370 許嫁
ラウドゥルの口から俺のことが紹介されるなか、ウヅキはずっと憎しみのこもる目で俺のことを見ていた。
ラウドゥルは俺のことを四聖獣――朱雀と玄武を操る幻獣使いと称した。首領とウヅキを除く三名は驚きの色を顔に浮かべ、口々に何か呟きだした。しかしそれは晴天の霹靂というより、俺と四聖獣を上手く結びつけられないような反応だった。こんな小僧が……、と実際に岡っ引きのような格好の偉丈夫は口にした。ラウドゥルがそういう男を連れてくると、前もって全員聞かされていたのだろう。
ラウドゥルは馬の背を撫でるように畳の上で手のひらを滑らせていた。場が静まると、また彼は首領に向けて語り出した。
「娘に取り憑いた青龍が、お前ら十二家の人間の命を付け狙っている。青龍を討つにしろ、娘ごと処理するにしろ、どちらにせよそれは同じ四聖獣を宿すウキキにしかできんことだ。そしてそれが達せられれば、お前たちは霊峰サヤの山頂に施した結界を一時的に解いてくれる。それで間違いないな?」
うむ、と簡潔に首領が口にした。それからまた続けようとすると、ウヅキがテーブルに拳を強く叩きつけ、広間から去っていった。俺はすぐに彼を追いかけた。開け放たれたままの襖を閉めるとき、レリアと視線が交錯する。すると彼女は小さく頷いた。わたくしが首領の話を聞いておきますわ、とその目は俺に言っていた。
「おいウヅキ! 待てよ!」
屋敷の玄関から出てすぐのところで、俺は彼の肩に手をかけた。邪悪なものを振りほどくように、彼は俺の手を強い力で振り払った。こちらに向き直ると、まだその目に憎悪がみなぎっていた。
「事情はなんとなくわかったよ!」と俺は言った。「要するに、お前はイヅナって子が俺に傷つけられるって心配してんだろ!?」
ウヅキは唇を震わし、双眸に赤い殺意の光を浮かばせた。殺気のようなものも握りしめられた拳から感じられたが、俺は身構える気にはならなかった。こいつは思い込みで友達を攻撃するほど心の弱い男ではない。まずは話をしようとするはずだ。
だけどおかしい。どういうことだろう? 青い軌道がゆっくりとウヅキの手から伸びてきた。そして放たれた火の玉が田舎ののどかな風景のなかを走る列車のように、緩慢な動きで予兆を伝って俺の顔の横までやってきた。
「死ねウキキ! 爆ぜろ鬼火!」
「ぬわああっ!」
慌てて飛び退いた瞬間、俺の左脳があった辺りで激しい爆発が起こった。驚いた鳥の群れが竹林から一斉に飛び立ち、庭石でリラックスしていた蛙が逃げるように池のなかに飛び込んだ。
「て、てめえ! 何しやがるんだよ!」
「黙れ外道! 貴様はイヅナになんの恨みがあるというのだ!」
「話を聞けよバカ! 俺だってよくわからないままこの村に連れてこられたんだ!」
彼の目に煌めいたものが浮かび、それからすぐに溢れ出した。いくつも言葉が吐き出されたが、それは少しも形になっていなかった。やがて彼は話すことを諦め、瞳を閉じてまぶたの裏になんらかの情景を浮かばせた。
それから長い時間が経過した。再び目が開かれたとき、殺意の赤は涙に浄化されていた。優しく、そっとひそやかに。嵐が見舞った川の濁りを、明朝の流れがそそいでいくように。
思っていたより複雑な事情が絡み合っているみたいだ。俺はウヅキがまた口をきくまで、空を覆う薄い雲の下でいつまでも待ち続けた。
*
「イヅナはオレの許嫁だ」とウヅキは庭園の景石に腰を下ろして言った。「彼女が生まれるずっと前からそう決まっていた。それを知ってか知らずか、小さいころからこんなオレによく懐いていた。見た目に寄らず、なかなかわんぱくな子供でな。よく冒険だと言って村じゅうを連れまわされた。ポニーに乗ることを覚えてからは、行動範囲が村の外まで広がった。あいつはそこかしこに秘密基地を作った。穴倉を見たら、そこを自分の住処にしなけりゃ気が済まないたちなんだ。そこで一晩じゅう、二人で星を見て夜を明かし、帰ってからこっぴどく叱られることもしょっちゅうだった。
それが今じゃ、優しくて気品のある十六の娘だ。美しくもなった。兄想いなのは……昔からだな。キサラギ家の当主を務めている兄――その話は聞いているか?」
「ちょっと待て」と俺は言った。ちょっと待て。
「えっと……お前って歳はいくつだったっけ?」
「年齢か? 二十五だが?」
「犯罪じゃねえか! なに普通に羨ましいこと言ってんだよ!」
ウヅキは鼻で笑った。
「わけのわからんことをぬかすな、この馬鹿者が。これは家と家との婚姻だ。個人的な感情など一切持ち寄らん。オレたちの最初の男児がキサラギ家の当主になり、次男がウヅキ家の跡継ぎになる。最初からそう決められているのだ」
「へえ……」と俺は言った。「でも愛してるんだろ?」
ウヅキは黙り込んだ。喉の奥で乾いた音を鳴らしただけだった。だんだんと顔が赤くなっていく。追求の目から逃れようと横を向いたが、耳は頬よりずっと赤らんでいるという事実をただ明かしただけだった。
「愛してるのか……」
「う、うるさいぞ貴様! いいから黙ってついてこい! キサラギ家の当主に会わせてやる!」
黙ってついてこいと言ったわりに、道中とても多くのことを彼は語った。照れたり焦ったりすると口数が増えるタイプのようだった。
キサラギ家の屋敷に到着するまでに、わかったことがいくつかある。
まず一つは、彼はこのハバキ村を統治する十二家の一つ、『ウヅキ家』の家長だったということだ。ずっと下の名前だと思っていたが、どうやら姓だったらしい。じゃあファーストネームはなんだと訊ねたが、教えてくれなかった。たぶん辱しめを受けたことに対する仕返しなのだろう。
そして二つめは、広間で会ったあの首領が『ムツキ家』の当主ということだった。この名は何度か耳にしたことがある。金獅子のカイルに呑み比べで敗北し、国宝の『暦の太刀』を持って行かれた憐れな男の名前だ。彼からはカイルとの逸話をほかにも聞いてみたいが、レリアがいるときは避けたほうがいいかもしれない。でないと、レリアの失恋の傷をえぐってしまうことになるだろう。
青龍がイヅナという娘に取り憑いたいきさつにも触れられた。彼女は床に臥す兄を見て、心をひどく痛めていた。兄は妖しの雲を使役しつづけている。円卓の夜にはその範囲を大幅に拡げている。精根は常に使い果たされ、自力で起き上がることすらままならない。
それが村の住人や霊峰サヤを護るために必要なことだとわかっていても、イヅナは随分とやるせない思いをしていたようだ。少しでも苦痛を和らげてあげられないかと、自分の生まれた家の事情を知ってから、ずっとひとりで考え込んでいた。
瓦屋根のついたキサラギ家の門扉まで来ると、ウヅキはそこで立ち止った。そして背中を向けたまま俺に言った。
「あまりに思い悩んでしまったのだろう。いつからかイヅナは笑わなくなった。口数も減り、しぼんでいくように元気も失われた。食が細くなり、ちょっとしたところでつまづくほど体力が衰えていった。……イヅナもまた、心を擦り減らしつづけていたのだ。そしてそんな折、突然あいつは姿を消してしまった……」
彼女がいなくなる少し前に、秘密基地の一つで顔を膝にうずめて泣いているのが目撃されている。そこは青龍を祀る祠のある洞窟だった。必要がなければ大人でも近づこうとしない場所だ。なぜならそこは青龍の怨念が渦巻いており、心身ともに弱まっていると身体を乗っ取られてしまうと言い伝えられているからだ。
「それが、ただのくだらん伝承などではなかったということだ」とウヅキはぽつりと漏らすように言った。「後日村に現れたイヅナは、みなの知るイヅナではなかった。肌は死人のように白く、眼に青白い光をたたえ、長い髪がいくつかの房に分かれて蛇のように蠢いていた。それが青龍に憑依されたイヅナの姿だったそうだ」
そこからは、ラウドゥルから聞いていたのとだいたい同じだった。彼女は十二家の人間を次々に襲った。死者こそ出ていないものの、それからも襲撃は続いている。『どいつも実力者を豪語しておきながら、惨めったらしく逃げ帰るので精一杯だったそうだ』とはラウドゥルの言葉だ。
「お前もやられたのか?」と俺は訊ねた。ウヅキは静かに首を振った。
「いや、オレはまだ一度も現場に居合わせていない。が、いずれこの命も奪いにやってくるだろう。十二家の人間を合計すると七十四になる。このすべてを血祭りに上げるまで、青龍の怨嗟が鎮まることはない――というのがムツキ様の見識だ」
「ち、血祭りって……。お前らなんでそんなに恨まれてるんだよ……」
「千年も昔、十二家と青龍のあいだで争いが起こった。我々の祖先は熾烈な戦いを制し、青龍を祠に封じ込めることに成功した。だがお前も知ってのとおり、幻獣が息絶えることはない。じっと祠のなかから外を窺い、復讐の機会を狙っていたのだろう。……イヅナはただ運が悪かっただけなのだ」
ウヅキは話を続けようとしたが、出かけた言葉を一度飲み込んだ。そして悲しみの波が過ぎ去るのを目を閉じて待った。白い蝶が慰めるように彼の近くを飛びまわっている。波が砕けて白浜に吸い込まれると、彼はまた口を開いた。
「……千年前に何が起こったのか詳しく知りたければ、キサラギの当主に訊くがいい。あいにくオレはその手の類に疎くてな。本も年寄りの長話もまるで興味が湧かんのだ。……だが――」
そこでウヅキは言葉を切った。蝶は寄り添うように彼の肩にとまっていた。
「イヅナの話だけはするな。当主はこの件を一切知らされていない。妹は調子を崩し、シワス家で療養中だと聞かされている。身体に障るとまずいという、ムツキ様の判断だ」
俺は頷いた。「それで、そのキサラギ家の当主はなんて名前なんだ?」
ミカゲ……、とウヅキは門を開けるついでのように答えた。「幻獣使いとして心を強く保っておけ。ミカゲの顔を見ると、正直このオレでも肝を冷やされる」




