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俺とアリスの異世界冒険手帳~ショッピングモールごと転移したのはチートに含まれますか!?~  作者: 底辺雑貨
六部 第一章

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357 罪、そしてその先にある罰

 ラスコーリニコフはある思想を基に高利貸しの老婆を殺害し、金品を奪った。ドストエフスキーの著書『罪と罰』の冒頭だ。


 彼はそれから罪の意識に苛まれることになる。母プリヘーリヤや妹ドゥーニャの心配を疎ましく思い拒絶し、友人ラズミーヒンの助けをすげなくあしらう。


 そこにソーニャが現れる。ろくでもない男の出来すぎた娘だ。彼女は売春で家族を養っている。ラスコーリニコフが彼女に罪の告白をしたのは、そのあまりに献身的な自己犠牲に激しく心を打たれたからだった。


 そして、彼は後年の探偵ものの礎となる予審判事ポルフィーリーと対決する。ついには自首という道を選択することになる。


 ラスコーリニコフはシベリア送りになる。言わずとしれた極寒の流刑地だ。物語は、彼を追いかけていったソーニャの愛をラスコーリニコフが受け入れ、そして人間性を取り戻したところで幕を下ろす。


 あまりにも偉大な作家の不朽の名作を前に幼稚な感想を漏らすのは気が引けるが、すごく面白い小説だった。そして、俺にとってはハッピーエンドの物語だった。


 さて、では彼の罪とはなんだったのだろう? そして罰とは?


 普通に考えれば、罪は殺人を犯したこと(彼はたまたま居合わせた老婆の妹も殺した)だし、罰はシベリア送りになったことだろう。そこには一考の余地もない。


 だが、ラスコーリ二コフにとってはそうではない。彼は『世界を変える才人には罪を乗り越える権利がある』『一の罪悪は百の善行によって償われる』という思想に取り憑かれていた。にもかかわらず、彼は二人の老婆を殺害したことで良心の呵責に喘ぎ、自らを警察に引き渡してしまった。それが彼にとっての罪だったのだ。


 そして、その先にある罰はソーニャを愛したことだった。言い換えると、彼の凝り固まった独善的なナポレオン主義思想を打ち砕かれてしまったことだった。俺たちの知るラスコーリニコフは死んだのだ。それが罰でなくて、いったいなんだというのだろう?


 夜のとばりの下、硬い石畳のしとねの上。黄金で造られた噴水の陰に身を潜めながら、俺はどういうわけか十九世紀のペテルブルグに思いを馳せていた。シベリアの流刑地で、ソーニャの膝を抱きしめて涙を流すラスコーリ二コフに自分を重ねないわけにはいかなかった。


 俺はこれから明確な意志を持って罪を犯すことになる。だからだろうか? そのために、ソーニャによって熄滅そくめつした彼の魂の一部を宿してしまったのだろうか?


 答えが出るまえに、スマホの画面にゼロが並んだ。世界がまた新しい一日を刻み始めた。


 決行の時間だ。


 俺は闇に紛れて屋敷の広大な庭を移動した。木霊を使役して階段を作り、バルコニーに上がった。そこから内部に侵入し、音を立てないように注意して廊下を歩いた。どこからか人の話す声が聞こえてきたが、どこからかはわからなかった。


 ラスコーリニコフは頭脳明晰の秀才だった。しかし、こと犯罪に関しては間の抜けたところが多かった。老婆殺しを完全犯罪たらしめたのは、ほとんど運のおかげだ。だいたい、盗んだものを近くの工事現場の石の下に埋める強盗がどこにいるだろう?


 俺は彼のような優秀な頭脳は持ち合わせていない。彼のように将来を嘱望されたこともないし、ひとかどの人物になれるなんて思ったことすらない。だけど、俺は彼のように捕まるつもりはない。自首することもあり得ない。何もなくても、その絶対的な自信だけは持っている。だって幸いなことに、この世界にポルフィーリーとソーニャはいないのだから。





 ターゲットの屋敷の主人は寝室ではなく、ローマ帝国の宮殿を思わせる吹き抜けのホールにいた。金糸で織られた孔雀の敷物の上で、どこまでも肥えた体を横たえブドウ酒を飲んでいた。ほかに男が七人と女が二人、彼を取り囲んで談笑している。何人かは焦点の合わない目で、細長いキセルから紫色の煙を吸い込んでいた。


 甘ったるい、かぐわしい香りが立ち込めている。俺は螺旋階段を下りたとこで物陰に隠れ、彼らの様子を窺っている。聞こえてくる話はどれもこれもつまらないものだ。金儲けの話や権力維持の話。女たちは身に着けている金のアクセサリーを、まるで白熱したテニスの試合のように自慢しあっている。途切れることのないラリーと、終わらないデュース。ここからは、勝ちへの執念がより強いほうがウィンブルドンを制する。


「さて――」とターゲットの蛙のような男は言い、両手をぱちんと打ち鳴らす。みなが一斉の喋るのをやめる。


「さて、九頭大蛇のお方様。そろそろ出てきてくれませんかな?」


 俺は観念して物陰から身をさらす。理由はわからないが、忍び込んだのがばれていたみたいだ。


「どうしてわかったんだ?」

「なに、両の手の小指を切り落としてあなた様に会いに行ったトゥモンを、尾行させていただけのことです。ワタシの奴隷が大変お世話になったようですな。それからのあなた様の行動を紐解けば、夜半にお訪ねになることは明明白白。あの呪術師――オクタヴィア・トメウス・ノベンタでしたかな?――と行動をともにしているとなれば、尚更ですな。あの女を模し、今夜中にワタシを含むトゥモンの三親方を殺すおつもりなのでしょう?」


 なるほど、と俺は言った。「それなのに、こんなところで優雅に酒を呑んでていいのか?」


 口を醜く歪め、男はふぉっふぉっふぉっと笑った。


「観劇には酒がつきものでしょう? あなた様にも勧めたいが、主役が酔っぱらっては剣劇ではなく喜劇になってしまいますからな」


 片肘をついて寝そべったまま、男は贅肉のついた右腕を軽く持ち上げる。すると、あちこちの物陰から武装した男が出てくる。一、二……三人ほどいる。世の中にはいろんな物陰がある。


「あなた様は今日ここで命を落とす。しかし安心なさい。三送りはこちらで如才なく執り行わせてもらいます。なんといっても、オパルツァー帝国の寵愛を受けるお方様だ。死ビトになられてはワタシの心が痛みますのでな」


 男らはみな曲刀――シャムシールを腰に携えている。そして感情のない目に殺意の色を灯し、爬虫類のようにじっと俺のことを見据えている。全員デザート・スコーピオンの手錬れだろうか? しかし、俺が戦ったあの男の姿は見えない。


「――が、その前に一つお尋ねしたい」と男は言う。「あなた様はトゥモンの小指をどうしましたかな?」

「……どういう意味だ?」

「含蓄などありません、ただの質問です。お答えいただけますかな?」


 布にくるまれたまま飛空艇の部屋に置いてある、と俺は言った。


「……なんと嘆かわしい。それはいけませんな。実によろしくない。奴隷からお願い事とともに小指を差し出されたら、すぐに唯一の月の女神リアに奉納せねばなりません。それが親方の務めです。あるいは託された他人様の責務です。そして血肉は長い時間をかけて女神リアに捧げられ、小さな骨だけが残ります」


 男は胸元をまさぐり、首にかけられた細い金鎖を露出させた。そして何本かの鍵とともに提げられたいくつもの白く矮小な骨を、まるで我が子のへその緒を慈しむかのように手のひらで躍らせた。


「親方のなかには砕いて海に撒く者もいますが、ワタシはそんなことはしない。これは言わば特別な立場の者だけが手にできる宝石のようなものです。多ければ多いほど、偉大な親方として崇敬されるわけです。トゥモンの小指もそろそろと思っておりましたが……あなた様に取られてしまいましたな」


 コメントを求めるような間がしばらく続いた。だけど俺は黙っていた。何かを言ってやる必要はない。俺がここに来たのは、ブドウ酒を飲むためでも醜い親方のご機嫌を取るためでもないのだから。


「俺も一つ聞きたいことがあるんだ」と俺は言った。「あのいつもいるデザート・スコーピオンの男は今いないのか?」


「ああ、あれなら説教部屋で懲罰を受けておりますな」と男はつまらなそうに言った。「あなた様はゴベア商会であれを打ち負かしたでしょう? その罰ですな」


 罰か……、と俺は呟いた。どの世界もよく理解できない罪と罰で溢れている。


 男はそれから、代わりとして急遽デザート・スコーピオンを三名取り寄せたと得意げに口にした。それこそが罪だとはまだ気づいていない。こいつはあえて自分の防衛を弱めるという、生物にとっての重罪を犯している。


「出でよ雷獣――並びに木霊!」


 紫電の爪が武装する男を連鎖的に二人貫く。俺は彼らの膝が折れ、倒れ込むのを木霊の階段を駆けながら目にする。そして木霊から高く飛び跳ねる。曲刀を抜いた三人目の男の上を取り、上空から鬼熊の槌を振り下ろす。


ガルウウウウッ!


 手加減はしたが、思ったよりも鬼熊の剛腕が真芯を捉えてしまった。シャムシールを落とした男が、いたわしい格好で横たわっている。しかし致命的な怪我は負っていないと思われる。さすがは厳しい訓練を積んだ戦士だけあって、直前でしっかり防御姿勢を取っていた。


 俺は振り返り、蛙のような男に言う。


「俺を負かす可能性を自分で排除するなんて、あんた意外と頭が悪いんだな」


 後ろから狙われていた。素早い予兆が俺の首を暫定的に刎ね飛ばした。たぶん紫電が貫通した二人目だと思う。相対的に雷撃の影響が薄まり、かろうじて剣を振るうことができたのだろう。しかし全部視えている。俺は肌から数ミリの位置を刃先に通過させ、振り向かずに鬼熊を使役する。男が吹っ飛んで壁に打ちつけられた音が聞こえる。


「あいつ一人が、この三人に劣るとでも思ってたのか?」


 ホールが静まり返り、誰かの落とした金の器が大きな音を立てた。ブドウ酒が真っ白い絨毯を赤く染め上げていく。

 蛙のような男は青ざめた顔で状況を整理していた。やがてよろよろと立ち上がると、前を向いたまま後退を始めた。


「か、金なら欲しいだけ差し上げますぞ!」と男は言った。

「金はいらない」と俺は言った。


 それから男は額に脂汗をたらし、大声で私兵を呼び上げた。しかし誰ひとりホールに入って来る者はいなかった。そりゃそうだ。だいたいみんな雷獣の一撃を喰らって、泡を吹いて気絶している。


 それからの男の行動は醜悪そのものだった。逃げ出そうとすればすぐに転び、起き上がろうとすれば女に頭から突っ込んでいった。最後に床を這いつくばって男の背中に隠れたが、目が合うとその男は黙ってその場からどいてくれた。もう彼には、手をついて命乞いをする以外に残されていなかった。


「ワ、ワタシが何をしたと言うのです! このとおり、どうか命だけは御助けを!」


 俺は何も言わずに蛙のような男の前まで歩いていった。急がないでいい。焦らなくてもいい。ゆっくりと男の首に手をかざし、鎌鼬を使役すればいい。


 男の土下座を見下ろすと、同じことをしていたトゥモンの姿が目に浮かんだ。あいつはチョコレートを弟に食べさせてやれなかった。だから小指を二本も切り落とし、俺に物乞いをした。


 もう二度と、あいつのあんな姿は見たくない。もう絶対に、あいつにあんなことをしてほしくない。


「出でよ鎌鼬!」


ザシュザシュッ!


 乾いた音がホールに響いた。誰もが息を飲み、床に落下したそれを目を見開いて見ていた。いや、誰もがというのは正しくない。怪しげな煙を吸う連中は、いつまでも涎をたらして虚空に視線を漂わせていた。彼らはここではない、どこか別の世界を生きているのだ。


「あっ……ガッ……エッ……?」


 蛙のような男は奇妙な声を上げながら、厚く脂肪のついた首に手を触れた。そしてまだ繋がっていることを確信すると、俺のことを見上げた。


「ワッ……なっ、なんでワタシはっ……?」

「あんたは勘違いしている。俺が欲しいのはあんたの命なんかじゃない」


 俺は男の首から落ちた首飾りを拾い上げ、何本かの鍵を外してそれをポッケにねじ入れた。そして残りを男の手元に戻した。


「かっ……鍵? ですかな……? いったいどういう……?」

「この屋敷の地下には説教部屋がある。そこに入るには鍵が必要だ。……何もおかしくないだろ?」

「まっ……まさか、あなた様はあの男を助けに我が屋敷へっ……?」


 俺は思わず素で笑ってしまった。そんなわけがない。


「あんたは俺に言った。『唯一の月の女神リアへの奉り物(たてまつりもの)に従事すると、奴隷も市民と同じだけの賃金が得られる』と。そして、説教部屋にはリア像がある。中庭に出れば、月の聖堂が目の前に聳えている。となれば、俺がここでやるべきことは一つだろ?」


 蛙のような男はすぐにピンときたようだった。素早く立ち上がり、必死の形相で俺の両肩を鷲掴みした。


「あなた様は奴隷に対価が支払われる労働を与えるために、奉り物を打ち壊すおつもりですな!? それはなりません、月の女神への冒涜ですぞ! そんなことはこのワタシが絶対に許さない!」


 面白いものだ、と俺は思った。この男は自分の命の危機には立ち向かうことができなかったくせに、今ではこうしてしっかりと歯向かってきている。ルナを邪心とするいびつな経典だが、少なくともその信仰心だけは純粋なものなのかもしれない。


 しかし、彼はすぐに一切の動作を停止させた。俺が影鰐を使役して、彼の影を喰らったのだ。


「わるいな、でももう本人の許しは得てるんだ」と俺は言った。「それに……奴隷だったあんたは実際に奉り物を修復する仕事を得て、それがこんな馬鹿でかい屋敷を持つきっかけになったんだろ? だったら、今の彼らにだってチャンスぐらいあってもいいと思わないか?」


 もちろん、奴隷の彼らが金銭を得たとしても、誰しもがこの男のようにそこから抜け出せるとは思えない。だけど、たまに羽を伸ばして一杯ひっかけることぐらいはできるはずだ。少年が、甘いお菓子を自分の金で買うことだって……。


 影のない男は言葉を発することができないぶん、目で強く俺のことを非難している。俺は彼に背を向け、ホールから出ていく。邪魔するものは誰もいない。


 この屋敷はスタートに過ぎない。俺は今夜、この都市にあるすべての奉り物を破壊する。

 罪の意識が、すでに俺の足取りを重くしていた。俺はリア像への祈りを心の支えにしている人たちから、それを奪ってしまうことになるのだ。しかし、それでも俺はやり遂げなければならない。たとえこの先、どんな罰が待ち受けていようとも。


 これが、トゥモンと不自由な人たちのために、俺がしてやれる唯一のことだ。


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