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俺とアリスの異世界冒険手帳~ショッピングモールごと転移したのはチートに含まれますか!?~  作者: 底辺雑貨
六部 第一章

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376 音のない世界で

 カンナヅキ神社では入念な準備が進められていた。少女に取り憑いた青龍を討伐するためのものだ。境内に通じる長い階段を上り始めると、近くで作業している男に大声でどなられた。罠が仕掛けられているから、足元に気をつけろと男は言う。レリアと一段ずつ視線を這わせていくと、六段目に細い紐が横に通されているのがわかった。その段のわきには背の高い茂みがあり、その奥で丸太が鐘を突くときのようにロープで釣り上げられていた。なかなか手の込んだ罠だ。


 似たようなものをいくつも注意深く避けながら階段を上り、大きな鳥居を抜け、参道を進んだ。そして手水舎で身を浄める男たちを横目に拝殿まで歩いた。ムツキ様は賽銭箱の前で、厳めしい顔つきをして作業員らに指示を飛ばしていた。俺の顔をちらりと見ると、彼らに一言二言してから薄雲の覆う夜空を見上げた。


「良い月夜じゃな。妖しの雲がなければ、酒と草団子を片手に月見するのも悪くなかろう」とムツキ様は言った。「それで、イヅナは見つかったのかね?」


 見つからなかった、と俺は言った。


「ならば、お主にとっても、ここで討つしか道はなくなったというわけじゃ。饕餮とうてつでイヅナの身体に巣食う青龍を喰らう。それが失敗すれば、我々が青龍を封じる。それすら仕損じたら、お主がイヅナごと青龍を殺める。その覚悟はついたと見ていいのかね?」


 よくないです、と俺は言った。「だけどもしそれが必要になったら、たぶん俺はやるべきことをやると思います。このまま青龍を放っておけば、人が何十人も殺される。それを未然に防げるなら防ぎたいですし、なにより青龍に友達の子孫を殺してなんてほしくない」


 ムツキ様はしばらく黙ったまま、白眉毛の奥から俺のことを見つめていた。


「友達の子孫……か」と少ししてから彼は言った。「なるほど、いにしえの青龍事変を耳にしたようじゃな。さしずめミカゲからでも聞いたのじゃろう。ならば、青龍がいかに凶悪か知ったことじゃろう。村の人々に命を救われ、友として幾年とともに過ごしたにもかかわらず、いかに殺戮の限りを尽くしたかを……。我々十二家の祖先が施した封印は、せめてもの哀れみだったのじゃ。かつては酒を酌み交わした、凶変してしまった友に対してのな……」


 俺は曖昧に頷いた。俺が実際に視た情景とだいぶ違っていた。きっと長い歴史のなかで耳触りのいいふうに歪曲され、伝えられてきたのだろう。とくに訂正しようとも思えなかった。千年も昔の事実を明るみに出したところで、何がどうなるわけでもない。


「それより、ウヅキは来てませんか?」と俺は訊いた。

「ウヅキ? 一緒ではなかったのか?」


 俺は首を横に振った。今度はちゃんと、きっぱりと。


「あいつだけ先に帰ったんです。あの、朧車とかいう幻獣で空を飛んで……」


 見てないようだった。切羽詰まっているだけに、あいつが何か無茶をしないかと心配になってしまう。ウヅキはイヅナを命をかけてでも取り戻すと宣言していた。あいつがイヅナのために命をかけると言うのなら、それは本当に自らの生命を投げ打つということだろう。


 俺とレリアはそれから本殿に連れていかれた。七十名を超える十二家の面々が、いくつかの広間に分けて集められていた。外で戦いに備える何人かを含め、十二家全員がイヅナをおびき寄せるための餌というわけだ。キサラギ家の当主――ミカゲは誰もいない部屋の中央でぽつんと布団に寝かされていた。


「しばらくは起きんじゃろう」とムツキ様は開けた襖をまたすぐに閉めながら言った。「ミカゲが目を覚ますころには、すべてが終わっておるじゃろう。そばに妹がいるにせよ、いないにせよな……」


 その顔には色があった。初めて彼の表情らしい表情を目にした。少しだけ悲しそうな顔をしている。しかし、すぐに皺のある鉄仮面がそれを覆ってしまった。





 境内に太鼓の音が鳴り響く。松明の炎が何人もの奏者の影を冷ややかに歪めている。イヅナは階段を一段ずつゆっくりと上ってくる。罠が次々に作動するが、足枷にもなっていない。丸太が空振り、矢が虚空に射られる。大きな網が少女の残影を捕獲して、むなしく宙に吊り下がる。


 鳥居の真ん中をくぐると、イヅナは色の褪せた目で辺りを見まわす。視線が素早くあらゆる事物を通り過ぎていく。俺とレリアにも、物陰に潜むウラドゥルと村人らにも、太鼓を叩き続ける異様な熱気を帯びた男たちにさえ、目を留めたりはしない。やがて彼女は拝殿を見据える。その奥の本殿に殺すべき人々がいることを感じ取る。


 土に汚れた素足が再び前に進み出る。彼女はまだ薄手の半襦袢と花柄のストールを身に着けている。薄いピンク色の半襦袢にはウヅキの血が大量に付着し、乾いて黒ずんでいる。首元から裾にかけて広がるそれは、どことなく大昔に海に沈んだ大陸のようにも見える。


 俺は少女に憑依し、すぐ前をぺたぺたと足音を立てて歩いてくる青龍に声をかける。太鼓が速いリズムを刻みだす。


「これが最後の通告だ! 今すぐイヅナを解放して、どこか別の場所に去ってくれ! じゃないと、お前を喰い殺すことになる……!」


 何も言わない。足が止まることすらない。少女は俺のすぐ横を通過する。その隙だらけの背を狙い、俺は先ほど胸に宿したばかりの幻獣を使役する。


「出でよ饕餮!」


ウギャアアアアアアア!


 猿のような顔をした怪物だ。虎のような鋭い牙を生やし、角は山羊のように丸まっている。たしか神話か何かで四凶の一つとされていて、魔を喰らうとかなんとか空想の生物大百科に書いてあった気がする。


 それが金切り声を出し、二足歩行で俺の目の前に顕現する。すぐに気化し、霧のような形状となって、イヅナの個人的な雲みたいに頭上にたまりだす。やがて吸い込まれるように、両方の耳から入り込んでいく。


 彼女の歩みが鈍化する。すぐに立ち止る。そして急に行き先を忘れた人のように、そこに呆然と立ちつくす。


「やりましたのね!?」とレリアは言う。村人たちも感嘆の声を口ぐちに漏らし、物陰から飛び出してくる。


「いや――まるで手応えがない」と俺は言う。本当にまったく手応えがない。「みんな油断するな! 持ち場に戻ってくれ!」


 イヅナはすっと振り返る。伏せられた大きな目が上を向き、俺のことを正面から捉える。そして、少女はふふっと笑う。


 青龍の魂を喰い殺すことに失敗したのだ。しかしムツキ様の目論見どおり、ほんのわずかだが青龍を引き剥がしてくれている。イヅナの身体から饕餮の霧が立ち昇り、それが背後霊のような黒い影を上空に引っ張り上げている。それを見て、誰もが作戦の移り変わりを悟る。この機に乗じ、ムツキ様が封印を施行する算段だ。


 そのためにはイヅナを足止めしなければならない。戦闘力に遥かに勝る彼女の足を止めるのは簡単なことではない。しかし、青龍なんて化物を封じるにはいくつかの段取りが必要とされる。それには数分かかるとムツキ様は言っていた。その時間は俺が作り出す。いや――俺とレリアが。


 俺は手を上げて合図を送る。太鼓の音が一斉に静まる。夜気が静寂を待ちかねていたように受け入れている。しんとした境内で、レリアは自分の真下に手のひらをかざす。


「いきますわよウキキ様!」とレリアは声を張り上げて言う。「おいでなさい! マンドラゴラ!」


 大根のような葉っぱが石畳を突き破って生えてくる。これを引っこ抜けばマンドラゴラが絶叫を上げ、それを聴いた者に麻痺という結果をもたらすわけだ。戦わずしてイヅナの動きを止めるにはもってこいだが、しかし準備を怠れば俺たちまで被害を受けてしまう。経験則からすると、こんな近くだと耳を塞いだだけでは事足りない。だがマンドラゴラを作戦に組み込むことを決定したとき、ムツキ様は二度とマンドラゴラで自爆しないよう、俺にユニークな幻獣を与えてくれた。さすが幻獣使いの始祖が生まれた村だけあって、かなりの大盤振る舞いだ。


「出でよ――きかざる!」


 小さな猿が現れ、シンバルを打ち鳴らすように俺の耳に両手をあてる。必要以上に強く叩かれた気がするが、痛みはそんなでもなかった。金獅子のカイルの幻獣であるイチムネ――いわざると同じく、行動を終えたらすぐに消えてしまう。しかし耳はキーンとし、一時的に一切の音を遮断してくれている。


 レリアはすでにラウドゥルのところまで避難している。俺は予告なくマンドラゴラの葉を掴み取り、躊躇なく真っ直ぐ上に引き抜く。


 ピギャアアアアア!!!!! と鳴いたはずだ。前にそんなんだったことをよく覚えている。イヅナは青龍の影をなかば剥がされたまま棒立ちしている。喧騒じみていた太鼓の演奏が突然なくなり、自然とより耳が音を拾いやすくなっていることだろう。


「ムツキ様!」と俺はどなり声を上げる。自分の声すら聞こえないが、たぶん発音もしっかりしていたと思われる。彼は数人の男と拝殿の屋根に上がり、イヅナのことを見下ろしている。両手がせわしなく動き、忍者のようにいくつも印を結んでいる。


 静謐な世界に取り残された俺のことを無視して、状況がめくるめく展開を見せていく。ムツキ様はオーラのようなものを右手に集束させ、封印を担う幻獣を呼び出す。名前を耳にすることはできない。だが千年前に彼の先祖が青龍を封じたときと同じ幻獣だ。仁王像によく似ているかもしれない。


 巨大な手のひらが青龍の影に差し向けられる。イヅナはまだ麻痺に侵されており、よけることはできない。だからこそ誰もが封印の成功を予感したが、しかし寸前のところで影がすっとイヅナの身体に収まってしまう。大きな手が空を横切る。


 何が起こったのかよくわからない。音が聞こえないというのは、俺が思っていたよりずっと不便なものだった。みなの口がいろいろの形を取っている。みなが表情を曇らせ、血の気が引いたように顔を青白く染めている。


 わざわざ聞かなくとも、だんだんと理解が追いついてきた。すべては失敗に終わったのだ。もう少し……、と俺は思わずにはいられなかった。もう少し、長く饕餮が青龍の影を捕縛できていれば……。もう少し、早くムツキ様の使役が成っていれば……。


 急に背中を強く叩かれる。振り返るとそこにラウドゥルがいる。読唇術の心得なんてないが、彼の言っていることはよくわかる。二の矢まで失ってしまった俺たちは、もうイヅナを殺害するしか道はないと説いているのだろう。


 イヅナはまだ身動きが取れないでいる。表情はここからでは見ることができない。不安げなのか、恐怖に歪んでいるのか、それとも不敵な笑みを浮かべているのか……。


 俺は自分の手を広げ、皺を見るみたいによく観察する。この手で少女を殺すのか? そんなことをして許されるのか? 気づけば、俺の足は知らないうちに歩を進めている。頭ではちゃんとわかっているのだ。ここでやるべきことをやらないと、被害が数十倍にも広がってしまうのだと。あるいは青龍は十二家の殺戮だけにとどまらず、その牙を全世界に向けるかもしれない。より多くの少女が死に、少年が明日を奪われてしまうかもしれない。イヅナの小さな背中は、もう手を伸ばせば届く距離にあった。


 俺は右手を持ち上げようと腕に力をこめた。同時に、男が空から降りてくる。男はイヅナを無理やり下がらせ、俺の前に立ちはだかる。


 その瞬間、世界が音を取り戻す。


「殺らせはしない!」とウヅキは言う。「イヅナはオレが、この身を犠牲にしてでも護る! たとえ貴様ら全員を殺すことになろう――」


 しかし、そこでウヅキは黙ってしまった。焦点の定まらない視線が宙に散乱されている。次の瞬間、ウヅキは赤い血を吐き出した。背中から心臓を貫かれていた。


 ウヅキはその場に沈み、代わりにイヅナのシルエットが世界にさらされる。彼女は真っ赤に染まった手刀をウヅキの身体から引き抜いた。美しい、長い黒髪が冷たい風に吹かれていた。


「マズハ、一人」とイヅナは静かに口にした。


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