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俺とアリスの異世界冒険手帳~ショッピングモールごと転移したのはチートに含まれますか!?~  作者: 底辺雑貨
六部 第一章

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372 嘘偽り

 起こしてくれませんか? とミカゲはウヅキに言った。いいとも、とウヅキは答え、近くの座椅子を布団のそばまで引っ張ってきた。そして介護士のように上手く彼を抱き起し、そこに丁寧に座らせた。座椅子の肘掛けを満足そうに手で擦ると、ミカゲはウヅキに向かって笑みを浮かべた。


「ありがとうございます。お客様の前で寝たきりなんて嫌だったので」

「そんなに気を使う相手ではないさ。オレをあごで使うように、好きなだけ酷使してやれ」


 ミカゲはふふっと笑った。「紹介してもらえますか?」


 俺はウヅキの口によって簡単に紹介された。名はウキキ、歳は二十一、実力のそこそこある幻獣使い。もちろん、この村にやってきた理由は適当に差し替えられた。彼の妹に取り憑いた青龍討伐のためだなんて、耳に入れるわけにはいかない。ミカゲは何ひとつ知らされていないのだ。円卓の夜のあいだ疎開してきたのだ、とウヅキは説明した。俺は隣でうんうんと頷いていた。


「そうですか。いいところですよ、この村は。人々はみんな親切で優しいし、食事もとても美味しい。空に雲がかかってなければ、この辺りの景色も抜群なんです。お見せできないのが残念ですが……」


「だけど――」と俺は言った。「だけど、そのおかげで死者が地上を歩くこともない。聞いたよ、キミが妖しの雲を使役して、死ビトを遠ざけてくれてるんだろ?」


 何度か咳をしてから、彼は口元に微笑みをたたえた。今にも消え入りそうな、とても淡い笑みだった。


「普段は霊峰サヤの真上に使役するだけで、山麓にあるこの村も護れるんです。だけどご覧のとおり、円卓の夜の半年間はここまで雲を延ばさなければなりません。それだけ、紅い月が死ビトを強力にしているということです。僕が少しでも気を抜けば、すぐに入り込んでしまうでしょう」


 彼は真剣な顔つきをしていた。長い睫毛がまっすぐウヅキを差している。艶のある黒髪は長く、中性的な顔立ちをしていた。体が華奢なこともあり、どこか少女のような雰囲気が感じられた。


 ミカゲは言った。「だからウヅキさん、今すぐ凛生堂りんしょうどうのどら焼きを買ってきてください。十二個入りをひとつで構いません」


「な、何がだからだ! どういうわけでそうなるのだ!」

「僕はお腹が減っているんです。大好物を食べなきゃ気が抜けてしまいそうです」


 目の横に小さな皺を作り、ミカゲはにこっと笑った。誰でも頼みをきいてやりたくなる笑顔だった。ウヅキは観念して立ち上がると、しかめっ面で部屋を横切っていった。襖の前で立ち止まり、背中を向けたまま声を上げた。


「それで、金はどうする!?」

「そんなの、ウヅキさんの奢りに決まってるじゃないですか」

「ああそうだろうよ!」


 ミカゲはぴしゃりと閉まった襖をしばらくのあいだ眺めた。横顔には絶えず微笑が宿っていた。


「年が明けて少し経ったら、ウヅキさんは僕の妹の夫になります。そのことは聞いてますか?」

「えっ……許嫁だとは聞いたけど、そんなすぐの話だったのか……」

「無愛想ですが、心根の優しい人です。妹の相手が彼で、本当に良かった」


 俺は曖昧に頷いた。ミカゲの口からイヅナの話が出ると、つい勝手に冷や冷やしてしまう。彼には秘密にされている事柄が多すぎるのだ。イヅナのことも、オオムカデが脳に寄生していることも、そして心の内奥にあるものが村中に知れ渡っていることも、決して明かしてはならない。


 俺は太腿の上で軽く手を握った。そして決然と目線を上にあげた。そこで視線がかち合った。彼は透きとおるような目で俺のことをじっと見ていた。


「それじゃあ教えてもらえますか、ウキキさん」と彼は言った。「イヅナはどこにいるんです? シワス家で療養中っていうのは嘘なんでしょう?」


 ミカゲは感づいていたのだ。少なくとも、イズナの件に関しては。





 風が障子戸を揺らしていた。かたかたと単調な音が屋敷じゅうに響き渡っていた。いっぱいに溜めた水を吐出した鹿威しが置き石を打ち、軽快な音を鳴らした。鳥のさえずりがいやに誇張されて聞こえてきた。


「な、なんのことだ? 俺もウヅキからそう聞いたけど、間違ってるのか?」

「とぼけないでください。あなたはイヅナの身に何が持ち上がっているのか知ってるはずです。疎開というのも作り話だと思います。あなたは明確な目的があって、この村に来たんだ」


 黙るしかなかった。取り繕うことなんてできそうになかった。ミカゲは首を振り、小さなため息を漏らした。


「村の人間は僕に真実を述べてくれません。妹はすぐに元気になって帰って来ると、みんな平気で嘘をつきます。だけど僕はあいつの兄なんだ。今もどこか声の届かないところで泣いていると、体のなかを流れる血が教えてくれます。だったら、地面を這いずってでも駆けつけるのが兄ってものじゃないですか?」


 わからない、と俺はややあって言った。「本当に何も知らないんだ、ごめんな」


 ムツキ様の見立てはもっともだ。着物の裾から見える彼の足首は、鹿の脚のようにほっそりとしている。胸板も薄いし、見るからに体の肉が削げ落ちてしまっているのがわかる。とても十九には見えない。いいとこ中学生ぐらいのものだ。


 きっとイヅナのことを知れば、彼の身体に悪影響を及ぼすだろう。心労を重ね、今よりもっとやつれてしまうだろう。命だって脅かしかねない。ときには、嘘をまかり通さなければならないことだってあるはずだ。


 俺はもう一度何も知らないと繰り返した。疎開先で畳敷きに興味を惹かれる、無知の異邦人を演じた。


「そうですか……村の外からやって来たウキキさんなら真実を告げてくれる――と思いましたが、残念です。きっと村の人たちと同じく、僕を想ってのことなんでしょうね」


 俺は肯定も否定もしなかった。鳥も鹿威しも障子戸も、まるで壊れた蓄音機のようにずっと同じ音を立て続けていた。


「では、最後にもう一つだけお聞きします。これだけは本当のことを仰ってください。それが無理だというのであれば、口をつぐんでください。嘘偽りはもうたくさんなんです」

「……ああ、わかった」

「あなたがこの村を訪れた理由はイヅナと関係している。そして、それはイヅナを傷つけかねない……。そうじゃありませんか?」

「……質問が二つに増えてないか?」

「好きに酷使してやれ、とウヅキさんは言いました」


 少し考えてから、俺は首を横に振った。思ったより自然な動作ができて、自分でも驚いてしまった。


「いいや違う。そんなはずないだろ? ……実は、こいつの片割れをこっそり見せてもらいにきたんだよ。思い入れがある品だからな」


 俺は少し離れたところに大蝦蟇を使役し、鬼姫・陰を宙に吐き出させた。柄をさっと掴み取り、水平にしてミカゲの手のひらに乗せた。


「ヴァングレイト鋼――ですね」と彼は刃紋を指先でなぞって言った。「では、これが暦の太刀を鍛え直して造られたという、二振りのうちの一本ですか?」

「知ってるみたいだな」

「ええ、ウヅキさんがもう一振りを持って帰ってきた日にお聞きしました。『短くなってしまったが、ようやく任務を果たせた』、そう言って喜んでましたよ。ムツキ様の反応を恐れてはいましたが」


 俺は笑った。「それで、ムツキ様はちっちゃくなった国宝を見て、どうだったんだ?」


「おかんむりでしたね。タコみたいに真っ赤になってました。だけど仕方がありません。もともと勝負に負けて持ち去られたのはあの人ですから。半分帰ってきただけで儲けものです」


 ミカゲはくすくすと笑ってから何度か咳き込んだ。それが収まると、また思い出したようにふふふと笑った。


 心が痛む。俺はいつの間に、これだけ流暢に嘘を並べられるようになったのだろう。信じ込ませるための追加エピソードが何個も頭に浮かんだ。だけど口から漏れ出ようとする前に、俺はそれを呑み込んだ。


「わかりました。あなたは誠実な人だと思います。だからとりあえず信じておきます。ウキキさんはイヅナのことを何も知らない。そうですね?」

「ああ、そのとおりだ」と俺は言った。


 ミカゲはまた咳をした。体に衝撃が伝わるのを避けるように、小刻みに何度も。きっと大きく咳込むと激しく体が痛むので、少しずつ喉の奥から押し上げられるものをやりすごしているのだろう。俺にも経験がないわけじゃない。


 寒いか? と俺は訊いた。彼は手で口元を押さえながらかすかに首を振った。やがて落ち着くと、告発文に蝋封を施すように、最後に彼は告げてきた。


「僕が言ったことは、ウヅキさんには黙っておいてください。僕は一両日中に屋敷を抜け出し、イヅナを捜しに行くつもりです。疑いを持っていると知られたら、対策を打たれてしまうでしょう」


 ああわかった、と俺は言った。


「約束してください。絶対に内密にしておくと」

「もちろんするよ。これは俺とお前だけの秘密だ」


 ミカゲは丁寧に礼を言ってから、枕元にある子供たちからの見舞品を一つずつ手に取った。ドングリやマツボックリの感触を嬉しそうに味わい、ハナミズキの赤い実を指先で転がして、珍しい形の石を誰よりも珍しがって、そして半紙にしたためられた優しいメッセージを心に沁み込ませた。最後に野原で摘んできたような黄色い花の香りをかぐと、大切そうに桐の箱の中にしまった。


 それから彼は、微笑みの残滓を口元に浮かべたまま、部屋のなかを見まわした。紅葉柄の襖に目をやり、薄く光りの射す障子に目をやり、天井を黙って眺めた。


「宝物が毎日増えていきます」とミカゲは言った。「子供たちがいるから、僕は頑張れているのだと思います」


 そっか……、と俺は誰にも聞こえないぐらい小さな声で返事をした。





 凛生堂のどら焼きは絶品だった。あまりに美味しいと絶賛したためか、ミカゲは紹介状を書いて俺に渡した。女将に見せればいくらでも貰って帰ることができるそうだ。


 良いお土産が転がってきた。ムツキ家にいるレリアとラウドゥル、それにタマハガネのアリスたちにも食べさせてやりたい。きっと、ウィンディーネが甘味にあうハーブティーを淹れてくれることだろう。


 ありがとうと俺は言った。ミカゲは口角を少し上げ、それから熱いお茶をすすった。


「ちょっと待て。ならなぜオレには金を払わせた?」


 ミカゲはふふっと笑った。まともに取り合おうとはしなかった。楽しそうにウヅキをあしらい、右手のどら焼きをほんの少しだけかじった。


 それから三人で他愛もない雑談を交わした。暦の太刀の代替品になった鬼姫・陽の話や(カンナヅキ神社に奉納されているいらしい)、ミナヅキ家の所有する畑で採れた春菊や大根の話だった。ウヅキから大昔に起こった十二家と青龍との争乱についてはミカゲに訊けと言われていたが、切り出すタイミングがなかなか掴めない。結局、最後まで聞けないままその場はお開きとなった。


 ミカゲは疲れているみたいだった。だがそう口にはせず、少し眠ると遠慮がちに言った。彼の右手のどら焼きは小さな歯型が一つついただけだった。包装紙に綺麗につつまれ、枕元に静かに置かれた。


 俺たちもそれにあわせて帰ろうとしたが、彼の厚意で昼食をごちそうになることになった。俺とウヅキは台所わきの座敷テーブルで向かいあい、天ぷらそばをすすった。それから用意してくれた女中のお婆さんに挨拶をして、キサラギ家をあとにした。


 俺たちは来た道を戻った。小さな川に架かる木造の橋を越え、休眠中の田んぼの脇を歩いた。往きと違い、ウヅキの口数は少なくなっていた。しかしあぜ道を突っ切っていると、突然彼は立ち止まって声を上げた。


「あいつが心の奥底に埋めているものを、貴様に知られたくなかった。あいつを見る目が変わってしまっただろ?」


「まあな」と俺は言った。俺たちはまた歩き出した。


 すぐにウヅキは言葉を継いだ。「だが、誰もが腹に一物あって当然だ。オレだっていつかムツキ様をぶっ殺してやりたいと思っている。上手くだまくらかしているが、あれは人里に降りてきた化け狸なのだ。古い因習に囚われたな。貴様にだって、外に出せないものがあるだろ?」


「ああ、いっぱいあるよ」と俺は言った。化け狸?


「ミカゲが本当はどう考えていようと、オレはあいつの友でありたいと願っている。どれだけ胸の内で冷笑されようと、子供らは飽きもせず一生懸命お宝を探してくるだろう。表も裏もあわせて、オレたちはあいつのことが大好きなのだ」

「そうだな……。実は俺もそうなりかけてるよ」


 それより……、と俺は続けた。続けないわけにはいかなかった。


「ミカゲはイヅナのことに気づいてるぞ……。隙を見て捜索するつもりみたいだ。あんな状態でそんなことをしたら、命に関わるんじゃないか?……騙すなら、もっとちゃんと信じさせてやれよ」


 ウヅキは文字通り絶句した。喉の奥から乾いた音が聞こえてきた。それから長いあいだ考えに耽っていた。俺たちは田んぼを抜け、緩い土手を黙々と登った。


 そのまま降りて長屋に挟まれた小路を歩いた。角を曲がると、またウヅキは何も言わずに足を止めた。しかし、今度は上空に目をやったまま、金縛りにあったように身動きひとつ取らなかった。


 俺も彼と同じ角度に顔を持ち上げた。武家屋敷の瓦屋根に、人が薙刀を携えて立っているのが見えた。名古屋城で言えば、シャチホコが反り返っている場所だ。それが青龍に取り憑かれたイヅナだということに、俺はすぐ気がついた。


 美しい黒髪が、風もないのに舞い乱れていた。裾が土草に汚れた薄いピンク色の半襦袢のみを纏い、首には花柄のストールが巻きつけられている。履物をあてがわない足には泥がこびりついており、細かい傷痕もいくつか見受けられた。


 聞いていたとおり、顔も露出する肌も血を抜かれたように真っ白かった。目の青白い光は、討ち死にを選んだ兵士たちの最後の夜を照らす篝火のように、ひそやかにゆらめいている。


 なかばぼうっと見ていると、彼女は合図をするように石突で硬い瓦を突いた。カンッと小気味良い音が聞こえた時には、もう彼女の刀身がウヅキを捉えていた。信じがたいことだが、イヅナは音の波を追い抜いたのだ。


「おいウヅキ!」


 声を上げると同時に血飛沫が舞った。腹がぱっくりと裂かれ、ウヅキはその場に倒れ込んだ。


「ジュウニ家、ミンナ殺ロス……」


 半襦袢もストールも鮮やかな血の色に染まっていた。イヅナはふふっと笑った。


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