38 月の迷宮に囚われた死ビト
ヤリの歴史はとても古く、人類が二足歩行を始めたのが先かヤリを扱い始めたのが先か、現在も考古学者の間で議論が行われている。気がする。
目の前のプレートメイルを纏っている死ビトが持つヤリは恐らく2メートル程のロングスピアに分類される物で、先端の鋭利な部分で刺突する事を目的とされている。
日本の薙刀などと違い斬撃には向かないはずなので、俺が一番気を付けるべき点は刺突の間合いに入らない事だった。
「って言っても、動き回ってたらアリスがキューブで狙えないか!」
ヤリの間合いに注意しながら後ずさりしていた足を止め、俺は全神経を研ぎ澄まして死ビトのヤリの穂先に集中した。
よく見ろ……。
次に死ビトが半歩近づいたら間合いに入る……。
その瞬間に、恐らく初撃が来る……。
俺が思考の見直し作業を行う前に、その瞬間は訪れた。
最短距離で俺の顔面へと迫る死ビトの刺突をギリギリの間合いで躱し、その隙に伸ばされた右腕の手薄になっている手首の繋ぎ目部分を狙って鎌鼬を使役した。
「出でよ鎌鼬!」
ザシュザシュッ!
鎌鼬の性質上どうしてもX斬りにならざるを得ないが、その二撃の斬風の一撃目が上手くプレートメイルの繋ぎ目部分を襲い、死ビトの手首を斬り落とす事に成功した。
それは同時に死ビトの攻撃手段を奪った事にもなり、大理石の床に落ちたヤリの派手な落下音が部屋中に響いた。
その瞬間、俺はアリスに合図を送った。
「今だアリス!」
「分っているわよ! アイス・キューブ!」
ヤリを落として攻撃手段を失った死ビトは、噛み付くという原始的な攻撃方法に移行した。
だが、弱点である頭を守っているプレートヘルムのせいでそれすら叶わず、俺の首筋に頭を近づけ小刻みに動かしている姿は皮肉とも言えた。
人をこんな知能もないような化物にしちまう四併せと四の月……。
なにも考えず、なにも感じず、ただ月の迷宮に囚われたように徘徊するだけの死ビト……。
こいつだって、ちゃんと三送りされればこんな化物にはならずに済んだだろうに……。
俺は、ただ単純に死ビトに同情した。
活動停止した後に死ビトを連れて帰るように発生する黒いモヤモヤは、いったいどこに死ビトを連れて行くのだろう? 死ビトを倒す事は、その魂を供養する事になるのだろうか?
そんな想いを俺に残した高い防御力を誇る死ビトは、俺が離れると同時に落とされた六面体の氷の塊に潰され、2度目とも言える不幸せな一生を終えた。
*
「月の欠片わんさかね! これで豪遊出来るわよ!」
迷宮の通路を歩いているさなか、アリスは短くジャンプしながら背負っているリュックのポケットを揺らし、中に入っている欠片の音を俺に聞かせた。
「ああ。そうだな」
短く俺が答えると、それを不満に思ったのか隣でジャンプしてからモンゴリアンチョップを俺の首にかました。
「ぐえっ……向きを考えろ! 今喉仏にヒットしたぞ! ……くそ、俺のモンゴリアンチョップまでラーニングされた」
「元気がないみたいだけれど、疲れた? 体調でも悪いの?」
あれ、俺元気がないように見えたのか……。
自覚はしていなかったが、アリスがそう言うのならそうなのかもしれない。
気を使わせてしまった事を少し反省すると同時に、アリスの気遣いを嬉しくも思った。
「大丈夫だ! それよりブタ侍、結構奥まで進んだけどまだこの階層終わらないのか?」
俺は一言だけアリスに返した後に、続けてブタ侍に聞いた。
「1層の支配者はさっきの鎧死ビトだったようでござるな。あとは下り階段を見付けて地下へと進めば2層でござる」
「支配者? ボスみたいなものか? もしかして、それを倒さないと次の層に進めないとかか?」
「左様でござる。あと、階段のある部屋には必ず宝箱があるので、それを目指して進むでござる」
「宝箱……武器か防具でも入ってるのか?」
ブタ侍はそこまでは知らないようで、なにも答えなかった。
相当アリスの頭の上の居心地が良いらしく、薄いピンク色の肌がほんのり紅潮している。
俺達はそのまま迷宮内を歩き続けた。
既に方向感覚は失われており、どちらが北でどちらが南かも分からなくなっていた。
そうして右側の壁に沿って歩いていると、ふとアリスの帝王学の話題になった。
「そう言えばアリス、お前難しい漢字だけは得意だよな。それも帝王学か?」
「そうよ。だけれどあなた、だけってなによだけって」
「なら他に得意な教科あるのか?」
「舐めないでちょうだい! あなたはよく私をバカと言うけれど、小学校のテストは入学してからずっと100点よ!」
アリスは器用に両手の指で100を作り俺に向けた。
「それはマジで凄いな……」
「私ぐらい高貴になると、名前を書いてテストの裏に教科にまつわる絵を描けば100点よ! 特権階級ですもの!」
「……じゃあその100点に意味はないな、それはそれで不幸な気がするぞ。ってかその小学校おかしいだろ……」
「でも教科にまつわる絵って結構大変なのよ! テストが採点されて返って来る度に、まつわっててちょうだい……まつわっててちょうだい……ってお祈りするもの!」
まつわる事に一生懸命らしいアリスが続けた。
「それに、低学年の頃は園城寺と書くのも大変だったわね」
「ああ、意外と書けないし読めないみよじだよな。俺はガキの頃から三井って簡単な漢字で得してたわ」
「あら、あなた名前の漢字忘れたって言っていなかった? 思い出したの?」
「いや、みよじは最初から覚えてるわ。ってか名前の漢字を忘れたの忘れてたのに思い出さすな」
と話しながら通路の脇にある部屋に入ると、ブタ侍が言っていた宝箱と階段を発見した。
「おお! やっとたどり着いたぞ!」
「宝箱開くのかしら!」
俺達は宝箱の元まで走り、開けようするアリスに変わって念のために俺が手を伸ばした。
「あれ、開かないぞ」
「宝箱は魔法人形が呪文を唱えないと開かないでござる」
アリスの頭から降りて宝箱の正面に立ったブタ侍が言った。
「……なら最初からやれよ。なんだ今の無駄な流れは」
「勿体ぶるのもナビゲーターの楽しみの一つでござる。開けブタ!」
恐らく魔法人形が開けとさえ言えばいいはずの呪文をブタ侍は唱えた。
すると、カチャっという音がしたと同時に、宝箱が自動的に開いてその中身を晒した。
「これは……月の欠片ね……」
「そうみたいだな……欠片が3個……」
宝箱の中には夢が詰まっている。
そんな俺とアリスのワクワクした表情が真顔に変わり、微妙な中身を眺めているなか、ブタ侍はニタニタとしたいやらしい表情で別の物を眺めていた。
「あああっ!! おいてめえコノヤロー! なにアリスのスカートの中を覗いてるんだ!」
「お、お主! 拙者を愚弄する気でござるか! いざ尋常に勝負致すか!」
と言いながらもずっとアリスのスカートの中を眺めており、アリスの視線がブタ侍に向いた瞬間、ブタ侍は俺の方へと目を向けた。
「なんだそのこなれた視線移動法は! アリス気を付けろ、こいつむっつりスケベだぞ!」
「なにを言っているのよ! ブタ侍ちゃんがそんなあなたみたいな変態な訳ないじゃない! それにタイツを穿いているのだから大丈夫よ!」
「いや、その黒タイツは人によってはご褒美でしかない! タイツの防御力を過信するな!」
俺の訴え虚しく、アリスはブタ侍を優しく手に取ってから頬ずりをした。
嫌がる振りをしながらも、ブタ侍は明らかに最初と比べて鼻の下を伸ばしながら体を紅潮させている。
「ほら、欠片もゲットしたし階段を下りるわよ!」
「そうでござる。つまらぬ疑いをかける前に、もっと己自信を磨くのだな」
再びアリスの頭の上に移動したブタ侍が、次はスマホで証拠写真を撮って裁判所に令状請求を行おうと考えている俺に上から目線で言い放った。
そして俺が渋々ながらも階段へ向かおうとした時、再びブタ侍がニヤけている口を正常に戻してから開いた。
「いや、待つでござる。階段を下りる前に1つ確認しとくでござる。帰還魔法で戻るなら階段の前がベストだが、2層に進むでござるか?」
「ベスト? なんでベストなんだ? どこからでも戻れるんだろ?」
俺が聞き返すと、ブタ侍は的確に答えた。むっつりスケベだが、水先案内人やナビゲーターとしては優秀で一生懸命らしい。
ブタ侍の答えだとこういう事だった。
魔法人形が帰還魔法を唱えると月の迷宮の扉前、つまり噴水の下に戻れる訳だが、問題は次に迷宮に入る場合にあるようだ。
俺達が今いる階段のある部屋で帰還魔法をすると次もこの階段前がスタート地点になるようで、再び1層を彷徨う必要がなくなる。
ではなにが問題かというと、階段のある部屋以外で帰還魔法をした場合が厄介なようで、そうすると次は最初からスタートらしい。
「つまりどういう事なの?」
「まあ一言でいうと、階段部屋で帰還魔法=続きから挑戦出来て、それ以外で帰還魔法=最初からって事だな」
「そういう事でござる。例えば深い深層……10層までようやくたどり着いたとしても、その10層の階段部屋以外で帰還魔法をするとそれまでの苦労が水の泡になるのでござる」
俺とブタ侍で頭にハテナマークが浮かんでいるアリスに説明すると、アリスは大げさに頷いた。
「そういう事ね。志半ばで戻るのは嫌だけれど、この後ソフィエの村に行くし、また今度時間がある時に続きから探検しましょ!」
「元々1回の探検で最深部まで到達出来る迷宮ではござらん。また英気を養ってから挑戦するといいでござる。この迷宮にはお主らの役に立つ様々な物が宝箱の中に眠っているようでござる」
そう言い終えると、ブタ侍は帰還魔法を唱えた。
「戻れブタ!」
予想通りの詠唱だった。
……という感想を俺が持った次の瞬間には、月の迷宮の閉まっている扉前に戻っていた。
最初に異世界転移した時もそうだったが、意外と転移やワープというのはあっけないらしい。
「あれ? もう戻ったの?」
「そうみたいだな。うお、日差しが眩しいな……」
「あれ、ブタ侍ちゃん動かないわよ」
アリスが頭の上のブタ侍を突っつくと、月の迷宮の扉前にもかかわらず無反応のようだった。
ただのぬいぐるみに戻ったみたいだ。
「多分ブタ侍自身も英気を養う必要があるんじゃないか? そうなると、続けて挑戦って訳にはいかないな」
「じゃあ、またリュックに付けておくわね! ……でもなんだか、顔つきと肌の色が少し変わったみたい」
アリスが手のひらに持つブタ侍を見ると、少しいやらしい顔つきで体も紅潮していた。どうやら、むっつりスケベのままぬいぐるみに戻ったようだ。
武士の情けで、デコピンはしないでおいてやった。




