から二撃の斬風が舞った。

 壁にはまるで刀でX字に斬りつけた様な跡が大きく残っていた。

 それは狼が鋭利な爪を地面へと叩き付けた痕跡よりも、明らかに深く鋭かった。


「ま、マジか……。俺の命令で出てくる、召喚獣の様なものだったのか……」


 二撃の斬風だけを残し、その姿すら現さないちょっと控えめな幻獣。それがあのガチャガチャで俺が得たものだった。のか?


ガルルルルルッ!


「っと、危ない。まだ戦いの途中だったな……」


 あまりの出来事に、狼に襲われていた事を忘れてしまいそうになった。だが、再びその凶暴な牙が襲い来る。


「出て来いやっ鎌鼬!」


 今度は右手をしっかりと構え、飛び掛かる狼に向けて叫ぶ。


ザシュザシュッ!


 だが二撃の斬風は狼へと届かずに、俺の手のひらから30センチほど先を舞っただけだった。


「うわあああ!」


 直後に迫った狼の突進を、反射神経だけを頼りにして避ける。

 そして、間髪を容れずに振り向いた瞬間の狼の背中に手を当てて、もう一度叫ぶ。


「出でよ鎌鼬!」


ザシュザシュッ!


 狼の背中で二撃の斬風が舞った。


 刀で斬った様な感覚が俺の手にも伝わってきた。

 それは気のせいかもしれないが、背中から大量の血を流して静かに倒れ込む狼は現実の産物だった。


「よし……。あと二匹……」


 頭がくらくらとした。

 このまま狼の上に崩れ落ちそうになったが、寸前のところで踏み留まった。


 狼に跨われていた胸部と右足は鈍い痛みを発していて、これは仮説だが、鎌鼬を三回放った事による体力の消費が激しい様に思えた。


「あ、モップ……折れなかったとか、お前凄いな」


 俺はモップを握りしめ、東メインゲートを後にした。


 2Fに上がり、まずアリスがいる床屋の方向へ目を向けた。幸い床屋は何事も起こっていないみたいで、安心して一息ついた。


「おっと、座るとそのまま崩れ落ちそうだ……」


 例によって、俺は手すりから1Fを見下ろす。

 噴水で水を飲んでいた一匹も、その近くにいた一匹も見当たらない。


「移動しちゃったか。どうする……」


 少し考えたあとに、このままツゲヤ側の西メインゲートを目指す事にした。

 見当たらない二匹の狼とかち合わせになる可能性はあるが、それでもやはりゲートを閉める事が最優先だ。


 西メインゲートまでの120メートルを、ダッシュとはいかないまでも出来るだけ急いで走った。

 走りながらも1Fを気にしていたが、やはり狼の姿はどこにもなかった。


 遭遇しないまま、俺は西メインゲートのエントランスホールにやって来た。

 低い段差をジャンプして飛び越え、東メインゲートと同様にゲートを閉め始めた。


 だが、閉め切る前に、うしろから獣の気配を感じた。


ガルルルルッ……


「またメインゲートの前で戦闘になるのか……」


 こう続けてゲートの前に現れると、新たに外から入って来た狼じゃないかと少し心配に思う。


「ちょっとゲート閉めるまで待ってくれ……ないよな」


 狼は毛を逆立たせ、俺を獲物と見据えた様な目をしている。その目は段々と赤く光り、明確な殺意を俺に示す。


 先程の狼よりひと回り小さく見える。だが、それは一匹倒した事による過信かもしれない。俺はもう一度気を引き締める。


ガルルルッ!


 飛び掛かって来たと同時に、俺は右手を突き出して叫ぶ。


「出て来いやっ鎌……」


ガブリッ……!


「っ……うわあああああ!」


 俺の動きが遅かったのか。あるいは先程の狼より目の前の狼の方が速かったのか。鎌鼬を放つ前に、俺の右腕は肘の辺りまで噛み砕かれる。


「い、痛てえっ……」


 噛み千切られなかったのは幸運と言えたかもしれない。恐怖で咄嗟に手を引いたのが、ギリギリ俺の腕がまだ繋がっている要因だった。


 見るも無残に肉を削ぎ落とされた俺の腕は、激しく出血しながら肩から伸びるただの肉塊となっていた。


 狼が紅く濡れた牙を覗かせる。俺の血液で口元を紅く染め、戦化粧のようになっている。


 思わず俺は、左手に持っているモップを狼に投げつける。当たってもダメージなど見込めるはずはないが、どうせなら全てを出し切ってからやられたい。


 我ながら、この貧乏性に渇いた笑いを漏らす。


 狼は俺の投げたモップをきれいに口でキャッチする。そして噛み砕き、その場に吐き捨てる。


 これが飼い犬ならば、頭を撫でて餌を与えたかもしれない。狼だけあって思っていたより賢いなと感心する。そして、こんな時でも冷静にそんな事を考えている自分に、大逆転の可能性を見いだす。


「左手でも鎌鼬出てくれるよな……」


 言い切ったあとに、考えが口に出ていた事に気が付いた。


「頼むぜ。右手じゃなきゃ出てくれない様なプライドがもしあるなら、今だけ捨ててくれよ……?」


 どうせならと、考えを全て口に出す事にした。


「まず残ってる二つのハサミを投げる!」


 俺はポケットからヘアカット用のハサミを取り出し、左手で一本ずつ狼に向かって投げた。

 これが意外と効果的だった様で、狼は最初の一本を右に素早く跳んで避けたが、すぐさま飛んでくる二本目は避け切れずに胸の辺りを掠めた。


 あるいは俺にナイフ投げの才能があったのかもしれない。こんな状況で眠っていた才覚を発揮したと同時に、狼の習性の様な物に気が付いた。


「お前……モップは口でキャッチしたのに、なんでハサミは躱したんだ?」


 俺は飛び掛かろうとしている狼に待ての合図をしながら、右足に履いている靴を半分脱ぐ。


「まあ、ハサミは下手に口でキャッチしたら痛いもん……な!」


 言い切ったと同時に、靴を狼に向かって蹴り上げる。

 放物線を描いた靴が狼の顔元に到達する刹那、俺は今日、初めて自分から攻めに打ってでる。


「そして素早く狼の元へ駆けよる!」


 これが最後だ! いくぜ狼!


「きれいに口で靴をキャッチしたな! 思った通りだ!」


 本当に頭がいいなお前!


「その隙に、左手を狼の胸元に当てて叫ぶ! ロック歌手の様に激しくも美しいシャウトを聴け!」


 ……。


「出でよ鎌鼬!」


ザシュザシュッ!


 途中で発言と考えが逆になっていた気がした。

 あまりにも集中して、自分の世界に入り込んでしまった様だ。

 しかし、胸元に二撃の斬風を受けて崩れ落ちる狼を見て、その事は頭の中からきれいさっぱり消え去った。


「はあ……はあ……。やった……よな?」


 満身創痍を全身で体現しながら、俺は仰向けに倒れ込み、ガラスのゲートの向こう側の世界に視線を移す。


 美しいな……。ああ、美しい。


 他に当てはまる形容詞を考えたが、それ以外に思い付かなかった。

 空に浮かぶ3つの月を主題とした風景は、それほどまでに美しかった。


 草原の所々でピンク色の花が咲いていた。白い円盤状の葉が雲間から射す光を反射して、銀貨のように輝いていた。


 あれ、なんて花だろう……。確か噴水の辺りにも咲いてたな……。


 俺はその花を脳裏に焼き付け、天井に目を向ける。目をつぶる。


「ショッピングモールにはツゲヤもあるし、あとで花図鑑でも調べるか……」


 自分が図書館の机に座って、花図鑑を引いている姿が頭に浮かんだ。

 その隣にはアリスがいた。目を輝かせたあとに真顔になり、そして次の瞬間には更に目を輝かせた。


「……って! あぶねえ、落ちるところだった……。倒れる前にメインゲート閉じなくちゃな」


ガルルルルッ……


 背後から聞こえた狼の声。なんとか立ち上がった足が微かに震える。


「おい……嘘だろ……」


 振り向く事すら躊躇する。このまま襲われて死んだ方が楽かもしれない。

 一瞬そんな事を考えかけたが、頭を振って否定する。そして、意を決して振り返る。

 そこには胸元のX字から大量に出血している狼がいる。


「浅かった……のか」


 目を赤く光らせている。そこには確かな殺意がある。そして、死なないという意志のようなものも見て取れる。


 俺の心は折れてはいない。だが、体が全く反応しない。


「お前を華麗に倒してから、更にもう一匹瞬殺しないとな……」


 勝率100%の作戦を思い付いたと同時に、狼は最後の力を脚力に変え、飛びかかってきた。


 それとほぼ同時だった。


「アイス・アロー!」


ズシャーーッ!


 その魔法の氷の矢は、俺に迫る寸前の狼を後ろから突き刺した。

 狼は静かに唸り、その場で崩れ落ちる。目から赤い光を消し、そして無言で瞳を閉じた。


 俺は氷の矢が飛んで来た方向に顔を振った。

 2Fに上る階段の下で、アリスがこちらに向けて手を構えている。


「あ、アリス……」


 アリスはボロボロの俺を見て、勢い良く駆け出した。

 途中の低い段差を認識出来ていなかったのか、そこで派手に転び、顔から思い切り地面へと激突した。


「おい……大丈夫かアリス!」


 アリスは黙ったままムクリと起き上がった。再び勢い良く駆け寄り、そのまま俺の胸に飛び込んできた。

 俺は受け止めきれずに尻もちを付き、俺たちはその場に座り込んだ。


「大丈夫かですって!? それは私のセリフよ!」


 アリスは目に大きな涙を浮かべていた。


 それは次第に溢れだし、一滴流れると、溜まっていた涙が小さな滝の様に一気に零れ落ちた。

 アリスはそれを拭おうともせずに、滴り続ける涙で口元を濡らしていた。


 顔は真っ赤で、おでこと鼻の先が特に赤かった。それは泣きっ面によるものなのか、地面に激突した為なのかはわからなかった。


「凄いケガじゃない! 死んじゃったらどうするのよ!?」


 アリスは感情が昂っている様で、唇を震わせていた。


「無双するんじゃなかったの!? 余裕で勝ちまくるって言っていたじゃない!」

「あ、ああ。これでも無双したんだぞ?」


 泣きじゃくるアリスの涙をハンカチで拭ってあげたかったが、あいにくそんなハンカチも紳士的ポテンシャルも持ち合わせていなかった。


 すると、アリスはその場で立って、黒いスカートのポケットからなにかを取り出した。


「ここに書いてあるじゃない! 俺と少女は気が付いたらショッピングモールごと異世界転移していたって!!」


 アリスは俺のメモ帳の最初のページを開いて俺に向けた。



『俺と少女は気が付いたらショッピングモールごと異世界転移していた』



 そのメモは確かに俺が書いた物だった。

 そしてそれは、二人で乗り越えようという俺の一方的な意思表明でもあった。


「あなた一人じゃないんでしょ!? 私と二人なんでしょ!? だったら、どんな状況でも私たち二人で解決するべきなんじゃないの!?」


 いつの間にか、俺の目にも涙が浮かんでいた。

 俺はそれを、アリスに見られないように鼻を掻くふりをしてシャツの裾で拭った。


「今度また私を置いて行って一人で酷いケガをしてごらんなさい? もっと泣いてやるんだから!!」

「ああ……わかった。わかったからもう泣くな」


 俺は自分の涙を無事隠ぺいしてから、立ち上がってアリスの頭に手を置き、子供を諭す様に言った。


「あなたも泣いているじゃない!!」


 バレていた。


 俺達二人は、お互いの涙を見ながら暫く黙っていた。すると、アリスが突然大きく笑い出した。

 おかしくてしかたがないという風に腹を抱えて、だけどどこか上品に、高い笑い声をエントランスホールに響かせた。


「なんであなた泣いているのよ! カッコ付けていたくせに!」


 無邪気に大笑いしているアリスを見て、俺もなんだか面白くなってきた。


「お前の方が泣いてるじゃねーか!」


 ショッピングモールが笑い声に包まれた。

 もう一匹いるはずの狼の存在は今は完全にどうでもよく、二人だけでもう暫く笑っていたかった。


「あーおっかしい……。こんなに笑ったのは久しぶりね。……危険も脅威もあるでしょうけれど、どうせなら楽しく異世界冒険するわよ! でもあなたは私より弱いんだから、あんまり無茶をしないでちょうだい!」


 突然アリスがアリスなりの意思表明の様なものを口にした。

 最後は上から目線に戻っているのがアリスらしかった。


「そうだな……でも、明日いきなり外に出て異世界冒険するのはなしだ」

「えっ? なんでよ?」

「……明日は雨だ」


 俺はアリスの頭に手を置き、やや強引に右を向かせて視線を誘導した。


 そこには狼に蹴り上げたまま無造作に放置されている、俺の靴があった。


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