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俺とアリスの異世界冒険手帳~ショッピングモールごと転移したのはチートに含まれますか!?~  作者: 底辺雑貨
六部 第一章

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378 邪龍とイヅナ

 イヅナは祠をじっと見据えていた。視覚に頼らないでも、その中に封印される青龍をちゃんと捉えているようだった。


 長い沈黙が闇に紛れて二人のあいだに降りしきる。雫が水の溜まりに落ち、密やかに波紋を拡げた。洞窟の外では、紅葉が森を鮮やかな色に染め上げていた。


 やがて、青龍は祠の内から声を轟かせた。


「童子よ、我がどのような存在かわかっているのか……?」

「童子じゃない! わたしはもう十六だ!」とイヅナは威勢よく反論した。


「それはそれは、なんとも嘆かわしいことだ……。痩せた小さな体に、肉の削げた細い手足……。まだ乳臭い幼顔に、あどけなさの残る舌っ足らずの声……。覇気だけはあるようだが、血色も優れぬようだ……。この時代のハバキ村は、年頃の娘が食うのに困るほど貧しいのか……?」


 イヅナは何も答えない。まだ涙に湿った目で青龍を睨みつけ、祠の間近まで歩いてくる。


「お前は邪悪な龍だ!」とイヅナは言う。「友達だった村の人たちを裏切って、お前は村を焼き尽くしたんだ! それでわたしのご先祖様たちに封印された! みじめな負け犬みたいにな! それからそこで、ずっと馬鹿みたいに千年も逆恨みして、人が近づくたびに取り憑こうと陰気臭く窺ってるんだ!」


 青龍は低い声を長く延べて笑った。ここまで話がでたらめに伝わっていると、もう真実を聞かせる気にもなれなかった。


「娘がなかなか辛辣にものを言ってくれる……。しかし、わたしのご先祖様と娘はのたまったか……?」としばらくして青龍は言った。そしてイヅナの目をじっと覗きこんだ。「なるほど、キサラギの血脈か……。我に最後の印を刻んだ、あの憎っきミヅキの眼によく似ている……」


 イヅナは目の前まで近づいてきた。首元を見慣れた花柄のストールで覆っている。当然まだウヅキの返り血に染まっておらず、下ろしたてのような真新しさが保たれている。


「お前はわたしに憑依するつもりか!? それで十二家を滅ぼそうって魂胆か!?」

「それこそ我が千年の望み……。霊験あらたかなキサラギの嫡子なら、失った我が双角一本ほどの源力には値するだろう……」

「ふざけるな! わたしは邪龍なんかに取り憑かれたりしない!」


 青龍は嘲るように鼻を鳴らして笑った。「喰らえるよ……衰弱した身体とひびの入った魂など、いとも簡単にな……」


 イヅナは本能的に一歩半ほどしりぞいた。顔が引きつり、腰が引け、それでも怨念の渦流に飲み込まれぬようにと強く歯を噛みしめていた。


「だが、娘はまだ我の問いに答えていない……」と青龍は静かな声で言った。「なぜ娘はひとりで泣いていた……?」

「それはっ……! ちゃんと言ったじゃない!」

「答えになっていない……。何もしてあげられぬ? 兄を助けてあげられぬ? 筋道立てて明確に話せ……。何がそんなに娘の体を弱らせたのだ……。何がそんなに娘の魂を摩耗したのだ……」


 イヅナは少し迷ってから、祠の隣に腰を下ろした。そして、兄を取り巻く様々な事柄を話して聞かせた。霊峰サヤと村一帯を守護する妖しの雲のこと。それを、荒々しく生命を削られながら使役する、兄ミカゲのこと。おにいはあんなに苦しんでるのに、わたしは毎日見てることしかできない、とイヅナは目を伏せながら言った。励まそうと思っても、逆にわたしが優しくされてしまう。何かしてあげられることがないか考えても、結局答えは出てこないんだ。わたしにできることなんて、本当は何もないのかも……。


 それからイヅナは、彼の脳に寄生し、精力を供給する対価として知性を獲得するオオムカデのことを話した。そして、その醜悪な化物からミカゲの心の内を暴露されているにもかかわらず、知らないふりをして彼に接する村の人々のこと聞かせた。


「おにいは、自分の頭のなかにあんなのがいるなんて知らないんだ。誰もそれを言っちゃいけないんだ。だから、胸の奥に秘めてることが全部晒されてるなんて、夢にも思ってないんだ。おにいが寝てるとき、オオムカデはしょっちゅう屋敷を這いずりまわって、わたしのところにやって来る。そして言うんだ。『辛い、苦しい、早く死んでしまいたい』『憎い、すべてが憎い。僕を犠牲にして幸福に浸る奴らが、憎くて憎くてたまらない。霊峰サヤも、このハバキ村も、全部壊れてしまえばいい』。……念仏みたいに、何度も頭の中でそう繰り返してるって……」


 青龍は黙って話を聞いていた。イヅナは息を吸い、そしてゆっくりと吐き出した。


「今日の朝、またオオムカデに言われたんだ。『なんで僕なんだ、どうして妹じゃだめなんだ……』って、ここ最近わたしと顔を合わせるたびに思ってるんだと……」


 青龍もふっと息をついた。それから続きを待ったが、イヅナはまた膝におでこをあててむせび泣くだけだった。


 青龍は言った。「それでなぜ、兄を助けようという気持ちになる……? 自分が逃れられるなら、妹を生贄に捧げることも厭わない兄であろう……?」


 イヅナは顔を上げ、涙に濡れた目で祠を見やった。おでこに両膝の形が赤くなってついていた。


「そっ……そんなの! 本心じゃないに決まってるだろ!」

「娘はおかしなことを言う……。脳に潜むオオムカデの密告こそ、まっこと兄の本懐であろう……?」

「そっそうだけど、そうじゃないんだよ! そういうのって誰にでもあるだろ!? 思ったことが全部その人の本当じゃないんだ!」


 わからぬな、と青龍は言った。本当に、人の裏表についてはさっぱり理解できなかった。


 それからイヅナはむきになってミカゲを庇い立てたが、途中で遮られてしまった。もう外が暗くなってきた、と青龍は言った。娘は家に帰る時間だ。よく食べ、そしてよく眠れ。


 出会ったときに泣いていた少女は、去り際には怒って顔を赤らめていた。そして憎まれ口をききながら薄明りの射す入り口へと向かったが、すぐに彼女は振り返った。


「あ、ありがとう……」とイヅナは照れくさそうに言った。「いや、その、話を聞いてくれてさ……。邪悪な龍なんて言って悪かった。お前は結構いい奴かもしれない……」


 しばらくのあいだ静寂がつづいた。鈴虫が一斉に鳴き声を響かせ、遠い空を鳥が横切っていった。


「いい奴は娘に呪いをかけたりしない……」としばらくして青龍は言った。「手首の龍紋を見ろ……。それが心の臓まで到達したとき、娘の命は終わりを迎える……。進行を遅らせたくば、明日もここに来ることだ……。極上の宿主を、みすみすのがすつもりはないのでな……」


 青龍はただイヅナの話に耳を傾けていただけではなかった。この洞窟には瘴気が色濃く漂っている。千年のあいだに自身から滲み出たものだ。それを利用し、穏やかな風が砂上に模様を描くように、少しずつイヅナ身体に紋を刻みつけたのだ。


 彼女は袖をめくり、締めつけるように手首に巻きつくそれに目を留めた。そして眉をひそめ、それから怒りにわなわなと震えた。


「やっぱりお前は最低の邪龍だ!」


 イヅナが飛び出していくと、青龍はひとり考え込む。霊峰サヤ、妖しの雲、そしてオオムカデという飛来種……。かつてのハバキ村ではそんなものを耳にしたことはなかった。もちろん霊峰サヤは千年前も変わらず聳えていたが、結界なんてものは張られてなかったはずだ。


 やれやれ、我の知らぬ間に、随分と厄介なものを背負い込んだものだ……。


 だがその多くは青龍の関心をたいして引かなかった。村人の営みにいまさら興味は湧いてこない。どうやら妖しの雲による結界は山頂に眠る絶大なる力を賊から護るためのようだが、青龍にとってはそれもどうでもよかった(ここで俺は疑問を挟むことになる。絶大なる力? ラウドゥルはそれを狙って妖しの雲の使役を一時的に解いてもらおうとしているのだろうか。だとしたら、それはいったいどんな力なのだろう……? しかし、青龍の記憶はそう都合よく傍観者に答えを明かさない)。


 青龍はふとハバキ村の方向に首を持ち上げた。家々の温もりを髭の先に感じたが、それはもう彼の知っているものとは微妙に違っていた。


 娘はしっかり食事を取っているだろうか……?


 イヅナと交わした会話を思い返す。人の声をまともに聞くのは何百年かぶりだ。人に声を聞かせるのだって同じくらいぶりだ。


 やれやれ、邪龍とはな……。


 龍は目をつむった。すぐに凪いだ海の底にいるような柔和な眠りが、祠に囚われた龍を優しく包み込んだ。





 翌る日、夕方になってイヅナは洞窟にやってきた。ありったけの罵詈雑言が吐き出されたが、ややあって青龍に促され、また兄や村のことについて語りはじめた。そして、夜のとばりが降りてくると洞窟をあとにした。


 翌日も、その翌日もイヅナは青龍のもとを訪れた。もちろん龍紋を手首から上に昇らせないためだが、いつも自然と話が引き出され、気づけば村にいるよりリラックスした気持ちになれるようになっていた。彼女はそこでいろんな話をして、いろんな話を聞いた。青龍のいろんなことを知り、自分のいろんなことを教えた。そうやって、またたく間に幾日かが過ぎていった。


 彼女の顔色はいつも悪く、体調もかんばしくないようだった。ある日イヅナの話しの途中でちゃんと食べているのか訊ねると、ご飯が上手く喉を通っていかないんだと少女は答えた。衰弱と心労が飲み込む力を損なわせているのだ。それはよくないな、と青龍は言った。兄のことで娘が気をもむことはない。それで何かが好転するわけでもないだろう。今日は梅粥でも作ってもらい、甘酒と一緒に流し込め。


 イヅナは眉根を寄せ、呆然と祠を見やった。


「アマザケ……? なにそれ?」

「なに……? 千年のあいだにあの名酒は失われてしまったのか……?」

「知らない。だけど梅干しは大好き、お母さんが作ってくれたおむすびを思い出す」


 イヅナはどこか知らない国に思いを馳せるように、天井を見上げた。


「おかしいよね、わたしお母さんの顔はよく覚えてないけど、あの味だけはすごく脳裏に焼きついてるの。秘密基地に行くとき、いっつも持たせてくれたんだ」

「母はもうこの世にいないのか……?」

「うん。わたしが十歳のときに病気で死んじゃった」


 だから家族はおにいだけ、と少女は小さな声で言った。岩肌のごつごつとした天井では、大好きだった母を思い描くことはできなかった。


「娘は家族が兄しかいない……。それは父も他界しているということか……?」


 イヅナは首を振った。「たぶん生きてると思う。だけどわたしもおにいもお父さんを知らないの。力のある幻獣使いってことだけ。キサラギは妖しの雲を使役するために、安定した強い胆力が必要になる。だからお母さんはその幻獣使いと子供を作るよう、十二家会議で決められたんだって」


 彼女は花柄のストールを丁寧に首に巻きなおした。それからまた続けた。


「わたしの結婚相手もそういう理由で選ばれたみたい。このストールも、その人が北の国のお土産にくれたんだ。すごい派手だけど、あっちではこういうのが流行ってるんだって。……その人、ちっちゃいころは毎日遊んでくれたのに、ちょっと前からすごくよそよそしいの。だからプレゼントって言われたとき、すっごく嬉しかったんだ」


 あることを青龍は思考した。俺もそれを考えたし、イヅナも同様に思案したようだった。


「うん、そうだよ。わたしが産んだ最初の男の子が、おにいの代わりに村の護り手になるの。妖しの雲とオオムカデを受け継ぐってわけ」


 長い空白のあとで、青龍は言った。「……娘はそんな子を産めるのか……?」


「ん? どういう意味?」

「過酷な運命を余儀なくされる……。それがわかっていて、イヅナは子を産み落とせるのか……?」


 わからない、というふうにイヅナは首をかしげた。


「どうだろう……。だけど、今はできるだけ考えないようにしてるの。今はおにいのことだけにわたしのちっぽけな脳みそを使いたい」、彼女は体育座りになり、ぎゅっと膝を抱えた。「たぶん、このままだとおにいは長く生きられない……。キサラギ家の当主は、ほとんど三十歳ぐらいで死んでるの。そりゃそうだよ、あれだけ心も体も酷使してるんだから……。次代に引き継げれば問題なし――きっと十二家は、そんなふうに考えてる」


 イヅナはそこで黙り込んだ。青龍は好きなだけ静けさに浸らせてやることにした。せめて髭だけでも祠の内側から伸ばせれば、彼はイヅナの頭を撫でていたことだろう。かつて、悩みを相談しにきた村の子供にそうしたように。


 しばらくすると、イヅナはふと口を開いた。「また話し込んじゃった。もう遅いから帰るよ」、そして立ち上がって丹前の裾を手で払っていると、そこで急に膝が折れ、しがみつくように祠に両手をかけた。


「大丈夫か……?」と青龍はそのままの恰好でじっと眩暈に耐えているイヅナに言った。「前より弱まっているではないか……。ちゃんと食べ、しっかり眠れといつも言っているだろう……?」


 彼女は唇を結び、強がるように祠から手を放した。そして太腿をとんとんと叩き、その延長線上にあるみたいに祠の屋根を小突いた。


「呪っておきながら心配するなんて、本当に変な邪龍」とイヅナは言った。「大丈夫。ちょっと立ち眩みしただけ」


 いつものように別れの挨拶はなかった。昨日と同じように二人の距離は少しずつ離れていったが、ぬかるみのところで今日は足を止めた。


「わたしはおにいを諦めない」と少女は振り返らずに言った。「絶対に死なせたくなんかない。そのためなら、きっとわたしはなんだってできると思う」


 薄雲を巧みにすり抜けた月明かりが、彼女の影を洞窟の壁面に投げつけていた。イヅナが去ったあとも、青龍はしばらく影のあった場所を見つめていた。


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