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俺とアリスの異世界冒険手帳~ショッピングモールごと転移したのはチートに含まれますか!?~  作者: 底辺雑貨
六部 第一章

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364 弐の大樹

 チェシャ猫は笑った。彼の笑う姿はどことなく不気味に見えた。三日月のような口の奥に、何本もの尖った牙を覗かせている。笑うといっても口がそういう動きをしただけで、とくにおかしいと思っているわけではないようだった。エメラルドグリーンの瞳は、いつまでも俺の目を深淵の底から覗き見ていた。


「アリスたちは別の大樹の上にいるだす」とチェシャ猫は言った。「ここは弐の大樹。そしてアリスがいるのは遠く離れた壱の大樹だす」


 今朝、その壱の大樹の長老から文烏が届いたのだとチェシャ猫は教えてくれた。そこにはアリスたちが猫の国を訪れた理由のほかに、俺が砂漠を越えてこの弐の大樹にやってくるであろうことが記されていた。ぴったり言い当てられてしまったわけだ。壱の大樹の長老とは、預言者か何かなのだろうか?


「予言でもなんでもないだす」とチェシャ猫は赤い座布団の上で起きあがって言った。こいつはときどき俺の思考を読む。「陸路なら、この大樹に着くのがあたり前だす。空を往くアリスたちはガササラ火山に近い壱の大樹に降り、もう火山内部に入ったようだす」


 手を腰にあてて威張るアリスの姿が目に浮かぶ。『あなた遅いわ! 私たちでサラの記憶を甦らせておくから、あなたは猫の国の観光でもしていてちょうだい!』。


 しかし、予想した生意気な言葉を聞くことはできなかった。煌銀石のリング・ネックレスを首にかけて風の囁きを送っても、まるで届く気配がないのだ。なんだか揺らめく炎が壁になり、遮られているように感じられる。


 それについては、リアがチェシャ猫の長い尻尾の動きを目で追いながら説明してくれた。「アリスはヒのセイレイのりょういきにいる。そこではほかのセイレイのちからはよわまる」、尻尾を掴もうと突進していったが、チェシャ猫はリアを弄ぶように尻尾をひらりと持ち上げてかわした。


 そういうことなら、少しばかり休ませてもらってもいいのかもしれない。ここのところ満足に睡眠もとっていないし、身体のほうもなんとなく重く感じる。休養が必要だ。温泉とはいかなくとも、ゆっくりと風呂に浸かって、それから音楽でも聴きながらごろごろと過ごしたい。


「それで――」と俺はチェシャ猫に言った。「なんでお前が、ここでそんな偉そうにしてるんだ?」


 彼の頭を少し乱暴に撫でながら訊くと、それまでチェシャ猫の隣の椅子に安らかな表情で座っていた老人が急にどなり声をあげた。


「この小童が! 猫様に対してなんて口のきき方じゃ!」


 唾がそこらじゅうに飛び散ったし、それにすごい剣幕だった。激昂した老人はすぐに椅子から腰をあげて俺の頭に手をやり、無理やり頭を下げさせた。そして自身も平身低頭して、ひたすらチェシャ猫に謝った。


「人の分際で申し訳ないですじゃ! このとおり、人は猫様に平伏しておりますのじゃ!」


 チェシャ猫はどうでもよさそうに後ろ足で頭を搔いていた。尻尾は別の人格を持った生き物のように独立して動き、捕まえようとするリアの手を巧みに避けつづけていた。


「もういいだす弐の長老」とまた座布団の上で丸まって彼は言った。「それより、ウキキと月の女神がここに着いたことを壱の長老に報せるだす。アリスがガササラ火山から戻ってそれを聞いたら、きっと安心するだす」


 弐の長老は勅命を受けた家臣のような嬉々とした顔つきになり、老人ながらも軽やかな身のこなしで部屋を飛び出していった。ビースト・クォーターは俊敏性に優れると聞いていたが、歳を取ってもその優位性は錆ついていないようだった。


 弐の長老が部屋を出て行くと、「さて」とチェシャ猫は呟き、そしてふわふわと浮かび上がった。だんだんと全身が透明化していく。エメラルドグリーンの瞳だけが、古代の超技術か何かで精錬された宝石のように、最後まで妖しい光を帯びて宙に滞在していた。


「まだ聞きたいことがあるんだけど、どこか行くのか?」

「そうだす。猫様は忙しいんだす。おたくらは宴会まで、客間でくつろぐといいだす」


 そう言い残すと完全に消えてしまい、俺とリアを見知らぬ国の長老の部屋に残して去っていった。登山リュックにペディグリーチャムを詰め込んでショッピングモールからいなくなったときと同じだ。それに、俺が中学に上がるまでうちで飼っていた三毛猫とも……。猫は行き先を告げず、すぐどこかに消えてしまう。


 そういえば、故郷に一度帰っておくとあのときチェシャ猫は漏らしていた。きっとこの国がそうなのだろう。アリシア・イザベルの守護獣として別の世界に移り住み、それから彼女の孫であるアリスの意志に飲み込まれ、チェシャ猫は十年もアリスのへんてこな世界で暮らしていた。やっと里帰りを果たしたのだから、いろいろとやっておきたいことがあるのかもしれない。


 犬耳の兵士はそれからすぐに、俺たちをバンガローのような小屋まで案内してくれた。巨大な大樹の太い枝を南東方面に下った先にそれはあった。小屋のなかは四畳ほどと狭いが、風通しが良く涼しかった。リアは早速跳ね上げ式の窓を全開まで開け、板張りの床に座って暗くなりかけた空を見上げた。俺の位置からでは確認できないが、きっとその方角に紅い四の月があるのだろう。


「大浴場が大樹の一番上にあるらしいから、一緒に行くか?」


 しばらく待ったが、返事はなかった。それで俺は小屋をあとにし、一人で風呂を浴びに出かけることにした。


 途中ですれ違ったこの町の住人は、みんな笑顔で俺に挨拶をしてくれた。そのなかには若い女性も何人かいて、狸のような耳をした可愛らしい娘は握手まで求めてきた。どうやら俺はここで、猫様に選ばれし従者として敬慕されているらしい。従者では決してないが、悪い気はしないので黙っておくことにした。


 大浴場の前に着くと、ちょうど狐耳の二十歳ぐらいの女性が引き戸を開けて出てきた。浴衣姿の湯上り美人だった。柚子の香りをすらっとした細身の体から四方に振りまいている。優しく微笑んできたので、俺は思い切って声をかけてみることにした。せっかくビースト・クォーターの国に来たのだから、俺だってちょっとは青春を謳歌してもいいはずだ。


「良い天気ですね」


 なんて寝ぼけたことを言ってしまったのだろう。もう宵闇が降りかけている時間だ。しかし彼女は薄暗い空に目を向けると、楽しそうにくすっと笑った。これは脈ありのサインだと、昔なにかの雑誌で読んだことがある。


「あの……もし良かったら、あとでどこかでお茶しませんか?」

「あ、すみません……」と女性はいかにも申し訳なさそうに言った。「婚約者がいるので……」


 俺は激しく傷ついた。作り笑いを浮かべるので精一杯だった。狐耳の女性は頭を下げ、小走りで逃げるように枝を下りていった。もう絶対にナンパなんてしないと、俺は十戒に堅く刻みつけた。


 浴槽は広く、開かれた荒野の眺めも絶景だったが、気分は深く沈んだままだった。柚子湯が肌に染み込むように疲労を和らげてくれるが、落ち込んだ心を癒す効能はないようだった。婚約者、と俺は思った。そんな奴、今すぐにでもハゲてしまえばいいのに。


 気分が晴れないまま大浴場から出て適当に散歩していると、枝が二股に分かれた辺りで後ろから呼び止められた。「おいお前」と女の声は言った。今までの友好的な声色と違って、どちらかというと敵意が籠められているように感じられた。


「あ、ああ……お前か……」


 振り返ると、猫耳の女が腕を組んで立っていた。クロエという、元薔薇組の女騎士だ。


「なんにゃ、驚かないのにゃ?」

「お前がこの国に来てるって、ナルシードから聞いてたからな。生まれ育った国なんだろ?」


 ふんっと口を尖らせて悪態をつき、彼女は怨念じみた目で俺のことを見た。屍教の砦でアリスに秒殺された過去があるので、そのことを根に持っているのだろう。


 ひとしきり睨みを利かすと、それから彼女は顔を貸すにゃと俺に言った。仕方なくついて行った先は、大地と樹の上を結ぶ昇降口だった。直径20メートルほどある樹幹の内部を一部くり抜き、そこに梯子が掛けられているのだ。クロエは黙ってそれを降り、下まで着くと俺に顎で合図をした。どうやら、これから二人で外に出るつもりのようだった。


「死ビトのうろつく外になんの用なんだ?」と俺は上から訊ねた。「まさか、俺を追い出すつもりじゃないだろうな?」


「そうだにゃ」

「そうだにゃ?」

「いや、間違えたにゃ。そうじゃないにゃ。ただ落とし穴にかかった死ビトを処理してくるだけだにゃ。定期的にやっておかないと、穴が塞がって意味がなくなるにゃ。ウキキとかいったにゃ? ご馳走にありつきたいなら、お前も少しは手伝うにゃ」


 どんな落とし穴かはわからないが、一応説明の筋は通っている。それに、ここで手を貸してやれば、こいつの一方的なわだかまりも解消されるかもしれない。


 俺は言われたとおり下まで降り、彼女の後につづいて大樹の根元から外に出た。そして鋼鉄製の柵をしっかり閉めて、暗闇と入り混じる彼女の背中を追った。


 歩いている途中、クロエの猫耳は戦艦に搭載されたレーダーのようにせわしなく動いていた。俺には聞こえない音を拾い、荒野を彷徨う死ビトの群れを探知しているようだった。目的地までは十五分もあったが、そのおかげで死ビトとの交戦は避けられた。獣耳は可愛いだけでなく、実用性を兼ね備えているようだった。


 クロエの言う落とし穴は、俺が思っていたよりもだいぶ大きかった。だいたい全長10メートルあり、深さも同じくらいあるいように見えた。落下した死ビトは七体いて、すべてが水底にへばりつく藻屑のようにあてもなく夜空を仰いでいた。四の月を見ているのかと思ったが、そうではなかった。白く濁った瞳は、ただ空虚を映じていた。


 俺は身を乗り出して穴倉の底を覗きながら、クロエに訊ねた。「それで、ここからどうやって始末するんだ? 弓で射るのか?」、その瞬間、青い軌道が後方から俺の左腕を突き抜けてきた。


「っ……!」


 咄嗟に身を翻し、俺は殺意に乗せられた何かをよけた。よけきったつもりだった。だがシャツが裂け、そこにじんわりと血が滲んでいた。腕に痺れを感じたのは、クロエが馬鹿みたいに大口を開いて笑ったあとだった。


「にゃははは! 即効性の毒だにゃ! 少しかすっただけでも利き目ばつぐんにゃ!」


 彼女の鋭い爪には緑色のドロッとした液体が付着していた。左手の爪すべてにだ。だんだんと視界が狭まり、意識が朦朧としてくる。世界が上下逆さまになり、肩と背中をどこかに強くぶつける。落とし穴に蹴り落とされたみたいだ。上手く起き上がることができなかった。身体がほとんど言うことをきかない。


「ビースト・クォーターは狡猾で頭がいいのにゃ! なかでも、ネコ科は他のどのビースト・クォーターよりも狡猾で頭がいいのにゃ!」と上から馬鹿猫は俺に言う。「どうだ、まいったかウキキ! 負けを認めるなら、ロープを垂らしてあげてもいいのにゃ!」


 死ビトが近づいてくる音が聞こえる。そう遠くない視界の先で、七体の眼が一斉に赤く光りだした。


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